マラッカに行ったら絶対行く場所が、マラッカの代表的な場所として、誰もが知っている場所になっているオランダ広場(Dutch Square)だろう。なんといっても赤紫色に統一された教会と広場を囲む壁が目に映えて、一度写真でもみたら忘れられない光景になる。
実際にこの広場にくると、マラッカに来ている観光客が全員集まっているんじゃないのかというくらいの人のごった返しになっているから、人の混雑が嫌いなひとにとっては不快極まりないだろう。だが、絶対この広場は見る価値はある。
まずは、正面にシンボルとして立っているキリスト教会(Christ Church Melaka)があり、その手前には噴水があり、そして一番手前には、時計台が存在する。
キリスト教会は別途記載するとして、広場の中心地にある噴水から見てみることにする。この噴水は、イギリス植民地だったマラッカは、その宗主国の君主ヴィクトリア女王が亡くなったときに、その悲しみからこの噴水を作成し寄贈したことから存在する。植民地だったので、搾取するだけ搾取したとおもわれがちなイギリスだが、搾取と同時にこの地に法と秩序をもたらしたことは、野蛮化していたマレー人にとっては大きな収穫だったようだ。さらにいうと、マレー人よりも勤勉で金儲けに秀でた華人は、マラッカには多く住んでいたが、それはイギリス人による企業を現地で統括するための手腕を買われた人たちが多く着ていたためで、イギリスのものだが、自分たちの金儲けの協力のサポーターだったからという意味で、マレーシアの中華系からはイギリス統治を不幸な時代だとは思われていないのである。
この辺の歴史的経緯はおもしろく、そのあとやってきた日本軍に対しては、華人にとって金儲けをさせてくれる集団ではなかったために、匪賊として思われてしまう結果になる。日本はヨーロッパ列強国からのアジア奪取とともに、アジア人による解放を目的として南下してきたのだが、結果的に華人ではなくマレー人に利益が出るような施策を出してしまったために、余計華人から嫌われる形になったのだと思う。
噴水の隣にある時計台は、マラッカを拠点にし、そのあとシンガポールに移動して住んだ資産家の陳明水(Tan Beng Swee)とその息子の陳若錦が寄贈したものである。この時計台は、別名「Tan Beng Swee's Clock」とも言われている。この時計台に使われている時計自体は「SEIKO」と書いているので、服部セイコー社が寄贈したのだろうが、これができあがったときに使われたイギリス製の時計は、博物館に飾られている。さすが日本のセイコー、時計の時間に狂いは無かった。
トライショーの項目でも書いたが、この広場には派手なトライショーがめちゃくちゃたくさん存在する。待ち行列を作っているわけでもなく、あちこちで呼び込みを掛けられるのでいい加減嫌になる。
またこのオランダ広場の丘側は、お土産屋が軒を連ねているのだが、これがまたか痛いとおもうようなものが全く無いつまらないところだ。だが、暇な観光客は冷やかし半分にたくさんある店を覗いているいる様子に出くわす。一般的なTシャツ売りから、買ったあとに、どう使えばいいのかわからないようなバラ撒き用土産の小物などが売られている。値段はもちろん表示されていないので、値段交渉で決めるのだろう。値段を吹っ掛けられないようにするべきだ。
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