2010/05/15

鄭和文化記念館 (Malacca)

マラッカは遠洋航海をする際に、ペナン島、シンガポールと並んで重要な拠点であったことはよく知られている。中国の明の時代に、偉大な大航海を行った鄭和の大航海のときもこのマラッカは重要拠点として、彼の7回にわたる西方アジアおよびアフリカへの遠洋渡航に役立った。マラッカはそんな鄭和を英雄視している拠点の1つであるため、鄭和を祀るお祭りがあるところでもある。お祭りだけではなく、マラッカの目抜き通りには、そんな鄭和の偉大な業績を紹介するための博物館が存在するので紹介したい。

コロンブスやマゼランが大航海を行うずっと前に、すでに明の時代に鄭和は、南京から出発して東南アジアを通り、インド、アラブ、アフリカの各地へ大船団を率いて出かけていった。これは永楽帝が明に対して他国が朝貢を行うために各国に通達をするためと言われているが、そのほかに、永楽帝が奪還した甥であり先帝である建文帝が、南京から逃げ、その屍を発見できていないため、きっと反旗を翻してまた攻めて来るかもしれないという恐れから、探しまくってほしいという欲望があったのだろう。鄭和にしても、建文帝を追いやった靖難の変で功績があったため、のちに軍大臣になり、大航海の命令を受けたが、普通なら嫌だとか面倒くさいということを言うところだろうが、宦官になっていた鄭和は、正式には全く玉も棒もなくなった宦官ではなく、玉なしの宦官であったので、宦官でありながらタフな仕事ができたのだとおもう。それと、イスラム教徒だった鄭和は、イスラム教徒のあこがれであるメッカへいけるかもしれないという夢をこの航海に望んでいたかもしれない。博物館に入ると、まず鄭和の偉業を紹介する15分のビデオを見せられる。このときは、自分たち以外に客がいなかったためか、日本語の説明のビデオを見せられたのでラッキーだった。しかし、このビデオ上映に対して、普段から仕事をしているはずなのに、操作のしかたがわからないおばさんが担当したために、なかなか上映しない状態になった。いい加減眠くなってきたではないかとおもっていたところに上映開始。多かれ少なかれ美化されたような説明になっているのは当然としても、鄭和がいったいなにをして、各地にどんな影響を残していったのかというのをこのビデオは紹介していたのだが、よく理解できた。

自由に中を見学できるものかと思っていたら、館のお守りをしているボクちゃんが、ずっとお目付け役のように付いてきた。館内で余計なことをしないように監視しているのだとおもうが、それがウザイなと思うようになる。この監視役がいてもいなくても、日本人はめちゃくちゃなことをしないのに、どうも信用されていないようである。

こんな不快なことを除くと、館内は結構広く、いろいろなものが展示されているのだが、レプリカなのか本物なのかわからなくらい、適当に陳列されていたのがおもしろい。大船団にどんなものを詰め込んで行ったのかを紹介しているところでは、食べ物、のみ物、動物のほかに、遊び道具も詰め込んでいたのが、人間味があっていい。人形などを使い、実際にどのような営みをしていたのかを説明しているところはわかりやすい。しかし、反対に、壁新聞みたいにどこで何をしたのかや、どのルートを通っていったのかなどのような歴史を振り返る説明の場所は、概してつまらないものである。こういうのは家に帰って本を読めば良いものだろう。そう思って、博物館を出る際にお土産やに本でも売っているかと思っていたら、どうしようもないようなレプリカのお土産しか売っておらず、誰が買うんじゃ、そんなものと思ったのは言うまでもない。鄭和文化博物館 (Cheng Ho Cultural Museum)
URL : http://www.chengho.org/museum/index.html
Address : 51 Lg Hang Jebat
Phone : 283-1135
Open : 9:00am - 6:00pm (月曜から木曜)
    9:00am - 7:00pm(金曜から日曜)

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