2009/06/20

円明園(北京)

頤和園から円明園に行く際には「北京のタクシー事情」でも書いたとおりに、ひと悶着があったのだが、最初の予定では、円明園のあとに頤和園に行こうとも考えていていた。しかし、頤和園のなかのレストランにも行きたかったこともあるので、時間的なことを考えたときに、頤和園に先に行ったほうが良いだろうということから考えた。もし、先に円明園に行っていた場合、頤和園に行くときに拾うタクシーも結構簡単だったかもしれない。円明園のほうが大きなとおりに面しているので、タクシーもたくさん走っているからだ。

さて、円明園に着いてみて、これもまためちゃくちゃ園内が広いことがわかった。以前、杭州の西湖に行ったときにも感じたが、中国のこういう公園というのはとにかく規模が大きすぎるので、日本のちょっとした公園の大きさを考えてみても無駄なのである。その数倍も大きいのだから。円明園は、イギリスとフランス軍が義和団の乱を鎮圧したあと、どさくさ紛れに、ここにある文献やら宝物を略奪し、ついでに建物についても徹底的に破壊したあとしか残っていないところである。そういうところだと、もちろん思っていたのだが、そんな遺跡は円明園の中の本当にごく一部であることが実際に行ってみて分かる。

じゃ、その他、敷地内にはなにがあるかというと、単なる森と造園である。これがまた同じような風景ばかりでつまらないのだ。正面玄関は清華大学に続く清華西路にあるのだが、ここから行くと、お目当ての遺跡までは30分以上も歩かなければならないので、やめたほうがいい。できれば、タクシーで運転手と交渉する際には、中関村北大街沿いにある長春園東門のほうから入ることをお勧めしたい。
実際に廃墟跡の場所に行ってみると、破壊されたままの大理石群がそのまま放置状態になっている。きっと中国としては、これは西洋から受けた屈辱として、敢えて修復しようと馳せず、いつまでも「憎き・西洋人」を全中国人に思わせるようにしている大宣伝材料なのだろうと思った。日本人から見ると、できれば修復すれば良いのにと思う。しかしながら、こんなものに金を掛けるより自分の金をいかに運用して儲けるかが重要だと思っている人間が多い中国で、こういう大規模な修復作業に金を歓んで出そうなんていう金持ちを出す土壌が無いことが悲しい中国人の定めなのだろう。政府が自らやろうとしても、その修復をすることで、観光客や国民に対してどのようなアピールになるのかという計算のほうが先に入ってくるために、修復するのに金が掛かるから修復をしないというよりも、修復をしないことで西洋人に対する永遠の恨みを植え付けさせることのほうが、政権者にとっては都合の良い方法だったのだろうと考えられる。

頤和園に比べるとここには二度来たいという印象は全く無かった。ただ広くて暑くてつまらないところという印象以外は無い。

0 件のコメント: