ラベル ベトナム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ベトナム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013/05/13

クォン・デ(書籍)

ロンドン渡航時に伴う行き帰りの飛行機は、機内のエンターテイメントを観るのもいいが、最近は観ていると疲れちゃうので、本を読むことにしている。その時に読む本を選んでいたときに、気になったのは「クォン・デ―もう一人のラストエンペラー」という本だった。「ラストエンペラー」という言葉がとても気になったので、中国かなぁ?とおもったら、実はベトナムのことだったと知ったときに、そういえば、ベトナムの歴史ってホーチミンや古都フエに行ったことがあるのに、いまいちよく解んないなという思いから、勉強のために手にとって読んでみた。

読んだあとの感想としては、なぜこの人のことを誰も今まで教えてくれなかったのだろうか?ということ。第二次世界大戦前の帝国主義下のアジア各国をヨーロッパ列強は植民地として見下されていたわけで、それは歴史の授業でも習うので当然知っているが、その支配下で独立に向けて各国がどのように奔走していたのかというのは誰も教えてくれない。そして、その対象国が日本から遠ければ遠いほど、情報が希薄になるだけでなく、どうでもいいこととして処理されることが多いのも事実だ。特に小国ベトナムなんかのことだと、中国の影に隠れてしまって、場合によっては中国と同一化されて考えられるために余計影が薄いのかもしれない。本書のなかで出てくるクォン・デおよび大革命家として有名なファン・ボイ・チャウは、同時代の第二次世界大戦前に、ベトナムのフランスからの独立を目指した人物でどちらも祖国のために汗と血を流した有名人であり、クォン・デは王家の人物である。

日本ではどのガイドもベトナムからの独立を目指して戦ったのは、ファン・ボイ・チャウが中心になって行ったと書かれており、ホーチミンの真ん中に銅像として勇ましく立っているのはファン・ボイ・チャウの像。じゃぁ、同じようにクォン・デはどこで国民の英雄のように立っているのかというと、これが無い。むしろ、ベトナム人の多くはクォン・デのことを知らないことになっている。それは著者であり、TVのドキュメンタリディレクターとして活躍している森達夫氏の取材によってそれは本書の中で明らかになっている。しかし、クォン・デが最初からベトナム人に知られることが無かったということではない。むしろ、最初はクォン・デは救世主であり、ベトナム独立運動のためのシンボルとして長らく期待されていたのであり、当時統治していたフランスがクォン・デ逮捕に向かえば向かうほど、ベトナム人が総出で自分が捕まってもクォン・デを逃がすようなことをするほどクォン・デにベトナム人は期待していた。

ところが、本書でも記載されてはいるので、詳しくはそちらを読んでハラハラ・どきどきの感を得て欲しいところではあるが、アジア人がみんなヨーロッパ人には敵わないと思っていたのに日本がロシアと戦争をして勝ってしまったことは、アジア人もヨーロッパ人にやろうと思えば勝てるんだという勇気を得たのは、孫文が欧米列強に蝕まれている清の体たらくをなんとかし、民主主義国家を目指していたのは有名だったが、ベトナムだって同じようなことを考えていたひとたちは居た。それがクォン・デであり、将軍ファン・ボイ・チャウだった。日本はなぜ欧米と方を並ぶような列強になれたのかという憧れは、日露戦争後に日本に注目して留学者が多くやってきた中国人と同様の思いがあり、クォン・デもその思想の輸入と、日本に対してフランスを追い出すために手助けをしてもらいたいという協力要請で日本に向かった。

この日本でのクォン・デの行動が凄い。当時の要人という要人および、怪しい秘密結社の黒幕の人間には片っ端から面会しており、すべての人たちに協力の承諾を得ていているのである。そのなかでも有名なのは犬養毅であり、首相にまでなった犬養を父親とみなすくらい尊敬の念で頻繁に犬養家に行っていたようだ。ただ、日本は徐々に軍国主義に入っていく時代であり、一番の頼みの綱の犬養毅も226事件によって暗殺される。ここでベトナム独立の夢は1度目は崩れたとクォン・デは思う。ところがこれではヘコたれない。人脈という人脈を使って日本の要人から武器とベトナム人の独立運動に対する要請を着々と頼んでいく。

ところが、ベトナム本国にとっては、すぐに強力な日本人大群を引き連れてベトナムにクォン・デが帰って来るものだと期待していたのに、一向に帰ってこない。日本での運動がうまくいくときといかないときは結構あるわけで、クォン・デがベトナムと日本を行き来するよりは、参謀として活躍していたファン・ボイ・チャウが密航によって香港を経由してフランス官警の目を盗んでベトナムと日本の間を連絡として行き来していたのである。ファン・ボイ・チャウからクォン・デの様子は既に結婚していたクォン・デの奥さんと子供にも伝えており、ファン・ボイ・チャウがベトナムに帰って来るのに、なぜクォン・デは帰ってこないのだという不満が徐々にベトナム人に伝わっていくのである。

しかし、クォン・デのほうも何度もベトナムに帰国したいという希望はあったのだ。しかし、それも何度も自分が原因ではなく、周りの影響により帰国が難しい状態になってしまったのである。これがさらにベトナム人のなかでクォン・デは役に立たないという気持ちがでてきてしまって、最終的にはクォン・デはベトナムに奥さんも子供もいるのに、日本で女を作ってしまったというデマを生む土壌が出来てしまい、それがベトナム中にあっという間に広がってしまったのである。広げたひとはベトナム人が噂で広めたのではなく、クォン・デの帰国を好ましくないと思っていたフランス植民地政府が勝手にデマを誇張して吹きまくっていたのである。これを素直なベトナム人は信用してしまった。

のちにホーチミンがフランスからの独立と南北ベトナムの統一にむけて動くのだが、ホーチミンからすると、いまさら王家が帰ってきて共産党が進める考えにクォン・デは居ては邪魔でしかないと考え居たので、ベトナムからフランスが居なくなったあともベトナムではクォン・デを思い出すような時勢を土壌ができあがらなかったのが、クォン・デの存在を復活させるものではなくなった。

そういえば、この本の中では、新宿・中村屋の名前が頻繁に出てくる。現在は中村屋といえばカレーの店というイメージが強いのだが、当時の中村屋は亡命外国人の溜まり場であり、意見交換ができる場所であったのである。その中村屋の娘に対してクォン・デは仄かな思いを出すのだが、今で言うところのストーカー行為をするのである。相手が外国の王家の人であることは知っていた中村屋の娘にしても、好きでもない人に付きまとわれては気持ち悪いと思うだろうし、クォン・デについても王家の人間だから周りから自分に対して厳しく注意してくれる人がこれまで居なかったようなので、日本人の多くが「あなたの行動はおかしい」としかってくれる光景にであったことは、自分が人間として生きているということに満足する点はなんとなく理解しにくい。

最後の最後まで、クォン・デに関する現在のベトナムでの調査をするが、最終的なオチがいまいち調査不足のためか、それでおわり?という感が読んでいて拭えなかった。しかし、本書の中で、筆者はクオン・デの孫には会え、もう誰も訪れることが無く、壊されたクォン・デの墓に献花し、ベトナム史の大家が公にはクォン・デの存在は言えないが、オフレコでクォン・デのことをベトナム政府には内緒で話をするという場面がでてきたときには、まだまだベトナムも情報コントロールされている国なんだなという気がした。

ベトナムの近代史を知るためには是非読んで欲しい書籍だと思う。

クォン・デ―もう一人のラストエンペラー
著者:森 達也
出版社: 角川書店
発売日: 2007/07
文庫: 351ページ

2010/08/22

アジアの怪しいニュース

クーロン黒澤というと、タイ・カンボジア・ベトナムを中心として、セックス・ドラッグ・やばいもの全部を総括して、それを面白おかしく、日本でのほほーんと生活している日本人に対して、日本人が想像するアジアのごちゃごちゃした様子を解説したり、かなりのデフォルメをして紹介している書物をたくさん書いている人で、一気に脳みそを使わずに読める本ばかりだから、結構好きである。

「怪しいアジアの怪しいニュース」についても、いかにも日本人が好みそうな内容の読み物になっている。内容は、実際に各国の新聞記事になっているものから、日本では想像がつかないような変なニュースばかりを紹介して、その事件が起こった文化的・環境的・経済的な背景を解説しているというものだ。

舞台となっているのはタイ・ベトナムとカンボジア。クーロン黒澤の得意とする3カ国である。これにラオスが入っていれば完璧なのだが、ラオスはあまり情報として入っていない。実際に、これらの3つの国に行ったことがある人であれば、現在なら既に経済的に好景気になっているために、街並も一般的な日本人が想像するような、ボロ・貧困・汚いというような場所ではなくなっていることはよく知っていると思う。しかし、まだまだ多くの日本人は、アジアの各国は中国も含めて、どうしようなもない汚く、貧しく、危険がいっぱいで、まともな人間が居ないというような野蛮族の巣窟のように考えている人たちがたくさんいることは否めない。

そんなアジアを想像している典型的な日本人が読んでもおもしろいというか、期待通りのめちゃくちゃぶりだと納得できるのがこの本だろうと思う。

現地に行ったことがある人であれば、新聞やテレビでの普通のニュースは、日本みたいにぼかしはまったくないし、犯人についても容疑者である間は名前が伏せられていたりということは全くなく、捕まった瞬間からみんなの笑いものや怒りの対象物として世間に公表されるものである。もちろん、被害者についても、スプラッタームービーのように血がドバーっと出ていたり、土佐衛門として道端でくたばっていても、それをクリアな映像で堂々と放送しているのが東南アジアである。視聴者が「知りたい」と考えているからそれを実現しているだけというのが彼らの本音である。日本だと、結構それがあってないようなくらいのぼかしになっていたりすることがある。また、よく擦りガラスで、声を変えてインタビューというのがあるが、あんなものは東南アジアでは存在しない。誰もが顔出し、音声変更なしで登場するのだ。また、捕まったばかりで、後ろで手を縛られたままの犯人に対して、テレビインタビューをしたりしているのは頻繁に見られる。また、さらにいうと、凶悪犯がようやく捕まった場合、被害者の親族が捕まった犯人に、竹刀みたいなものや拳骨で普通にぶん殴っていたりするのをテレビ放送で堂々と放送しているのも良く観る。小さいころからこういう場面ばかり見せられていると、大人がやっていることはやってもいいんだと子供は思うんじゃないのだろうかとおもうが、これが文化の違いである。

そんな文化の違いの中で、現地では普通の事件として取り上げられているものも、日本人から観たら奇異だったり、それは倫理的におかしいだろうというのが結構ニュースとしてあり、それを紹介している本であるので、本当にそんなバカな事件があるのかと、読んでいるとだんだん信じられなくなってくる。たとえば、抗議のために、抗議対象の会社の中で、バケツいっぱいにいれた糞尿を、自分の頭の上からかぶって抗議したとか、そんなの普通の日本では考えられないだろう。でも、そういうのを紹介している。

全体構成として、4部構成になっており、最初は「んな、あほな」というようなニュースばかりを扱っている。そのあとは、「残酷な話」のオンパレード。そのあとが「後味が悪い」ニュースばかりを取り扱ったもので、最後に、世界のペテン師大集合といったような内容ばかりだ。

最初の「んなあほな」というものは別にして、「残酷なニュース」というのは、人身売買と子供による殺人事件と麻薬だ。麻薬や殺人は日本でも存在するからそんなにびっくりはしないが、やはり毎回似たような事件を見て、ちょっと嫌だなーとおもうのが、人身売買だろう。金のためなら身内も売るというのは、どこの国でも存在していたものであるし、日本でも戦前は特にそのような習慣があったことは有名で、それが発展したのがからゆきさんだ。ベトナムやラオスあたりでは、まだまだその人身売買+売春というのがまかり通っているようで、一度その罠に嵌まってしまったら二度とまともな生活ができないという。

この本が書かれたのは2002年ごろであり、出版されたのは2005年のことだから、いまではだいぶ経済的に向上しているこれらの地域のことは、本で記載されたような残虐で野蛮な行為がまだ残っているとは思いたくない。(実際にはあるらしい)もともとその民族が持っていた気質なのか、それとも経済が向上すれば必然的になくなる行為なのかはよくわからない。しかし、世の中こういう事件が普通に存在するのだということを、のほほんとふんぞり返っている日本人は知っておいたほうが、海外に旅行へ出かけたときに気をつけるポイントとして役に立つと思う。

「怪しいアジアの怪しいニュース」
著者:クーロン黒沢 (著), 梅本 善郎 (著), リン外川 (著)
出版社: ベストセラーズ
文庫: 285ページ
発売日: 2005/02/05

2010/04/18

ベトナム怪人旅行

ゲッツ板谷っていうおっさんは、本当に頭がおかしいと思う。裏表紙に「不良デブ」と書かれているが、これがまさしくぴったりなのだという印象は読んでみてよくわかった。終始爆笑しまくりの内容であるし、話や書き方、それに比ゆが全部下品なのである。下品であるがゆえに内容がないかというとそうではなく、ちゃんとした描写を使って表現しているのがおもしろい。特に過去の歴史の部分については、暴走族の抗争に例えているところは、わかる人は理解が早いが、わからないひとにとっては、チンプンカンプンな比ゆだといえるし、体験している内容というのが、ほとんど呆れるほどダメな日本人をそのまま演じているからなのである。

そんなゲッツ板谷が旅行記を記載している書物の最初に読んでしまったのが「ベトナム怪人旅行」というものだった。二度目のベトナム旅行だというふりだったのだが、なぜか旅行に対して「勝負」を毎回挑んでいる。勝負というのは、現地の人間に対して「参った」とか「絶対服従しない」ということを意味する。

自称日本人と称している詐欺師の中国系ベトナム人に出会うわ、天然記念物にもなっていて狩猟してはいけないことになっているはずなのだが、なぜかその手乗り鹿をメニュとして提供している店に行って実際に食べるわ、または本当に手乗り鹿なのかを確認するために、何度も店に通って生きている状態で鹿を見るまでがんばり続けたあげく、本当にその存在を確認してしまって、食べたことに罪悪感を感じてしまうとか、ゲイばかりが集まるクラブにわざわざ出かけるのは良いが、そこで「チンチン食べたいです」と日本語でナンパされて慌てて店から逃げるとか、キャバクラまがいのカラオケ屋に行くのは良いが、店の女性が全く飲まないで傍からバケツに捨てているのを発見してしまい、「ぶっ殺すぞー、てめー!!」とマジぎれして店の中で暴れるわ、蝦が好きなだけ獲れるという釣堀がある探しもとめて行って見るのだが、ほとんど無意味な農家のところに存在したことが発覚し、時間と金の無駄だと騒いで見たり、いったいこのひとたちはベトナムで何を探しに着ているのかと本当に疑問に思うことばかりである。

ただ、内容としては、怪しげなベトナムのいろいろな状況を紹介しているだけではなく、ホーチミンからハノイまで幅広い範囲でベトナムの紹介をしているのがおもしろい。こういう体験記まがいの旅行案内は楽しく感じることができる。

もっといいのは、ところどころ写真を挿入しているのだが、これが文章に拍車を掛けて、文字では感じられない実際の状況をそのまま理解できるような内容になっているのもおもしろい。たぶん写真の撮り方がうまいのだとおもうのだが、何気ない様子をとっているというのではなく、絶対演出がいるだろうというような光景を撮っているところなのだ。た

どうしても避けられない事実として、ベトナム戦争のことはベトナム紹介としては存在する。ベトナム戦争の傷跡というのは現在でも残っているもので、先の蝦の釣堀についても、もともとば爆弾が落ちたあとにできた穴に勝手に蝦が住み着いただけのことで、良きに悪しきにベトナムは魅力的なところだとも言えるのだが、ベトナム戦争を知らないでベトナム旅行に来ると、各方面で何でだろうというようなことに出くわし、理解するのに時間が掛かるだろうとおもう。著者もベトナム戦争のことをまったく知らないでベトナムに来て、一緒に同行していたカモちゃん(鴨志田穣)や現地コーディネータの鈴木君に馬鹿にされ、現地でベトナム戦争のことを教えられて、それで事の真相がようやくわかるというような様子は、無知のままで旅行に行ってしまう日本人の典型っぽくて笑える。

スペインについてとても詳しい内容を記載している中丸明の場合は、名古屋弁ばかりが出てきて、読むに耐えられないときがあるのだが、この人の内容は、下品この上ない。下ネタばかりのオンパレードであり、常に下半身の征服ばかりを狙っているどうしようもない男だ。タバコと酒と女のことしか考えてないアジア旅行者の典型と言って良いだろう。ただ、残念ながらこの男には、自分の趣向を満足するための幸運度は結構低いように思われる。その様子は書物の中で、かなり多く見受けられるのだが、その不憫さがかなり可愛そうに思う。もっと用意周到に準備すればいいのだろうと思うのだが、アジア諸国で綿密な計画をして旅行をしている人なんて、よっぽど意気地のない人ではない限り行わないだろう。出たとこ勝負!これが筋だとは思うが、この男はその筋がいつも裏目に出てくる。失敗ばかりだから、なんだか親近感が沸くのだ。

他にもゲッツ板谷が書いた書物はあるようなので、今度はそれを読んでみたいと思う。

ベトナム怪人紀行
ゲッツ板谷 (著), 西原 理恵子 (イラスト), 鴨志田 穣
文庫: 351ページ
出版社: 角川文庫
出版日: 2002/12/25

2009/10/07

Lady Gaga - Paparazzi

ベトナム滞在中の部屋で見ていた音楽番組で、衝撃的なプロモーションビデオを流していたのが、Lady Gagaだ。彼女の曲である「Paparazzi」のイメージを出すために作られたものが該当するのだが、まず曲が始まるまでのプロモーションビデオが長い。パパラッチの対象となった有名人を誘惑して、パパラッチと組んでひと儲けしようとする男がLady Gagaが扮する有名人との絡みのシーンから始まる。ただ、テレビ放送の場合は、時間枠の問題というよりもシーンがあまりにも過激すぎるために、その分がカットされているというのが、帰国後YouTubeを観て違いがあることがわかった。曲としても、パパラッチ側からみた、対象有名人に対する想いを綴った内容になっているため「良い子にするから」とか「最高のファンなんだよ」と述べているのがちょっと笑える。



よくアイドルオタクの人間が、ファン心理から、有名人側も当然自分のことを知っているものだと勘違いするとともに、自分と対象人間との人間関係がかなり近いものになっているという思い切り勘違いをしているバカが世の中いるのはご承知の通りだろうが、それと同じように、この中の曲もパパラッチは「好きだから追っている」という心理から追いかけていることを全面的に述べているので笑ってしまうのだ。

ただ、詩を聞き込まなくても曲調はすんなり耳に入ってくるメロディなので一度聞くと耳から離れなくなる。これといった盛り上がるようなリズムがあるというわけじゃないのだが、なんどもこの曲を聴きたくなるものだ。

それにしてもプロモーションビデオの中でのLady Gaga自体が、奇抜なファッションで出てくるので、この姿をみるだけでも楽しい。映画・シックスエレメントの中で出てくるミラ・ショボヴィッチの服装である、全身包帯まきみたいな服装が出てくると思ったら、未来型派手服装の様子が出てきたりと、なかなか面白い。だいたい普段から怪しいメイクをしているLady Gagaのあの顔はどうにかならんのだろうか?たぶんメイクの下はまじめな顔なんだろうとおもうが、あのわざとらしいメイクがなんとも艶かしい。

さて、Lagy Gaga のほかの曲はどうなのかと聞き込んでみた。

Paparazzi が入っているアルバム「The Fame」は世界的に大ヒットをしたものであるため、Paparazzi のほかにも別にもヒット曲はある。Poker Face はゲームのポーカーと、顔が良くわからないという意味のポーカーフェースを引っ掛けた歌詞でブレイクした内容なので、これは聞いたことがある。さらに、Boys Boys Boys についても、一気に聞くことができるアップテンポの曲調だ。どれもこれもほとんどがアップテンポで、Lady Gaga の高音と歌い方がとてもマッチしている。これが大ヒットするのも間違いないなというのは良くわかった。

The Black Eyed Peas と同じで、これと Lady gaga を聞いていれば、朝からご機嫌になれる。

Lady Gaga - The Fame

1 Just Dance
2 LoveGame
3 Paparazzi
4 Poker Face
5 Eh, Eh (Nothing Else I Can Say)
6 Beautiful, Dirty, Rich
7 The Fame
8 Money Honey
9 Starstruck
10 Boys Boys Boys
11 Paper Gangsta
12 Brown Eyes
13 I Like It Rough
14 Summerboy
15 Disco Heaven

The Black Eyed Peas - I got a feeling

Channel Vで滞在中は常に3位になっていたために、耳から離れなかった曲の1つは、やっぱり The Black Eyed Peas の I got a feeing だろう。

曲調としては、ラップとブラックが混ざっていて、さらに途中から転調したり、一度聞いたら耳から離れないフレーズを連続して言っているところなんかは、ほとんどサブミナル効果にでもなるんじゃないか?というような曲調だった。そして、ボーカルが男性ボーカルだけではなく、女性ボーカルも途中から入り込んでくるところは、Roxette や古いところで言うと Human League みたいなバンドと似ている。

ビデオは I got a feeling の歌詞をそのままビデオにしたようなビデオなので、もうほとんどめちゃくちゃだ。ただ、夜はパーティがあるから楽しんじゃい!というのを地で行くような内容だったのでわかりやすい。視覚的にも聴覚的にもなにかまた聞きたいと残るような曲だった。特に「Lets Do it!」の連荘コールや、初っ端のほうの「that tonight’s gonna be a good night」のフレーズは一度聞いたら忘れられない。だって、何度も何度も同じ曲のなかで言っているからである。



帰国してから The Black Eyed Peas のほかの曲を聴いてみたいと調べてみてダウンロードしたところ、どれもこれもほとんどの曲が、なぜか何度も聴いてみたくなるような不思議な音楽になっていて、こういうジャンルは一体なんなのか?と誰かに教えて欲しくなるようなものだった。

アルバム「THE E.N.D. -Deluxe Edition-」は日本でも2009年9月9日にリリースされたのだが、発売後も大ヒットばく進中であり、これが流行るのもわからなくもなかった。電車の中で朝憂鬱だなーというときには、彼等の曲を聞きながら通っていると、とても元気になってくるから不思議だ。そして、一気に全曲聞きたくなる。

テレビの番組を観ていると、たまに彼等の曲から引用したジングルが入ったりBGMが入ったりするのだが、それだけ曲調としてどれも特徴があると言えよう。

Madonna Celebration

Madonnaがアルバム「Hang On」以降久々に新しいアルバムを発表した。といっても、本当に新しいのではなく、単なるベスト版アルバムではある。これまでにヒットしたアルバムを2枚組みとしてリリースしたものであるのだが、ここで注目なのは普通のベスト版アルバムではなく、新規のシングルを1曲だけその中に含めているということである。その名前が「Celebration」。アルバムと同じタイトルの曲である。

個人的にはAmerican Pieのころのどうしようもない時代は突破し、前回のアルバムからようやくまたマドンナが世界を君臨できるような時代が来たという内容になっていると思われる。何しろCelebrationの曲調が良い。リズムが良いというだけではなく、これまでのマドンナの曲というのは、日本人がカラオケで歌ってもいいくらいわかりやすく、歌詞の部分がスローで歌われるのが多かった。ところが今回のCelebrationについては、全くその系統を崩して、歌詞のスピードが速い。まるでかつての渡辺美里や尾崎豊のように1小節当たりに、これでもかーというくらいの歌詞を詰め込んだような内容になっている。そのために、歌詞カードを見ながら曲を追っていっても、全然付いていけないのだ。

ちょうどベトナム滞在中に、この曲がヒットチャートでばんばん掛かっていたので、テレビで確認することは多かったのだが、プロモーションビデオに関しては出来は良くない。その理由はいくつかある。1つ目は曲のイメージと全然離れたようなプロモーションビデオだからだ。プロモーションビデオのそもそもの意図というのは曲をイメージ化することで視聴者を挽きつけるという手段に使われるのだが、今回のcelebrationについては、ありきたりな内容になっていて、ほとんどマドンナが出てこない。となると、どっかの黒人の曲ではないのか?と思ってしまうような内容なのだ。他に理由として、マドンナがとにかく老けたように見えること。もう50になるマドンナだから、よくもレオタードを着て踊るよなーと感心することはあっても、それが本当にババ臭くみえるために、元来からのファンとしては見なければよかったと後悔したことだろう。良くない理由のその3として、マドンナが踊れていないというところである。これまでマドンナは、結構ビデオの中で先端的な踊りを披露して世界を引っ張っていた気運はあった。特に、Vogue のときなんかそう。ところが、今回のマドンナは腰から上だけクネクネしているだけで、これで踊っているのか!?と疑問を持ちたくなるような内容なのである。第4の良くない理由は、プロモーションビデオで流れている曲調が、あまりにもメロディ同士がつながっていないような印象を受ける。アルバムを聞いた感じだと、クラブでそのまま掛かってもおかしくないような内容になっているのだが、プロモーションビデオはその大切な盛り上がりの部分が全くないため、なんだか簡素な感じがしてならない。なぜアルバム版と同じような内容にしなかったのかが疑問だ。



とはいいつつも、やはりマドンナの曲であるために、今回はベスト版をリリースしたということで甘んじるのではなく、是非、このcelebrationも含めて、全曲新譜という形のアルバムを発売してほしいと思う。

Disc #1
1. Hung Up
2. Music
3. Vogue
4. 4 Minutes
5. Holiday
6. Everybody
7. Like a Virgin
8. Into the Groove
9. Like a Prayer
10. Ray of Light
11. Sorry
12. Express Yourself
13. Open Your Heart
14. Borderline
15. Secret
16. Erotica
17. Justify My Love
18. Revolver

Disc #2
1. Dress You Up
2. Material Girl
3. Isla Bonita
4. Papa Don't Preach
5. Lucky Star
6. Burning Up
7. Crazy for You
8. Who's That Girl
9. Frozen
10. Miles Away
11. Take a Bow
12. Live to Tell
13. Beautiful Stranger
14. Hollywood
15. Die Another Day
16. Don't Tell Me
17. Cherish
18. Celebration

ベトナム航空で帰国

ホーチミンからの帰国便は、夜中の12時5分発。5分なんていう中途半端な時間で出発すること自体がなんだか笑えるのだが、日程としたら既に次の日なのである。いつもであれば、もう寝る時間に出発するということになるのだから、飛行機が安定高度になったり、室内が真っ暗になるのが実は遅い時間だったりするので、結構深夜に出発する飛行機で移動するのはしんどい。
さて、帰りの便であるVN950便は、ベトナム航空での運行となっていた。もちろん、JALとのコードシェア便であるため、JL5134便の切符の人も同じように乗る。たぶん、JALの切符を持っている人であれば、事前にチェックインができるためか、そのため窓側の席は全面的に埋まっていたようで、2時間半前に空港に着いて、チェックインを早めにしたとおもったのに、空港でのチェックインで「窓側は無い」と言われてしまった。まぁ、サービスがあまりよくないベトナムのことなので、有っても無い事にしていたのかもしれない。また、チェックインの時には荷物の重量を実は計測されているのだが、だいたいのところでは、20kgを超えてもぐだぐだ文句を言われることはなかった。ところがホーチミンの空港では、エコノミークラスの乗客の場合、20kgをちょっとでも超えていると「重量オーバーです」と怒られてしまう。重量オーバーなら追加料金を払いますといってみたところ「えぇ!?払うんですか?めちゃくちゃ高いですよ。だったら、荷物から出して、手荷物として機内に入ったほうがいいですよ」とチェックインカウンターのおねえちゃんは言ってくれた。そんなことを言われたことが無いのでびっくりしたし、追加料金を払って貰ったほうが彼等としては「いい仕事をした」と思われるのだろうとおもったのだが、手続きが面倒くさいからなのか、拒否されたのもおもしろかった。おかげで、友達のトランクは重量25kgくらいあったのだが、これを出して手荷物にしなければいけないのが結構大変で、手荷物にするのはいいのだが、それをまとめて持ち込めるほどのカバンが無かったことが辛かった。ほとんど店から掻っ攫ってきた泥棒みたいな状態で、出国手続きをしてしまったので、怪しまれたのは言うまでも無い。

ホーチミンの空港は、特にご飯を食べたりお茶を飲めたり、買物をしたりすることが出来る場所が極端に少ないところである。通常なら、早めにチェックインしたのであれば、ふらふらと空港内をショッピングなんかして時間を潰せるものなのだろうが、ただでさえ店が少ないのに、時間が遅いからもう閉まっている店がほとんどで、そうなると、乗客のほうも暇でひまで仕方なくなる。となると、行く場所といったら1つしかなく、搭乗口近くの待合室にいくしかないのである。結構早い時間からこの搭乗口前は、搭乗予定客で一杯になっていた。しかしやることがないし、夜で眠いので、ほとんどの人が搭乗口前で寝ていた。早くきた人などは、長い椅子のところを全部使って、まるっきり横になって寝ているのもいた。
搭乗の仕方に対しても、本当なら上級会員だったり、搭乗クラスによってのり口をかえるのが普通だとおもうのだが、何しろ、ここはベトナム。国際線といえどもあまりサービスがいいとは言えず、エコノミーのひともビジネスの人も、上級会員の人もそうではないひとも、みんな一度に押し込められていた。だから、ビジネスの客なんかはかなりぶーぶー言っていたし、先に並んでいた日本人のイライラしていたオヤジが、横から入ろうとしていたビジネスの客に向かって「皆並んでいるんだから、ちゃんと並べよー」と叫んでいたのもいた。こういうのが居るともうウザイ。早く機内に入ってさっさと寝たい。

機内で出てきた朝食のメニュは写真のとおりだが、決して美味いとおもえるようなものでもなく、かといって不味いとおもえるものではなく、ほとんど家畜のえさかなというようなものだった。コーヒーは廻ってこないし、お茶でも欲しかったのに廻ってこないし、どうなっているんだ、ベトナム航空は?とガッカリである。だいたい、席が真ん中4人かけ席になっていたこと自体でもうんざりしていたのに、ご飯は不味いは、座席ピッチは狭すぎるわで、もう窮屈この上なかった。こんな飛行機でヨーロッパへ行こうとしていたら、絶対エコノミー症候群になっていたことだろう。背の低いおばさんが窓がわにすわっていたのだが、そのおばさんたちでさえ、「席がせまいわよねー」と言っていた。おばはんたちさえ狭いというのであるから、デカイ我々にとっては窮屈この上ない。もうベトナム航空で移動するのは絶対嫌である。

マンダリン(Ho Chi Minh City)

ベトナム最後の夜に選んだ夕ご飯の場所は、これもまたホーチミンでは絶対外せないし、ハズレ無しと言われている「マンダリン(Mandarin)」を選ぶことにした。歩いていくには少し遠いところなので、タクシーで行くことにしたのだが、ホテルのタクシー乗り場で「マンダリンまで」というと、「あいよー」とドアマンもわかっているようで、目の前までタクシーは運んでくれるのはありがたい。それだけホーチミンでは誰でも知っているところのようである。調べてみると、外国から賓客がきた場合、接待に使われるとてもエレガントな場所なのだそうで、確かに店内に脚を踏み込んだときに、「あっ、場違いなところに来てしまった・・・」と思ったのは言うまでも無い。食器や調度品に関しては、これまたベトナムの一級品であるバッチャン製の食器を使っており、白と藍色の伝統的な食器なので、落ち着く。これが食材で隠れてしまいそうな派手な柄の食器だとすると、ちょっとガッカリするのだが、これなら安心だ。さて、料理なのだが、ほとんどがセットメニュである。というか、セットメニュしかない。値段によって、食べるものが決まっているといったほうがいいかもしれない。価格は全部アメリカドルでしかかかれて折らず、40/50/60/80/100/200/400 ドルというのが合った気がする。だいたい1人400USドルのベトナム料理って、一体なんなんだというきもする。フカヒレや燕の巣ばっかりの料理なのかどうかは不明だが、こんなにまで金をだして食べたいとは思わなかったので、中くらいの一人80ドルのものにしてみた。

周りの客はどうなのかなと思って気にしてみると、実はこのレストランに日本人しかいないことに気付く。すべてのテーブルに日本人観光客が座っていて、日本人の金持ちぶりと、安心感というか、食べ物に対するこだわりの高さというものと、ガイドを鵜呑みにしすぎてきているというのを感じられた。まぁ、自分たちもその中の1つなのだろう。テーブル同士はくっついているわけではなく、1つ1つが、離れているので、すぐ隣のグループのひとたちと話ができるというわけではない。ただ、どんなものを食べているのかとか、どんな会話はしているのかはすべて筒抜けだ。隣のテーブルに座っていた女性2人組のひとたちは、聞こえてくる話によると、年齢的には35~40歳くらいで、独身。仕事は充実しているのだが、彼氏はおらず、寂しいとのたまわっていた。中途半端なミーハーな地域しか海外にいったことがないくせに、お互いに「どこどこに行ってきて、あそこのなんとかという店はどうだった」と自慢合戦をこんな海外にまできて会話しているのを聞いて、アホだなこいつらと思った。おまけにかね持っているんだったら、もっと高いものでも注文しろよと思ったのだが、なんと最低金額の40ドルのメニュを選んでいて「高いわねー」と言っていた。じゃ、来るなよ、ここに。

自分達も何にしようか迷っていたところなのだが、店のおばさんに「あんたたち、これがお勧めよ」と選ばれたのが80ドルのメニュ。別に異を唱えることもなかったので、それを選んだのだが、出てきたメニュについても食べたくないものが入っているわけでもなかったので選んでみた。しかし、ベトナムで80ドルのメニュというのは絶対高い。フエの宮廷料理でさえ一人40ドルだったのだから、それよりも素材がいいものを使っているのだろうか?

出てきたメニュというのが、次の通り

・オードブル(エビの生春巻き、湯葉揚げ、帆立の甲羅焼き)・ロブスターの蒸し焼き・豚のサテ-・青菜炒め・白身魚のニョクマム漬け・パイナップル炒飯・パパイヤのウィスキー漬け・蓮花茶どれも美味い。もうそれだけ。なにも言う事は無い。ただ、横の持てないブサイク女性人組みがうるさい。「あの料理のほうがおいしそう」とか、「あーっ、それ、私達の料理かと思った~」とふざけたことばっかり言っていたからである。死んでしまえ、貧乏女は。おかげで上品で美味い料理が、いまいちの味だったとしか印象がなくなってしまったではないか。ただ、世の中バカ女は本当に居るんだなということは、改めて認識できた。

給仕をしてくれたおばさんが、なぜか親戚のおばさんに似ていて、一瞬「ここまで追いかけてきたのか?」となぜか思ってしまった。もちろん、ベトナム人であるのだが、とにかく似ていた。

帰りは1階で「タクシーを呼んでください」と言うと、タクシーを頼んでくれる。

Tombo(Ho Chi Minh City)


ドンコイ通りには小物を売っているたくさんのお店が存在する。ベトナム小物は日本でも、最近徐々に女性を中心に人気になっている。特にシルクの製品がかわいいので、人気になったのだろう。

ガイドにも載っているからかもしれないが、日本人があまりにもたくさんやってきて、まとめ買いをするような店といったら「Tombo」だろう。なぜか他にも店があるのだが、ここの店だけは半端じゃない。まるで、バーゲンのときのユニクロみたいな状態なっている。

でも、その理由がわかるような気がした。なぜなら、小物の店はほかにもあるのだが、そういう店は意外に安くない。そして、値段があってないようなものの状態になっているために、交渉するのが面倒くさいからなのだと思う。あと、品質についてはどれがよくてどれが贋物かなんていうのは、素人目にはわからないというところなのだろう。

だからといって、Tomboが良心的な店なのかというと、ちょっと疑問だ。この店は1品ごとに値段が決まっていることは決まっている。しかし、大量に買ったからといって、それで割引があるかというと、全くない。ほとんどロボットのように値段が足されるだけで、サービスが無い。また、包装についても味気ない。単なる白い袋にいれられるだけだ。だから、ばら撒き土産として配りたいというのであれば、ちょっと自分で別の袋でも考えないとダメなのだ。

あと、値段がびっくりするほど安いとか、絶対シルク100%だというようなことは個人的には無いような気がする。ただ、日本人観光客が集まって、誰か一人が大量に買うと、わたしもわたしもと連鎖的に反応するだけのことのような気がしてならない。シルク100%のコーナーであるにもかかわらず、製品成分をみたら、「ポリエステル」なんていうのが書いてあったりするから、全く信用できない。

それでもばら撒き土産とするのであれば、1個300円とかで買えるようなものばかりなので、大量に買いこんでも痛くも痒くもないのだろうと思う。それでも買いたい人はどうぞ。

チャン・フン・ダオ(Ho Chi Minh City)


チャンフンダオは、ベトナムの英雄として、神様と同じくらいの扱われ方をしているひとである。何をしたかというと、チャンフンダオが活躍した時代というのは、北にモンゴルによる巨大な統一王国である元朝が君臨しており、常に元は日本を含めて廻りの国々に対して戦争を仕掛けて、従属国にすることを目的としたことを行なっていた。日本でも、2度の元からの襲撃を受けており、時の執権・北条時宗を中心として、鎌倉幕府は大いに揺さぶられた。日本では、2度の襲撃に対して、「神風」が吹いたために元は日本への征服を諦めたと習うのだが、これは正しいことではない。なぜなら、世界観として日本と中国のれきししか見ていないからである。正しくは、元は東部の日本だけでなく、南部のベトナムにも攻撃を仕掛けていて、どちらにも船を使って移動しようとしていたのである。中国最高の技術を総決算として長江周辺で船を建造し、最初はそのまま日本に出帆する予定だったのだが、ベトナム側への攻撃が思いもよらず苦戦しており、大輸送団をベトナムへ送り込むために、日本への攻撃に使おうとしていた船をも使ってベトナムへ攻撃を集中させたおかげで、日本は3度目の攻撃を免れたというだけのことである。

その際にベトナム側で対決していたのがこのチャンフンダオ将軍であり、チャンフンダオはゲリラ戦を用いて元軍の攻撃に対してその進撃を阻止していたのである。この抵抗があまりにも激しく、当時の皇帝であるフビライも「やられたらやり返す」政策であったため、まずはベトナムをコテンパンにやっつけようと考える。それでもチャンフンダオをは踏ん張り、最終的には、元はベトナムを従属国にするようなことはできないで、ベトナムは独立を保つことに成功する。

当時のベトナムの王朝は「陳王朝」であり、チャンフンダオの功績により、ベトナムは未だに中国の配下による発展を受けることは無く、独自の文化を保つことができた。ただし、東洋においては中国は最高の学問を持っているところであるため、ベトナムの独自の文化は持ちつつも、中国の文化に対しては一目置いているような状態になるのである。これは日本においても同じだった。

そんなチャンフンダオ将軍は、いまでもベトナムでは最高の軍人と思われており、尊敬されている歴史上の人物である。日本だと織田信長や豊臣秀吉のような人たちと同じ感覚なのだろう。ホーチミンを東西に結ぶ大きな通りには、彼の名前をつけた通りが存在しており、銅像も建てられている。

乗合バス(Ho Chi Minh City)

ベトナムはそんなに交通機関が発達しているところではないことはタクシーの項目で記載した。公共輸送機関としてもっとバスが重要視されてもいいとおもうのだが、それほどバス路線がないため、住民は便利なオートバイを買うことになるんだとおもう。ところが、そんな中でもようやくベトナム政府、特にホーチミンのような大きな都市の市政府は、バスに重要度があることがわかったようで、年々バスの路線は増えていっているみたいである。

そんななかで驚いたものがある。乗合バスだ。バスいう名前を使うのも怪しいのだが、野菜や果物でも売りに行くんじゃないだろうかというようなスズキのミニバンみたいなものに、フードをつけたもので、でも、一丁前にも車の前にはバスの路線番号が書かれていたりする。だから一応バスだし、笑えるのは、運転席に隣である助手席のところも空いていれば乗っていいというところが、ほとんど白タクじゃないか?と思うようなバスがあることを発見した。

タイあたりではこのような乗合バスはみたことがあるのだが、ベトナムもタイの傍だからかもしれないが、似たような文化があるのだというのがわかった。乗り込むときも誰も助けないし、乗りやすいような足場もないが、それでもおばさんたちが一生懸命乗ろうとしているところもいじらしい。また、既に乗り込んでいる人も、バスが普通の車を運転するように走っていくので、それに振り落とされないようにしようと乗っている様子が痛々しく感じた。それでもやはりオートバイが無い人にとっては、便利な交通機関であるためにバスは利用されつづけるのだろう。

関帝廟(Ho Chi Minh City)

横浜の中華街にもあるように、中国人が住むところには、どこ出身というのは関係なく、必ず関羽廟が存在する。なぜなら、商売の神様であるためであり、金のためなら何でも行なうということを心情としている中国人にとって、金が無いというのは死んだも同然と考えているからである。そのため、金儲けをするためには、神にでも縋ってでも行ないたいという気持ちがあるために、関羽廟が存在するのである。日本で、金儲けをするためにお参りするということになると、商売の神様は稲荷神社になると思うのだが、稲荷信仰は絶対的に必要なものと思われていないような気がする。ところが、中国人にとっては、まずは関羽廟が第一であり、その他、出身地によって、媽祖や別の神様をお参りするということになるところが、日本人と中国人に気質に違いだろう。

ベトナムのチャイナタウンであるチョロン地区にももちろん関羽廟があるが、どことなくあんまり代わり映えがしないのではないかと思っていたのだが、狭いながらも結構豪華な寺院であることがわかった。まずは入口が義安會館と同じように、木彫りの船を掲げている。そして、内部に入ると、天井から蚊取り線香のような渦巻き線香が天井からたくさんぶら下げられていて、常に線香がともっている状態であるため、閉めきった空間では、この線香が充満している状態になっているため、なにか違った世界に来たような気分になってしまう。奥に行くと、関羽像がどっしりと鎮座しているのだが、傍には近寄れない。海南天后廟と同じように、関羽像の両側には「忠孝」「義勇」の4文字が大きな壁に金色の文字で書かれている。この2つの言葉はどちらも関羽を象徴する言葉だと思われるし、中国・台湾・香港の町の中で道路の名前に良く使われているのも特徴だ。側面に行くと、ここに参拝したひとたちが軽食でも寄れるような食堂があるのだが、なぜか、ここでもホーチミンの肖像画が壁にかけられているのが眼につく。神様とホーチミンは同格に扱われるものなのだろうか?!

温陵會館(Ho Chi Minh City)

海外で活躍している華僑の大半は福建省出身の福建人である。台湾人も福建人が台湾へ渡った人と現地の原住民がミックスされて発達したところであるように、福建人は、まずは海外にでて活躍することが大前提になっている。だから、福建人は金に対してかなりうるさいし、そして神に対する金の使い方も他の人たちに比べて半端じゃないくらいかける。だから、福建人が作る寺院はとても豪華で、凄いの一言でしか言えなくなるようなことが多い。

温陵會館(Chua Quan Am)はチェロンのなかで最も活気のある寺院であり、一番中国らしい寺院なのではないだろうか。温陵とは、中に収められている観世音菩薩の別称である。たいていの寺院ではメインとなる像は、正面から入って一番奥に、入口を向くように鎮座しているようなものだと思うのだが、ここでは観世音菩薩はそんなところには居ない。なぜか、入口から入って正面にある壁の裏側に座っているのである。なぜ、そんなつくりになっているのか不明なのだが、観世音菩薩像は、なぜか白いウェディングドレスみたいな服をきているところが面白い。そして、背景に良く使われる黄金の輪をあらわすオーラを、なぜかベトナムの寺院の多くは、電飾を使っていて、それがピカピカ光っている。それがあまりにも幼稚っぽくバカっぽい。だから、ありがたみがかなり減ってしまう。そのほか、この寺院は道教の神様はなんでもいるんじゃないのか?というくらい、知っている神様はほとんど祀られていた。だから、道教をあまり知らない人においても、この神様大集合の寺院にいって、なにがなんなのかを知るというきっかけになるといいのではないだろうか。また、この寺院、道教のくせに、般若心経の写経をしたものが飾っていたので、もう、なんでもありなんだなというのがよくわかった。
道路を挟んで向い側にはちょっとした池のある公園になっており、これまた何のために作られたのかよくわからない。お祭りがあったときに使われるのだろうか?