2009/06/20

道の上の書道(北京)

頤和園の正門前の木陰ゾーンを歩いていると、あちこちで、筆を使って道に字を書いている人を見かける。彼らは、立ったままの状態で、石畳の道に字を書くのだが、これは墨で書くのではない。墨で書いたら消えなくなってしまうからだ。じゃ、何で書いているかというと、墨の代わりに水なのである。水であれば乾燥すれば字は消えるし、何度も何度も書けるというので便利なものだ。

どのおじさんたちもかなりの達筆ばかりで、たぶん書いている内容は、有名な詩の内容を書いているのだと思うが、中国詩については全く教養がないので、どこからの引用なのかがわからない。こういうのを即座に判断できる教養の豊かな持ち主であれば、かなり楽しいと思う。それにしても、書家達の見事な筆捌きには眼を見張るものがあるが、それよりも、漢字自体の豊富な修飾性について改めて感動してしまった。同じ漢字でも、字体によってかなり見え方は異なる。普通の行書で書いた場合と、草書で書いた場合、隷書で書いた場合や象形文字で書いた場合では、全くこれらが同じ漢字とは思えないし、全体の字の流れについても印象が異なってくる。字を1つの芸術にするなんていうのは、西洋文化では考えられなかったものだろう。もちろん今ではレタリングがあるので、多少アルファベットでも修飾性を持たせているが、漢字ほど全く異なる字のように見えるものは無いと思う。そして、芸術の分野までに持っていった漢字の魅力は、英語でchinese characterと言われるのが分かるような気がする。ここで活躍(?)しているおっさん達は、毎日金を払って入場して、そして字を書いているのだろうか?!それとも引退した書家たちで、観光客相手に商売をしているのだろうか?でも、どう考えても、観光客から金を取って字を書いているようには見えない。むしろ、自慢するために字を書いているようにみえる。その自慢の内容は、字の上手さもあるが、教養の深さを示しているのだろう。普段は簡体字しか書かない彼らも、書道になあると、本当の漢字(繁体字)で書くから不思議だ。聞いてみたところ「簡体字は書いてもつまらない」のだそうだ。むしろ、字を書くことで、現政権への反論をしているように見受けてしまうのは気のせいだろうか!?

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