2013/09/28

ルードヴィヒ2世(映画)


最近のヨーロッパへの渡航で利用する飛行機の中では、機内エンターテイメントをあまり利用せず、ひたすら、寝る+ご飯を食べるくらいしかしないようにしていることが定番になっていたのだが、ロンドン行きのシンガポール航空では、機内誌をパラパラと見ていたときに、ドイツ映画「ルードヴィヒ2世(Ludwig)」が機内映画であることを発見した。ハプスブルグ帝国オタとしては、この映画を観ないとダメだろうと直感的に思う。

そういえば、同名の映画はイタリアの元貴族映画監督であるヴィスコンティによって随分前に作られていたことがあったのは知っていたので、てっきりその映画かと思っていたら、実はそれではなく、ワーグナー生誕200年を記念して作られた映画だった。それも出演している俳優・女優たちは、若い人たちばっかりで演技派ばかりだった。
この映画の主役であるバイエルン国王「ルードヴィヒ2世」役をしたのは、ルーマニア出身で歌劇団出身であるザビン・タンブレア(Sabin Tambrea)。ルードヴィヒ2世の有名な肖像画を誰しもが見たことがあると思うが、あの肖像画をそのまま現代に映し出し、動いた形で表現している俳優としては、本当にこの人が一番ぴったりだと思うような俳優である。華奢な体格で、色白で、背が高くて、見るからに気品があるような振る舞いができそうな俳優と言う意味では、この抜擢をした今回の映画監督は素晴らしいと思っている。なにしろ、ルードヴィヒ2世が後世「狂人」とか「同性愛者」と言われるゆえんになった、何ごとに対してもナイーブで純粋な思考と、そしてノイシュバンシュタイン城を作るくらいの情熱を持っていたハートを、この俳優はよく演じているからだ。
映画の内容としては、全体的に、ルードヴィヒ2世とワーグナーの異常な絆とその周りの取り巻きおよび政治情勢という感じで書かれている。

小さいころから音楽や読書に傾倒していて、馬術や武術に対しては全くと言って良いほど興味を持っていなかったルードヴィヒ2世に対して、父王であるマクシミリアン2世(Maximillian II)からは頻繁に「そんなんじゃバイエルンをまとめられない」と怒られていた。戦闘と戦略が国家を守っていくものと思っていた父王とは、水と油、静と動のくらい考え方に違いがあり、ドイツ連邦内で覇権争いをしていた大国オーストリア・ハプスブルグ帝国とプロイセン帝国の狭間でバイエルンが生き残るのは、戦闘ではなく、藝術の都としてバイエルンはヨーロッパの中であるべきだということアバンギャルド的な考えを持っていたために、全く相容れなかったのだと思う。

そんなときに、突然のマキシミリアン2世の死が起こる。皇太子として父王のサポートをする役割になっていたため、そのまま必然的に王になることになっていたのだが、もともと王として君臨すること自体も嫌がっていたので、周りから「王、王」と騒がれることに対して、最初の嫌気を刺す。日頃から考え方の違いから怒られていたのだが、そんなルードヴィヒ2世にとって父王が亡くなったことは一番のショックだったようである。

王になってやったことは主に2つ。一番最初にやったのは、幼いときに観た歌劇に感動し、それを作ったワーグナーを招くことだった。しかし、家臣たちはワーグナーに対する印象は悪かった。なにしろ、ワーグナーは1849年にドレスデンで起こったドイツ3月革命の運動の中心人物として振舞っていたのであり、それを知っている家臣たちは悪の元凶になるような人物がバイエルンに来ること自体が許せなかったのである。国家基盤を揺るがすような力と思想を持っているワーグナーをそれでもバイエルンに呼びたかったのは、政治思想というよりも、ワーグナーの音楽能力を高く買っていたからであり、老家臣たちに「20年前のドレスデンでの出来事は忘れろ」と説得していくところは、その時代背景を知らないと、何を言っているのか全然分からないだろうと思う。一方、ワーグナーにとっては、半亡命生活をするようになっていたわけだし、奔走し音楽活動ができない状態から、大国で金がそこそこあるバイエルンに招待されたことは、千載一遇の思いだったに違いない。

次にやったのは、芸術の中立国家を目指した国づくりだ。宮殿内の執務室をいきなり植物園並みにプランタンを運び入れて並べたりしたことには、さすがの家臣たちもビックリしたことだろうと思うし「こいつで大丈夫なのか?」と徐々に思い始めたのだろうと思う。そして、ヴェルサイユ宮殿のような宮殿に憧れていたので、藝術大国に相応しい城を作ることを目指した。それがノイシュバンシュタイン城である。

バイエルンが調子が良かった時代は、それでも良かった。問題は、プロイセンとハプスブルグの間で戦争をすることになった普墺戦争からである。このドイツ覇権戦争とでもいうべき戦争に対して、バイエルンはどちらの陣営で参加するかということだった。プロイセンのドイツ連邦からの脱退により始まったこの戦争を、バイエルンではプロイセンの背任だとしていたので、当然ハプスブルグ側に就くのは当然だと家臣たちは考える。ところが、意見や相談を既にワーグナーにいろいろしていたルードヴィヒは、ワーグナーからプロイセン側に就いたほうが良いということを言われる。家臣の考えとワーグナーの考えが真っ向から違うことで悩んだ末、「どちらにも就かない」という考えに一時期は陥る。なにしろ、もともと戦争なんか大嫌いの人物なのだから、どちらかに就けということを求められること自体が嫌なのだ。ただ、議会や家臣からはハプスブルグに就け就けと煩く言ってくる。戦争が起こると人が死ぬ。人が死ぬことに対して嫌気がしていたルードヴィヒも最終的には家臣の言うこと、議会の言うことを飲み、戦争への参加を宣言する紙にサインをしてしまう。サインをしたあとは、現実逃避をするかの行動に出る。こういう繊細なところの表現は巧いなと思った。

結果、バイエルンは敗戦する。多数の部下が戦争で死んだことの報告を受ける。内心は「だから言わんこっちゃない。あんな戦争に参加するからだ」と思っていた。のちに普仏戦争が始まる際には、プロイセンとともに「ドイツ」として戦い、フランスを撃破するのだが、そのときに、憧れのヴェルサイユ宮殿でプロイセンのヴィルヘルム1世が統一ドイツ帝国の皇帝として戴冠する式に参加することが、とても悔しくて仕方なかった。

いとこで、オーストリア皇帝のエリザベートの妹であるゾフィーと婚約するのだが、結局は婚約を解消する。それは映画の中では彼が同性愛者という形で描かれているのだが、それが納得いかない。何度もゾフィーのほうから「結婚はいつあげるの?」とリクエストされるのだが、「そのうち」という曖昧な答えを何度も出すことで、ゾフィーの父親が怒ったことが、より一層婚約解消に走ったことになっている。実際はどうなのかはわからない。このときの性的表現を、ゾフィーと結婚しなかったということと、かつて馬の世話をしていた家臣の1人に対して特別な感情を産むことになることで、同性愛者ではなかったかということを表現しているのだ。どこに惹かれたのかということは、映画の中では述べていない。なんとなく気に入ったから傍に置くようにして、そのうち仲がだんだん良くなるというありがちな描き方をしている。

その後、弟のオットー1世がキチガイになるのだが、それは戦争の後遺症によるもの。そのキチガイぶりを目の当たりにして、精神異常の世界に人間は陥るのは戦闘によるものだとより一層嫌気をさすことになる。

家臣たちは現実逃避していこうとするルードヴィヒに対して、「ルードヴィヒは政務を行うこと出来ないほどの精神異常者である」ということにして、王位から蹴落とそうと目論む。家臣たちはバイエルンの国家としてよりも、王が王らしく振舞わないことにイラついたことが原因だったようだ。最初は、精神病院化した城に隔離し、そこで異常病人のような扱いをする。こないだまで王だった人間をよくもまぁここまで虫けらのように扱えるなという、この突然の扱われ方の違いに、映画を観ているひともこころを痛むのだが、問うのルードヴィヒにとっても、こんなところで生きているのか殺されているのかわからないような生活を送るのは嫌だとして、湖に担当医者と行き、一緒に無理心中をするということで映画は幕引き。

若い頃のルードヴィヒを演じたザビン・タンブレアはすごいカッコ良いのだが、中年になってきたときのデブの姿になったルードヴィヒ役をしたひとは、やっぱり品がなさそうに見える。もともと、肖像画として残っているルードヴィヒの晩年の顔は、どこを向いているのか分からない。あの顔を忠実に表現している俳優だなと思った。個人的にはどうでも良いと思っている

映画はもちろん全面的にドイツ語なので、ドイツ語の勉強になるとは思うのだが、言葉が早すぎるために分かりにくい。そしてドイツ語もバイエルンの本拠地であるミュンヘンあたりで使われる上ドイツ語ではなく、標準語である下ドイツ語で話されているという点ではちょっと惜しいと思っている。

晩年は、戦争賠償金を支払うことで、国家としてのサイフが乏しい状態にはなっていたのだが、王は性懲りもなく、新しい城つくりにのめりこんでいく。そのうち家臣から「もう金が無いんです」と言われたときに「え?なんで?信じられない」と考えたとする俳優の表現が印象的。映画の中では、戦争に参加したのは自分が望んでやったわけじゃなく、乗せられて渋々言われたから参加するようにサインをしただけと思わせるような演劇をしていたことも、よく表現されていると思われる。

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