2009/06/20

紫禁城(北京)

紫禁城は広い。想像していたより、めちゃくちゃ広い。はっきり言って、生半可な気持ちで紫禁城を観光しようというのは無理だ。ルーブルでもMOMAでも、巨大な美術館も気軽にいってみようというと、現地ではそのあまりにも広大な面積と展示物に圧倒されてしまい、疲れだけ残ったことが有る人も多いと思う。紫禁城もまさしくその類の一つに数えられる場所だし、広い上に、どこにいっても同じような建物があるし、この建物は是だといって貰わないとわからなくなるくらい似ているし、空からはものすごい日差しが照っているし、紫禁城の中には緑がほとんど無いため、建物の影くらいしか太陽を避ける場所がないし、おまけにトイレもそんなに多くないし、飲み物・食べもの屋がほとんどない。一度紫禁城に入ったら、出てくるまでは覚悟しないといけないという、ほとんど自ら拷問の中に入っていくようなものだと思う。

多くのドキュメンタリ映像やブログでも、紫禁城の大きさや詳細な紹介については触れているので、あえて、膨大な建物を保有している紫禁城のことは書かないことにする。どちらかというと、今回は紫禁城を実際にみて、どう思ったかとか、どう感じたかということについて言及したい。

長安街に面したいわゆる正面の門のようなところがてっきり紫禁城の入り口なのだとおもっていたのだが、あんなのは入り口でもなんでもなく、まだまだ紫禁城の「外」に位置する。しかし、中国人は皆忘れやすい性格なのか、あの車通りの激しい通りに面した門、つまり天安門に巨大な毛沢東の肖像画を飾っているというのは悪趣味にもほどがある。そこまでしないと毛沢東の偉大さ(?)は忘れ去られるというつまらないものらしい。あの肖像画はいまだから毛沢東になっているのだが、実は台湾でも国父になっている孫文が最初に行ったためにそれに習って毛沢東の肖像画が飾られているだけだ。共産党政権が政権を握るまでは孫文が飾られていたのであるので、まぁ、全体として中国人は悪趣味であることは変わりない。天安門に掛かる橋のうえを、たくさんの軍警の兵士によるウェルカム監視を浴びながら進むと、少し広い広場が出てくるが、そんなものでもまだ入り口じゃない。さらに奥に「午門」というのが巨大な壁のように立っているのだが、その手前で紫禁城の中の入るための切符を買うことが可能だ。切符売り場は、午門の両サイドに位置する。入場料は60元。結構高い。外国人はさらにガイドフォンを借りたほうが良い。デポジットとして1台あたり100元取られる。内容は結構充実しているのでそれを聞くのがいいと思うが、たまに壊れているガイドフォンがあるので、注意だ。今回も3台中1台が途中から何も反応しなくなってしまい、持っている意味がなくなってしまったのだ。それでようやく午門を通ることで紫禁城に入場ということになる。ここまで来ることだけでも結構くたびれる。そういえば、だいたいこういう巨大な遺跡がある場所では、パンフレットか地図くらい無料で配布してくれてもいいと思う。そこがサービスをまだ知らない中国であるため、そんな他人に無料で提供しようなんて発想がまだないため、地図は自前のガイドのみが頼りとなる。いちおう城内でも、行きたい建物の方向を示す矢印は、たまに点在しているのだが、肝心の全体図というものを表示している場所はない。地図に対する共産主義独特の秘密性がまだ蔓延っているためなのかどうかはわからないが、あれは不親切極まりない。特にトイレの場所やキオスクの場所というものが全く分からないので、困ったときにどうしたらいいのかが本当に困るのだ。

紫禁城のちょうど南北を真ん中に通るところに建てられている建物群が、いわゆる皇帝に関係している建物であることは言うまでも無い。いまでこそ、真ん中を堂々と歩けるのだが、そこはかつては皇帝しか歩くことができず、跨ぐことも許されないという、皇帝=神様の図式をそのまま実現した世界だったのが本当に不思議だ。それを知っている中国人の多くは、自称「小皇帝」と思っている人が多いために、当時の皇帝気分に真ん中を歩いている人たちが結構たくさんいた。建物の間はとても広い一種の広場みたいになっているのだが、人の通る場所はなぜかその真ん中あたりにしか集中していないので、片方の建物から先にある建物の方角を見ているときに、ゴミのように小さい人の流れが、巨大なキャンバスの中の極狭いところでごちゃごちゃ動いているように感じて、気味が悪い。10万人の野外コンサートの帰りとか花火大会の帰りであったら、存在するスペース一杯に帰宅する人たちが列をなしている光景を見ることができるのだろうが、まぁここでは無理だろう。
紫禁城の建物の名前を看板として掲げている文字は、漢字のほかに満州文字を並列して記載している。現在書かれている文字というのは、清朝がその建物について彼らなりに中華世界を勉強してつけた名前であるのだが、実際にこの紫禁城は清朝が建てた訳じゃなく、その前の王朝の明が建てた物で、明の時代にはすべての建物の名前は清朝時代と異なっている。もちろん明朝時代には満州文字も無いし、満州族が支配しているわけではなかったので漢字表記しかないのは当然だ。清朝だから満州文字を併記しているのであって、どうせならすべて満州文字にしなかった清朝を構成する満州族の思惑がここに現れているような気がする。しかも、満州文字は漢字より右側に書かれているというところに注目だ。つまり、先に満州族があって、その後に漢族があるぞと、建物を通じて宣言し、漢民族を支配下においていると鼓舞していることを意味しているのだ。
日本では「鶴は千年、亀は万年」という言葉がある。紫禁城には、結構至る所に鶴と亀の銅像が建てられている。亀は皇帝を表し、鶴は皇后を表すのだそうだ。なぜそういう意味を持たせているのかは不明。たぶん、どこかのガイドに記載していたかもしれないが、忘れた。紫禁城の真ん中はすべて広い通りを構成しているのだが、その中央から離れて、東西両サイドにも建物群がたくさん存在する。よく、紫禁城を舞台としたドラマや映画が撮影されているが、その際に、紫禁城内の塀に囲まれて小道の映像が出てくる場合がある。それは東西両サイドの建物群の間を行き来するための道であることが、実際に行くと分かる。さらに東西サイドにもたくさん建物が存在するとは上記で記載したのだが、その建物の保存状態がとても悪い。なぜ中央部に建てられている建物は立派に、それに新規に建てたときと同じように派手な色使いを施してメンテナンスしているのにも関わらず、こういう建てもには全くメンテナンスをしているわけではなく、日本の古めかしい寺のように色は剥げ、木材の本来の色に近いような鈍い色のまま晒されているのだろうか。おまけに、建物の中は、すべてガラスで覆われているのは良しとしても、そのガラスが、外から中身を見るなといわんばかりの汚さで、汚いガラスをペーパータオルでゴシゴシしても、中から汚れているために曇ったようなガラスになって中がハッキリ見えない。決して自分が白内障や緑内障になって眼がおかしくなったと思わないで貰いたい。これもそれも中国政府がメンテナンスしていないせいでも有る。ところがこういう小さい建物のほうが、実は面白そうな道具が残っているので、実は見物に値するのだ。中国はいまじゃ世界第2位の金持ちになっているのにも関わらず、なぜ、こういう観光財源の元になっているようなところを真面目にメンテナンスしていないのかが不思議だ。金や人手が足らないというのであればわかるが、中国は人も腐るほど一杯入るし、金も腐るほど一杯あるくせに、自分の利益にならないことには何もしないという体制が残っているのか、もしくは、真ん中のメインの建物だけを外国人は見るべきで裏の顔を見るべきではないという方針なのか、もうよくわからない。とにかく、カメラ撮影しようにも、ガラスによる太陽光の反射とガラス自体の汚さで、真面目に綺麗な写真が撮れないところが歯がゆい。そういえば、いわゆる「故宮博物院」というのがどこかというと、実は「これ」というものがない。紫禁城の右半分のところが各種展示されている建物群なのだが、台北の故旧博物院のように整理整頓されていたり、名品・珍品というのが綺麗に展示されている光景とは全く違う。まぁ、そこそこ値打ちがあるような品物が展示されているが、その展示の仕方があまりよろしくない。いちおうクーラーの効いた囲われた部屋を用意して、そこに展示されているのだが、じっくり眺めて展示物をみたいというような並べ方をしていないし、まず管理の仕方が雑すぎる。名品らしいものもこれじゃダメな品物になってしまうのではないかと思う。紫禁城内に特別に専用の展示館を作るべきだと思う。あれじゃ、展示物が本当に可哀相だ。どうして「歴史重視」なんていうことを中国はしきりに言っているのに、自分たちの歴史的重要文化財を無下に扱っているのか全く理解が出来ない。それも首都の世界遺産になっている場所であるにもかかわらずである。膨大な清朝の宝物のうち、超重要ものばかりを台湾に国民党とともに持っていかれたとはいえ、それでも一流品が残っているはずなので、それをこんな扱いにされるとは、残された品物にとっても「わしを台北に連れて行け~」と叫んでもおかしくない。

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