山王神社にいくには、市電の「大学病院前」から行くと良い。まさしく駅名にもなっている長崎大学医学部の病院にいくような顔をしてといいのだが、この道中にあるお店が結構眺めているとちょっと楽しい。これについては、後ほど記載したい。
さて、山王神社にもともと4つの鳥居が立っていた。原爆の爆風でそのうち2つの鳥居(三の鳥居と四の鳥居)が吹き飛ばされてなくなってしまった。一の鳥居と二の鳥居は、奇跡的に残ったのだが、残念ながら戦後の自動車激増による交通事故により一の鳥居がなくなってしまったため、現存までする鳥居は二の鳥居だけ。ところが、この二の鳥居がこの山王神社を有名にしたといっても過言ではない。なにしろ、鳥居は右半分だけが残った形で立っているからである。この異様な光景はどうしても見ておきたいとおもっていたのだ。二の鳥居の吹っ飛ばされた部分については、実は二の鳥居のすぐ傍にむき出しで横たわっている。
二の鳥居がある場所に行くには、看板の表示の通りに行けば良いのだが、意外にも二の鳥居がある手前は、参道というべき該当するところが階段になっており、その雰囲気が現在ではあまり神社に続く参道とは思わず、坂が多い長崎だから仕方ないために設置されているとしか思えない感じだ。
間近で二の鳥居のところに来ると、ホントによくこのままの形で立っているなぁーとびっくりする。日本は地震大国であるため、原爆投下のあとも何度も長崎には地震があったとは思うのだが、その度でも全然倒れなかったというのはすごい。そして、吹っ飛ばされた残骸の部分をみていると、「大正十三年十月十八日建之」と書かれた柱が見える。大正13年?原爆で吹っ飛んだのは昭和20年だから、この鳥居はたった22年でぶっ壊されたということになる。短い命だったわけだ。そして、もう1つ欠片として見つけたものに「(皇)大神宮」という文字が書かれた看板にあたる部分だ。なんとか大神宮っていうのを掲げている神社は結構日本全国どこでもみかけるものだが、これはおそらく明治時代に強引に天皇制と神社の融合を目指していた当時の政治に関係するものが多いのだと思っている。
「楠の大木」と銘打った木がある。確かに枝ぶりも大きく、立派な楠木が建っているのだが、その楠の幹の部分に、原爆の爆風によって2km先のところから大きな石が飛んできて、この幹に突き刺さった経緯があり、その痕跡が残っているのだ。そして、飛んできた石というのも木の根元に保管されていて、こんなものがよく飛んできたものだというビックリする証拠として残っている。木はこんな石が突っ込んできたにも関わらず、その後の木の医者による治療によって元気にいまでも育っているのだが、こんな石をまともに受け止めた木の威力はとんでもないとおもった。石が埋まった箇所は、木に備え付けられているハシゴを登っていけばその穴を見ることができるようになっている。
静寂の境内の中を通っていくと、正面に本殿がある。ちょうど早めの七五三を行っているお子様連れの親子が祈祷を受けていた様子が眺められた。主役の子供は厭きちゃったのか、本殿のなかを落ち着き無く暴れていたので、神主さんも親御さんもきっと「困った奴だ」と思っていたに違いない。
帰りは行きと同じ道を通ったのだが、その道中である浜口町商店街沿いにある店はよくわからないところばっかりだった。大学病院が傍にあると言うのにもかかわらず、道中は飲み屋ばっかり。それもスナック形式のものばかり。そして、開いているのか閉まっているのか、倒産したのか営業しているのかわかんない珈琲屋もあったりと、この地域の特徴がよくわかんなくなってきた。
URL : http://sannou-jinjya.jp/
鎮座地 : 長崎市坂本2丁目6番56号
0 件のコメント:
コメントを投稿