2009/10/26

日御崎神社(出雲)

日御碕神社は、出雲大社の正門前バス停から終点まで乗って行けば行ける。通常ならバスで15分程度で到着できる場所であり、乗ってきたバスで帰りは帰ってくればいいくらいの時間の余裕はある場所なのである。この日、自分たちもその工程にならって、早めに出雲大社の参拝が終わってしまったこともあり、昼ごはん前に、せっかくここまで来たのであるから日御碕神社まで行くのもいいだろうと思っていくことにした。

ところが、この日、なぜか出雲大社へ停めようとする駐車待ちの車が大量にいたようで、そんな待ち状態の車は別の道で待っていればいいものを、出雲大社前の1本道のところが、片側1車線であるため、その通行をまったく停止させてしまう状態になっていた。要は、駐車待ちの車で道路は全く身動きが取れない状態であったということである。そんな状態なので、バスは一向に来る気配がなく、予定では、11時50分頃に来るはずなのに、12時15分頃になってようやく到着した。前述の通り、終点日御碕神社に到着したバスは、そのまま折り返してくるわけなのだが、その折り返し地点での折り返すバッファ時間が全くない状態に結果的にはなってしまうわけである。

結果的には、当初の予定では、さっさと参拝した後に折り返しのバスに乗って戻ってこようと思ったのに、神社で折り返すバスの待ち時間が全くない状態になってしまっていたため、次にバスが来るまで1時間も無駄に過ごしてしまうことになってしまったのである。タクシーを呼ぼうにも、こんなところにタクシーが普通に走っているわけでもなく、さらに言うと、バス待ちのために、茶店でも開店してればいいのだが、店はあるのに開店休業状態になっているために、バス待ちの時間が本当に暇で暇で仕方なかった。海と港が近いので、暇だからそちらのほうに歩いてみるのだが、景色もこれといって変わったものがあるわけでもなく、田舎の山陰の港を1分ほどポカーンと眺めて帰ってくる有様であった。しかし、出雲大社から日御碕神社までの道のりは、バスに乗っているだけでもかなり楽しい。こんなに風光明媚はないのではないだろうかというような道を走っていく。片側は断崖絶壁の崖だし、さらに道がかなりうねっているため、恐怖心はかなりあると思う。陽が照っていると、その光で景色がかなり良いように見えるところも良い。レンタカーやマイカーでこの道を走るのはとても気持ちがいいだろうとおもった。ところどころ展望台ようの場所も道沿いにあるので、ここでボーっとするのもいいだろう。実際の神社は、バス停を降りて鳥居のほうに進んでいけば良い。朱色の典型的な神社の門がまえが美しい。門を潜ると、境内にやってくるのであるが、境内にさらに一段高いところに祭られている社殿が存在したりする。正面に見えているのは天照大神を祭っている社殿である。一段高いところにあるのは、素盞鳴尊を祭っている社殿である。高台の作られた神社であるならわかるのだが、別にそんなに高台に作られているというわけではないのに、わざとこんなつくりにしている神社の形態が少し面白い。素盞鳴尊を拝むところに上っていくと、ちょっと不気味な石の塊が見える。これは、御神砂の碑といって、交通事故に以前であってしまった人が願掛けのためにこちらの砂を持ち帰ったところ、たちまち回復したということから、該当者が感謝の意を伝えるために立てた碑であると謳われているものだ。神がかりとはこういうことをいうものであって、話が事実としたらとてもすばらしい。どこか病気的に病んでいる箇所があるのであれば、ここの砂を持ち帰ってみるのもいいだろう。

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