古代出雲歴史博物館は出雲大社のすぐ傍にあるが、歩くと少しある。無駄なスペースがたくさんあるにも関わらず、建物の敷地面積はとても狭いからだ。でも、2007年開館しただけあって、建物の概観や中身やとても綺麗である。訪問客も開館当初はめちゃくちゃ人が来たのだろうが、今となってはそんなに話題にもなっていないため、ここで働いている人も結構暇なんだろうなと思う。ただ、こういう博物館で前から不思議だなとおもうのは、写真禁止になっていること。その理由がわからない。フラッシュ禁止というのであれば、保存状態を保つために行うという意味でわかるが、写真を禁止するということは、なにか著作権に引っかかることでもあるというのであろうか?そんなけちなことを何時まで経っても行っているから日本の文化的レベルが低いと世界からバカにされるんだと思う。それに写真禁止というのであれば、それなりに書籍を発行すればいいと思うのだが、それらしい書籍が全くない。強いてあげれば、申し訳ない程度の展示品インデックスみたいなものが1000円で売られているだけだ。それも言わなければ出てこない。もっと同等と、写真集ですっ!とか、解説は解りやすく書いています!とかそんなのを宣伝として掲げて売ればいいのに、どうしてこんなに商売根性がないのかが不思議である。やる気がないなら、写真をゲストに自由にとらせるような仕組みにしたらいいのにと思う。さて、中に入ると、出雲大社の本殿は、以前太い3本の柱をまとめて1つの巨大な柱としてつくり、それを支柱にして本殿は高い位置に作ったということが調査で解ったことを証明するような説明がある。その模型を観ると、現在の様子からは考えられないような形をしていたとわかるだろう。本当に当時、こんなに巨大な階段状の長いスロープがあり、そこの頂上に本殿があるようなつくりになっていたのであれば、それはすばらしいことだと思う。盛り土でもいいから、木で作られたスロープをやめて、土にしてもいいと思うのだが、それをしなかった理由がわからない。やはり木で作らないと意味がなかったのだろうか。ただ、その長いスロープが長年「伝説」とされていたところ、本当に巨大な支柱跡が出てきてしまっては、伝説から定説に変わってしまうことだろう。この博物館は、まずは上記のような「昔はこんなつくりだったんですよ」というのを模型で見せるというインパクトから始まる。本殿の形として、他の神宮に比べてどうなのかということを、これもまた模型で説明しているところは、日本全国でもここだけなのではないかと思う。
もう1つの目玉展示は、なんといっても、325個もでてきた銅剣の展示だろう。道路工事として掘り起こしていたところに、いきなりまとめてこれだけの数が出てきたということ自体が、いろいろなミステリーが考えられる。道路工事が無かった場合には、いったいいつまでたっても見つからなかったのだろうとおもうと、
まだまだ埋められたものは沢山あるんだろうなという気がする。
なにせここは神話の国の中心地。かつては大和朝廷に対抗してきた、日本におけるもう1つの大きな政権が存在していたところのど真ん中にある地域なのだ。だいたい「出雲」という地域の名前からして怪しいではないか。なぜ雲なのか、なぜその雲から「出る」場所なのかである。仮にここに存在していた政権が「出雲政権」というのであれば、その出雲政権が有していた文化や習慣そして宝物や普段の生活様式がどこかに眠っていても同じくない。ミステリアスな領域がたくさんあればあるほど、人はその冒険心を掻き立てられるものだ。
だから、もっとこれからも出雲地域からはたくさんの出土品が出てきて、その都度、この博物館に収められることになるだろう。ゴッドハンド的な天才的神がかりの発掘調査ができればいいが、そんなのは無理だ。となると、偶然なる偶然が重なって未知なる物体の発掘をぜひしていただきたいとおもう。
古代出雲歴史博物館
http://www.izm.ed.jp/
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