ロンドン渡航時に伴う行き帰りの飛行機は、機内のエンターテイメントを観るのもいいが、最近は観ていると疲れちゃうので、本を読むことにしている。その時に読む本を選んでいたときに、気になったのは「クォン・デ―もう一人のラストエンペラー」という本だった。「ラストエンペラー」という言葉がとても気になったので、中国かなぁ?とおもったら、実はベトナムのことだったと知ったときに、そういえば、ベトナムの歴史ってホーチミンや古都フエに行ったことがあるのに、いまいちよく解んないなという思いから、勉強のために手にとって読んでみた。
読んだあとの感想としては、なぜこの人のことを誰も今まで教えてくれなかったのだろうか?ということ。第二次世界大戦前の帝国主義下のアジア各国をヨーロッパ列強は植民地として見下されていたわけで、それは歴史の授業でも習うので当然知っているが、その支配下で独立に向けて各国がどのように奔走していたのかというのは誰も教えてくれない。そして、その対象国が日本から遠ければ遠いほど、情報が希薄になるだけでなく、どうでもいいこととして処理されることが多いのも事実だ。特に小国ベトナムなんかのことだと、中国の影に隠れてしまって、場合によっては中国と同一化されて考えられるために余計影が薄いのかもしれない。本書のなかで出てくるクォン・デおよび大革命家として有名なファン・ボイ・チャウは、同時代の第二次世界大戦前に、ベトナムのフランスからの独立を目指した人物でどちらも祖国のために汗と血を流した有名人であり、クォン・デは王家の人物である。
日本ではどのガイドもベトナムからの独立を目指して戦ったのは、ファン・ボイ・チャウが中心になって行ったと書かれており、ホーチミンの真ん中に銅像として勇ましく立っているのはファン・ボイ・チャウの像。じゃぁ、同じようにクォン・デはどこで国民の英雄のように立っているのかというと、これが無い。むしろ、ベトナム人の多くはクォン・デのことを知らないことになっている。それは著者であり、TVのドキュメンタリディレクターとして活躍している森達夫氏の取材によってそれは本書の中で明らかになっている。しかし、クォン・デが最初からベトナム人に知られることが無かったということではない。むしろ、最初はクォン・デは救世主であり、ベトナム独立運動のためのシンボルとして長らく期待されていたのであり、当時統治していたフランスがクォン・デ逮捕に向かえば向かうほど、ベトナム人が総出で自分が捕まってもクォン・デを逃がすようなことをするほどクォン・デにベトナム人は期待していた。
ところが、本書でも記載されてはいるので、詳しくはそちらを読んでハラハラ・どきどきの感を得て欲しいところではあるが、アジア人がみんなヨーロッパ人には敵わないと思っていたのに日本がロシアと戦争をして勝ってしまったことは、アジア人もヨーロッパ人にやろうと思えば勝てるんだという勇気を得たのは、孫文が欧米列強に蝕まれている清の体たらくをなんとかし、民主主義国家を目指していたのは有名だったが、ベトナムだって同じようなことを考えていたひとたちは居た。それがクォン・デであり、将軍ファン・ボイ・チャウだった。日本はなぜ欧米と方を並ぶような列強になれたのかという憧れは、日露戦争後に日本に注目して留学者が多くやってきた中国人と同様の思いがあり、クォン・デもその思想の輸入と、日本に対してフランスを追い出すために手助けをしてもらいたいという協力要請で日本に向かった。
この日本でのクォン・デの行動が凄い。当時の要人という要人および、怪しい秘密結社の黒幕の人間には片っ端から面会しており、すべての人たちに協力の承諾を得ていているのである。そのなかでも有名なのは犬養毅であり、首相にまでなった犬養を父親とみなすくらい尊敬の念で頻繁に犬養家に行っていたようだ。ただ、日本は徐々に軍国主義に入っていく時代であり、一番の頼みの綱の犬養毅も226事件によって暗殺される。ここでベトナム独立の夢は1度目は崩れたとクォン・デは思う。ところがこれではヘコたれない。人脈という人脈を使って日本の要人から武器とベトナム人の独立運動に対する要請を着々と頼んでいく。
ところが、ベトナム本国にとっては、すぐに強力な日本人大群を引き連れてベトナムにクォン・デが帰って来るものだと期待していたのに、一向に帰ってこない。日本での運動がうまくいくときといかないときは結構あるわけで、クォン・デがベトナムと日本を行き来するよりは、参謀として活躍していたファン・ボイ・チャウが密航によって香港を経由してフランス官警の目を盗んでベトナムと日本の間を連絡として行き来していたのである。ファン・ボイ・チャウからクォン・デの様子は既に結婚していたクォン・デの奥さんと子供にも伝えており、ファン・ボイ・チャウがベトナムに帰って来るのに、なぜクォン・デは帰ってこないのだという不満が徐々にベトナム人に伝わっていくのである。
しかし、クォン・デのほうも何度もベトナムに帰国したいという希望はあったのだ。しかし、それも何度も自分が原因ではなく、周りの影響により帰国が難しい状態になってしまったのである。これがさらにベトナム人のなかでクォン・デは役に立たないという気持ちがでてきてしまって、最終的にはクォン・デはベトナムに奥さんも子供もいるのに、日本で女を作ってしまったというデマを生む土壌が出来てしまい、それがベトナム中にあっという間に広がってしまったのである。広げたひとはベトナム人が噂で広めたのではなく、クォン・デの帰国を好ましくないと思っていたフランス植民地政府が勝手にデマを誇張して吹きまくっていたのである。これを素直なベトナム人は信用してしまった。
のちにホーチミンがフランスからの独立と南北ベトナムの統一にむけて動くのだが、ホーチミンからすると、いまさら王家が帰ってきて共産党が進める考えにクォン・デは居ては邪魔でしかないと考え居たので、ベトナムからフランスが居なくなったあともベトナムではクォン・デを思い出すような時勢を土壌ができあがらなかったのが、クォン・デの存在を復活させるものではなくなった。
そういえば、この本の中では、新宿・中村屋の名前が頻繁に出てくる。現在は中村屋といえばカレーの店というイメージが強いのだが、当時の中村屋は亡命外国人の溜まり場であり、意見交換ができる場所であったのである。その中村屋の娘に対してクォン・デは仄かな思いを出すのだが、今で言うところのストーカー行為をするのである。相手が外国の王家の人であることは知っていた中村屋の娘にしても、好きでもない人に付きまとわれては気持ち悪いと思うだろうし、クォン・デについても王家の人間だから周りから自分に対して厳しく注意してくれる人がこれまで居なかったようなので、日本人の多くが「あなたの行動はおかしい」としかってくれる光景にであったことは、自分が人間として生きているということに満足する点はなんとなく理解しにくい。
最後の最後まで、クォン・デに関する現在のベトナムでの調査をするが、最終的なオチがいまいち調査不足のためか、それでおわり?という感が読んでいて拭えなかった。しかし、本書の中で、筆者はクオン・デの孫には会え、もう誰も訪れることが無く、壊されたクォン・デの墓に献花し、ベトナム史の大家が公にはクォン・デの存在は言えないが、オフレコでクォン・デのことをベトナム政府には内緒で話をするという場面がでてきたときには、まだまだベトナムも情報コントロールされている国なんだなという気がした。
ベトナムの近代史を知るためには是非読んで欲しい書籍だと思う。
クォン・デ―もう一人のラストエンペラー
著者:森 達也
出版社: 角川書店
発売日: 2007/07
文庫: 351ページ
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