2007/09/07

中国火車旅行

宮脇俊三は、鉄道作家としてとても有名であり、先日なくなったのはとても残念だと思う。以前フィジーに旅行に行った時に、当地で読む本として買った「最長片道切符の旅」というのがこの作家との出会いであるが、その後、書店やBook Offで宮脇俊三の名前を見つけると、彼は結構たくさんの作品を残していたことが分かった。今回はその中でも次の2冊についてレビューをしてみたいと思う。その2冊というのは、「中国火車旅行」と「シベリア鉄道9400キロ」である。

まずは、「中国火車旅行」から。
中国で鉄道に乗ったことが有る人なら、「うん、うん、そうそう」と納得するところが満載の書物である。経済発展が著しい中国とはいえ、一般中国人の移動の足になっている鉄道というものは、そう簡単に新鋭になったりすることは無い。現在では北京~上海間に日本の新幹線技術を使った超特急が開通しているのだが、それはドル箱路線のことだけであって、その他の路線は、最近開通したチベット鉄道を除けば、旧来どおりの鉄道のままである。

自分自身も以前上海にいったときに、古都の杭州へ鉄道で旅行をしたことがあるので、なんとなく書物の中に書いている風景というのは想像できる。想像できる対象というのは、駅の雑踏と切符売り場での罵声と混雑振り、そして等級がはっきりわかれている乗車方法と客層のことである。中国は、長距離電車になればなるほど電車の切符が取りにくいといわれており、外国人用の車輌と中国人車輌というのが残っている。外国人車輌というのには裕福な中国人も乗れるのだが、逆に中国人専用車輌に外国人は乗れない。金が無いからといって、最低等級の中国人専用車輌に乗ることは許されないのである。対外的に「良い面」しかみせない面子のためであることは言うまでも無い。

著者はこの本の中で中国の広大な地域のうち、4つの路線の制覇を行っている。
  • 南北の主要鉄道である北京~広州間2313キロの鉄道旅行
  • 東西の主要鉄道である上海~ウルムチ間4079キロの鉄道旅行
  • 旧満州鉄道の名残である大連~ハルビン間944キロの鉄道旅行
  • 中国の屋根ともいえる四川省から雲南省に抜ける成都~昆明間1100キロの鉄道旅行

いずれにしろ、中国の広大な領域をどこを旅行するのかというのに迷っている人や、または鉄道ファンにとっては涙が出てくるようなところを通っているのは間違いない。しかし、いずれにしても数日間の鉄道だけで移動するということを平気で居られるのは、本当の鉄道ファンじゃないとやっていられないのだとおもう。以前日本の寝台特急に乗ったことがあるが、それだけでも嫌だなーとおもったことがある。というのも、個室ではない数人のコンパートメントであるため、知らない人たちと同室になることにとても違和感があったのだ。しかし、狭い電車の中ではそんなことは言ってられないのは分かる。それでも平気なひとは鉄道に乗ればいいわけだし、嫌なら飛行機に乗ればいいわけだ。

さて著者が中国で鉄道を旅行したときには、中国の現地の旅行会社のひとたちが同行しているのが気になる。当時の中国では、外国人が自由にあちこちに移動することが許されてないようで、特に意味不明に鉄道だけしか乗らないという目的で言っている著者のような行動を取る人を異様に思えるものらしい。従って、いたるところで現地のコーディネータに対する不満や対応に対する人間観察というのが出てくるのも面白い。もちろん、鉄道ファンという目から見た各種の鉄道オタクの望むような内容は出てくるのだが、別に個人的には鉄道ファンでもなんでもないので、あまり車輌の形とかいつどこの駅を通過するかというのは興味が無い。どちらかというと、車内販売や車内の食堂やどういう客層が乗ってきているとか、車掌の対応や車窓からの風景というのがどういうものかという描写のほうが気になる。その点も著者は読者のことを考えてか、独特の感性と観点で描写しているところが臨場感が出ている。

この本の中で一番面白いのは、海沿いの町上海からウイグル地区の都であるウルムチまでの電車の旅だろう。まだまだ中国では近代的な物資が少なかったころの旅行であったらしく、車掌と仲良くするためにポラロイドカメラと太陽電池の小型電卓というのを持参しているところが面白い。現代では考えられないが、当時の中国にとってはこのようなものは存在していなかったようなので、珍しいものとしてプレゼントするのにとても有益だったということが伺える。また、長距離電車にはありがちなトラブルにも遭遇しているところが生々しい。前に走っていた電車が脱線したために、運行どおりに電車が動かなかったため、1日遅れでウルムチに到着したというところも旅行記らしいと思う。それから何もすることが暇な電車のたびなのだが、それは電車オタクが乗っているために、いろいろ電車の中で「遊び」を見つけて、それを実践しているところが面白い。他の車輌に遊びに行って、どういう人が乗っているのかなと観に行ったり、食堂にいって今日は何を食べようかなと詮索してみたり、暇なら車掌を捕まえて鉄道のことについていろいろ質問したりしていたりするところが面白い。

しかし、感心したのは、本当に鉄道に乗ることだけが目的だったようで、現地に到着したらすぐに飛行機で次の目的電車に乗るための起点都市に飛行機で移動するというところだろう。ウルムチの場合は到着地の現地コーディネータが乗る飛行機の手配を遅れたのにもかかわらず変更手続きしていたらしく、駅に到着した途端、その飛行機に乗るためにダッシュでタクシーに乗ってコーディネータと移動しているところだろう。現地のコーディネータの協力の下での移動は監視されているような感じはするが、こういうトラブルの際にはありがたい存在になろう。

現地のコーディネータといえば、当時としては数少ない日本語を話すコーディネータの存在が著者の中で微笑ましいときがある。職業の自由があまり無い時代だったために、日本語学科を優秀な成績で卒業しても、その世話をした教授のコネでしか職業がつけず、職業の選択の自由が出来なかった時代のことがよくわかるエピソードが残っている。あと、外国人コーディネータにありがちな、日本語の細かい言い回しがない単刀直入であり、ある種乱暴な言い方をしているところが微笑ましいという場合もある。

この本の中で印象的だったのは、やはり大連~ハルビン間の旧満州鉄道の街並みだろう。ヨーロッパの列強と日本が統治していたこのあたりの都市は、中国的ではなく西洋的な街並みがいまでも残っている。鉄道の本ではあるのだが、鉄道に乗る前に出発地での様子などが書かれているのをみると、どうしてもその西洋的な風景を見てみたいという気持ちにさせてくれる。特に満州地区は日本が統治して、インフラを整備したこともあり、中国共産党政権の初期段階ではこの地が産業の中心地であったこともあり、その街並みは中国の中でも特別な場所であるのは間違いない。上海のような都市は、中国的な汚らしい文化遺産を全部破壊して、近代的な中国のアピールのために町の全面的改造を行っているのだが、こういうのは文化破壊としか言いようが無い。その点、いまでは後進地になってしまった旧満州地区は近代初期のまま残っているのは、遺産としてこれからも残していくべき場所だとおもうし、現地の人たちもそれを誇りに思っているところが素晴らしいと思う。

経済発展著しい中国は、あくまでも海側の地域しか注目されていないが、中国は広大な地域であるため本来なら複数に分割するべき統治方法がよいはずだが、なぜか旧来体勢のように強大な力でなければ押さえつけられない精神がいまだに続いているために、あんな広大な地域を1つの政権で治めているのは有る意味笑える。その現在と、少し前の昔の中国を比較すると、当の中国人にとっては「昔のことは蒸し返すな」と面子に拘るだろうが、外国人にとってはどのように変化してきたかを知るためのいい材料だと思う。


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