何度もシンガポールには来ているのに、モスクのあるアラブストリートにはあまり足を運んでいなかった。すぐ傍の西友があるブギス(Bugis)にはよく行っていたし、アラブストリートはそこから歩いて5分以内にあるのにも関わらずだ。モスク以外に対して眼につくものがないと思っていたからである。そのモスクも、以前に外から見ただけで、中に入ってみるということをしなかったので、今回は中に入ってみることにした。
礼拝の時間以外であれば、イスラム教徒ではなくても自由に見学することができる。ここが一種のイスラム教への入信勧誘場所になっているみたいだ。キリスト教や仏教のように偶像崇拝をしていないので、モスクの中は至ってシンプルなつくりになっている。メッカの方向には祭壇ならぬ舞台がある。その横には、キリスト教の教会にもあるような教壇がある。キリスト教の場合には司教がこの教壇にたるのだが、イスラム教の場合は誰でもたてる。そして、床は絨毯が敷かれており、1人が座れるための場所が勝手に区切られている。電灯も何気にイスラムの文字で書かれた装飾になっている。
そう、イスラムのモスクでは、絵がなく、装飾も全てコーランの中から引用されたアラビア文字で装飾しているのである。正面の舞台の縁を覆っている装飾も良く見るとアラビア文字でかかれているのである。
靴を脱いで中に入ろうとすると、どこの誰が訪問したかというサインを書かせられる。別に嫌じゃないので書くのだが、結構たくさんの人達がやってきているようだ。自分たちは旅行者なので住所は滞在先のホテル名を書いておけばいいのである。それ以上のことは必要ないし、偽名でも構わない。しかし国籍は書かせられる。Japanese と書くのだが、そうすると日本語が話せるひとを呼んで来るから待っててくれと言われた。
ちょっと待っていると、日本語を話すイスラム教徒の女性がやって来た。でも、良く見るとその人は日本人である。いや、正確に言うと「元日本人」と言ったほうがいいだろう。現在はシンガポール国籍になっているので正式にはシンガポール人である。それもイスラム教徒になってしまったらしい。日本語でのイスラムに関する説明を受けたので、これはこれで分かりやすかった。別に勧誘しているわけではないのだが、イスラムはすごいわよーっという言い方をされるので、それだけで一歩下がってしまった。ただし、ここでタブーなのは、キリスト教との比較である。キリスト教とイスラム教は、どちらも自分たちが唯一神だとおもっているので、互いに互いを認めていない。だから、キリスト教ではこうなんですが、イスラム教ではどうなんですか?なんていう質問をした場合には、「出直して来い」と言われるか、「はぁ・・・困った人ですね・・」という顔をされるか、どちらかだ。
ちなみに、人間による説明のほか、イスラムの素晴らしさ(?)をパネルで説明しているコーナーもある。ここでは不思議と英語版と日本語版しかない。中国語版がないというのも不思議だが、もう1つ面白いのは、日本語版にはあるのに、英語版にはない説明がいくつかあるのである。その理由は単純で、英語を解するのはだいたいがキリスト教徒。日本語を解するのは仏教徒でキリスト教徒も中にはいるが、そんなのは無視してもいい存在だとおもっていることだ。だから、キリスト教徒が見たら絶対怒り心頭だという内容のことは英語ではかけなくても、日本語では説明書きとしてあるのだ。
例えば「ジハード(Jihad)」。一時期、イランでアメリカ軍の進駐に対してジハードという名前の自爆テロがあったことで、耳慣れた言葉にすっかりなった。説明書きでは、こう書いている。
「アラビア語の「ジハード」の原義は「奮闘」「努力」であり、聖クルアーン(コーランのこと)に”ジハード・フィー・サビリッラー”(アッラーの道のための奮闘努力)と述べられています。人は人生において行動するために奮闘努力します。ジハードはアッラーに認められた範囲内での公正な奮闘を意味します。預言者ムハンマドは「最も良いジハードは人間の欲望に対するジハードである」とおっしゃっています。」
さて、これを見て、キリスト教徒はどうおもうのでしょうね。
もっと面白いパネルがあったので、紹介したい。
「イスラームの広がり―選択の由」と題するパネルだ。そこにはこう書かれている。「預言者ムハンマドの生前も死後も、イスラームが人々に強制されること決してありませんでした。そうではなく、預言者は国の支配者や皇帝たちにイスラームに招く手紙を送りました。今日、インドネシアや中国には多くのムスリムがいますが、ムスリムに征服されたからでは有りません」
とある。おやおや?最後の文章が怪しいのだが・・・。まぁ、気にしないでおこう
1 件のコメント:
私は、シンガポールに住んでいる日本人ムスリムです。私自身が、今まで危惧していた点をあなた様が、ご指摘されていらしたので、コメントさせていただきます。あの訳文は、かなり語弊がありますし、キリスト教信者のかただったら気を悪くされた事でしょう。申し訳ありませんでした。イスラムでは、預言者と神の言葉であるコーラン&ハディースが主体ですのでこの訳になったのだと思います。しかし、実際、シナイ山にある聖カトリーヌ修道院には、預言者の手紙による"ここに来る全てのキリスト教信者を自分とムスリムたちは、守るそしてムスリムたちに対しここは聖なる土地であるから、侵略するなかれと・・・”まあ実際私も去年の11月に家族でシナイ山を訪れ、修道院も行ってきましたが・・まあ私は、キリスト教の"愛"が、大半のムスリムにはかけていると思っているムスリムですので・・・(ジハードといって非ムスリムを殺したり)まあシンガポールにも私のようなムスリムがいると思っていただければと・・・
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