2014/01/04

二十六聖人殉教の地(長崎)

長崎駅からちょっと北側に行った高台のところは、今では西坂公園という名前なのだが、ここは日本のキリスト教の歴史のなかでは、重要なことが行われた場所ではある。でも、あんまり知られていないのが実情。ポルトガル宣教師が日本にやってきていらい、宣教師とともにやってきた商人たちが、日本人を奴隷として世界に売り飛ばしていたということが発覚したために、当時の権力者である豊臣秀吉が激怒して、キリスト教布教活動の禁止を命じたことをきっかけに、京都にいたキリスト教信者を捕らえて処刑にしようとした。ここで、詳しい歴史はよくわかんないのだが、一般的に考えると、京都だろうが大阪だろうが、キリスト教信者は、キリスト教布教活動後、めちゃくちゃたくさん増えたはずなのに、捕らえられた人間が、スペイン人司教を含めて26人だったというのが解せない。キリスト教弾圧の風が吹いてきたときに、信者は長崎のひとたちのように、いっきにカクレキリシタン化したのか、それとも仏教徒に鞍替えしたのかはよくわからない。

その捕らえられた26人のキリスト教徒が、京都で死刑になったのではなく、わざわざ長崎に連れて行って、そこで死刑にしたということもよくわからない。市中引き回しをするのはわかるのだが、西国の長崎まで歩かせた理由はなにか。それも全員を縛ったまま、各人をつなげて歩かせたわけなので、見せしめに他ないとは思う。おそらく西日本を中心にキリシタン大名をはじめとする、キリスト教信者はたくさんいたわけで、その人たちに対しての見せしめだったことだろうとは思う。東日本地域にキリスト教が布教として広まったということはそういえばあまり聞いたことが無い。自分が知らないだけかもしれないが。時の権力者である秀吉にとっても、西国の大名たちに、自分に歯向かうのであればお前らもこいつらと同じような扱いにしてやるという暗黙の命令があったに違いない。

さて、長崎に到着した一行は、いま記念公園になっている西坂公園で最終的には処刑される。この西坂公園のあたりの高台に立ってみると分かるのだが、キリスト教徒にとっては重要な場所になっているゴルゴダの丘に似ているかもしれないと感じるだろう。キリストが最後に磔になって処刑されたあの丘だ。だいたい伝説になっているので、どんだけ丘なのかというのは今となってはわからないのだが、その丘という言葉と、丘に十字架を自分で背負って歩いていくという苦難の道のことが誇張されて、とんでもない丘で、見晴らしの良い場所ということになってしまっているのは事実。その丘と同じようなところで自分たちが死ぬんであれば、神に近づいたと信者は考えるのは当然だったことだろう。

信者たちは処刑されるときに、なんと言って死んだのかというのは気になるが、その磔になった場所には記念碑が建っている。本当に殺された場所には、石碑が立っていている場所。ちょうど公園のなかでは、さらにこんもりと高台になっているところになっている場所が、まさしくそうだ。しかし、木々に隠れてそっと建っているだけなので、あんまりここに石碑があることに気づいていない人がいるかもしれない。
なぜなら誰でもわかるような石碑の巨大なレリーフが、なにしろ公園のど真ん中にたっているので、これが記念碑だと思っている人がいるのが大方だ。26人全員の全身像の石像とそれぞれの名前を記載したものがここでは整然と並んでいる。これを見ると、青年ばかりではなく、中には子供もいたのかというのがよくわかる。逸話で、いちばん若い信者に「仏教に改宗したら許してやる」といわれたのを断ったというのがあるのだが、それを如実に表したような顔つきをしているのが良い。
 
そうそう、この公園は、猫好きのひとにとってはパラダイスなんだとおもう。というのも、この公園には野良猫として住み着いている猫が、めちゃくちゃたくさんいるからだ。それぞれの猫にはテリトリーがあるらしく、自分のテリトリーから離れたところにはほとんど行かない。昼間だと暑いので、日陰で猫が寝ているのを見つけられるが、やる気が無いのか暑いのがイヤなのか、近寄っても全然猫が逃げていかない。むしろ、餌をもらえるかもしれないとおもって近寄ってくるのもいる。猫の写真を撮り放題の場所がここだろう。大人の猫も子供の猫も結構たくさん住んでいるようなので、片っ端から猫を撮ってみるのもいいだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし、この高台に上るまでの坂道は、かなり急だ。車でも常に1速で上らないと無理なんじゃないのか?というくらいの急な坂道である。お年を召した方が歩いてくるのはかなりしんどいのではないのだろうか?だから、あまり他の観光地に比べて人が来ている様子が無かった。観光地の中では穴場とは言えるかもしれない。人の少なさという意味で。

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