2011/10/09

ハンガリー動乱の弾痕(ブダペスト)

日本にいるとハンガリー動乱とプラハの春については、遠い向こうの国で起こったソ連に無茶な反抗が大規模の事件になったものだという程度しか分かっていないのだが、チェコもハンガリーももともとロシアの影響下があるような場所ではなく、たまたまロシアに地理的に近かっただけでロシアの衛星国に加入させられてしまったという歴史的な背景がある国であり、本来ならロシアの影響なんか受けたくないというのが根本にあった事件である。でも、それは実際にハンガリーやチェコに行かないと、当時の事件の背景や思想というのは感じられない。それももう事件から50年くらい経過してしまったのであれば、事件自体が風化してしまい、意味不明にもどうでもいいようなところだけが強調されて、後世にだけ事件の一部が伝わってしまうことになるし、実際にハンガリーでも既にそんな感じだった気がする。

ハンガリー動乱は1956年に発生した事件であり、いろいろな経緯の上に10月23日に全国で蜂起されたものであり、ソ連が介入してきたのだが、話し合いの結果一旦はソ連軍がハンガリーから撤退したものの、1週間後に15万人の歩兵隊と戦車が一斉にまた侵攻して来たことから始まった大虐殺と破壊工作である。

ハンガリー動乱の後に開催されたメルボルンオリンピックは歴史的に残る試合を世界に記録している。特に、水球。このオリンピックでハンガリーは金メダルを取ったのだが、歴史的な試合になったのは準決勝のソ連との戦い。10月にソ連の武力による壊滅的になったハンガリーが、スポーツは別として鬱憤を全部この試合にかけたため、その流血事件にもなった水球の試合は壮絶なものになった。4-0で下した試合は散り散りになったハンガリー民族の結束を固めたといって良い。詳しくはハンガリー映画「君の涙ドナウに流れ」を観ると詳しい。ハンガリー動乱とオリンピックの関係がとても分かりやすく描かれている。
ハンガリー動乱のことは、2次元の世界だったり、あれは幻だとか、どっかの狂信者が適当なことを言っているんだろうと後世のひとが思わないように、ブダペスト市内には無言ながらその事件を知ることができるようにと、いろいろな場所で事件の爪あとは見ることができる。

一番分かりやすいのは国会議事堂とその目の前にある広場を介して正面に、民族博物館と農業省の建物があるのだが、農業省のほうの建物は絶対見るべきだと思う。とくにこの建物は中に見学することができないのだが、入る必要は無い。道路に面した1階の踊り場あたりを眺めるだけで分かると思う。それは、ハンガリー動乱によって虐殺された、ハンガリーの政治家や有名人の胸像がずらーっと並んでいるのとともに、壁や柱のあらゆるところに、ハンガリー動乱のときにソ連軍がぶっ放した銃弾の跡が残っているのである。銃弾の跡は、ボタンみたいな突起が出ている形で強調しているのだが、その銃弾の跡の数の多さがあまりにも凄すぎて、ブダペスト初日にここに来たときに、いきなり脳みそに衝撃が走ったみたいにハンガリー動乱に対する無知さへの憤慨と、銃撃戦に対する悲惨さが経験はしていないのに込み上げてきてしまった。ハンガリーの人は中国人みたいに何でもかんでも自己主張を激しく言うような国民性ではない。だから、無言のまま事件の壮絶さをそのまま歴史のなかの一幕として残そうとしているし、当時を知っているハンガリー人にとっては忘れられない事件であるということだろう。当時のことを聞くと教えてくれるが、率先して事件のことを話そうとはしない。少し日本人の老人と似ているところがある。別に農業省の建物だけじゃなく、ブダペストの街中に行くとあらゆるところで、この銃弾の跡を見ることができる。人の目線になるところは、最近は改装等ににより綺麗にしてしまって見えなくなっているところも多いのだが、上のほうを眺めてみると、本当に残っている。ハンガリー動乱のことを知らなくても、その爪あとだけは旅行者にとって強烈な印象として残ることだろうと思う。

ちなみに、ハンガリー動乱のことを詳しく知りたいのであれば、

・ハンガリー事件と日本―一九五六年・思想史的考察 小島亮 (著)
・1956年のハンガリー革命―改革・蜂起・自由闘争・報復 Litv´an Gy¨orgy (原著), 田代 文雄 (翻訳)
・新訳 ハンガリー1956 アンディ アンダーソン (著)

この上記3冊を読むと詳しいだろう。ハンガリーに行く前にはハプスブルグの栄華を観るのもいいのだが、ハンガリー動乱関連も忘れずにいて欲しい。ハンガリー人に敬意を払うためにはこの歴史を外してハンガリーを訪問することはとても失礼になるからだ。

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