2009/10/26

佐太神社(松江)

佐多神社は、JR松江駅より一畑バス恵曇行きで約25分乗り、佐太神社前で下車する。ところがこのバス停、神社の目の前かと思ったら全然目の前じゃない。場所を知らないと絶対困惑してしまう。バスを降りると、道路の右側にセブンイレブン(または何かのコンビニ。系統は忘れた。)が存在し、左側にいかにも神社の入り口の橋というような欄干のデザインを持った橋が存在するので、そちらの橋を渡る。あとは道沿いに少し歩いていくと、正面に鳥居が石でできた鳥居が見えてくる。バス停を降りたときに、「こちらが佐太神社です」というような看板が見えていればいいのだが、そんなものは存在しない。作れよー!

鳥居を潜ると、まずは駐車場になっている。神社に参拝に来たひとたちでは、絶対ないだろうという車がたくさん停まっている場合があるが、それは気にする必要がない。くるまで来た場合には、ここで停めて、早速神社の境内にいってみることにしよう。

門を潜ると左手に神楽殿が存在する。神楽殿については後ほど記載する。

右手には社務所があり、ここで朱印帳をもっているのであれば、快くやってくれる。佐太神社の宮司は、なかなか迫力のある字を書いてくれる人なので、面白半分にやってもらうのもいいだろう。

メインの本殿は、なんと3つの社が合体しているような造りになっている。しかし、いちおう名前として真ん中を正中殿、右を北殿、左を南殿という名が付いている。正面の正殿については、猿田彦大神、伊弉諸尊、伊弉冉尊というよく名前を聞く人物3名を祀っている。北殿は天照大神と瓊々杵尊、南殿は素盞鳴尊が祀っており、もう神話の世界は全部ここに集まっているというオンパレードの神社なのである。だから、敷地面積を考えると、かなり広い。ただ、先述したとおりに、この社殿自体が横一列につながった形になっているので、これはこれで建築学的に面白いつくりだ。それぞれの社殿ごとに「いちおう」参拝はすることができる。が、柵の向こう側は神様が一列に並んだみたいなものなので、いったい自分が誰
に対しておまいりしているのかが、よく考えるといまいちわかりにくい。神社の歴史としては結構古い。古事記の世界には既にこの神社の存在はあった。現在の形になったのは、仏教伝来後の仏閣創りの日本導入を基に、神社の仏閣がたいてい出来上がったのと同じような形成だと思われる。ただ、そんな中でもこのように横一列につながった社殿造りにしたのは、不思議だ。

さて、今回この佐太神社に来たのは、昼間ではなく夜間に来た。だから、実際には昼間見られるように、社殿の様子を柵越しに拝むということはやっても、柵の向こう側はよくわからない。なぜ夜間にやってきたかというと、重要無形民族文化財にもなっている「佐陀神能」 の能をみるためにやってきたのだ。以前、日本橋にあった島根物産展にいったときに、たまたまパンフレットでこの能を特定の2日だけ行うというのを発見したからである。ただ、これは無料で見られるというわけではなく、毎回限定100名のみが見られるという予約制になっていたから大変だ。フラット行けばいいだろうとおもっても観られない。ただ、実際に都合が悪くなっていけなくなってもあとから請求されるということはまずない。現地で料金を支払う仕組みになっている。見学料として1人1000円を納めることになるが、火災からの防御のための御札をもらったり、佐太神社の結構詳しいパンフレット(普通はもらえない)ももらえるので、興味があるひとは行くといい。実際の能は、佐太神社の本当のお祭りの時期に上演されるので、そのときにみるのもいいのだが、見られない人のために代表的な能だけをみせることにしたようだ。お祭りのときに上演される能は、かなり長い時間をかけて奉納するようである。しかし、このときに上演される能は1時間くらいのものだ。それでも題目として3つくらいの題目を演じているから、見ごたえはある。誰もが知っている、天岩戸のはなしや、ヤマトタケルノミコトの話などが上演されるので、ちょっとでも話を知っていると面白い。ただ、観客席が正直良くない。能舞台は地上より高いところに土俵のような形になっているから、てっきり地面に座って上を向くように観るのかと思っていた。または、地面に椅子が並べられ、そこに座ってみるものかと思っていた。ところが、神楽殿と社殿の間にある堤防の上みたいなところに椅子が並べられ、ざっくり言うと、上から神楽殿を見下ろすような形になっているから変だ。さらに言うと、背中に社殿を抱えるような形に座っているので、神様に奉納するために能が演じられているのに、それを遮る様な形で座っているから、さらに不思議に思う。椅子は自由席ではなく、たぶん予約の早いもの順だろうとおもうが、番号が振られており、若番であるほど真ん中で見ることができる。自分たちの番号は80番台だったため、かなり端のそれも後ろのほう。前の人の頭と柱が邪魔だなーとおもったので、最終的には椅子を使わず、神楽殿を横から眺めるような形で演技を見ていた。このほうが観やすい。全体的には能はとてもすばらしかった。声がよく通る人(たぶん宮司本人だろう)と声が通らない人があまりにも極端だったので、違いがよくわかる。あと楽器を演じる人も同じ舞台にあがっているので、楽器に興味があるひとも是非楽しめることだと思う。声の出し方から考えると、アイヌや他の狩猟民族の掛け声と同じようなものに聞こえるので、やっぱり日本もどこからかの影響を受けているんだろうなというのはよくわかった。現代人から観ると、能の動きはとても遅く眠くなってしまいそうに鳴るのだが、遅い動きが能とは限らない。動きが早い戦闘シーンなんかもあるので、これがなかなか迫力がある。昔はビデオもテレビもないため、こういう踊りというのがとても興奮に値するものだったのだろうというのは容易に想像できた。

佐太神社
URL : http://www.sadajinjya.jp/

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