2006/09/24

最長片道切符の旅


地図や時刻表を見ていると、見ているだけでどこかにいった気になったことはないだろうか?地図や時刻表はそれだけの魔力はあるのだと思う。特に1度でも行った事がある場所を地図や時刻表を用いて目で追っていくのは、さらに楽しいと思う。それとは別に、世の中、いわゆる「鉄っちゃん」と呼ばれる鉄道マニアがいる。鉄道マニアの人は、そのマニアとするジャンルによっていろいろ分かれて、電車の車輌に凝っている人、電車の写真を撮りたいと思っている人、電車の走る音に興味がある人、線路の駅弁に興味がある人などなど、実に奥が深い。その中でも特殊だと思うのは時刻表オタクの人たちだと思う。鉄道車両のオタクの場合、実物を家に飾るのは難しいのでNゲージ等のおもちゃのモデルで楽しむという金の使い方があるのだが、時刻表オタクの場合、聖書とも言うべき時刻表のみで他は要らないから便利といえば便利だ。さらに極めつけは、時刻表だけをそのバイブルにした場合、鉄道規則に則って、本の題名にあるように「片道切符としてどれだけ長い距離を電車に乗れるか」ということである。これは日本中に網羅されている鉄道網を、いかにして効率よく、そして一度もダブらずに廻れるかというのは、究極のシミュレーション課題として今でも計算機学では有名な課題である。しかし、それを実践として作者はやってしまったというのだから恐れ入る。だいたい、時刻表を眺めたら、1度はそんな馬鹿なことを考えるものであるが、その馬鹿なことを実体験してしまおうと考えた人がいて、それを実践してしまう奇特さは、よほどの馬鹿か、よほどの暇人か、よほどの金持ちでないとできないことだろうし、さらに鉄道網のことについて精通していないとこれはできない。最長片道切符は、昨今、鉄道網の廃止が多くなっているために、この作者が体験したときのような距離は今では無理である。まだまだ廃止しないで赤字路線がたくさん残っていたときの体験だから、なおさら「記録的なもの」として重宝されるべき書物だと思う。

作家の宮脇俊三氏は、各種の鉄道に纏わる書物を出版されている方であり、鉄道に関するその知識は半端なものではない。鉄道だけではなく、鉄道が敷設された歴史やそのときの住民の様子、そして沿線の歴史的なこぼれ話などがたくさん散りばめられているので、その造詣の深さには感服だ。今回の「最長片道切符」では日本全国における、その鉄道が敷設された数々の歴史が克明に書かれている。なるほどーという点がたくさん見受けられるので参考になる。道路と同様に線路の敷設は、ほとんど政治家の「威信」をかけてつくれれたようなものなので、ある場所に強力な政治家が出現した場合、本来ならば直線で結べばいいところを、わざと数十キロも廻って敷設されたりしたり、政治家がいなくなった途端に、その線路の存在価値が全くなくなってしまうとともに、仕方なくもその線路を有効利用していこうとする国鉄の思惑がにじみ出ていたりするのが読めて楽しい。日本全国ほぼ全域を通っているので、日本人の読者の人にとっては、ご自身が住んでいる場所に関する詳細な情報が散りばめられるのを知られると、「そうなんだよー」と納得するに違いない。

時刻表に則って、ただただ電車に乗ることに何の楽しみがあるというのかは、本当の鉄道ファンじゃないと分からないと思う。東京から新大阪までの新幹線が今では2時間半しか掛らないが、それでもその2時間半を苦痛と思っている自分としては、作者のような、電車のなかで1日ぼーっと乗っているだけの旅というのは我慢できない。確かに、乗り継ぎの都合などでいろいろな駅で途中下車したりしているのだが、それでもその途中下車駅までは電車にじっと乗っていなければならないのは苦痛だったろう。途中で同行者が加わっている場面が入っていたりするが、そういう同行者がいた場合には、電車の中で一緒に馬鹿話をすることができ、時間を潰すことが出来るのだろうと思う。しかし、この作者はほとんど1人で旅行をしている。究極の反省旅行でもしているのではないだろうか?ただ電車に乗っているだけの場合、本を読むか、いまではmp3ポータブルステレオでも聴いているか、駅弁を食べているか、居眠りをしているかのどれかしかないとおもう。作者は一体道中どのように過ごしていたのだろうか?もしかして、ずっと窓の外を見ていただけなのだろうか?旅なれていると思うので、どこが見どころかというのはよく知っている人だったのかもしれない。

こんな究極の馬鹿行動が出来る人はあまりいないと思う。

さらに作者宮脇俊三氏は台湾の国鉄一周旅行も過去に行っている。台湾の鉄道のことを書いた書物は別途考察したいと思う。

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