2009/10/06

阮朝王宮(Hue)

フエの観光名所といったら、これを観ずして何を見るか!といわんばかりの場所は、最後のベトナム王朝の阮朝が立てた都の王宮があるのが、ここなのだ。しかし、ベトナムの王朝があった場所のそれも王様が君臨していたところだから、さぞ凄いところだろう、北京の故宮みたいな凄いところだろうとおもっていると、大間違いだ。それもそのはずで、インドシナ戦争とベトナム戦争という大きな2つの戦争の現場にフエはなってしまったため、主要な王宮の建物がことごとく破壊されてしまったか
らである。現在は、敷地内で徐々にではあるが修復が行なわれているが、これが全部できあがるまでいまのペースなら100年くらいかかるのではないだろうか?大林組や清水建設に金を出してやらせれば、きっと10年以内に完全復元できるんじゃないかと思う。

歩くのが面倒くさかったので、ホテルから王宮までタクシーで移動した。高さ6メートルの壁で囲まれた向こう側が王宮なのであるが、その周りをさらに濠が囲まれている。北京の紫禁城と同じようなつくりだが、壁の高さは北京には及ばない。しかし、個人的には北京の紫禁城のような派手でケバケバしい色彩ではないため、フエの王宮のほうが落ち着くから好きだ。北京の紫禁城は、赤・青・黄色の原色がこれでもかこれでもかと気持ちの悪いくらい目立って立っているので、派手好きな中国人の色彩感覚なら当然と思うのだろうが、あんな派手なのは大きければ何でもよいという権力志向をそのまま表示しているみたいで嫌いだ。それにくらべてフエのほうは、中華の影響を受けているとはいえ、中華みたいなケバケバしさは無く、日本人の質素な気持ちに合致した雰囲気が残っているようにおもえるので、京都の古寺を見ているような感覚に思える。ただ、残念ながらベトナムはまだまだ整備するための金が無い。ただ、金が無いだけなので荒廃したように見えるだけで、これが観光用にもっと整備されたら見違えるような建物に見えるだろう。王宮の入口はもちろん「午門(Ngo Mon)」から入る。これは北京の紫禁城と同じだ。入口が3つあり、真ん中の入口は皇帝専用。現在でも真ん中の入口からは入ることが出来ない。右側の入口のところに切符売り場があり、そこで切符を買ったあとは、左の入口から入ることになる。出口は全然違うところから出ることになる。真ん中の入口からはその先に広がる太和殿が見える。その先に行くと、四角い溜池に架かる橋を渡って太和殿に向けて歩いていくことになるのだが、その入口に日本の寺の鳥居もどきのゲートがある。しかし、それも派手。見た目はやっぱり中華の影響があるからか、柱と標示がとても中国風。そして橋の両端にそれぞれゲートがあるところも面白い。その先に広がるのが太和殿である。まずは、目の前に広がる石畳の敷地があり、その敷地には、両脇に道祖神みたいな石の小さな標がある。なんだこれ?とおもってよく見ると、石に「正一品」と書いているではないか。と、もう少しよく観察すると、その標は左右でそれぞれ9つずつある。そう、これは高官たちが式殿で催されるときに立つ立ち位置を記したものである。書かれているのは建物側からしか見えないようになっているので、普通の観光客が午門のほうから入ってくると、この石標があることはわかっても、なんだこれ?と想うだけに違いない。中国式に9段階の位制度を設けていたことも歴史の勉強になる。建物の中に入ると漆塗りの柱が、ペンキ塗りの北京の紫禁城とは異なり、日本の神社と同じ塗り方をしているので、荘厳のような風格を感じる。時代が経過したことがわかるように、漆塗りたてではなく、ところどころ漆がはげて、木造の風味が見えているところもなかなか風流があってよい。建物全体としては中国風の建物そのままなので、ここがベトナムとはとても思えるようなものではない。さらに中はたくさんの柱が支えた1つの大広間になっている。奥には小さい三段構造の上に玉座があり、天蓋が若干低いのではないか?と想うようなものであった。面白いのが、床面がモザイク模様になっているところが、なんとも中華の世界と全然合わないので不思議だ。建物の中は写真撮影禁止なのだが、人目を盗んで写真を撮っていたので、なかなか撮影には苦心した。
太和殿の裏側には、もう見るも無残な広場が見えるだけである。
しかしなんでこんなのが置いてあるのかどうかわからないのだが、正面に大きな皇帝が使う王の印鑑を模したものがある。それもデカい。デカ過ぎる。実際にはこんな馬鹿でかいものを使っていたわけではないとおもう。高級官僚の詰め所だった建物のうち「右廡」と呼ばれるところは、現在宮廷で使われていた品々が展示されている。でも、それほど多くないものであるが、どれもこれも、見てもやっぱり中国だな-と思ってしまう。最後の皇帝である保大帝の執務中の生写真が飾っているのをみると、顔はやっぱりベトナム人なんだなと感じることができる。それより先は、ほとんど荒廃したままのところなので、これといってみるところはないのだが、中は工事中だろうがなんだろうとずかずか入ることができる。昼間はあまりにも暑いからなのか、ちょうど王宮に来ている間、作業員たちはほとんど働いておらず、ずっと寝ていた。おまえらの昼寝の姿を見るために来たんじゃないとおもったのだが、こうもまぁ暑いと昼間に働く気はなくなるのは当然だろうなと思った。
ところが修復が済んでいる、いくつかの回廊の部分は、当時の豪華なつくりが垣間見ることができるような細かさを感じることができた。敷地内右側にある「閲是堂」はかつて皇族のみが楽しむことができた舞踏劇場なのだが、ここではいまもまだ使われている。1日4回の民族舞踊がここでは見ることができる。中は2階建てになっているのだが、たぶんいまは2階は使われていないことだろう。その他、敷地奥の方に行くと、かつての紫禁城の建物後がみえる。大宰府政務跡のように、敷地だけ残っていて、柱一本もないのだが、かつてここに建物が残っていた残骸はいくつか見ることができる。紫禁城入口のところには、狛犬と大砲が並んで、階段の両側におかれているのがなんだか物騒だ。ただ、いただけないのが、紫禁城あとにたっている、黄色い龍の張りぼてだろう。なんでこんなものを飾っているのかベトナム人の気質を疑ってしまう。ただ、気をつけたいのは、歩くと足元をたまに掬われるような穴ぼこがたまに開いているのが怖い。こういう穴を修復しないところがベトナム人の雑さを感じることができる。ただ、全体が本当に残っているときには、どんなに豪華で荘厳な建物がたくさん見られたのだろうかと、あの今では草しか生えておらず、たまに人が通ったところだけがあぜ道のようになっている緑の草原で妄想のように考えてしまった。これこそ「兵どものが夢の跡」と言えるものだろう。王宮 Inperial Enclosure
Price : 55,000 VND
Open : 6:30~17:30

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