長崎三福寺の1つに数えられ、ランタン祭りの際にも会場として使われていたいるのが、「興福寺」だ。場所は、寺院が並列する寺町通りに位置し、電車でいくのであれば「公会堂前」で下りて行くと良い。しかし、公会堂前から歩くのは少し距離があるような気がする。
この寺は1620年に中国の僧である真円が明の商人が長崎にたくさんやってき始めていたことによる海の安全を祈願して建てられた寺だ。インゲン豆の名前に使われている隠元も中国からやってきたときに、この寺の住職として赴任してきたところでも有る。海の安全を祈願して作られた寺であるため、福建省や台湾を中心とした地域には必ず存在する媽祖が収められているのもこの寺である。
寺の門を潜ると、入館料300円を払い本堂のほうへ歩いてみる。本堂は重要文化財に指定されているのであるが、すっかりここは中国の寺のようである。本堂の前には鐘鼓楼が存在する。上階に梵鐘を吊り太鼓を置いている。下の階は禅堂として使用していたようだ。福は内、鬼は外の趣向であろうが、隅鬼瓦は内向きが大黒天像、外向きが鬼面と、ちょっと変わった鬼瓦になっている本堂の隣には媽祖堂がある。ここにある媽祖は本当に立派で、見ていて惚れ惚れする。媽祖のとなりには、よくわからない人が祀っているのであるが、これがなんだか教えてほしい。しかし、日本に媽祖があるのは本当に珍しい。最近は横浜の中華街にも媽祖廟ができたが、既に海運業として横浜が重要拠点ではなくなっているのにもかかわらず、いまさらなんで媽祖廟を建てるのかよくわからない。単なる中華街で経営している中国人たちの銭金逃れのために建設された廟だとおもっているので、全く役割が違う。中国風の寺であるので、彫刻類を取ってみてもとても立派だ。格子のデザインも綺麗でいまでも十分通用できると思う。
本堂の横には住職が住んでいる住まいがあるのだが、そこに掛かっている「鰍魚」はとても立派だ。もともとは、坊さんの食事の時間を知らすための鐘の役割をしており、その音は山すそまで聞こえたらしい。何気なく飾っているのだが、とても立派だ。それと、この建物にお祭りだからだと思うが、天后聖母がちょこんと飾っているのを間近に見られたのはラッキーだったかもしれない本堂の中には「瑠璃燈」と呼ばれる灯篭がある。清朝末期に作られたみたいであり、燈篭の側面がガラスを使っているというところに、中華と西洋の融合を感じられる。ちょうど媽祖行列の時期だったときに参拝したこともあり、境内では行列のための準備が着々と行われていた。ランタン祭りのときには龍踊りもここで奉納演舞を行うのだが、見るのであれば芝生の敷き詰められているところで座ってみるのがちょうど良い。また、そこが人垣でいっぱいになっているのであれば、本堂に上って高台から見るのが一番いいだろう。どちらも、湊会場の広いところよりは、超間近で見ることができるので、龍踊りを見たい人はお勧め那場所だ。
興福寺
http://kofukuji.com/
0 件のコメント:
コメントを投稿