ウィーンは帝国末期であってもその栄光は華やかだった。いろいろな国から刺激を求めてウィーンに集まっていたことだろう。あるものはカフェで政治論議をしたことだろう。そんな中で、のちに世界的に有名になってしまう人間がウィーンにやってくる。それがレーニンとヒトラーだ。レーニンはウィーン滞在中にロシア帝国を潰すことに野望を抱き、ヒトラーは最初のころは特に政治的に何の野望も持っていなかった。ところが、「わが闘争」のなかでも記載が出てくるのだが、画家になりたかったヒトラーが2度も受験して失敗してしまう下りが出てくる。そのヒトラーが受けたところが、「造形美術アカデミー(Akademie der bildenden Kuenste)」である。
カールスプラッツ広場を初めとする素晴らしい建築を残したオットー・ワーグナーはここで学び、のちに教えることになったが、ヒトラーは受験の失敗を気に、怒りを別の方向に向けてしまった。
いまではもちろん学校として存在しているのだが、学校のほかにもちょっとした美術館としても機能している。しかし、その美術館というのが、どう考えても、教室の一室だろうというような場所にあるからとても面白い。最初は、ここの生徒の最新作品集でも飾っているんじゃないの?と思ってしまったのだが、ところがどっこい、そんな甘いものではなく、ボッシュの「最後の審判」やレンブラントなどの作品がとても近い距離で観ることができる。そんなに大きくない美術館なのだが、濃密な作品群があるし、客もそんなに多いわけじゃないので落ち着いて鑑賞することができる、ちょっとした隠れ家みたいなものだ。
ここでは写真撮影が一切できなかったので、作品を撮ることはできなかったのだが、さすが美術学校というべきものがあったので紹介したい。
最初は壁の落書き。フランスでは現在日本のアニメがブームなのだが、ここウィーンでもアニメか日本の漫画がブームなのかわからないが、アタックナンバー1の落書きがされていた。
それと、学校のトイレ。なんと便器がないのである(男性用)。壁に向かってジャーとするのであるが、常に壁には水が流れているため、特に不潔感はない。なんとなく隣が見えるのは抵抗があるのだが、そういう「作品」にしたのかもしれないところに美術学校らしさを感じた。
ちなみに美術学校の前庭にはシラーの銅像が立っている。
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