セビリアの全体的な印象としては、日差しが強いが、乾燥しているので、日陰にいくとひんやりしていて気持ちがよく、安全で街全体が綺麗であるということ。そして、観光地のほぼ95%くらいは歩いていける範囲にあるということだろう。こんなこじんまりとしているところだと、人がごみごみしているという印象もあったりするのだが、全然その印象はない。だいたいスペインも失業者が多い国のひとつであるため、街が荒んでいても可笑しくないと思うのだが、セビリアは落書きが全く街中では観られないので、それだけ安全な場所だといえよう。旧スラム街のような、かつてはジプシーが住んでいた、曲がりくねって細い道が縦横無尽に広がっているエリアがセビリアにもあるが、そういうところでさえも落書きはまず見られない。
アンダルシア地方全体に言えることかもしれないのだが、観光名所はもちろん、至るところでイスラム建築様式が残っているところが結構あるので、なにげない建物だが、普通にタイルやモザイク模様を使っている建物を見ることができる。これはポルトガルのリスボンに行くと、普通の家の壁なのに見事なタイルが使われているのを見るのと同じだ。
ホテルの場所が良かったからだと思うが、生活するために手に入れなければいけないのは簡単になんでも手に入るのは便利だった。スーパーも傍にあるし、レストランもたくさん傍にあるし、ものぐさ君にとっては、あらゆるものが近場にあるために出歩くのが楽なわけだ。たぶん生活するにも楽だろう。
そういえば、交通手段も結構発達している。ランドマークになっているのは路面電車。ヌエバ広場から、国鉄サン・ベルナルド(San Bernard)までの間だけ運航しているのだが、これがまた距離が短くて、なんのために運行しているのか全く不明。でも、頻繁に路面電車は運行しているので、サン・ベルナルド駅に行くにはとても便利だった。バスは縦横無尽に走っているし、頻繁に走っているので、ほとんど待たなくても次のバスが来るのは便利。どこをバスが走っているのかは、アプリで事前に調べてみるのがいいかもしれない。それと、地下鉄も存在するのだが、こちらは乗車することは無かったので、レポートできず。だいたい地下鉄を使うような場所なんか行かなかったし。
セビリアに印象深い建物がたくさん建っているのは、もともとイベリア半島を支配していた後ウマイア朝のイスラム国家が、小国家に分裂して出来たタイファの1つとして王国ができたセビーリャ王国がここに首都をおいたことによる。結構他のタイファに比べると繁栄が良かったため、素晴らしい街並みを作る原資があったことなのだろう。しかし、他のイベリア半島にあった王国と同じように、最終的にはレコンキスタによって滅ぼされてしまうが、後にカスティーリャ王国として君臨したアルフォンソ王が、ムスリムの建物を徹底的に破壊するのんではなく、ムスリムの藝術の高さを理解したうえで、モスクや城の基盤をそのまま残しつつ、キリスト教国家としての街づくりをしたことも、現在人がイスラム芸術文化を堪能できる立役者になったことは否めない。
だいたい日本人にとっては、この土地の名前は「セビリア」と言われているが、「セビリア」と現地で言っても、誰も理解できない。これはおそらく戯曲「セビリャの理髪師」(Le barbier de Séville ou la précaution inutile)の題名だけが先走りしてしまったためだろうが、スペイン語では「セヴィージャ」という。英語だと「セヴィル」なのでどれもこれも日本語の言い方では伝わらない。だいたいバルカン半島の爆弾民族国家である「セルビア」とよく間違われるのも、日本語の言い方が間違っているからだと思う。
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