ベトナムには独自の宗教が結構たくさんある。もちろん、大半が大乗仏教であるのは言うまでも無いのだが、南部に行けばいくほど、怪しさ満点の宗教が結構幅を利かせていたりする。それもどれもが日本の新興宗教よりも古い歴史なのだから驚く。創価学会なんて子供だと言いたくなるようなくらいの別の宗教がここにはたくさん存在している。
その中でも色々なガイドや本を読んでも、分けのわかんない宗教だなと注目していたのが、カオダイ教だ。簡単に言うと、「なんでもあり」の宗教であり、それもそのはず、仏教、道教、儒教、キリスト教、イスラム教の教えはすべて教義の土台になっているからなのである。世界では宗教同士の教義が違うからというだけで戦争を起こしているのだが、このカオダイ教のなかにはいれば、すべては1つの要素にしかないため戦争なんか起こる要素が全くなくなってしまう。5つの教義が土台になっているので、カオダイという。漢字で書くと「高台」だ。映像でしか観たことがなかったが、なんといっても寺院のなかの装飾がめちゃくちゃ奇抜なデザインになっていて、派手というより色キチガイがデザインを書いただろうというのを絵に描いたような内部装飾になっているので、本当にそんなものなのだろうかというのを確認したかった。また、「宇宙の原理」を意味する眼の玉があまりにも気持ち悪くて、これがフリーメイソンの象徴みたいな感じだ。そんなものを拝んで、一体何なんだろう?というのも確認したかった。久しぶりに変な宗教を発見したという喜びのために、ベトナムに行くことの最大の目的がこの宗教の大本山にでも行ってみようということだった。特定の宗教を信仰しているわけでもないので、素直にいろいろな宗教を見ることが自分には出来る。なにかの信者になってしまうと、それ以外の宗教を絶対に認めたがらないという考えが蔓延ることと、素直にその宗教が何を信者に与えようとしているのかを理解する能力が全く無くなる。特に某蛙オヤジの宗教の信者なんかにどっぷり入っているような人たちなんかは、こういう他国の宗教に対してどのような態度で接しようとするのだろうかというのは、別の面で気になる。
カオダイ教の大本山があるタイニンはホーチミンから約100kmも離れているので、ちょっとやそっとでは行くことができない。調べてみると、だいたいはツアーに参加していくということになっているのだが、単にカオダイ教の大本山に行くのに、すごい値段を取られて、決まったコースでいくというのは少し嫌だなと思っていた。日本で日帰りツアーを頼むと高いから、現地で探してみると何とかなるだろうと思っていたが、やっぱりなんとかならなかった。信者数が100万単位でいるということは、ホーチミン市内にも絶対寺院があるんだろうと思っていたので、ホテルでカオダイ教の寺院がホーチミン市内にもあるのかどうか聞いてみた。ホテルの人も即座にはわからなかったらしいが、無理な頼みを聞いてくれて、大調査が開始された。結論として、チャン・フン・ダオ通りに寺院があることらしいと教えてくれた。名前は「Thanh That Saigon Temple」である。大本山じゃないけれど、列記としたカオダイ教の寺院であるから、こじんまりとはしているだろうが、内装なんかは同じようなものだろうと想像して出かけた。
この場所に行くにはタクシーでいくしかないのだが、タクシーには住所を見せれば何の問題もない。住所を見せただけであれば何にも運転手に怪しまれないが、寺院名なんかを見せたら「そんな寺があったっけ?」というような顔をされることは間違いないだろう。もちろん、自分達の場合もそういう顔をされた。さらに、道教とか仏教とかの寺院ではなくカオダイ教だからだ。なおさらだろう。
タクシーで約15分ほど乗ってみると、目的地の寺院は、いきなりその派手な門構えで存在をアピールしてきた。タクシーの料金は、ホテルからだと値段は85,000VNDだった。やっぱりベトナムのタクシーは安い。赤と青と黄色の三原色を使ったカラフルな門構えは、ここがとても寺院ではなく、なにか遊園地のアトラクションの入口なのではないかと間違ってしまいそうなものだった。いきなり想像以上の派手さと馬鹿馬鹿しさに圧倒されていたところに、門の後ろに建ってある建物からこちらをじっと見ている人が居た。信者の男性である。こういう寺院に言った場合、普通の仏教の寺と違って信者でもないのに、無理やり入ってもいいのかどうか不明なのだが、今回、その信者の男性から「来い、来い」と手招きされてしまったのである。そうなれば、「いやいや、ここから見ているだけでいいです」なんていうことはしないで、堂々と中に入ってしまえばいい。ツアーの場合は、ツアコンがそのあたりの手続きをしているのだろうから、ツアーに参加している人たちは、金魚の糞のようについていけばいいのだろう。個人で行った場合は、そのあたりのさじ加減が難しい。男性信者は白いアオザイを着て迎え入れてくれた。大本山であれば、ひっきりなしにやってくる観光客が信者をみているのだろうが、こういう街にある寺院にはどうも普通の観光客は来ないようで、「よく来たねー」とむしろ大歓迎された。たぶん、彼らからみると「信者になりたいとおもっている外人がやってきた」と最初は思ったに違いない。彼等だって馬鹿じゃないので、普通の観光客がこんな町の寺院なんかにくるわけがないと端から思っていたことだろう。普通の観光客なら、単に部屋の中をのぞきたいから構わないでくれというようなことを言うと思うのだが、こちらはカオダイ教のなんの知識も持ち合わせていないので、せっかく個人的に付き添ってくれるのであれば、なんでも聞いてやれと思っていた。だから、常にあれはなにか、なんでこうなっているのかと、あれこれ質問責めにしたために、「こいつら、なんか違うな?」と思ったのに違いない。
カオダイ教の信者は、朝の6時、昼12時、夕方6時と深夜12時の4回はきっちりと礼拝を行わなければならない。これはイスラム教の教えから受け継いできたものなのかもしれない。自分達がこの寺院に行ったのは、12時の礼拝の時間にあわせてイベントが行なわれると思っていたので、それに間に合うように出かけた。到着は11時半頃だったので、儀式が始まるまでにいろいろと質問できたのはよかった。
男性信者は実はこの寺院で寝起きをしている住み込み信者であることが話をしているとわかった。そういう信者というのは結構いるらしく、住むところも同じ敷地内に共同生活として行なっている。さらにびっくりしたのは、基本的には宗教の勉強を行なうために住み込みなのだが、学生の年齢である信者も当然いる。この男性信者も年齢は20歳で、これから大学にも進みたいとおもっている信者であった。常に本を持ち歩いていたので、「それって教本?」と聞いてみたところ、なんと数学の教科書で、それも一番数学でも面倒くさい「数論」のところを勉強している最中だった。それも英語版。ベトナム人の勤勉さには驚かされたが、彼の喋る英語も、別にどこかで習ったというのではなく、自主学習だけらしいが、完璧な発音と文法だった。恐れ入った。
毎日4回も礼拝をするのか?と聞いてみたところ、朝の礼拝は参加するが、夜は眠いから参加しないらしい。「へ?そんなことでいいの?」と聞いてみると、笑いながら「ははは、本当は参加したいけど、眠さには敵わないし。それに朝の礼拝はちゃんと5時半には起きて参加しているよー。夜参加する人は早朝は参加しないひとは多いよ」との説明を聞いたときに、生々しい意見を聞けたとおもった。
建物中に入ると、礼拝が始まると利用される中央広場が広がっており、ネット上で見つけた写真でしか観た事が無かったが、目の玉の象徴も発見。さらに生で見たほうが、あの派手な壁の装飾にも唖然としてしまった。なんというか、ここまでの装飾を造ると言う事は、これを作ったひとの脳みその感覚というのがどういうものなのだろうかと疑問に成ってしまう。漫画のようにぽか~んと口を開けて、その派手な演出を見ていたところ、信者の人が「上に行きましょう」と連れて行ってくれた。儀式を見るのであれば、上の階から眺めたほうが良く見えるからということ。螺旋階段のようなところをぐるぐる廻って上に上がっていく。儀式まではちょっと時間があったので、さらに上のほうに行くと、時報にあわせて鳴らす太鼓があったり、見晴台のようなところに出てきた。高さとしては15メートルくらいなのだろうか。ただし、ここまで高くしても何の意味があるのかよくわからなかった。それにしても上の階に上ってわかったことなのだが、各神様を陶器で作った像のようなものが壁に掲げられていた。それも8人。誰が誰なのかちっとも分からなかったが、説明を聞いていると、真ん中の縦4人が、上から仏陀、マホメッド、キリストと孔子なのだそうだ。その他、横にいるのは誰かと聞いてみたところ、左から媽祖、ヴィクトル・ユーゴー、孫文、最後が関羽だそうだ。なぜヴィクトル・ユーゴーが神様?もうこれはよくわからない。想像もしなかった人が神様になっているところに、カオダイ教の不思議さがある。ちなみに、神様が着ている服の色にも意味があって、黄色は仏教、赤はキリスト教、青はイスラム教、白は儒教をあらわしているのだそうだ。上から見る礼拝のところは、本当に、ディズニーランドの「It's a small world」の世界となんだか似ている。こんなところでお祈りなんかしていると、頭がおかしくなりそうだ。室内にいるにも関わらず外の世界を演出しているかのようである。天井と柱の色キチガイの模様をみていると、気がめいってくる。儀式が始まったので上の階から眼下を眺めてみた。正面の眼のたまに向かって、なにかお経を唱えている。なにをいっているのかはちっともわからないのであるが、そのお経と一緒に二胡を弾いているひとがBGMのように演奏していた。しかし、これが全くお経の旋律と合わないリズムで弾いており、これがさらに脳みその中をトランス状態にさせてくれるほど狂わせていた。なんとなく、仏教の般若心経のような節回しがあったので、もしかして、これは仏教から引用した部分か?と思いながら聞き入っていた。儀式自体は1時間みっちり行なわれるのにも驚かされた。1時間の礼拝を毎回行なわれるということは、これだけでも体力はかなり使うことだろう。儀式を行なっている最中の撮影は許可を貰った。あまりにもおもしろそうだったので、ずっとデジカメのビデオモードで撮影をしていたし、友達のカメラはところどころで儀式の内容を普通のデジカメで写真撮影していた。ビデオはYouTubeにでもアップロードしようかとおもったが、やめることにした。そのうち気が向いたらアップロードしてみたいのだが、なんといっても1時間丸まる納められているので、そのデータ容量が半端なく大きい。出発前に16GBのSDカードを買っておいてよかったと思った。
儀式が終わったあとに、再度お祈りをしていた場所と祭壇のほうを見学することができた。実はお祈りする場所は3箇所あるらしく、1箇所は上からみた光景の場所。その他は、女性信者しか入室できないと言われている媽祖が納められている場所。そして最後は、祭壇のすぐ傍の所である。眼の玉をすぐ傍でみたときには、なんだか不思議な感覚に陥った。他に観光客が全く居ないので、ゆっくりとカオダイ教というものを堪能することができたのはありがたい。この寺院を探してくれたシェラトンホテルのスタッフと、あとは寺院のなかを案内してくれた信者の人に感謝したい。
そういえば、帰り際に、モノは試しにと「信者の人が使う教義が書かれた本はあるんですか?」と聞いてみた。老婆の信者がなにか持っていたので、きっと聖書みたいなのはあるんだろうとおもったら、やっぱり存在した。「じゃぁ、あげるよ」と老婆に言われたのであるが、そんな貴重なものを貰ったら、念も入っているのだろうから大変だと思い、丁重に断っていたのだが、相手から見ると「汚いから受け取らない」と思ったようで「いま新しいのを持ってくるからちょっと待ってて。あんたたち、時間あるの?」と言われてしまった。もちろん、こちらは暇だから腐るほど時間はある。そうしたら「ベトナム語と中国語の2種類しかなく、英語の教本はないんだよねー。もちろん、日本語は無いよ」と言われた。まだ漢字だったら読めるかなとおもったので「中国語でお願いします」と頼んでみた。ベトナム語なんか、どこがなんだかわからないけど、漢字だけ読めればなんとか意味がわかるだろうとおもったからだ。中国語で書かれた教本をもらって帰ってきた。たぶん、普通の観光客でここまで要求する人も居ないだろうし、こんな教本を持っているやつなんか、たぶん日本にはほとんど居ないのだろうと思う。カオダイ教の教本の中身については、別の機会に記載したいとおもうが、そこには普段の生活の仕方から、お経の唱え方と文句も書かれていた。すべて知っていると、カオダイ教を理解できたことになるようだ。
最後に、案内をしてくれた信者の男性のかたの名前を聞くのを忘れたので、もし、またこの寺院に行く機会があったら、感謝の言葉と少しお布施でも渡しておきたいと思った。なにしろ、なんのお布施もしなかったのに、あの丁重なもてなしをしてくれたのだから。ベトナム人の気質を垣間見た気がした。
ベトナム「3大カルト」聖地へ
http://www.tanken.com/viet.html
Thanh That Saigon
Address : 891 Tran Hung Dao Thanh Pho, Ho Chi Minh
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