2009/10/07

統一会堂(Ho Chi Minh City)

統一会堂(Dinh Thong Nhat)は今ではホーチミンの歴史的にもランドマークとしてもどちらも重要な建物になっている。ベトナムのことを語るのに、この建物のことを覗いて語るのはベトナムに来ていないのと同じなのだと思う。なぜなら、それだけ現在のベトナムがあるのもこの建物が有るために起こったいろいろな歴史の結果の上に成り立っているからである。

統一会堂は、時代とともにその呼び名が変わっている。フランス統治時代にこの土地に建物が作られた1873年からカンボジア王にちなんでノロドム宮殿(Norodom Palace)と呼ばれ、コーチシナ政府の政務ビルとして使われ、フランス領インドシナが形成された1887年からは政府宮殿(Governor's Palace)として使われた。第2次世界大戦を挟んで、1955年にゴー・ディン・ディエムがベトナム共和国を建国したときには、独立宮殿(Independent Palace)と呼ばれるようになった。1975年に北ベトナムによるベトナム統一を機に、ここは統一会堂(Unification Hall)と名前を変える。

この建物が世界的に有名な建物にしたのは、北ベトナムの戦車群が、宮殿の壁をぶち壊して、宮殿前の広場になだれ込んできたときの映像が世界中に配信されたことによるだろう。生でこの映像は見たことが無いのだが、ベトナム戦争の終結に伴ない流されたこの映像として、常にベトナム戦争の記録映画には出てくる場面である。それだけベトナム戦争は世界中の人たちに衝撃をあたえ、さらに1つの国が戦争の勝ち負けによって消滅してしまうという現場に立ち会うことが出来たという意味では、強烈的な映像だったことだと思われる。

統一会堂の敷地に入る前には、荷物検査を行わされる。ただし、中国とは異なり、荷物検査のほかに身分証明書を見せるということはまず無い。重要な建物であるために、破壊されないようにするためというのが目的である。中国共産党のように、住民および観光客をもともと信用していないという考え方とは全く異なる。その関門を潜り抜けて、広い敷地を半周すると建物に到達できる。建物を外観から見ると、全く豪華さも興味も持てないつまらない普通の建物にしか見えないのだが、それは表向きだけのこと。内部に入ると、それは見事なものがたくさんある。外面はどこかの学校か病院かというくらいの殺風景の建物であることを除けば、すばらしい歴史的建築物だといえよう。
中に入るといろいろな執務室または応接室が存在する。ささっと廻っても軽く2時間はかかるのではないだろうかというくらい、たくさんの部屋があるので、見ごたえ十分だ。大体の人は、ガイドの引導により各部屋の説明を受けることになるのだが、特に部屋の説明は建物としてなにも紹介されていないので、できれば詳細の説明をガイドなどを利用して聞きたいところである。または、建物の説明をポータブル説明機のようなものを持ちながらいければいいのだが、そこまでまだベトナム政府は考えられていないような気がする。しかし驚いたことに、各部屋には、ベトナム語・英語・フランス語・中国語に並んで日本語表示がされたことだろう。表題だけとはいえ、それだけで何の部屋だかわかるというのは日本語のありがたいところだ。たまに日本語にすると意味不明な部屋の肩書きがあったりするのだが、そこはご愛嬌。各部屋の詳細の説明は他のガイドを見れば載っていると思うので、そちらを参照してもらいたい。

・内閣会議室(Phong Hop Dong Noi Cac)・宴会室(Phong Dai Yen)・応接間(Phong Khanh Tiet)・作戦会議室(Phong Ban Do)・ベトナム共和国大統領執務室(Phong Lam Viec Cua Tong Thong)・大統領の外国客応接室(Phong Tiep Khach Nuoc Ngoai Cua Tong Thong)・大統領の国内客応接室(Phong Tiep Khach Trong Nuoc Cua Tong Thong)・副大統領の応接室(Phong Tiep Khach Cua Pho Tong Thong)・国書提出室(Phong Trinh Quoc Thu)・訪問客用の宿泊施設・訪問客用晩餐施設・図書館(Thu Vien)・大統領夫人の応接室(Phong Tiep Khach Cua Phu Nhan Tong Thong)・映画室(Phong Chieu Phim)・娯楽室(Phong Giai Tri)
娯楽室はサロンのような使い方をされた場所のように思われる。ここで音楽と酒があれば完璧だ。ただ、びっくりしたのは、ベトナムでも麻雀で遊ぶ文化があったということだろう。雀卓とパイが一緒に置かれているのをみたときに、ここはいったいどこなんだ?とおもってしまった。現在のベトナム人が麻雀を楽しむのかどうかは不明だ。今後ベトナム人に聞いてみたいところである。・四方室(Tu Phuong Lau)
最上階のこの場所は、展望台にもなっているところなのだが、なんといっても見所は2箇所ある。1つは、北ベトナム軍がこの官邸になだれ込んできて、官邸を陥落させたときに北ベトナムの旗が振られた場所でもあること。それと北ベトナム軍の空軍中尉であるNguyen Thanh Trungが1975年4月8日8時半に、最初にこの建物を爆撃しようとして爆弾を落としたという場所が、当時アメリカの援助で戦っていた南ベトナム軍が使っていたヘリコプターが並んで置かれているというのを観ると、生々しい。・台所(Nha Bep)ベトナム共和国大統領がサイゴンのラジオ局に行き、革命政府への降伏を宣言をしたときに使われたジープのレプリカも置かれていた。なぜかとてもポップな消火器の使用説明書があったので、思わず写真に撮ってしまった。味気の無い日本の説明に比べると、これをみれば、ベトナム語が読めなくてもめちゃくちゃ理解できる。南ベトナムが降伏するまでの歴史が写真で説明されているのを見れば、歴史を知らないバカでも否応がな理解できよう。噂のマダム・ヌー(Madame Ngo Dinh Nhu)の生写真もここでは見ることができるし、また、マダム・ヌーがキリスト教優遇政策を進めたために抗議をして焼身自殺をした坊主の焼け死ぬ様子を写した写真もここでは観ることができる。マダム・ヌーがこの坊主の焼身自殺に対して「あんなのバーベキューだわ、おほほほおー」と発言したのは超有名な話。その歴史を写真で確認できるというのは面白い。南ベトナムの大統領は夫の実兄がなっていたが、結婚はしなかったため、結果的にマダム・ヌーがファストレディーとして南ベトナムでは君臨し、その発言力はかなり強かったのだと思われる。地下に行くと、ベトナム戦争中、建物がやられることを予期して、地下に秘密の作戦本部や通信室などの重要な部屋を作っていた跡を見ることができ、綺麗に保存されたまま、現在でも見ることができる。しかし、廊下はとても狭く、ここを軍人が走り回って指令を受領したり発言していた場所なんだと考えると、なんともおかしい。ほとんど監獄みたいな場所のようにみえるし、それも男ばっかりがここに屯していたのだろうと考えると、室内は絶対臭くて仕方が無かったんだと思う。ただ、作戦本部としても使われていたために、壁にはたくさんの作戦用の地図が飾られている。こういう生々しい地図を見ると、どこをどのように攻撃し、そのあとどのように防衛しようとしていたのかが簡単にわかる。戦争オタやベトナム戦争フェチじゃないが、当時の戦争の様子が地図を見るだけで想像できてしまうので、こういうのが飾られているのはとても楽しい。でも、興味が無い人にとっては全く意味が無いデコレーションにしか思えないのだろう。この建物を訪問するには、特に事前に知識を持っている必要は無い。中に入ってすべての部屋の様子を観ることができれば、なにがあったのかが一目瞭然だと思われる。しかし、予備知識をもっていると、中を訪問するときにさらに楽しめるのではないだろうか。この部屋はあの歴史的瞬間のときに使われたあの部屋かーとか、ここでベトナム共和国政府が何をしていたのかというのを知っているのと知らないのでは、ベトナム戦争の戦争中と戦後の物の価値について全然認識が違うだろうと思われる。

ただ、ベトナムのこう言う場所はだいたい昼休み時間帯というのが存在する。それも2時間みっちり取る。だから、昼ご飯時間帯に行こうとすると閉鎖中になっているので、時間帯を考えて行動したいところだ。この日も、のんびりと地下の作戦本部内を歩いていたところ「そろそろ閉館だから、さっさと出てねー」と係員の人に言われてしまった。なんでかなー?とおもって時計を見たら11時だったからである。その代りに、朝は7時半から開園しているので、早起きして訪問するのもいいだろう。


統一会堂(Dinh Thong Nhat)
Open : 7:30am~11:00am, 13:00~16:00
Holiday : 特に無し(ただし、国賓を迎える日は閉鎖)
Admission Fee : 15,000 VND

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