2006/09/24

砂の密約

 長い休みの間でいくつかの本を読もうと思って休暇先へ持っていったのだが、あまりにも休暇先が楽しくて、ついつい買った本のことを忘れていた。同行した小説好きな友達が「この本、読んでもつまらない」と言って渡してくれたのがこの本である。本人曰く、登場人物が多すぎるし、歴史の史実ばっかり書いていて、妄想力を働かせてくれるような内容でないから」らしい。どちらかというと、個人的には史実を書いている歴史書のほうが好きだから、「どれどれ・・」と言って読み始めてしまった。何しろ、内容が中華民国設立とその後のいざこざに至る、一番近代中国史の中では面白い部分を題材にしているから、興奮してしまうのは当然だ。しかし、この頃の歴史をあまり知らない人にとっては、登場人物の立場や対立勢力との関係があまりにも複雑に絡まっているので、読んでいても「図解して」と言いたくなるくらい訳がわからなくなるのも当然だと思う。そこへ、いちおう小説なのだから、ある程度の空想的な部分も入って書かれているわけだから、一体どこまでが本当のことで、どこからが筆者の空想の部分かどうかが分からなくなるのも当然だと思う。それも筆者のこの頃の時代の歴史的認識と情報量が多ければ多いほど、その境目は本当に分かり難い。

 本の中では「杉江」なる元新聞記者が台湾で台湾の英雄である鄭成功の取材をするために台南の街に来て、その取材元となる資料を集めるところから始まる。鄭成功については別の機会で述べることとして、その鄭成功を調べようと台南では有名な本屋街のところで古本を並べて売っていた女性と出会うことから物語が始まる。台湾の英雄といえば鄭成功のほかに、大陸と同じく英雄になっている孫文が上げられる。孫文について書かれた「1つの考察」という台湾人が手書きで書いた書物をその女性が売っていたことが事件の始まりだ。孫文の側近が書いたとされる本の出所が大変不明で、杉江はその本を書いたとされる人物をまず追うことから始まった。新聞記者としてのいつもの「足で稼ぐ取材」なのだろうと思われる。しかし、取材をしていく過程で、台湾では作者の「李栄」という名前を出すことが非常に危険な香りがしてくることを杉江は知る。台湾での著名な孫文研究家を取材後に、台湾警察の家宅捜査が始まったことから、李栄とは一体何者だろうということでどんどん本のなかは歴史のタイムとリップが始まる。

 しかし、この本を書いた伴野朗氏は大変中国の歴史に精通している人だと感じた。中国の近代史にとても興味がある人にはお勧めをしたい1冊だと思う。孫文が辛亥革命を起し、三民主義を唱えつつも、軍閥政権に対して三度も政府を建てていたような歴史の教科書に出てくる事実や、日本の協力者の下に資金の面から世界各地でそのサポートを得られるように飛び回ったというような博物館でしか知ることができないような事実を克明にこの本の中で書いているところは感服である。ただ、その忠実までの詳細な歴史内容の中に上手く伴野朗氏の妄想で描いた登場人物を散りばめているのは見事だ。彼が書いた妄想的登場人物は、孫文側のボディーガードとして登場する医者であり少林寺憲法の達人である「織部」、「1つの考察」を書いた孫文の台湾人ボディーガードである「李栄」、上海で活躍するユダヤ系イギリス人のサッスーン財閥のトラブルシューターとして活躍する「青野周蔵」、そして軍閥政治の台頭として君臨し孫文のライバルに当たった袁世凱の4人の刺客(朱雀、白虎、青龍、玄武)がいろいろな場面で登場し、有名な歴史的人物相互間の思惑や対決を埋めるような出来事として書かれている。

 個人的には日本人の武術を使う人間が2人も出てきて、それぞれが超人的な演技をすることに多少の違和感があったものの、なんとなくその武術が「東洋の神秘」的に思えて笑えた。しかし青野は死に、織部は最後までスーパーマンとして生き残る。肝心の李栄は、結果的に時代に翻弄されてしまい、その存在自体を自分のマスターである孫文から消されてしまう。最終的には、孫文の自称「忠実な部下」である蒋介石に殺されてしまう。中国人同士のいざこざだけに閉じず、当時の西洋列強が中国大陸において、その利権をどのように食い物にしていったか、そして何を狙って中国で財を蓄えていったかという事実をこの本では述べているし、それを基本題材としてイギリス人の思惑と、孫文の思惑の合致点が見事にマッチしているところが伴野朗氏の小説としては凄いところだと思う。

 ただ、大陸と台湾ではどちらも英雄視されている孫文ではあるが、とりわけ孫文が台湾では神格化されているのは何故か、そして孫文の汚点を書いた「1つの考察」の存在自体を否定したい人たちが台湾には、大陸よりもたくさんいるということが何故なのかもついでに述べて欲しかったところである。意外とこの本の中では、孫文の軍事的な指導者として後に台頭していく蒋介石のことや、のちに孫文夫人になる宋慶齢やその父であり、聖書を印刷して販売したことから財を成し、孫文の財面的なサポートをしていった宋嘉樹のことにはあまり触れられていない。宋親子についての話は、過去にたくさん書物になっているので、この点を省いたところでの物語の展開が、意外と素直に読めるところだと思う。あくまでも焦点は「孫文」なのであり、「中華民国の歴史」ではないのだから付属として登場するこれらの人たちに言及しなかったのはいい事だと思う。

物語ではないが、実際に「李栄」のような英雄を守るために存在意義を消滅させられてしまったような人物が居たのであれば、歴史はまた一層面白いことになっていただろうなと思うし、またこの本を台湾の人が読んだ場合、どのような感想があるのかは聞いてみたい気がする。

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