2014/01/04

浦上天主堂(長崎)

長崎のキリスト教会は、大浦の天主堂とともに有名なのが浦上天主堂。こちらのほうは天主堂という建物として有名よりも、ここで日曜ミサを行っている最中に、あの長崎原爆投下爆発が発生し、多くの人がなくなった震源地にとても近いところにある教会ということのほうが有名である。長崎が長年世界遺産に入れなかったのは、日曜日の午前中に行われるミサの最中にアメリカ軍による原爆投下がされたことで、大量のキリスト教徒が亡くなったことであり、アメリカや西洋の世界にとってキリスト教徒以外の人間が死ぬのはごみ焼却と同じなのであまり気にしないが、同じキリスト教徒を殺したことで、当時の軍事関係者が生きている間はなかなか西洋社会で決められている世界遺産に登録させるのは難しかった。なぜなら世界遺産に登録されてしまうと、アメリカによる原爆投下の正当性が危ぶまれることになり、かといって長崎の世界遺産はそのカクレキリシタンの発見とその土壌を保護することを目的とした登録をもともと長崎はしようとしていたわけだから、浦上天主堂はどうしてもその世界遺産の対象から外れるということはできないことが難しくさせていたものである。ところが、だんだん戦争関係者が年齢とともに死んでいったことによって、ようやく世界遺産にしてもいいんじゃないの?という機運が出てきたのが現在だ。

その浦上天主堂は実は今回で2回目。最初に行ったのは、夜の天主堂を観にいったのであって、教会の建物がライトアップされている様子は見に行ったが、内部の様子を見ることはできなかったので、実質は初めて昼間の教会を観たことになる。その浦上天主堂にいくには路面電車で行くのが一般的。最寄り駅の松山停車場から歩いていく。徒歩で15分程度くらいだとは思う。駅のすぐ傍には、長崎の平和公園があり、そちらも兼ねて行く方が余計原発に対する思いは強くなるとは思うのだが、特になにがあるかというと、腕を上と横に伸ばした像がある広場があるというのは知っているので、特に興味がなく立ち寄らなかった。

建物はレンガ造りになっているため、そのエンジ色が青い空に映えて見ごたえがあるのだが、なんといっても、天主堂自体が高台に存在しているために、浦上一体からだと見えるような設計になって建てていたのだろうが、民衆を見下すように建っている建物は、いつの時代でもどんな目的であろうとも、下から見ると象徴と思えるし、上から見ると下民を従えているというようにも感じることができるつくりだ。
敷地内には戦時中に戦争にいくひとたち、または戦死したひとたちの慰霊碑が灯篭のように立って居たりする場所がある。灯篭のかたちなので、キリスト教ではないのだが、神社とキリスト教を結びつけるような形式にするのは戦時中は結構あったのだろうというのがよくわかるところだ。
 
他に原爆によって吹っ飛ばされた建物の残骸というのがここには展示されている。その威力と言うのはまさしく想像を絶するというものだ。原爆の震源地はここから2kmくらい離れているところなのだが、そこで爆発した爆風によって天主堂はもちろんのこと、その周りにある建物も全部ぶっ壊された。鐘突き堂も以前はあったのだが、それが原爆の爆風でぶっ壊されており、建てなおすだけのことはせず、そのまま放置したままにして、原爆のすごさを示しているのは良いことだと思う。
 
 
ここの天主堂は、大浦天主堂もそうだが、館内の見学は自由にできるのだが内部撮影は一切禁止。係員の厳しい目が観光客を見張っているので、なかなか写真撮影ができないのだが、すみません、ここでも写真を撮ってしまいました。あまりにも教会内部の様子が綺麗だったので。
 
またここには奇蹟のマリア像というのが存在する。原爆の爆風で建物もろともぶっ壊れたのにも関わらず、以前から存在していたマリア像が、なんの傷もつけられずに残っていたというのが奇蹟なのだ。それは奇蹟の像として、教会のなかにいまも守り神のように立っているので、それは是非拝んでいきたいところである。

現在の天主堂は戦後に建てられたものである。それは先述の通り原爆によって壊滅的に破壊されたからであるのだが、じゃ、爆破されるまえの残骸は無いのかというと、実際には天主堂の前の建物にそれを保存している場所があるので、是非これは見ておいたほうが良い。爆破して瓦礫化してしまった教会の残骸の無残さを知ることができるし、写真の展示もあるので、その悲惨さを絶対見ておくべき場所だろうとは思う。
 
 
 
このあとは、このまま気分が欝になった状態で、原爆投下地点記念公園にいくことをお勧めしたい。

<浦上天主堂>
URL : http://www1.odn.ne.jp/uracathe/
住所:長崎市本尾町1-79
電話:095-844-1777

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