2008/03/15

豊平館


札幌の中でも数ある観光地の中でも、落ち着いた雰囲気の場所があり、個人的にはお勧めの場所がある。それは豊平館(ほうへいかん)である。中の島公園の傍に立っている国の重要文化財にも指定されている建物なのだが、これが普通に入館できて見学できるというのが良い。外から見た雰囲気が、とてもここが日本なのだろうかというような雰囲気を醸し出しているのだ。それも冬に訪れると、青白い建物と真っ白な雪のコントラストがとても映えており、写真を撮ったりするのは、とても情緒があってよい。

建物の中に入ると、明治から大正にかけて作られた建物の独特の作りになっており、全部屋が赤絨毯を敷き詰めており、天井からはヨーロッパのアールヌーボー風のシャンデリアがある。入り口のところには、天皇の玉座も置かれているので、間近でみるのも良いだろう。それと、2階にあがると、とても広々とした部屋がある。なんとここでは結婚式も使われることもできるというから不思議だ。また、ここでは何かの記念として会食をすることも可能なのだそうだ。予約さえしていれば、豪華なフレンチがここでは食べることができるが、一体どこで作られているのだろうか、かなり不思議である。そんな重々しい料理じゃなくても、喫茶であれば、10時から17時までの間に取る事は可能だし、喫茶は予約が要らない。札幌の人たちはここで結婚式を挙げるというのがステータスなのだろうか?

豊平館
住所:札幌市中央区中島公園1番20号
http://www.city.sapporo.jp/shimin/bunkazai/houheikan/

冬の小樽


冬の小樽に行ってみた。北国の冬は、前に別の町にすんでいたことがある経験上、もう二度と住んでみたいとは思わないのだが、観光として短期間だけ滞在するのであれば、結構楽しいところだと分かった。それも冬の小樽であれば、人の動きが無いため、ひっそりとしていると考えられがちだが、そこは観光地なのでそんなことはお構い無しである。

ましてや、冬の時期は旧暦の正月と、金持ち中国人の雪国への憧れが拍車をかけており、小樽滞在中、かなりの数の香港人・台湾人・そして南方中国人の観光客を目撃し、その騒々しさにここは一体どこなのだ?と考えてしまうくらいの怪しさがあった。さっそく観光地の代名詞になっている運河に行って見るのだが、夏とは違って雪が有る運河も趣があってよろしい。そして傍にある運河倉庫は、もうレストランの総合商社のようなところで、お土産は売っているわ、地ビールは売っているわ、寿司屋はあるわで、昼時になるとかなり混雑になることが想像された。たぶんたくさんの人が訪れる前に、ここでちょっと早いご飯を食べる。もちろん、ここでは「いくら丼」。もちろんという言葉を使ってしまったが、なぜか北海道に来ると、いくら丼を無条件に選んでしまうのだ。絶対いくらが美味いと分かっているからなのだろうが、ここまでいくらを選んでいると、馬鹿の一つ覚えなのだと考えてしまう。そのあとは小樽の観光名所になっている観光通りを歩いてみる。でも、雪道なので歩き難い。雪掻きをまともにされていない道路だし、たくさんの人が歩いた後なので、道がぐちゃぐちゃになっている。それでもやっぱり雪国に憧れている香港人や台湾人たちは、きゃっきゃ言いながら暢気に歩いている光景は微笑ましい。

それにしても小樽は、明治以降に作られた町とはいえ、西洋文化の名残の建物がそのまま残っているので、建物を見ているだけでも楽しい。○せーバタークッキーで有名な六花亭のサテライトショップがこのとおりにあるのは知らなかった。どんなものが売っているのかなとおもって入ってみる。もちろんバタークッキーは山積みされているのだが、それ以外にも六花亭の製品は結構あることをここで知る。店内はお土産を満載している観光客で、ほとんどバーゲン会場と同じような感じだったのだが、2階にあがると、ここでしかゲットすることができないシュークリームが売られているし、その場でコーヒーと一緒に食べられるサービスの場所も用意されている。これは知らなかった。今までは、小樽でお茶をするのであれば、銀の鐘でするものだと意識していたのに、この常識を覆してしまった。

小樽の鰊御殿


雪祭りの時に、ついでに小樽に行ってきた。小樽は何度か行っている場所ではあるが、何度行っても楽しいと思う。明治以降のちょっと昔の日本と近代が微妙な関係で共存している街並みだからかもしれない。すっかり観光地になっている小樽ではあるのだが、少し足を延ばしてみて、小樽でもあまり行かない場所に行ってみたいと思った。小樽で有名なところは、石原裕次郎博物館ではあるが、そんなところは興味が無いので却下。もう1つの有名なところは、鰊御殿である。むかし、ニシン漁で財を成した人が立てた自分の家を、今では観光客用に一般開放にして、大儲けした家の中を自由に見せてくれるのだ。

しかし、それだけニシンは昔は大儲けができる材料だったのだろうか?この御殿は、ニシン漁を統括していた棟梁の家なので大きいのは当然だが、一般のニシン漁の漁師もそれなりに昔はかなり大儲けできたようである。全員が大儲けできたのだから、相乗効果で全員が幸せになるということができたのが小樽なのであろう。田舎の大きな家は結構その辺にもごろごろあるのは知っているのだが、ニシンで財を成したひとの家はどういう家なのだろうと興味があったが、まぁ、行ってみて吃驚した。ここまで儲けられたのかというのが正直な感想である。

小樽駅前からバスに乗ってだいたい20分くらい、水族館方面に向かう。祝津三丁目というバス停を降りると、目の前に看板があるので、その看板に従って歩いていこう。しかし、観光地だからそれなりに整備されているものかと思ったら、大間違い。その辺の裏道に行っているのではないか?と勘違いするくらいのどうでもいい普通の路地。それに裏道なので、雪が降っている時期だから、雪掻きなんか全くされていない。車の轍を通って歩くのは結構大変。そして、御殿の入り口近くは高台になっているし、それが雪道で滑るので歩くのはかなり大変だった。

この御殿の本当の名前は「貴賓館」と呼ばれているが、地元の人にはニシン御殿で名前が通る。しかし、本当の名前はこの「貴賓館」でもない。「旧青山別邸」というのが正式名称だ。この御殿を作った青山というおじさんとその一族が建てた建物であるからだ。その御殿にやってくると、その敷地面積があまりにも広くてビックりだ。いくら小樽の田舎だとはいえ、これだけの敷地面積があるのはかなりの金持ちだったというのが想像できる。入り口から見ただけで建物が城ではないが、木像の最高峰をこれでもかーと使っているのがよくわかる。

現代的にいまは作り変えられてしまった入り口に入ると、まずは、天井高いところに無数のタイル画でお出迎えだ。これは建物の中で風呂場に使われていた天井画をそのまま持ってきたものなのだそうだ。こんな天井を見ながら風呂に入るとはどういう家なんだろうと想像が膨らむ。

冬の期間だけは木像の建物なので、どうしても寒いため、厚手の靴下を貸してくれるので、それを履こう。入場券を買って、そのまま建物の中に入っていくと、まずは、建物に入る地下へ続く階段でお出迎えである。しかし、この何気ない階段の壁には、無造作に掛け軸や昔の写真があったりするから、これだけでも十分に楽しい。そして中に入ると、日本家屋の真髄を随時見ることができる。部屋の数はたぶん40以上もあるかと思われ、それぞれ何に使われていたのかかなり興味があるが、そのあたりの説明は全く無い。しかし、装飾品がたくさんあるために、それを惜しげも無く見せているところが、かつての金持ちの為せる技なのだろう。

全面桐で出来た階段が普通に使われているところは、最近作られた階段なのかと思わず感じてしまうくらい全然劣化していないし、保存が綺麗だ。それに光沢があり、いまでも十分貴賓を感じることができる。

書院つくりの部屋もあったり、屏風がばばーんと立てられている所もあり、もうここまでたくさんあると、いささか金持ちの道楽にも嫌気が差してくるのはなぜだろうか?

しかし、意外に食事をする際には、地味だった模様である。それでも、毎日がお正月のようなお膳と食卓の様子が再現されているので、これは参考になる。貧乏人の家のように、ちゃぶ台を囲んで食事をするということではないところに、躾や品を感じるのは何故だろう。どんなに綺麗な格好をしていても、食べるときの態度でだいたい人の品は感じることができるものだ。

純日本風建物なので中は全部和室なのかと思ったら、実際にはそうでもない。洋間の部屋もあるのだが、これが他の部屋と全然雰囲気が違うので、なんだかかなり違和感が有る。明治当時、西洋の金持ち風に振舞いたいと思っていた日本人がたくさんいたのは仕方ないが、本当の西洋の金持ち・貴族が見たら、きっと笑ってしまうような不調和の装飾に気付くだろう。
しかし、純日本式の部屋はどこも本当に立派である。金持ちが家に金をかけるのは田舎では良くある話だが、ここでも同じである。
やっぱり日本人として生まれたのであれば、和室のほうが本当に落ち着く。西洋かぶれの部屋にするのも金持ちになった場合の一種のステータスが得られるのだろうが、いまは材木や技を持っている職人を探し出して、贅沢に和室を作るほうがよっぽど金がかかるし、大変なことなんだと思う。