八重垣神社の参拝の後、そのまままっすぐ松江駅に向かってもよしだが、出来れば、そのあと神魂神社への参拝もしたほうがいい。なにしろ、歩いていけるような距離であるからだ。神魂神社は「かもすじんじゃ」と読む。神が居(お)わすところという意味から名づけられたと言われているところだ。
「歩いていける」なんて生意気なことを言っていたが、実は歩くと結構大変だと思う。八重垣神社の鳥居を出ると、通りに面するのだが、その通りを越えて、鳥居からまっすぐ伸びている道をひたすら道沿いに歩いていくと到着できるのだが、この距離が約2kmくらいある。元気がある場合には歩いていけるのだろうが、自分たちは八重垣神社に頼んでタクシーの手配をしてもらうことにした。神主にタクシーを呼んでーっと頼んだのだから、なんだか神に申し訳ないと思いつつも、瀬に腹は変えられないとおもったので、頼んでみた。もちろん、素直に応対してくれたのでうれしい。
神魂神社は、他の神社とは少し異なり、丘の上に存在する。そのため車で来た人は、必ずと石段を登らなければならない。石段は2つの構成になっており、下のほうの石段については、本殿手前につながる大きな通りを形成しつつも、足幅が広い石段を組んでいる。だから、なだらかな石段という雰囲気がある。ところが、上段の石段は、前者と変わって、修行のための石段の組み方をしているので、底を本機で登れたのであれば参拝を許そうと神が申しているとしか思えないような石段であった。しかし、この石段を登らなくても「女坂」と呼ばれる遠回りの別の石段が存在するので、そちらを利用してもいいと思う。さて、八重垣神社に比べると参拝者数が圧倒的に少なくなるという条件もあるが、神社全体の雰囲気が「パワースポット」と一部のマニアに騒がれているくらいとてもいい雰囲気を感じる場所だ。空気が澄み切っているというか、言い換えると俗世感の感じがしないと思われる。異次元の世界に飛び込んでしまい、周りの時間とは違い時間で流れているのではないかと思うような静寂と趣を感じた。通称「男坂」の石段を登ると、すぐに立派な本殿が待ち構えている。この本殿の裏側に神様が奉られており、その神殿が本殿よりも数段高いところに存在し、誰も通ることが許されない階段で接続されている。出雲大社とは性別が逆の神様がここには存在することは、社殿のトップに備え付けられているバッテンの尖っ先の形でわかる。ちょうど天に対して手のひらを開いたような形に先端が切られている場合と、天に対して指を刺しているように先端が切られている場合では奉られている神様の性が違うのである。どこの神社に行っても実はこれは同じで、その社殿の先端をみれば一目瞭然である。その本殿の隣には、なぜか稲荷が奉られており、こうも系統が異なる神様がなぜ並んでいるのかがとても不思議だ。また、本殿の隣には小さい祠ふうの社がいくつかあるが、そのなかでも社と社の間に風穴があり、この風穴が迷信好きな日本人であれば一度は拝んでおきたい、パワースポットの中心地であるのだ。中はなんのことはない、注連縄が飾られていて、人が座ってここで瞑想でもするようなくらいのスペースしかない。それがパワースポットと呼ばれる場所になった経緯はわからないが、何かを感じることができるひとは感じるのだろう。何かを。
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