2009/09/13

新竹車站(新竹)


何度も通ったことはあるのに降りた事がない大きな街の一つに新竹がある。台湾のシリコンバレーにも成長したこの町には、実は結構客家の人たちが住んでいる台湾の代表的な町なのである。ここと桃園には客家の人が多く住んでいる場所として有名だ。

最初は客家の文化を知りたいと思ったので、新竹に行こうと思ったのだが、結果的には新竹を触りだけしか知らないで帰ってしまった。また台湾に行く場合には、また新竹にいって今度こそ客家のことを勉強したいと思う。
さて、新竹についてまず一番最初に驚いたのは、その駅舎だろう。新竹駅はホームにいただけではその素晴らしさは全然分からない。他の台湾の駅と同じように、何の変哲もない駅に見える。新竹駅の素晴らしさを見るためには、駅舎を出て、目の前の噴水がある公園から眺めることが一番だ。

駅として開業したのは1893年なのだが、いまの駅舎になったのは日本統治後の1913年のこと。これは基隆駅や台中駅と同じように台湾を代表とする駅舎建築として数えられ、史跡指定にもなっている。建物自体はそんなに大きいわけじゃない。だけど、その駅舎は堂々とした風格がある建物に見えるから不思議だ。建物としてはドイツ風のネオバロック形式の建物で、直線で構成された屋根のラインが印象的だ。なんとなく優美な中にもいかつい表情を持ち合わせているように見えるのが不思議である。この建物を設計したのは、建築をやっている人にとっては有名な松崎萬長である。彼はなんと13歳で岩倉使節団に加わり、ドイツのベルリン工科大学で建築を学んだ人である。日本で初めてドイツ建築を紹介したひとでもあり、日本建築学会を創立したメンバーのひとりでもある。台湾との関係は、1907年に台湾総督府鉄道局の技師として招かれ、駅舎や駅ビルの建築を担当したことが発端だ。

こういう歴史的な建物が国民党の台湾進出でも破壊されずに残っているというところに、台湾の国民の歴史に対する大切さを感じることができるといえよう。また、言い換えれば、100年経ってもまだ利用できるほど立派な建物として設計し作り上げた日本人の建築の高さを誇らしく思う。

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