一畑薬師は、島根半島の中心部・標高200mの一畑山上にあり、「目のお薬師様」として知られ、全国から参拝者が訪れる信仰の寺。約1300段の石段からなる参道でも有名。現在は山上まで車で上がることができる。
松江からはしんじ湖温泉駅から一畑電鉄に乗って、一畑口という駅まで乗ると良い。そこから一畑薬師までの直行バスが存在するので、それに乗れば良い。料金は200円。ただし、バスの本数は極端に少ないため、バスの時間に合わせて電車の時間を見比べて行くべきだと思われる。
そんな場所に、当日、一畑薬師にいこうと一畑口駅を降りてみると、なぜか参拝客とは思えないようなスウェットを履いている集団に出くわした。偶然ではあるが、この日、毎年恒例になっているマラソン大会が一畑薬師を中心になって開催される予定になっているため、その参加のために電車に乗って出向こうとしているひとたちの集まりだったのだ。それを加味してか、通常ならマイクロバスみたいな小さい町民バスだとおもっていたのに、駅前にやってきたのは、大型のバスだったから驚いた。さらに、マラソン大会に参加する人のために、マラソンのスタート地点までピストン輸送するバスとして、このバスがこの日は無料だったことがもっと驚いた。通常の町民バスだと、松江や出雲でフリーに乗れるパスは利用不可なのだが、結果的にはフリーで乗れるのと同じ感じになったのはうれしい。
ただ、帰りのことを先に記載してしまうと、帰りのバスは、通常バスを乗る地点がマラソンの選手控え場所に使われてしまっていたため、そこまでバスが入れない。そこで帰りのバスが全くどこから出発するのか出発寸前までわからずじまいだった。交通の警備員に「バスって、どっからでるんですか?」と聞く始末。警備員も返答に困っていたのだが、出発予定の時間5分前くらいになって、駅からバスがやってきたところ、さきほど質問した警備員が走ってきてくれて「おーい!これに乗ってねー!」と人ごみが多いところから探してきてくれた。頼もしい。しかし、マラソン大会が始まる前に、マラソン会場から帰ってしまう人はいないらしく、バスに乗っている人たちは自分たちのみという、ほとんど貸切状態だった。
話は戻して、一畑薬師に到着すると、マラソン大会に参加する人と勘違いされて、「こちらでーす」と案内されそうになる。しかし、服装を見ればわかるだろうー。走るやつらはそれなりに走る格好をして現地に乗り込んできているのに、こちらは普段の服装でカメラ持っているんだから、絶対違うってわからないのだろうか?と少し憤慨してしまったが、案内員を無視して、寺のほうに向かって歩き出す。
歩き出すと、これから出場する人たちが仲間と集まって準備をしている風景が見えた。こんなクソ田舎のところなのに、参加人数が半端じゃなく多い。たぶん3000人くらいは居たんじゃないだろうか。まだまだこれからも人数が増える勢いだったから、最終的にはどのくらいの人数が走ったのかがとても気になった。
本来はそこまでバスが行くはずのところを横目に歩き、さらに進んでいくと、参道の茶店が並ぶ場所に出くわす。こういう風景をみると、いかにも門前という風景だと認識する。しかし、この日はマラソン大会なので、出場前に腹ごしらえをしているような人たちがたくさんいて、風流も減った暮れもない。
さらにそこから進んでいくと、マラソン大会出場者が全く居なくなるゾーンに出くわす。ここからがいよいよ薬師寺にはいる入り口である。すぐに急な階段が見えてくるのだが、いきなり行きからこんな急な階段を上る必要はない。ぐるりと廻って別の階段を使って上っていくほうが良い。その遠回りの道沿いには、幟の旗がはためいていて、まるで稲荷神社のような感じだ。でも、ここは決して稲荷神社ではない。急な階段を避けるために遠回りをしたつもりだったのだが、やっぱりこちらも階段が出てきた。ところがこの階段は、この一畑薬師で有名な1300段の階段の一部であることがあとで解る。ふもとからこの標高300メートルのところまで今回はバスで来たのだが、バスを使わず、麓から1300段の長い階段を通ってここまでくることも可能なのだ。これが心臓破りならぬ、ひざ壊しの階段と、地元泣かせの階段のようで、マラソン大会もなぜかこの階段がコースに加えられており、それも最後の最後、ゴールに近いところに設けられているため、出場者は大変なようだ。さて、階段を上って境内のほうにいってみると、ショボイ境内だとおもっていたのに、実はとても立派なものだったということが解った。この驚きは、久しぶりだったのだが、この寺の成立を考えると、あとでなるほどと納得できる。
境内に出ると最初に見えるのが鐘楼堂である。もともと、この鐘は毛利が治めていた天正10年に作ったものなのだが、現在残っているのは明治24年に複製したものである。第2次世界大戦中、軍による鉄類の供出命令に伴ない、こんな立派な寺からも鐘を供出しなければならなかった。しかし、岡山の玉島にある製鉄所に送られたあと、溶鉱炉へ入れようとすると、急に停電になったり、吊り下げるチェーンが切れたり、係員が病気でなって休んだりして、どうしても作業が捗らないという珍事件が発生する。そんなこんなのうちに終戦になってしまったという経緯を持つ。なので、無事に寺に戻ってきたというおもしろいエピソードがある鐘なのだそうだ。正面には観音堂がある。本尊は「瑠璃観世音菩薩」である。いわゆる観音様だ。そして本殿の前になにやら説明書きが書いてあった。一言「合掌低頭」と。意味は、合掌とは、対立の無い平等と調和を表わし、浄・不浄、美・醜、好き・嫌いなど対立を超えた仏の相である・・・なんていう難しいことが書いてある。まぁ、簡単にいえば、両手を合わせれば喧嘩も出来ないのは当然だろう。低頭とは、頭を低く垂れ、あらゆるものへ敬意を払う謙虚な心のあらわれである。さらにもっとわけのわからないことがかかれていた。この寺では、どこでも聞こえてくる文句なのだが
「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
だ。なんじゃ、この意味不明な言い回しは!?それも僧侶が、マイクを通して祈祷にやってきた人たちに対して行なっているのを聞いているだけで、あたまがおかしくなってくる。本殿の前に「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」というのが鎮座している。神通力で病気や体の不自由な人を助けたり欲深い人や意地悪い人を懲らしめたりした偉い坊さんであったため、自分の疾患ある同じ部分を根出るとその病気が治ると信仰されているものだ。だから、この石像のいろいろな箇所がたくさんの人に触られているために、すべてがテカテカに光っているのが面白い。そう、ここはなんでも病気を治してしまうという寺なのである。だから、なにか病気になっている人が訪れるのが多いらしく、こういう寺を知らなかった自分の無知さが情けなくなる。また、この境内には十六羅漢像のブロンズ像が納められている。十六羅漢像とはお釈迦様の高弟16人のことで、羅漢とは、元々信者の施しを受けるに足る高貴な人のことをさす称号である。次の十六羅漢の賢者は次の人たちを指す。・薄拘羅尊者(はくらそんじゃ)
・阿[少/免]樓駄尊者(あぬるだそんじゃ)
・摩訶劫賓那尊者(まかこうひんなそんじゃ)
・迦留陀夷尊者(かるだいそんじゃ)
・賓頭盧頗羅堕尊者(びんずるはらだそんじゃ)
・憍梵波提尊者(きょうぼんはだいそんじゃ)
・羅喉羅尊者(らごらそんじゃ)
・阿難陀尊者(あなんだそんじゃ)
・難陀尊者(なんだそんじゃ)
・周利槃陀伽尊者(しゅりはんだかそんじゃ)
・離婆多尊者(りばたそんじゃ)
・摩訶倶絺羅尊者(まかぐちらそんじゃ)
・摩訶迦旃延尊者(まかかせんえんそんじゃ)
・摩訶迦葉尊者(まかかしょうそんじゃ)
・摩訶目健連尊者(まかもくけんれんそんじゃ)
・舎利弗尊者(しゃりほつそんじゃ)
特に印象的なのは、まゆげが村山元首相みたいに、まゆげボーンとなっている賢者がいたのは笑っちゃいけないとおもうのだが、笑ってしまった。それは「摩訶迦旃延尊者」である。ここの寺の絵馬はちょっと変わっている。普通の絵馬は、五角形でたくさん字が書けるようなものだとおもうのだが、ここの絵馬は表に、換えたい事象のことがかかれていて、その裏に思いをぶつけるというようなスタイルだ。換えたい事象というのが「目が悪い」ひとであれば「め」と書かれたのものに書き、「なんらかの願いをかなえたい人」であれば「願」と書いたものに書くというものである。そういうのが「め」「医」「願」「智慧」「感謝」「縁」という各種のものが揃っているところが面白い。
本堂の右側には、「八万四千仏堂」というのがある。なにかというと、めちゃくちゃたくさんある小さい仏像の陳列棚である。仏像もこれだけたくさん揃っていると気持ち悪いものだ。寺のある地域はお茶の栽培産地でもあるらしいので、「一畑番茶」というのを参道の途中でたくさんみた。そういえば、境内に無料で飲めるお茶があったのを思い出した。一畑薬師
URL : http://ichibata.jp/
一畑薬師マラソン大会
URL : http://www.hit-5.net/~npo-hirata/virtual.html
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