2010/05/15

セントポール教会 (Malacca)

スタダイスの丘の上に立っているセントポール寺院(St. Paul's church)はポルトガルがカトリックを布教する際に、ここを本拠地として活動した教会であり、1521年にオリジナルの教会は建設された。
丘の上に建っているので、スタダイスの丘を上って行くのは結構楽しい。しかし、脳天が解けそうなくらい暑いときに、この坂道を登るというのはちょっと嫌になる。しかし、坂道の道中に振り返って地上を見てみると、遠くマラッカ海峡が見えるくらいの高さのところまで来ていることがわかるし、海沿いに聳え立つ観光名所になりつつある回転展望台も見ることができるからだ。こういう風景を見ると、ちょっと俄然やる気が出てくるのは不思議だ。両側が芝生になっているレンガの階段を上っていくと、その階段の上のところには、ザビエルの白い像が海の方向を向いて立っているのが見える。このザビエル像も、ザビエル教会にある像とは違う顔つきをしているので、昔の人の顔はいったいどれが本当の顔なんだろうと想像すると楽しい。丘のてっぺんには、問題のセントポール寺院が存在するのだが、あいにくこの教会は崩壊されて、その残骸だけが残っているものだ。これはマカオの聖ポール天主堂が正面のファザードだけ残って、あとは崩壊しているのとちょっと似ている。だが、マカオの教会よりはまだ残っている部分が多いところが良いだろう。

セントポール寺院の残骸だが、丘の斜面に沿って建っていたため、よく見ると、斜面に建っている建物のあとだったということがよくわかる。よく都会の坂道においても、建物の建て方がまっ平らのところに建っている建物と違う建て方をしているのがよくわかるように、ここでもそれがわかった。もし現在でもこの教会が昔のまま残っていたら、どんなに奇麗な教会だったのだろうと想像すると楽しくなる。石のブロックを積んで作られているのが良くわかる教会の跡なのだが、内部に入ってみると、この教会が崩壊した原因を作った戦争の生々しい跡が残っているのがよくわかる。この教会、ポルトガル人が作ったことは述べたが、その後にマラッカにやってきたオランダと交戦をしてそのときにポルトガルは敗走する。オランダは、プロテスタントなので、カトリック教会を教会として使うことはしない。そのままこの教会を東インド会社の事務所に使ったが、そのあとにやってきたイギリスと交戦したことで、結果的にこの教会は崩壊する。そのときの戦争で使われた銃弾の跡が生々しく壁に穴として掘られているのが見られる。教会の一番真ん中には、ザビエルの遺体が一時保管された場所がある。最終的にザビエルの遺体はインドのゴアに埋められることになったが、中国で死んでしまったザビエルが遺体を運ぶ途中で、中継貿易地としてすでに発達していたマラッカに立ち寄ったときに、この教会に収められたのだと思う。

マラッカの中では一番小高い場所なので、太陽がめちゃくちゃ高い位置で見られる。そのおかげで日差しがとても強い。その代わりに日陰のところに行くと、風がそよそよ吹いているのでとても心地よい。

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