ベトナムに来たのであれば、好む・好まざるを得ず、絶対に行くべきところがある。1つは、先に記載した統一会堂ともう1つは、戦争証跡博物館(Bao Tang Chung Tich Chien Tranh)だ。博物館に展示されているのはベトナム戦争でのアメリカ軍がベトナムでやったこと総決算という内容だ。実際に使われた戦車や大砲、そして爆弾そのものの展示はもちろんのこと、写真による戦争の傷跡や、枯葉剤の被害によって生まれてきた奇形児のホルマリン漬けなど、訪問した観光客は、終始館内では無言になってしまうかまたは泣き出してしまいそうになるほどのものが、これでもか、これでもかと畳み掛けてくる。ベトナム戦争中は、アメリカによる一方的な戦争報道でしかなかったために、ベトナム戦争の実情を知らないで、ベトナム戦争におけるアメリカの攻撃について正統派を論じる馬鹿が結構たくさんいるのだが、アメリカはこの戦争では正統性など全く無く、単に戦争を武器の開発の実験台にしかしていなかったことがよくわかる内容になっているし、またアメリカがベトナム国内に対してしでかしたことは、報道ではアメリカによる歪曲し捏造された内容でしかなかったが、映画や書物によって漏れ聞こえてきた事実を報道では「嘘」ともみ消すのに躍起になっていた。ところが、実際にこの博物館で、アメリカがしでかしたことを見れば、アメリカがいかに酷すぎることをしてきたかということがよくわかる。一番わかりやすいのは、第二次世界大戦におけるアメリカの攻撃と総兵力と、ベトナム戦争におけるアメリカの攻撃と総兵力の比較だろう。世界大戦という、大規模な戦争よりもベトナム戦争という局地的な戦争のほうに、アメリカは兵力をたくさん出していたことは、ここを訪れないと誰も分からない。いかにアメリカが情報を捏造して、正当化していたか、そして、アメリカ万歳と思っているひとたちの鼻を圧し折るには、この博物館に実際に連行させるのが一番いいだろう。特に写真では、アメリカの兵士が民間人の死体をゴミ同然のように扱っていたり、集団虐殺をした現場をガソリンをかけて燃やしているという、映画でしか観たことが無いようなことが実際には行なっていたことを証拠として残している写真が、もうめちゃくちゃたくさんある。もちろん、ピューリッツァー賞に輝いた、逃げ惑う裸のベトナム少女の写真や、川を渡って逃げてきたベトナムの親子の写真など、有名な写真もここでは全部掲載されている。個人的にこの博物館にきて、とても恐ろしいと思ったのは、枯葉剤による奇形児総集合とでも言ったらいいのだろうかわからないが、ベトナム各地でいまでも住んでいる、または既に死んでしまったが、写真撮影当時には生きていた奇形児のたくさんの写真が展示されていたところだろう。これは日本人写真家による戦争の悲惨さを表現した写真集なのだが、人間はここまで変形して生きていかねばならないのかというのを改めて考えさせられるものばかりだった。頭があまりにも肥大してしまった人、腕がなく手が肩から生えたような形の人、背中に天使の羽のように肉と骨が盛り上がった人、出目金のように眼球が出てしまっている人、顔の皮膚が爛れたようになっていて、どこに目や鼻があるのかわからないようなひと、指が6本もあるひと、体が繋がって生まれてきた双子、頭が繋がって生まれてきた双子などなど。日本では、ベトちゃん・ドクちゃんという、連結双生児は昔から有名で、いまだに彼等のことは話題になる。日本に居るとあぁいう人は、極稀なひとだとおもわれがちなのだが、実は全く逆で、めちゃくちゃ多いことがわかる。実際には、表に出てこないようにしているか、殺してしまっているかのどちらかによって、現在はあまり奇形した人を見ることは無い。ところが、街中にいくと、脚が無い人やどこか不足しているような人は、結構街中を普通に歩いていたり移動していたりする。これがベトナムである。建物の2階にいくと、主に世界中の共産主義者たちによる、「がんばれ、ベトナム」「アメリカ死ね、死ね」の応援合戦によるポスターや記念の品物がたくさん展示されている。なんだかこれを見ていると、共産党万歳!共産主義こそ人民のためにある、最高の政策主義だ!と宣伝を見ているようで気持ち悪い。ドイツ、フランスはもちろんのこと、日本の共産主義者による応援ポスターもある。頭の腐りそうな名文句が書かれた内容がたくさんあるので、かなり笑ってしまう。書いている内容はどこの国の場合でも似たようなものであるところもおもしろい。また、中国の毛沢東とベトナムのホー・チ・ミンが握手しているという写真を発見した。同じ共産主義とはいえ、ベトナムは毛沢東の共産主義を馬鹿にしているのであるが、敵対勢力であるアメリカをやっつけるためには、嫌いな敵である中国とも手を結ばなければならないということを選んだ瞬間の証拠写真である。なかなか個人的には面白い写真だと思った。また、この博物館に行くと、日本人の写真家がいかにベトナム戦争を正しく報道しようと危険な所まで入り込んで取材をしていたかというのを知る機会にもめぐり合える。ベトナム戦争を撮影した「安全への逃避」を作品として残した沢田教一のことを、この博物館では1つのコーナーとして展示しているのである。アメリカ人に対してはクソッタレとおもっていても、日本人報道官に対する扱い方は尋常じゃない丁重な扱われ方をしている。そして、現代人は、日本人も日本人の手で現地で生々しい写真を撮っていた現実を見つめなおさなければならないとおもう。この建物は、ベトナムによるアメリカの酷さを宣伝している建物であることはいうまでも無い。アメリカ・マンセーの馬鹿野郎たちにとっては、とてもじゃないが認めたくないようなものばかりである。そのためか、入場料に対しても本来はとるべきなのだとおもうが、結構いい加減で払いたかったら払って貰っていいし、払いたくなかったら払わなければ言いというように、入口のところに強制的に入場料を徴収するような仕組みにはなっていない。中国だったら絶対にこんな緩い徴収方法を採用することは絶対無いので、そういう面で見ても面白いなぁとおもった。また、訪問している人種は、地元ベトナム人はもちろんのこと、中国系(どこの人たちかは知らない)や日本人、そしてアメリカ人やフランス人などの西洋人など、偏った人種構成ではなかった。
いずれにしろ、いつでも被害を追うのは民衆である。軍人は戦っているから死ぬも生きるのも勝手だが、民衆はなにも反撃ができないので、ただ戦争が起こるとそれに引きずられるだけである。最後のとばっちりはつねに民衆だ。生々しい戦争被害の正確な報道こそ、一番「戦争反対」を教えることができる教科書なのではないかと思う。
戦争証跡博物館(Bao Tang Chung Tich Chien Tranh)
Address : ホーチミン市第3区ボーバンタン通り28号
Phone : +84-8-39302112
Fax : +84-8-39305153
Email : warrmhcm@gmail.com
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