2,002年に数学の学問上、難解難題とされてきたフェルマーの公式定理が「証明された」という発表があった。これは数学に仕事を携わっているひとのみならず、少なくとも、その定理を知っている人全員が称敵的な出来事として知ったことだろうと思う。テレビディレクタのサイモン・シンが書いたこの「フェルマーの最終定理」は、数学の知識が無くても読める本である。本の題名を見ただけでは、絶対に「脳みそが割れる」とおもわれるかもしれない。しかし、心配ご無用。「できれば数学の基礎知識が有ったほうが良い」という程度であるが、全く無くても大丈夫である。文中に出てくる公式に関する数学的知識は、巻末に説明がされているので、それを読めばいいのだ。すっかり忘れている人は、それを見れば、学生のときに習ったことを思い出すに違いない。インド人であり、本人も数学のドクターコースを修めている一方、TVディレクタとして科学的なドキュメントを製作するとその才能を異観なく発揮していたイギリスBBCのサイモンシンが、数学のおもしろさと、この難題に取り組んでいった過去の数学者、それとその隠されてきた歴史について、綿密に調べた上で分かりやすく説明しているので、数学の本というよりも、この定理を解明する人たちのドキュメンタリとして読むといいかもしれない。この本は本来、ハードカバーとして売られていたのだが、最近になって文庫本として発売しはじめた。値段が手ごろなので、数学に興味を持ち始めた人、または数学の魅力に取り付かれておかしくなっているひとを横から見たい人、数学の数が持つすばらしい能力について魅了された人は、ぜひ読んで欲しいと思う。数学者は該して「変人」と言われていたりするが、この本のなかでも数学にのめりこんで「逝ってしまった」人も数多く出てくる。そういうひとは、頭の中が毎日数学のことしか考えられなく、人間としての生活を不意にしてしまっている人が多い。また、数学とは綺麗に説明できるもののみが有効で、間違ったそして曖昧になっていることはすべてダメなことであるという学問であるため、数学者が話すときには、言葉に対してとても厳密に喋ろうとする。それは論文を書くときに身についてしまう必然的な行動なのだが、これが一般人にとっては、「かれは何を言っているのか理解できない」と言われる根本的な原因になっていることは間違いない。人間の付き合いよりも数学との付き合いのほうが、結果がはっきりしているだけわかりやすいということから、まともに他の人間と話ができなかったというエピソードも出てくるから面白い。身近にこの人は何を考えているのだろう?という人がいると、もしかしたら、何か厳密に喋ろうとしていて、それを表現できない人なのかもしれないと思うといいだろう。また、頭の良い人は途中の考えを他人に分かるようには説明せず、新幹線並みのスピードで素っ飛ばして、結論を導くという場合がある。数学者も概してそういう人種のようだ。この本の名前にもなっているフェルマーもまさしくそういう人間で、ノートの端にちょこちょこっと書いただけで「見切った」と宣言したのだから、他の数学者にとっては、「それはなぜ??」と思ったに違いない。彼はそう思わせたまま死んでしまったので、最終定理が証明されるまで実に400年もかかってしまうという歴史が生まれてきたのである。数学と歴史をこの1冊で知ることができるので、是非堪能して欲しい。
もう1冊数学に関してお勧めしたい本がある。それが右にある「オイラーの贈物」である。こちらの本は先述の「フェルマーの定理」に比べると、もっと数学的な本である。歴史というより、純粋数学を書いているため、数学の予備知識がない人にとっては、最初の5ページで放り出してしまうと思う。高校数学程度の知識があれば、この本は読めることが可能だ。また、数学に興味を持っていた人、また、数学を専門でやっていたひとにとっては、この本は昔受験数学の問題集として良く使われていた「大学への数学」と同じように百科事典の1つとしてライブラリーに儲けておくのがいいと思う。こちらは数式と問題がふんだんに盛り込んでいるため、高校数学および大学数学の予習・復習に使うと良いだろう。リゾート地に持っていってこれを読んでいると、あたまがおかしくなりそうな気がする。通勤途中の電車の中で読んでいると、日経新聞を読んでいる人を見て「すごいな」と学生が思うように、周りに乗っている人は驚くと思う。いろいろな角度からオイラーが単純明快に表現した例の公式を導くのは凄いと思う。さらに、全然関係ないと思われていた数学の中の各分野が、この本を通してすべて通じるものであることが分かった。大学の時にこの本に出会っていたら、もっと数学に対して数学者的にのめりこんでいたことだと思う。
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