2007/09/07

シベリア鉄道9400キロ


次は「シベリア鉄道9400キロ」

だいたい9400キロという数字をみたときに、その数字の凄さが全然想像できない。東京から大阪の距離がだいたい鉄道で560キロらしいのだが、その16倍の距離、つまり8往復文の距離が片道というのは、想像を絶した距離としか言いようが無い。その距離を週に数回ロシアの鉄道として運行しているというのはまた凄いと思う。元来は、シベリア鉄道はアジアへ進出のための軍事鉄道として発達していったこともあるので、昔はやはり鉄道の各所での写真撮影は禁止であるのは言うまでも無い。現在でもその禁止であるのかどうかは全く分からないが、昔から乗ってみたいという気持ちはあった。

初めて学生のときにバイトをして、そのお金を何に使うかというのは、結構みなさんもいろいろ悩むところだと思うところだろう、何を思ったのかそのときから、「シベリア鉄道に乗るため」と思っていたのは、やっぱり自分としてバカだなーと今にして思えば思う。シベリア鉄道に乗るためだけでも渡航費などなどで確か30万円くらいはかかったと思う。それをなんとかして実現しようかと思ったのだが、いつになったら30万円も貯まるのか、そのときのバイト料から考えると無理だろうと思って、ほとんど諦めており、夢の鉄道として思いつづけてきた。その夢の鉄道に実際に乗って、それをレポートした人が過去にいるというのを知ったときには衝撃的だった。

ただ鉄道に乗っているだけでも車中6泊、そして乗るまでにも、当時としては船でウラジオストクに移動するために合計10日間、それが片道の日数というのだから、いかに時間に贅沢な旅行であるかが分かる。現代人で、忙しい人間にとって、片道だけでそれもほとんど道中は何処も見ることがなく、ただ電車に乗っているだけということに費やすほどバカな旅をする人は今ではいないだろう。リタイアして時間的に余裕があるひとがなせる業だとおもうのは否めない。

いまでは軍港ウラジオストクも、ある程度開放的になっており、一般外国人でも自由に歩きまわれるような町になっているが、昔は軍港であるために、そこを外国人が歩くことも自由が許されていないところだった。それも船でしか昔はいけなかったというのも制限が厳しい。いまでは新潟や函館から飛行機で直行便があるためにそれに乗ればあっというまに着くことは可能だ。ところが当時としてはウラジオストクが軍港であったために、そこへ一般の船が到着することはできなかったらしい、他の港であるナホトカに到着していかなければならなかったために、本当の最長の鉄道を満喫できなかったと悔やんでいる著者の心境はちょっと理解できる。

いずれにしても日本からの旅としては船に乗らなければならず、それも当時はソ連の現地コーディネータおよび日本から行く外国人用の旅行代理店である会社を通してじゃなければ旅行が出来なかったという不便さは同情する。わざわざ鉄道を乗るためだけに行くために「怪しい」と思われた著者が、旅行社に対して「シベリア鉄道の魅力を日本人の読者に伝えるため」と手紙を送っているところも、当時のソ連へ旅行するための手続きが面倒くさいことがわかる。そして、ナホトカからは船でナホトカに到着し、その後シベリア鉄道に乗る人専用の連絡列車があることも驚きだ。自由が利かないソ連の移動である象徴だと思う。

ロシア料理といわれるものは実はよく調べてみるとウクライナ料理であるのがほとんどである。純粋なロシア料理というのは、あまりにも素朴すぎて味気が無いものだ。それも旅行者用の鉄道の食事であるとすると、その調理法や材料の貧困さであまりにも味気ないもののようだったようだ。長い時間の鉄道旅行の際に唯一の楽しみが食事になってしまうひとにとっては、食事が貧相であるというのは苦痛であるに違いない。それも食事をする時間が決まっているというスケジュール化されているのであれば、なおさらその自由度の低さに悲鳴をあげてしまうに違いない。酒好きのひとにとっては、日本の列車のように言えばなんでもでてくるような酒の種類の豊富さが無いというのはまた苦痛であろう。不味いワインしか積んでいないというのを知った場合にはなおさら楽しみが減ったとがっかりするに違いない。著者もその口で、アドバイスをロシア人のガイドに聞いていたために、列車に乗り込む前にウォッカや酒類を多少買い込んで乗り込んだようだ。しかし免税の関係であまり多く買えなかったために、ちびちびとパートナーの出版社の人と飲んでいるところがいじらしい。

それと言葉は困っただろうな-と思うのだが、ロシアのキリル文字はアルファベットではあるが我々が知っているアルファベットとは文字が違うので、それを解読するのも大変だと思う。さらにロシア語はあまり身近な言葉ではないので、簡単な挨拶さえも覚えるのは大変だ。多少ロシア語をかじったことが有る人にとっては、聞き覚えがある言葉だとおもうが、そうじゃない人にとってはチンプンカンプンの言葉なんだろうと思う。そういえば、周りでもロシアに行ったことがあるという人は実は少ないと思った。叔父が旧ソ連との関係の仕事をしていたというのは知っていたが、具体的に何をしていたのかというのは知らない。そのときにソ連に行っているという話を聞いたときに「大丈夫なのだろうか?」と子供ながら不安に思ったことがある。それだけ近いところに有るのだが、日本人にとっては謎の国であることは間違いない。

著者の作品を見ていると、鉄道好きの人にとっては、モスクワに近づくたびにモスクワからの距離を示す標識の数字が減っていくというのを見ているだけで、なにかしらのカウントダウンを見ているようでわくわくするらしいのだが、そんなもんをじーと見ているだけで、景色は平原が続く詰まらないものだと、飽きてこないだろうか?街中を駆け巡る鉄道とは違い、内陸部をそれも単調な景色をいつまでもいつまでも追いかける鉄道に乗っていることは苦痛でしかないような気がした。かつてシベリア鉄道へ乗ってみたいという欲望は、この本をみると「やめておいてよかった」と改めて思う。しかし、鉄道ファンにとっては、この世界最長の鉄道に乗ることはどうやら夢のようなので、日本にたくさん居る鉄道ファンは全員乗ってみて感想を書いてほしいと思う。

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