2013/10/19

熊野本宮大社

熊野本宮大社は、熊野三山のなかで一番行くのが面倒くさいところであり、一番山奥に存在する場所。それだけ行きにくい場所だとなんとなくご利益もそれなりに期待してしまっちゃうのは当然だろう。行きにくいということは、それだけ参拝客が来ないところなので、わざわざここまで来る人というのは、それだけ熊野信仰が強いひとか、なにかに追われてきた人か、キチガイかじゃないのだろうか?

熊野本宮大社の入口は、いかにも神社の参道の入口という雰囲気を醸し出している。入口だけみると、出雲大社の参道入口に似てなくも無いと思う。
ここから参道に入ってみると、いきなりなんとなく幻滅してしまいそうになる。なんとなく安っぽい神社に格下げしてしまったかのような幟の羅列がずらーっと並んでいるのにはビックリした。そんなに「熊野大権現」という幟を掲げないと、ここが熊野本宮と言えないのかといいたくなる。
さらに進んでいくと境内までは長い階段が存在する。この高台の上に社は立っているらしい。でも、那智大社のような階段があるわけじゃないので、結構この程度の階段であれば何の問題も無いとおもってしまった。前日に那智大社のほうを経験してしまったので、たいしたことが無いのかなと思いに至ったのだろうと思う。
 
 
実際に階段を上ってみたところ、驚いたことに意外に熊野本宮大社はそんなに大きくないことが分かる。それに、当日訪れたときは本殿が改装中であったため、建物としても全然面白みもなく、ありがたさも感じられなかった。それに、那智大社や速玉大社に比べても全体的に小規模のような感じがしてきた。
 
 
 
工事現場の隙間から修理中の神様に対してお参りはいちおう出来るようになっているのだが、その隙間からお賽銭を投げてお参りするという行為自体がなんとなくありがたみを感じられない。もう一層のこと、参拝禁止にしてもいいくらいの中途半端さなのである。これだったら観光協会のひとたちも「いまあそこは参拝しても建物は修繕中なので」ということくらい教えてくれても良いのにとは思った。
 
 
ただこちらでは何も無いということはなく、唯一の見所としては、境内に真っ黒の八咫烏が乗ったポストが存在する。実際にもここのポストから手紙は出すことができるため、郵便ファンもしくは、ご利益を期待している人というのが結このポストから手紙を出していたのを見た。
大して見所が無いこの本宮を後にするとき、いま来た階段を下りるのではつまらないので、古道として使われていた裏道から下りてみることにした。こちらも昔の古道をそのまま残しているところなので、石段になっているのはなっているが、整備されていないため、不揃いの石段になっているから歩きにくいのが難点。
 
他に見るところが無いのかよーとおもっていたら、遠いところにポツンと大きな鳥居が建っているのを発見した。熊野川沿いに建っている大鳥居のほうに暇だったので歩いて見ることにしたのである。
 
近くに見えていたと思われていた大きな鳥居なのだが、実は随分近くになってもまだまだ全然到着できない。それもそのはず、その高さ34メートルもあるので、周りに何も無いような場所だとかなり目立つし、随分傍に来るまでその大きさにはなかなか感動としてはありつけない。
しかし、なんでこんなところに鳥居があったのか?と素直に思うところなのだが、実はもともと熊野本宮大社というのは、この熊野川の中にあった中州に社が作られていたもので、その中州は「大斎原」と呼ばれ、信者は神社にやってくるときには、川の水で全身を清めて、そのまま川を渡ってくるという方法しかなかったわけである。しかし、中洲に神社を作るということは、結果的に、川の洪水が起こったときにどうなるのかということに結果が繋がる。このもともとあった大社自体も、明治維新による究極の変化によって山林伐採に力を入れてしまったため、山林自身が治水用の能力を失ってしまい、結果的に1889年に大洪水が起こって、そのまま神社もろとも流されてしまったというオチに繋がってしまった。神社が流された?という笑えないようなオチになってしまった神社がここであり、もう熊野川が氾濫しても神社が流されないようにという意味で、今の位置に神社を移して建設したということになるのだ。ご利益を望んでこの神社にくるような人と言うのは、たぶんなんとなくこの神社だけありがたさを感じないと思うのも当然であり、霊験あらたかなものは一切今の本宮大社には存在しないから、霊感の強い人にとっては行っても意味が無いような場所と感じてしまうんじゃないのだろうか?自分の存在さえも守れないような神社に、誰が信仰を保とうとするのだろうか?

さて、旧本宮大社のあった場所だが、その名残として各所でいろいろ知ることができる。大鳥居を潜ると、その先には参道らしきものが真っ直ぐ続いており、その両側には真っ直ぐに伸びた木が参道を包むように立っている。
 
 
その先には、もともと社が建っていた場所が目の前に広がるのだが、いまではすっかり芝生だけが残っている広い場所としてしかなっていない。ここに何があったのかというようなものは一切残っていない。少しだけ残された灯篭が残っているのだが、そこが元々なにがあったのかということは看板が無いので分からない。たぶんご利益を求めるひとは、もともと存在していたこちらのほうこそ本宮大社ではないかとおもって訪問するようなのだが、こう何もないような場所でどうおまいりしたらいいのか分からないようでは、唖然とするだけだろうと思われる。
 
 
 
新旧2つの大社の場所を訪問しても、あんまり時間は経過しない。それに、いちおう熊野の中の観光地であるから、それなりにおみやげ屋とか食べものやがあるかというと、周りには何も存在しない。本当にここが有名な神社の場所なのか?と疑いたくなるような場所なのだ。むしろ、周りの農家の人たちにとっては、あんな邪魔なものがここにあるから、変な外部の人たちが自分の田畑を荒らしたりしないだろうか?とビクビクしているようにも見えてくる。そんなところが熊野本宮大社であるため、長居をここではする必要は無いと思われる。訪問時間として滞在時間が30分もあれば十分だろう。それを踏まえて、本宮大社に来たほうが良い。なにしろ、交通の便がわるいところだから、一度来てしまったら帰るにも不便なところなのである。

熊野本宮神社
URL : http://www.hongutaisha.jp/
Open : 9:00 - 17:00



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