2007/09/07

チェ・ゲバラ


街中を歩いているとチェ・ゲバラのあのひげ面で葉巻を吸っている顔写真をプリントしたシャツを着ている人を度々見かけるときがある。しかし、チェ・ゲバラという人物についてどれだけの人がどこまで知っているのかというと、ほとんどの人が「さぁ・・?」と思っているのではないだろうか。反政府的な考えの人にとっては神様みたいに思っていても、実績として何をしたのかまで答えられる人はとても少ないと思う。自分でも名前は知っていたのだが、果たして何をしたのかと聞かれると全然答えられない有名人の一人であったこと確かだ。

友達がキューバに行って、キューバに行って自分がいかに幸せな人生を送っていたのか実感したという感想を聞いたときから、ちょっとキューバについて頭の中では注目していた。歴史的にも「キューバ危機」とか、アメリカ経由では近いのにキューバには直接いけないというような話は聞いているので、なんとなくキューバというところについては知っている事は知っていても、現代キューバの成立について知っていることといえば、現カストロ大佐率いる人たちが政権を握っていることと、映画「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」で注目されるようになった場所というだけしか全然分からない。そこへ謎のチェ・ベゲバラである。さらに謎が深まるのは当然だろう。

三好徹氏が書いた「チェ・ゲバラ伝」はその問いに答えるべき有名な著作であることは言うまでも無い。NHKのBSでたまたまチェ・ゲバラのことを放映する機会があったため、家で録画予約していたところ、父親が「おっ?ゲバラのことに興味があるなら、この本を貸してあげよう」と渡してくれたのが、この本である。それもハードカバーの初版本である。かなり古い。最後のページを見てみると、1971年と書いているではないか!本の虫である父親ならでは保有著書であることはいうまでもない。しかし、この本の背表紙は、実は小さい頃から気になっていた。本の存在があることは知っていたのだが、なんだ、こりゃぁ?というくらいしか思っておらず、勝手に父の蔵書のなかから取って読んでみたいとおもうほどでは小さい頃は思わなかった。やはりいろいろな知識がついてきたときにこういう本を読むのが一番良いと思う。

さて、この本を読んで分かったことはかなりたくさんある。代表的な衝撃的な事実はこんなものだろう。

・チェ・ゲバラは本名ではなかった。
・チェ・ゲバラはキューバ人ではなかった。
・チェ・ゲバラが日本に来たことがあった。
・チェ・ゲバラは医者だった。
・チェ・ゲバラが死んだのはボリビアの革命のために死んだ。
・チェ・ゲバラはもともとタバコを吸っていなかった。
・チェ・ゲバラは文筆家として日記を残していた

というところだろうか。調べれば調べるほど、その人生が壮絶な人だったとしか言えない。だいたい自分の祖国じゃない国のために命を投げ打って、闘争に臨んでいったという革命家は世界のどこの国をみても、その歴史上の人物を見ても彼以外に発見できるものじゃないと思う。

アルゼンチンの上級階層に生まれたゲバラであるが、母親の影響で人種・身分の垣根を越えて小さい頃からいろいろな人たちと付き合っていたことは、彼のその後の人生に大きな影響を与えたことだろう。それに医者として素晴らしい成績で卒業をしたあとに、自ら各国を廻って困っている人のために色々なところに乗り込んでいく姿は、何かに追われるか追い求めるために行ったとしか思えない。

中南米は第2次世界大戦後においてもアメリカの影響下で自立心が全くなりたってなかった。特にアメリカの大農業会社に国ごと牛耳られていた国はたくさんあったらしく、そのアメリカの会社を国から追い出すということは、アメリカを敵にすることと同様である。それができないために、なかなか中南米の各国は経済的に発展することができなかったのは当然だろう。ゲバラとカストロは、独裁者バティスタに牛耳られていた閉塞的なキューバから開放するために立ち上がるのだが、そのときにやったことはアメリカの農業会社をキューバから追い出すことでもあった。キューバはさとうきびは今でも代表的な輸出品でもあるのだが、これを当時はアメリカが一手に牛耳っていたのだから、国としてはほとんどアメリカの属国のようなものだった。そのアメリカ企業から企業活動を没収してしまったことで、アメリカを敵に廻すことになり、現在までも続いているアメリカとの確執に繋がっているのだと言う事は、この本を読んでよくわかった。

そして、キューバが成長するためには、農業以外になんの産業も無いのであるなら、このさとうきびを売るしかない。これまでの最大買い付け国であったアメリカを企業ごと追い出してしまったのであれば、アメリカにさとうきびが売れなくなる。そこでさとうきびが必要とされている国にゲバラが外遊することになるのだが、そのときの1つの滞在国として日本であったのだ。日本は台湾を戦争で負けたためにさとうきびの需要が必要であったため、ちょうどさとうきびを買ってくれる国としては最高の場所であったといえる。だから、日本にやってきて当時の池田首相と話をしていたことがあったというのを知ったときには、びっくりした。しかし、当時の関係者はゲバラに対して、田舎からやってきた大して影響が無いひげ面の人としか印象がなかったというのが悲しい。あとで「あーっ、あのときがゲバラだったのかー」と回想している人たちの多くの意見が出ているのも興味がある。

文筆家でもあったので、相手を説得するための話術にも長けていたというのは凄い。先見性の明を持っていたこともあり、カストロとの信頼関係の中で、己の正しいことはすべてカストロの許可なくやっていたというのも素晴らしい。指導者としては申し分の無い人だったことは言うまでも無い。しかし、そんなゲバラの説得に対して日本が買い付けをせず、逆に日本製品を買え買えといったものだから、ソ連がさとうきびの買い付けに乗り出してくる。冷戦時代に突入するためのきっかけになったことになるのだが、アメリカの喉下にミサイルを設置したいとおもっていたソ連と、キューバの自立のためにさとうきびをどうしても買って欲しいとおもっていたキューバの思いが合致した結果なのだといえよう。
人物を中心に眺めてみると、いまの歴史に繋がるいろいろな事実に結びつくところが、歴史を知るというものの楽しさでもあろう。さらに、他人のために自分を犠牲にして死んでいったゲバラの生き方に対してカッコ良いと思う人たちが多いのも分かる。女性にとっては最高の理想の男性といえるだろう。最終的にはボリビアの独立のために、ジャングルで政府軍と戦って死んでしまうのだが、彼がいまでも生きていたら世界はどうなっていただろうか?しかし、彼は平穏な世界に自ら置くようなことはしなかっただろう。常に何かに対して闘争をもって行動していたひとだろうからだ。政治的なことはカストロに任せて、あとはキューバの自立を祈りつつ、カストロに何も言わずにボリビアに行ってしまったことがそれを証明する。

彼が書いた「ゲバラ日記」という本も出版されているが、これは内容がボリビアでの死ぬまでの日記を書いているものであるが、内容としてそれほどドキドキするものではない。こちらはお勧めしないが、是非、キューバを旅行する前や、ゲバラについて知りたい人は「チェ・ゲバラ伝」を読むことをお勧めする。

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