2013/10/17

熊野速玉大社

熊野詣で一番最初に行ったところは、熊野三山の1つであり、新宮駅から歩いていける場所にある「熊野速玉大社」に行ってみた。最初は駅からバスで行こうという計画をしていたのだが、バスの時間にあわせて移動するこにすると、バスが何時に出発するのかも分からないし、バスにの時間に合わせて自分たちの行動が決まってしまうことに対する不満と言う点と、実際に熊野バスのサイトでみたときに、駅から最寄のバス停まで5分程度でいけるというのがわかったから、そんなに遠く無いというのがわかったのもある。もっと言うと、最寄のバス停というのが、神社の目の前ではなく、ちょっと離れている。それならバスなんかを使うよりは、駅から散歩を兼ねて歩いていったほうが良いんじゃいのだろうか?

1つしかない改札口を出て、左に出ると、線路を渡れる道に出られる。そのあとは線路を渡って道なりにいくと、そこそこ車が通る道に出るので、それを右に行く。あとは途中で道の看板に「熊野速玉大社」というのが見えてきたら、その看板にしたがっていけば良い。
この時、そのまま普通に道なりにいくのも面白くないなと思ったので、途中から商店街を通っていくことにしてみた。新宮の街並みを散策もかねてである。が、これは別に記載したいと思うのだが、これが地方の商店街かという現実を見せ付けられた衝撃的な印象を得た。

さて、神社の参道に続く道に入っていくと、道沿いに灯篭が見えてきた。紅い灯篭は神社が傍にあるという証拠でもあるし、なんだかワクワクしてくるではないか。もう少し目線を遠くにしてみると、赤い鳥居が見えてきた。どうやらそこが神社の入口のようである。この鳥居が見えてくる道に入ると、いきなり車の喧騒もなくなり、雰囲気が異なってくる。
 
正面の鳥居を越えると、おもしろいことに八咫烏の神社があった。八咫烏の社があるのはいいのだが、そこで何をお参りしたらいいのか、ちょっとよくわからない。

 
さらに境内を進んでいくと、左手に巨大な梛の木がある。日本の天然記念物にも指定されているものなのだ。この木は他に周りに木が無いので、特に大きく見えるから不思議だ。なにしろ、この木は、平重盛(平清盛の嫡男)が手植えしたことにより植えられたのがこの木だから、そう考えると、ほぼ1000年近くは生きていると言うことになる。
さらに境内を進んでいくと、いよいよ本丸に入るための朱色の門があるので、それをまずは潜ろう。いよいよ気分が高まってくる。でも、門を潜ったところで、その先に広がる敷地がこんなに広いところは想像できなかった。

建物が建て替えられたばっかりなのかわからないのだが、鮮やかな朱色が映える13殿の社が並んでいるように建っている建物だった。ここが本殿である。それぞれには神様が祀られているのだが、全部におまいりするのが良いだろうと思う。それにしても、この日は天気が良かったため、空の青さと建物の朱色のコントラストが眩しくて、良い時期に屋って聴いたのではないかとおもった。
 
 
 
 
 
しかし、雰囲気がいい境内なのにも関わらず、世界遺産に入ったのがどうやら嬉しかったのか知らないのだが、世界遺産記念の石碑が置かれている。中国圏みたいに、石碑の文字が赤字になっているということはないからまだマシだが、こんな石碑なんか要らないとおもう。
ちなみに別のところには、過去にどの天皇が何回この神社にやってきたかを表す「熊野御幸」という形で石碑が残っている。一番古いのは宇多上皇である。一番多くやってきた天皇は後白河上皇である。天皇として地位を後の天皇に譲ったあとに、暇になったからなのかもしれないが、なんと33回もやってきている。その都度、御付のひとたちを大量に連れ立ってやってきたのだと思うと、どれだけ道中に金を落としていったのかと思うと、莫大な費用がかかったことだろう。皇室の贅沢な遊びだとは思う。
駅から近いところなのにも関わらず、あんまりこちらの神社には参拝をしに来ている人が少ないことにビックリした。それでもお正月になると、結構人が集まるのかなとも想像しているのだが、実際にはどうなのだろう?熊野三山というくらいだから、もっと人がわんさかやってきているのかと思ったのに、少々拍子抜けだなとおもった。

熊野速玉大社
URL : http://www2.ocn.ne.jp/~sanzan/NTTcontents/hayatama/

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