2009/09/13

裏アジア紀行


面白い人の周りには常に面白い人が集まってくるし、怖い人の周りには必然的に怖い人があつまるというのは、マーフィーの法則なのだろう。変わった人の周りには、本人が望まなくても変わった人が集まってくるというものなのだろう。本書はまさしくそんな本だ。決して著者は、自ら進んで危険な世界を見てみたいと思っているわけではないようで、心のどこかでは冒険心はあるとしても、こんなにまで変な人たちが回りに集まってくると、実際の本人になってみた場合に、どれだけのひとが精神的にまともでやっていけるのだろうかと真剣に思った。

普通の人では死ぬまでに体験できないような奇人変人たちと出会えるということはある意味羨ましいと思う。普通ではそんな人たちに会おうにも会えないからだ。しかし、まぁ、よくもまぁこんだけ世の中に変態的な奇人が普通に同じ世界で生きているなと感心してしまう。

この本は、アジアのいかにも怪しげな人たちがいるだろうという場所の紹介を、そこに住んでいる怪しい人たちと、その人たちの考えを通してその地域を見せているので、とても興味が湧く。決して面白おかしく書いているのではなく、事実をそのまま記録しているというものだから、脚色無しだ。変な人たちが集まっている不思議な環境でも、書き手がへたくそだった場合には、その面白さや奇妙さが全く読み手に伝わらないとおもうのだが、この筆者は凄い。読み進むたびに「もっとないの?」というような気分にさせてくれる。そして、アジアのディープなところに是非行ってみたいと思うような冒険心を駆り立てるような人も読み手はいるだろう。しかし、反面、アジアっていつまでたってもアジアなんだなーと、つまり、アジアはいつまでたっても洗練されず、泥臭く、怪しげなひとたちの溜まり場のようなところだという印象を与えてしまうような本ではあるかなと思う。実際に、どんなに中国人が背伸びしてファッショナブルになっても、深層心理は代表的なアジアそのものなので、身近にはいくらでもアジアらしいアジアは転がっているといってもいいだろう。

まずは、最初からプノンペンの話から出てくるが、カンボジアの内戦のイメージをそのまま本の中で紹介しているようなものだ。ただし、戦争のことは出てこない。内戦が終わって、そのまま軍人としての職業を失ってしまったようなゴロツキが、腐るほど周りに存在していて、そいつらが周りに住んでいるので、常に危険といい加減さがつきまとっているところが、いかにもアジアらしい。借りた部屋は、インチキくさい中国人がオーナーになっているのだが、中国人が最初からここにいたわけではなく、カンボジアの内戦が終わった途端に、一斉に金になるものを見つけにやって来たらしく、内戦当時は生き抜くだけで精一杯の人たちが多かったため、街を捨てて出て行ったところ、内戦が終わってもぬけの殻になったようなビルを片っ端からタダ同然で自分のものにしてしまったというのが真相。こういうバイタリティがあるから、中国人が世界のなかでゴキブリのように生き残っていけるのだと思う。そして、電気と水道が日本とは異なりそんなに潤沢ではない環境であるから、いろいろなハプニングが起こる。ソ連産のお古のクーラーをどこから仕入れたのかわからない電器屋から買ってきて家に取り付けると、周辺全家庭の電気が落ちるという事件が起こるわ、使いすぎて、クーラーのファンが爆発するという事件も起こる。また、いかに騙して他人から金を巻き上げるかということしか考えていないような奴等がたくさんいて、その中にまんまとカモとして引っかかった哀れな日本人を馬鹿にするというのはよくありがちな話だ。だいたい海外で中途半端に日本語を話そうとする奴等は、日本人から金を踏んだくろうと考えている奴等ばかりの典型的な事件がたくさん見に起こるところが面白い。真面目に日本語を勉強しているひとなら、そんな手で日本人に近づこうとはしないものだ。

カンボジアに店を開いている日本人を見つけ、同胞のよしみで毎日出向いていたところ、あるときから眼つきが変わったという。奇人変人たちしか住んでいないところに店を出すということ自体が変態的な行為だとは思うのだが、そこでは色々な人が店に集りや妨害などでやってくるようだ。そんな環境で生活していると、プノンペン病というものに遅かれ早かれ外国人は経験する心の病になる。その例として

 ・高価な携帯電話や乗り物などで見栄を張りたがる
 ・必要以上にデカイ声でシモネタを連発する
 ・運転中は常にホーンを鳴らしっぱなし
 ・洋書店では必ず「Soldier of fortune」を立ち読みする
 ・下品で派手な装飾品を好んで身につける
 ・会話中に「ぶっ殺す」という単語が増える。
 ・誰がだが陰口を叩いたというだけの理由で、殺し屋の値段を調べる

というのがあるようだ。これって、確かに危ない心の病気だとは思うが、ディープなアジアの場所であれば、どこでも一般的なことだと思う。プノンペンはまさしくディープアジアのなかのディープエリアなのだ。

中国の山のなかでは、ヤクザの親分同士が泊まっていたホテルのレストラン(といっても、学食みたいな雰囲気のところらしい)で、どちらが強いかのみ比べの最中に出会ったりする。双方とも、限界寸前といった感じで顔色がわるいのだが、互いに後には引かず、そんなボスの周りの手下が必死に励まし、隙さえあれば敵ボスのグラスに酒を都合と目を光らせ、敵側のチンピラは怒声でそれを阻止しながら、酒瓶片手に相手側の隙を窺っている。中国のおきてでは、うっかり酒を注がれたら、血を吐こうとなんだろうと、その場で必ず一気に飲み干すものなのだ。勝負している酒が、白酒だから、この勝負はっきりいってバカである。中国人の打ち合わせでは、たいていが酒の席で決まるとは始皇帝の時代からの基本だとは言われているが、山奥にもそれが浸透している模様である。見ている人間からすると笑えるが、参加している人間から見ると、こんなに辛いものはない。そして、最後は周りの手下が「手助けをした」ことにより、場は罵声とともに乱闘に発展。これぞ中国である。

他にもたくさんのストーリーがあるのだが、そんなのを全部書き出したら、本を丸まる一冊写してしまうことになるので、やめておく。しかし、そんな奇妙キテレツな話ばかりが「実話」として載せてあるので、アジアって、いつまでたってもアジアだなとおもうのである。黄色いサルはいつまでたってもサルなのだと認識できる。

著者クーロン黒沢のほかの本も読んでみたいと思うようになった。

裏アジア紀行
著者:クーロン黒沢
出版社:幻冬舎アウトロー文庫
発売日: 2005/12
文庫: 245ページ

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