2009/05/16

戦没者追悼日(アムステルダム)

5月4日にアムステルダムに着いたときに、街じゅうに警官がたくさん立っていて、見たい建物も見れず、道は通れず、人はめちゃくちゃ広場にいるわで、一体なにか祭りでもやっているのかとおもっていたところ、アムステルダムでは・・・というよりオランダでの毎年行われているイベントの開催中であった。それは5月4日が戦没者追悼日(Nationale Dodenherdenking)であったからである。だからといって、オランダではこの日は祝日になっているわけではない。祝日は翌日の5月5日に解放記念日(Bevrijdingsdag)という名前で祝日になる。

解放記念日はどういう記念日かというのは分かりやすく、それはナチスドイツからの解放を意味する記念日である。ドイツによる占領からの解放だから、独自性を貴重とするオランダ人にとっては大切な日だ。戦没者追悼日というのは、ちょっと分かりにくい。名前から考えると、戦争で亡くなった方たちを偲んでそれを追悼する日である。だからこのときにはオランダ人全員が主役として活躍する。もちろん軍人や王室や政界の関係者は参加しているのであるが、あくまでも主役はオランダ人全員である。

伝統的に、式典は王宮前のダム広場(Dam Squate)で行われ、式典への参加者は上記のとおりだが、一般人も「見学」と言う形でダム広場に入れることは可能だ。戦没者の関係者だけじゃなく観光客もダム広場にごったがえしになっているので、もうこのときのダム広場はめちゃくちゃな混み合いである。もちろん、式典を観に来た人に、インタビューしているテレビ局はたくさんやってきて、式典の様子をテレビでもずっと生中継している。日本で考えると式典なんて言うのは午前中から昼くらいにやるものだというのが常識なのだろうが、オランダでは全然違った。この日も式典自体は18時半くらいから始まって終わりは20時半くらいまで。ヨーロッパも北のほうなので、太陽が遅い時間でもまだ高いので、時計の針が遅い時間をさしていたとしても、まだ空は明るい。だから、夜に式典を行っても問題無しなのだろう。たぶん、ダム広場での式典の前にも、王室関係者としては、その日1日ずっとなにかイベントに駆り出されているのだと思う。

現に、ダム広場でのイベントの前には、アムステルダムの歴史博物館にベアトリクス女王と王女が見学に来ていた。最初は、なんで歴史博物館前に、豪勢なリムジンと厳重な警官がたくさんいるんだろうとおもっていて、観光客や地元民がずらーっと誰かが出てくるのを待っていたのを観たから、きっとどこかの有名人が来ているのだろうと勝手に想像していたところ、博物館から女王が出てきた時には吃驚した。もちろん護衛付きだったのだが、結構気さくに沿道の人たちに手を振ったりしていたので、北部ヨーロッパの王室の開放感を感じ取られたところだ。話を追悼式に戻すと、ダム広場には、過去のオランダ軍に従事していた、いまはもうじいさんになっている退役軍人が貫禄のある服装をきて歩いていたり、そのあとを現役軍人が歩いていたりするのは観てみて、なにがなんだかわからないが、勇ましいと思う。王室や政界の代表者、あとはどこかの社会団体に属しているがきんちょたちが、式典のなかで花輪をあげているのが印象的だった。あとでテレビ中継されていたときのニュースをテレビでみていたのだが、女王の疲れきった顔をアップで映っていたのを見て、「女王も毎回のことだから、面倒くさいなーと思っているのだろう」と勝手に想像した。ちなみに、20時になると2分間の黙祷の時間になる。これはオランダにいるひと、つまり旧戦勝国・旧敗戦国と関係なく、全員が黙祷しなければならない。交通機関に乗っている場合も、20時になると、電車やバスは停車し、運転手を含めて黙祷が始まる。レストランでバカ話をしている場合には、これの対象ではないらしい。

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