2009/08/02

国立モスク(Kuala Lumpur)

王宮のあと、その足で国立モスク(マスジッド・ネガラ - Masjid Negara)に行った。典型的なキノコ型の屋根をもったモスクではなく、星型の近代的な作りのモスクだったので、びっくりした。シンガポールのモスクに入ったことがあったので、モスクとはシンガポールにあったものと似たようなものだろうと思っていたが、建物のつくりも規模も全く違うため面を食らった。

入口で訪問者リストとして名前とサインを書かねばならないのは良いし、靴を脱いで中に入るのは普通のことなので、特に違和感がない。まぁ、名前を書くという意味がいまもってわけがわからないなーとは思う。

中に入ると、白い大理石で覆われた、つるつるに磨かれた床が広がっている。すごい広い床なので、信者が毎日一生懸命に交代で磨いているのだろうと勝手に思った。建物を良く見ているとイスラム的と表現するべきなのかわからないが、建物壁のデザインや隙間壁の格子のデザインは珍しいというのを通り越して、見とれてしまった。イスラムの建物のデザインは本当に面白い。規則正しく決まったデザインを広範囲に広げることで、元の基本デザインからは考えられないようなデザインを作っているのは凄い。感激する。キリスト教の教会に行くとステンドグラスは見事なのだが、なぜか規則正しさが抜けているために、「ふーん」という程度しか思わず、「見事だ」という感激が出てこない。偶像崇拝を禁じているイスラム教では、人間の顔をした神様を描くことは禁止なのだが、その代りに、いろいろなモザイク模様のデザインからなる装飾は、現代で言うところの眼から刺激を受けるトランスを思わせるような気がする。イスラム教初期の時代に、現代のトランス音楽があったら、きっと音楽による宗教瞑想を行なっていたことだろう。モスクの中央部、つまり、お祈りをする場所にいくと、中に入ることは許可を得られれば入ることができるが、普通の人は入れない。入れない代わりに、「イスラム教徒は」というよくありがちな説明文や解説のパンフレットがたくさん置かれている。人類の最初がアダムとイブであるというところからイスラム教の開祖モハメッドが系図として繋がっていることを意味する、意味不明なチャートもあるし、世界中にイスラム教徒はいるということを示すための世界地図もある。もちろん日本語で、イスラム教に関するQ&Aのパンフレットもあるので、イスラム教ってなんだろうなーという人にとっては簡単に知ることができる解説書ではないかと思う。日本語のコーラン(現地ではクルアーンと呼んでいる)があったら読んでみたいところではあるが、残念ながらここには置かれていない。さて、お祈りをする中央礼拝堂をみてみることにしよう。
キリスト教のように、彫刻と絵で無知な信者を圧倒させるような飾りは全くない。そのかわりにモザイクを使ったデザインの装飾がある。ムスリムの人に言わせると、すべてのデザインは、コーランに書かれている文章のアラブ文字をデザイン化したものなんだそうだ。アラブ文字を解さないので、本当のところどうなのかわからないが、確かにこれは文字からデザイン化したと言われればわかる装飾も一部あった。でも、ランプのモザイクデザインや窓枠のデザインがどうしてアラビア文字から連想して作られたものかと言われても納得はいかない。しかし、連鎖的なモザイク模様はかなり綺麗だ。そういえば、マレーシアは暑い国であるが、イスラムモスクでは半袖や短パンは絶対にNGである。観光客はどうしたらいいかというと、頭からすっぽりベールを被って礼拝堂のほうに向かう。観光客は紫色のベールを借りることができるので、それを着ていればノースリーブでも訪問をすることができる。それと変なものを見つけた。時計だ。でも、文字盤を見てみると全然見慣れていない文字が書かれている。でも、いちおう12時間制であることは変わらないようだ。数字自体もアラビア文字というのがあることを初めて知った。時計もそうなのだが、モスクは基本的にアラビア文字が原則だ。当のマレーシアも実は最近までアラビア文字が公式の文字として使われていた。いつからアルファベットを正式に採用したのかわからないが、そのおかげでマレーシアを観光しても文字が読めるので助かる。このままアラビア文字を貫いていたら、唯一読める華僑たちの使う漢字しか頼るしかなくなる。それもまた辛い。モスクの中には象徴的な尖塔が立っている。高さが73メートルもあるらしいのだが、下からの眺めではそんなに高い塔のようには全然見えない。せいぜい半分以下の30メートルくらいしか見えない。あまりにもモスクが大きすぎるために塔自体が小さく見えてしまったのかもしれない。モスクのメインである礼拝堂の傍には国家功労者たちの霊廟もある。数墓の墓があったのだが、名前をみてもマレーシアの歴史的人物のことはよくわからないので、誰のことなのかちっともわからない。名前をメモってくればよかった。だが、メモをしても各々の名前が長すぎて、どこまで名前なのか全然わからない。どうしてアラブ系の人間の名前はこんなに長ったらしいのだろうか?しかし、霊廟の墓はどれも大理石で作られていて、見た目はとても涼しそうである。月と星の象徴的な印が墓に刻まれているのをみると、やっぱりここはイスラムの国なんだなということがよくわかる。これだけの施設を見てもイスラム教に改宗したいという気持ちにはならないのだが、どの宗教も真面目に取り組めば取り組むほど、現世とは異なるような考えが生まれてきそうだ。国家的な行事の際には8000人も収容できる礼拝堂が満員になるという。集団的な行動はカルトに繋がるが、本気でそれをやっているとカルトなのかどうかも見失ってくる。これはどの宗教でも同じだ。キリスト教は最高で他は邪教だとか、創価学会が仏教の最高峰だというようなのはカルト的な考えで、どこの同じだとおもう。

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