オランダ広場をさらにラスサマナ通りをどんどん北上してみよう。この通りはひっきり無しに車が通っているので非常に危ない。なにしろ、マラッカの北部にある高速道路から街中に入ってくる場合には、まずこの通りを通ってこないと来れないからである。そんな幹線道路なのだが、幹線道路のくせに道幅が、片道1車線どおりなのでかなり車が混雑している。そういうときには、道路の端が、ペラナカン独特の建物になっているから、アーケード形式になっている歩道を歩けばいいと思う。ただし、歩きにくい。そんな通りをしばらく歩くと、いきなり目の前に真っ白な教会が見えてくる。ここがマラッカにあるフランシスコ・ザビエル教会(Church of St. Francis Xavier Melaka / Gereja Katolik St. Francis Xavier Melaka)なのである。日本人にはなじみの深いカトリックの聖職者であるあのザビエルに関する教会である。
ザビエルは日本に最終的にはやって来たが、その前には本国ポルトガルから東南アジアのあちこちを通って日本にやって来た。だから、ザビエルが立ち寄った土地にはザビエルを祀る教会が必ずといっていいほど存在する。一番有名なのはマカオだろう。そのほかにはここマラッカが挙げられる。
さて、教会の敷地に入って、教会内部にでも行こうかなとおもったところ、右側に石像が二体立っていた。そのうちの1体はザビエル本人の像である。しかし、日本の歴史で習ったザビエルの顔とは全く違うような顔にしか見えないため、最初はこの禿オヤジは誰だろう?と思ったほどだ。歴史の本に出てくるザビエルは、右斜め上のほうをみたチョビ髭を生やしたひとなのに、ここではすっきりした顔になっていたからである。もう1体、なんだか小学校の校庭に昔建っていた二宮金次郎みたいな石像があった。石像の足元を見ると「やじろう Yajiro Angero」というのが日本語とアルファベットで書かれている。実はこのヤジローというひとは、薩摩藩出身の人で、このひとがザビエルを日本に連れてきた。というのも、ザビエルが1547年にここマラッカにやってきたときに、ヤジローと出会い、彼の案内で1549年に薩摩藩主の島津貴久と出会い、そこで宣教の許しを得る。ここからは、日本の歴史に出てくるザビエルの働きだ。ただ、ザビエルは日本に2年しかいなかった。ザビエルは滞在中にカトリックの流布に努めたのだが、思ったほど成果を挙げられず、結局そのまま帰国してしまう。しかし、日本にカトリックの門を開いたという意味ではザビエルの功績は大きく、日本に連れてきたという功績ではヤジローの功績も大きい。そこで、鹿児島マレーシア友好協会というところが記念して2006年7月1日にこの2体の石像を立てたという。
さて、教会の内部はどうなっているかというと、まず白い壁と高い天井が映えていて、とてもすっきりした感じに見える。ごつごつしたキリストの肖像画が存在するのではなく、正面も派手すぎる祭壇があるわけでもないからなのだろう。
その代わりに、すべての窓枠のところには奇麗なステンドグラスが飾られている。ところが、ヨーロッパの教会のように、キリストの一生を順番に追って紹介しているというものでもない。肖像画として描く代わりに、キリスト教の話について題材になるようなものをいろいろ紹介しているという感じに見える。ただ、おもしろいのは、どんな題材なのかということをステンドグラスの下のほうに文字で説明が書いているのだが、英語・中国語・タミール語では書かれているが、マレー語では書かれていない。マレー語で書くことは、イスラム教だからということで、嫌われているみたいである。
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