2009/09/13

前清打狗英国領事館(高雄)

旗津港からさらに道路沿いにどんづまりの中山大学がある手前まで歩いていくのは、近そうに見えるが、意外に結構な距離がある。できれば、近いがタクシーに乗りたい。またはいつ来るのか分からない路線バスに乗るのも良いだろう。観光スポットのこの場所に近づくと、観光バスがやたら目立つようになる。そこが前清打狗英国領事館(Former British Consulate at Dagou)である。要は清の時代にイギリスの領事館だったところなのだ。

現在は資料館として展示しているだけなのだが、ここが人気なのは、高雄の中で一番歴史がある建物であるということと、レンガつくりの建物が美しく残っていることだろうと思う。さらにいうと、高台に建てられているので、ここからみる眺望はまさしく絶景だからだろう。確かにこれといって展示物には特徴があるものがあるわけではない。もちろん、この建物が領事館として機能していたという証拠を示すようなパネルでの紹介はたくさんあるのだが、それをみても、「ふ~ん」としか思わない。やはり建物を見るべきだと思う。2階建てのレンガつくりの建物は、当時のままなんの手も入らず残っているため、歴史を感じさせてくれる。展示として、イギリス高官と清の高官が談話している様子を模型で示しているところがある。近代的なイギリスと腐敗的で古めかしい清が同じ部屋で談話しているという様子は、さながら、明治維新前のサムライと欧米の高官との談話の様子にとてもよく似ている。そもそもなぜこの高雄にイギリスの領事館が出来たのか?というのは結構不思議だった。いまで考えるのであれば、台北に出来ても良いと思われる。いまでこそ、台北は世界的な大都市になったが、当時は単なる台北城があるだけの小さな街に過ぎなかったからだということも後から知る。

1858年の天津条約と1860年の北京条約によって、北京から離れている海沿いの清国領土の町は、次第に貿易港の開港を迫られていった。高雄の当時なの名前である打狗はその1つであり、イギリス側は台湾貿易の経済的利益を拡大しようと、ここに領事館を設置し、移民に対する手続き、商業、領事裁判権および地方との交渉等を主な機能とした。この建物は、長い間イギリス領事館とみなされてきたが、実は学界がイギリスの国立公文書館の資料を綿密に調べたところ、領事館は哨船頭の海辺に設立されており、この建物は領事館官邸であることが実証された。従って、この建物には、領事官が居住し、使者や賓客を接待する場所だったようである。

1895年からの日本統治時代では、この建物は高雄海洋観測所に改められた。1945年に中華民国になってからは、高台にある性質を活かして気象局観測所とされたこともある。しかしながら、1977年に台湾によって損壊してしまったのだが、高雄の海洋経済的な発展をみつづけてきた建物であるということを歴史に残すために史跡として修復後の1987年に登録された。

建物に入るまでに、デザイン的に美しい階段を上ってこなければならないのだが、これがまた結構急な階段になっているので、足腰の弱い人は残念ながら丘の下から指をくわえて眺めるしかない。なお、1階の庭園にところでは喫茶店もあるので、イギリス風にお茶をここで飲むのも宜しいかと思う。

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