2011/03/19

乾隆帝

清王朝の時代で一番華やかな時代は、康煕・雍正・乾隆の3皇帝の時代であろう。この時代に満州族の皇帝ができるだけ中国大陸の高度な文化を受け入れ、自らのアイデンティティを残しつつ、高度な文化・技術・思想を取り入れて、それを吸収していった時代である。康煕帝の時代に、中国大陸での満州族による支配の基盤を確固たるものに作り上げ、雍正帝のときに質素倹約と密偵組織を作り上げたところに、最終的に文化増長の手助けをしたのが、乾隆帝である。

台北の故宮博物院に行くと、定期的に乾隆帝に関わる特別展示会を行われているときに良く出くわすのだが、この展示物を見ているだけでもため息がつくようなすばらしい作品をたくさん見ることができる。そのときの多くは、満州らしい作品ではなく中国エリアの文化を自分たちのものにして、独特の綺麗な作品に仕上げられているようなものがたくさんある。これを後ろからパトロンとして作らせたのが乾隆帝なのである。

満州民族の生まれながらにして漢民族よりも漢民族でありたいと思い続けた乾隆帝について述べられているのは、文藝春秋から出版されている中野美代子著の「乾隆帝」が詳しい。
芸術の分野で特に乾隆帝は清王朝のなかで一番輝いた歴史を作った。絵画を見ただけでそれまでの画風と乾隆帝のころの作品では断然違ってくる。これは、イタリア人でイエズス会の宣教師だったジュゼッペ・カスティリオーネの影響はかなりある。カスティリオーネを特別に宮廷画家として重用し、カスティリオーネから西洋の画風を中国に持ち込むことに成功した。ルネッサンス以降の人物や風景に対する技法が圧倒的に鮮やかにそしてはっきりと描いているところがその特徴だろう。それまでは水墨画や色彩画でも、顔の描き方や背景の構図は適当に描いていたように見える。ハブスブルグの宮廷画家の作品にも見られるような細かい描写のところを丁寧に描いているのは、カスティリオーネが持ち込んだ技法の特徴だと思う。カスティリオーネが関わったものは絵画だけじゃない。建築物に関しても大いに影響を与えた。北京の郊外にある円明園は、いまでも観光スポットだが、ほとんど廃墟同然の状態に現在はなっている。しかし、この円明園で現在ではぶっ壊れた形のままに残っている大理石で作られていた数々の建築物は、実はカスティリオーネが監修し、西洋風の建物を作ったものがここでは豪華に立ち並んでいたものである。どういう建物形式だったのかは、少しカスティリオーネとその弟子が関わった絵画に残っているところなのだが、イギリスとフランスがめちゃくちゃにぶっ壊し、高価な貴重品は全部イギリスとフランスに持っていかれたので、残念でならない。また、中華をこよなく愛していたにも関わらず、良いと思った文化や制度を積極的に取り入れて許可した乾隆帝は本当にすばらしいと思う。

乾隆帝は歩く詩人とでも言われているくらい、膨大な詩を漢詩として作成している。満州文字ではない、漢字だ。生きている間の作品数は4万点とも5万点ともいわれており、それはすべてが「高宗純皇帝聖製詩」という5集に収められているのだが、ここに収められている詩の文学的価値は、その辺のおっさんが作った適当な詩と同じくらいの価値しかない。しかし、歴史書としてみた場合には、当時の正式な文書の中では見て取れない事実を詩を通して見出すことができるという意味では、貴重な個人による日記みたいなものだろうといえる。そう、漢詩は彼にとっては日記みたいなもの、今で言うところのツイッターみたいなものだったに違いない。

乾隆帝といえば、絶対外せないのは「十全武功」だ。十回の武力による成功というものを、彼は後世に自慢しておきたい事項として自らの詩の中にこれも記した。カザフスタンに居たジュンガルを平らげたこと2回、ウィグルを1回、金川(四川省北部の苗族の住んでいるエリア)を2回、台湾の平定を1回、ビルマとベトナムを降したことがそれぞれ1回、それとネパールを2回平定したということ。本人が勝手に「やったこと」になっているのだが、実際にはベトナムには侵攻したが負けているし、台湾の平定は、台湾に秘密結社ができて明を復興しようとする動きを封じ込めたということを意味するものだからだ。まぁ、本人が自分の手柄として後世に残したいのは良くわかる。そういえば、台湾では2代目総統の蒋経国の時代にも似たような政治的スローガン「十大建設」を行った。これはどちらかというと、台湾のインフラを整備するための政策なのだが、きっと乾隆帝の「十全武功」を参考に言葉を選んだのではないかと勝手に解釈している。

乾隆帝の時代に一番領土を広げた清の時代。いまの中国人の「中国」の概念はこのときの領土を基本知識として植えつけているため、現在の領土問題のときに、ウィグルやチベットのような、全然中国じゃない場所も「中国だ」と絶対的な主張をする。だけど、本気で「中国じゃないかもしれない」と思っているのか、内モンゴルも含めて、それらの地域は「自治区」になっている。だけど、一度手に入れて認めた領土を「返します」ということは、中国人にとって末代までの恥とおもうことと同意なので、なかなかこれらの自治区が独立国家になることはないだろう。

乾隆帝のときに構築された芸術や思想というのは現在の中国人にも深く植え付けられているという。一度植えつけられた思想を変えるには、相当強い衝撃がない限りに無理だ。しかし、良い思想であれば永久に持ち続けることは良いことだ。ひん曲がって、嘘で塗り固めた思想を持ち続けるのは危険だ。乾隆帝時代の良い部分だけを持っていてほしい。


乾隆帝ーその政治の図像学
著者:中野美代子
出版社:文藝春秋
新書: 260ページ
発売日: 2007/04

停電と交通網の麻痺

東日本大震災では、東京には被害は少なかったとはいえ、影響がまったくなかったかというと、かなり大きな影響があった。一番大きいのは停電だ。ここまで電気に縛られている現代社会においては、電気が通じていないということがなんと生活に影響が大きくかかわり、電気なしには生活ができなくなるということを身にしみたかわからない。

東京電力が13日の夜遅い時間に発表して14日早朝から実施しようとしていた、輪番計画停電は本当に困惑した。13日の晩の発表の際には、いったい自分のところが何グループに該当して、いつ停電するのかというのがそのときには不明確だったからである。なにしろ、停電するという範囲が関東全域にわたってなのである。たまたま14日は何もなかったのだが、実際に停電が始まったのは15日から。15日も決められた時間帯に停電があったり、途中で実施をやめたり、やるのかやらないのか、その時にならないとまったくわからないという方法を取っているのである。

確かに電気というのは、蓄積することができない。一気に電力を作るとしても、それを時間をおいて数時間後に利用するということができないため、節電するためには、その瞬間瞬間の電力使用量を抑える必要がある。電気の使用量というのは、使用する電気製品の使用率があがると必然的に上がる。その使用量がどの程度あがるのか、どの程度使われるのかというのを予測しないと、停電が要・不要というのを判断できないという特色を持っている。したがって、東京電力としては、過去の使用事例や経験によって、停電が必要かというのを判断しなければならない。しかし、そのオペレーションとしては、かなりユーザに迷惑が掛かった。ユーザとしては、あらかじめこの時間帯に停電すると確証していれば、それにあわせて生活様式を変えることができる。しかし、「停電するかもしれない」という非常に曖昧な実施予定だった場合には、停電しないかもしれないという半分期待のほうが強かったりするのが住民の思いである。それで、予定されているから、停電されるのは当然だとしても、その停電に対して不満が出てくる。やるんだったら、電力量の限界値に来ているのか来ていないのかは関係なく、実施したほうが良かったと思う。

これがなぜそう思うかというと、列車の運行状況に非常に関ってくるからである。JRの場合には独自の電源供給設備があるために、あまり東京電力の停電に合わせて電車の本数が減るということはないのだが、私鉄の場合には予備の電源設備がないために、電力供給予定地域が停電になった場合には、電車の運行ができなくなる。最初から停電であるということがわかっているのであれば、電車の運行についても、本数を減らして、定期的な運行サービスを提供できるのであるが、停電しないかもしれないという状態になると、鉄道会社はなんとか運行し続けたいという思いが顧客サービスから当然考えるわけなのだが、それを見越して乗客も甘い期待をして鉄道駅にやってくるから、駅自体が大混雑になったり、パニックを起こしてしまうということに繋がるからなのだ。やるなら、最初からやる。やらないなら、最初からやらないと電力会社としても腹を括ってほしかったところだ。

電車の運行でいえば、全線運行できるかというと、そうではない。電力削減のために運行頻度が少ないところや、乗客の影響が少ない路線や区間はサービスを提供停止を行ったり、本数を減らしたり、運行時間の制限を取り入れたりしている。それが普段利用している乗客にはとても影響が出てくることであり、特に通勤時間帯にがっちり食い込んでしまった場合には、会社に行けるのか、または会社から帰れるのかというような大問題に直結する。電車の運行にあわせて出勤・帰宅するような人たちが一斉に同一路線に乗り込もうとすると、ターミナル駅での大混雑は大変なものである。または乗り換えの駅でも同じような状態に陥る。ましてや、通常の時刻表とはまったく関係ないような時間帯で運行されるとなると、駅の案内としても、次は何線から何処行きの電車が発車しますというアナウンスを常に行っていなければならないということになる。

そこで提案だが、運行上、特に時間が掛かっても問題ないと思うのだが、私鉄の場合数多くの種類の列車サービスがあるが、これを全部各駅電車にしてしまえばいいのではないだろうか?むやみやたらに快速・急行・特急のような電車を運行するから、その運行している高速列車と各駅列車を区別したり、入れ子になって運行しなければならないというようなことに頭を使わなければならない。そんな手間を全部なくしてしまうために、全部各駅したらいい。ただ、どこで折り返しをしたらいいのかというのは、同一時間帯に線路上を走っている台数を何台管理しなければならないのかに直結するから、その管理能力を超えないくらいの本数であるのなら、特にサービスには文句が出ないと思う。しかし、これでも単純細胞の在日韓国人のような人たちにとっては、「なぜ快速を走らせない」というような理不尽な文句を言ってくることだろうが、そこは列車サービスとして腰をすえて、ポリシーを固めているのであれば、頑として主張に対抗できるはずである。

停電というと、企業活動にもかなり影響が出てくる。通常のオフィスビルでは、電力会社からの電源供給だけを頼りにビルは運用されているとおもうため、独自の予備電源を確保しているというわけでもない。予備電源を持っているような建物の場合には、1回や2回くらいの特別なときにしかその予備電源は動く必要がないため、「動く」という最低限のミッションをとりあえずは遂行できる。しかし、しばらく恒常的に停電が続くというのであれば、ある程度の電源確保をするためのバッテリーを回すのに必要な燃料は確保ができる。しかし、ガソリンが個人の馬鹿マイカーの単なるわがままのためにガソリンスタンドにやってきているやつらが多いために、そのため必要な燃料が企業や必要な車両に回っていないことが現実である。わがままな個人マイカーのやつらは、公共の交通機関を極力使うようにして、燃料は予備バッテリーが必要な企業や緊急車両のガソリンにまわすようにしてほしいところだ。そうじゃなければ、せっかくの予備電源を用意していたとしても、数回の停電には耐えたとしても、その後の停電には耐えることができなくなるのだ。

そういえば、都庁や県庁のようなところが停電時間帯に、明かりが煌々とついていて、周辺住民が「なぜ官公庁には電源が入っているのだ?」とクレームの電話が入ってきたという話しを聞いた。クレームを入れる馬鹿は本当に大バカだと思うのだが、官公庁としても、住民の安心・安全を恒常的に提供するためには、自分たちの仕事ができる環境を確保することが先決であり、それができるためには、夜であれば電源を確保して、ネットワークサービスや情報整理等のためのPCを稼動させなければならないはずだ。そこを住民を今度は意識過剰に思い、住民が苦労しているのに自分たちだけ電源を使うなんていうのはおかしいという、どこかのあたまのおかしい部局の偉い人がいったことにより、停電時間においては、夕方だろうが、まったく業務に支障が起きるのはわかっていても、予備電源の供給を今後はしないようにするようである。これって、なんか根本的な間違いをしているのではないだろうか?

家庭に話を移すと、普段停電に慣れていないので、ご飯時や通常の停電にも困らないようにと、懐中電灯が異様に売れている。電気屋にいったら、どこを探しても懐中電灯がもう在庫がない状態になっている。懐中電灯は乾電池を使って利用するものが多く、手巻き式で利用できるというものがあまり多くない。乾電池式のほうが手軽だからなのだろう。こういう停電のときにも困らないように実は手巻き式の懐中電灯を購入しておいたほうがいいかもしれない。懐中電灯もないのだが、利用するためには必要な乾電池も実はどこを探しても存在しない。特に大きな懐中電灯を使うために必要な単1電池や単2電池が売られていないのである。売られているのは単3乾電池よりも小さいサイズの乾電池か、または四角の乾電池、そして丸電池である。単1電池がない場合、単3乾電池で代用するような方式については、こちらのサイトを参考にしたらいい。それでも普通の乾電池だと1回使ってしまうと、それで無用になる。ということは、エネループのような充電式の電池を利用するのが一番いい。停電は常に停電になっているわけじゃなく、電気が使える時間帯があるはずなので、その時間帯に充電しておけばいいのである。ヨドバシカメラに行ったら、「お一人様3個まで」と単3電池式のエネループが売られていた。しかし、電池が売られているエリアと離れたところのレジで会計をしたときに、エネループの束を5個持っていったのだが、特にレジの人には何も言われないで買うことができた。結構店の人も混乱時には混乱しているんだなというのがわかる。コンビニに行っても、ドラッグストアに行っても、まったく電池らしいものは売り切れているので、本当にたまたまヨドバシカメラで見つけてラッキーだったと思った。

東京電力
URL : http://www.tepco.co.jp/index-j.html

単3電池から単1電池を作る方法
URL : http://meteor.blog.avis.jp/archives/218

災害時の政府の役割

今回の東日本大地震が発生した後の政府と東京電力の対応は、巨大組織におけるありがちな多数の間違いを、一般国民に露呈したという意味で、大変興味深いことだった。

トラブル発生時には、トップが率先して指導や方向性について陣取らないといけない。大きな会社にありがちなのは、そのトップが形だけの「災害対策本部」みたいな組織だけを立ち上げて、そこに情報を集めさせるのはいいのだが、集めた情報をまったく処理できず、集めた情報をまた別の人間に処理させて、そこからでてきた回答のみを受けて納得するという手段をとるのが結構多い。つまり、トップの人間は、なんちゃら本部という形だけの意味不明な長には属しているのだが、その役割はまったく何もせず、温かいコーヒーでも飲みながら、柔らかいソファにどっかりとふんぞり返っているだけの無能な存在でしかない。彼らにとっては組織を作ること自体が指名であり、その責任は絶対自分では取りたくないと思っている。したがって、あがってくる情報から、自分に責任が降りかかってきそうなところに対しては、十分になにか他責になるような努力をするのだが、そうじゃないようなところについては、「良きに計らえ」と無関心でいることもよくある。現場で起こっていることが第一主義だというのが、口癖のように言っているくせに、いざ、ほんとに何か困ったことが現場で起こったことになると、ほとんどが逃げ腰になる。逃げ腰になるのは簡単で、責任を取らなければならなくなるという危機感がいきなり自分のみに降りかかってくるからである。

自分が属している会社で、あるとき、頭がおかしいんじゃないのか?というような掟が回ってきた。それは簡単に言うと「社内の人間もお客様だと思え」ということ。なんでそんな考えが出てくるのか意味がわからない。社内の人間より社外の人間のほうが断然重要である。社内の人間同士のほうが良く知っているからやりやすいという安心感があるのだろう。そりゃぁそうだ。社外の人間とやりとりすると、社内の法則がまったく通じないような事態に直面することはよくあることだ。社内だと、そんな事態が表面化する前に、上部組織を使って揉み消しが行われたりするからである。つまり、「事なかれ主義」であることが重要であり、表面化することにより、誰かが傷つくことがいやだからというのを避けているだけである。誰かが悪者にならなければならない場合が絶対にある。そのときに、部下に責任を押し付ける馬鹿リーダが結構いたりするのだが、それはおかしい。責任を取るのはたとえ部下が悪かったとしても、それを管理している管理者が悪いのである。その管理者が責任を取るべきなのである。概して、管理者の多くは、自分のクビや出席ばかりに目が行き、本来の目的である、トラブル回避やトラブル鎮圧に関して、どうあるべきかということをまったく頭になく、常にそれは部下に「なんとかしろ」とか「なにか案を出せ」とか、無責任にも指令を出すものだ。そして案を出した場合、文句ばかりは言うのだが、それに対して何も良いも悪いも判断できないようでは、もうその管理者はまったく存在価値がない。

今回の大地震における政府の対応のまずさは、いくつかあるだろう。1つは現場に政府関係者が行かなかったこと。それから、東京電力に対して今後のスケジューリングを提示させなかったこと。さらに言うと、最悪のケースを想定してトラブルの鎮圧をしなかったこと。もっと言うと、地震被害全体についての広い目線でモノをみず、目の前の出来事だけにしか注目せず、多くのことを後回しにしてしまったことというもので分けられるだろう。

まず、現場に政府関係者がいなかったことだが、首相を初めとする多くの官僚たちは、いち早く被災地に飛んで、自分の目で状況を確認するべきだという行動が必要だが、なにか困ったことがあったら、単にあたふたするだけで、先述したとおりに「災害対策本部」なる組織を作ったのはいいが、その中に閉じこもって、周りから情報だけを仕入れようとするだけである。そのときにどんな情報がほしいのかということをまったく指示しないので、結局自分たちもどんな状況になっているのかということが理解できない状態になる。そのまま、記者会見を開いて、伝聞された情報だけを伝えるが、記者や一般人が知りたい情報とは程遠いことをその場でようやく知ることになり、慌てて別の情報を仕入れようとするということになるのである。馬鹿首相の菅直人は、自己責任を取りたくない典型的な馬鹿人間なので存在すらどうでもいいものになっているのだが、枝野官房長官が記者会見を定期的に開くのはいいのだが、そのたびに官邸からの中継しかないことが気に食わなかった。よくもまぁ、官邸にしか居ないで状況の説明ができるなと感心する。本当の状態を知りたいのであれば、野営地でも作ってでも現場に乗り込んで、その場所から記者会見を開くべきである。そうすれば、官僚や東京電力の報告についても、少しはなぜそうなっているのかということに対して理解できるのだろうと思うし、どれだけ現場が逼迫しているのかとか、危険な状態になっているのとか、そういうのを知ることができ、国民に対して知らしめることができるわけである。そして、記者会見を開いている場面をテレビで見るたびにびっくりしたことは、閣僚の人間たちが記者会見に臨む時に、意味不明に作業服を着て会見を開いていることだ。これが災害現場で行われているのであれば、その井出達で登場するのは納得する。ところが、汚れどころか、電気が煌々と点いて温かい環境にいるような人たちに、あんな作業着を着せてなにか意味があるのだろうか?汚れるような場所に居ないにもかかわらず、「政府もがんばってます」というのをアピールするためにだけ、あの服装をして会見をしていること自体がナンセンスだし、腹立たしさこの上ないと思った。本人たちはがんばってますというのを単に見せたいのだろうが、まったく現場の大変さとか危険さというのが伝わってこないのは、あぁいう会見をきれいな服装で行っているために、視聴者のほうが「あほくさい」と感じてしまうのだろうと思う。

続いて、政府が東京電力に対して改善のためのスケジューリングを提示させなかったことについて。だいたいトラブルがあった場合、そのトラブルを鎮圧化するための段取りについて、検討し、それをどういうスケジューリングでやるのかというのを考えるのが常だ。政府も東京電力にまずはこのスケジュールの提示を求める必要があった。いつまでにどんなことをどのようにして実施するかということだ。よくお勉強の世界で「5W1Hで考えよ」というのを政府はまったく今回は行っていないのである。だから、東京電力側としても入ってきた情報をそのままなんとか手探りでやろうとしていて、結局長いスパンでモノを見ることをせず、今やっていることが今後どのような影響が出てくるのかというのをあまり考えないでやっているように見えた。または、内部で馬鹿な勢力があって、あまり表立って東京電力の評判を落とすような悪い状態を見せるなと言っているのが居たかもしれない。そのために、本当の状況についてを政府に報告せず、なんとか見えないところで収めてしまおうと考えていた馬鹿勢力が居たのだろうと思う。そういう勢力が大手を振って行動しないように、政府としても、長期で何をするべきかというのを出させることで、余計な思惑を企業に持たせないようにするグリップをしっかり持つような事をするべきだった。だから、記者会見で発表するたびに、「それがいったい何に役に立つのだ?」という記者からの問いに対して「次回、調査して発表します」なんていう子供の使いか?というような返答しかできないのである。

続いて、最悪なケースを想定して行動していないという点。トラブルがあった場合、その影響が最悪どのような状態になるのかということを頭に常に入れて行動しなければならない。その最悪以上の悪いことは起きようがないのだから、何かの判断材料があれば、その最悪な状況から良い状況にだんだん状況のステータスを移動すればいいのである。政府は楽観的に、まずは「被害は最小程度である」という状態が当然だというところからスタートしていたから、後手後手に処理が間に合わなくて、結局本当なら国民に隠していようというようなことも勝手に情報が漏れてしまって、隠し切れなくなってしまうという状態に陥り、それはどう見ても「ダメだろう」というのが国民がわかってしまっているのに「まだ安全です」というふざけた回答を記者会見で行うことになるのだ。常に最悪のケースを想定した上で、事故処理をどうするのか、住民の処理をどうするのかというのがまず大切なことである。少し記載したのが、この最悪のケースを想定した行動と指針の提示には、国民に対して現状を正確に報道発表するということが絶対不可欠になってくる。国民にすべてのことを隠して行動することは、さらに国民が混乱し、パニックになるからだ。頭の良い人にありがちなのは、情報を開示すると、パニックになって、そのパニックを収拾するのが大変になるから、情報公開はしないというような発想を持つ人が居る。これは大きな間違いである。情報がないから、国民は勝手な想像をして、無意味な行動に走り、それが雪だるま式に情報の流布が膨らんでしまって、政府が想定しないような混乱が出てくるのである。一番良い例は、東京に水や食料やガソリンがスーパーやコンビニからなくなってしまったことだろう。これは国民に情報を開示しないから、国民としては勝手な想像で「ご飯がなくなる」とか「水が飲めなくなる」と勘違いしているために、国民が勝手な食料調達の買いだめをしているからである。それもこれも、政府がまったく情報公開をしないからいけないのである。それと、政府の発表することが、いつまでたっても大本営発表というのを踏襲していることだろう。戦時中の発表というのは、すべて大本営発表が正しいことで、それ以外の情報が漏れると、国家反逆罪にあたり豚箱に入れられた。敵国アメリカやフランスのラジオを聴いて本当の戦局を聴いていたという先人たちはたくさんいる。まさしく今回の情報公開についても同じで、政府は最悪のケースを想定した現状の発表をまったくしないで、常に「安全です」とか「心配要りません」というような報道しかしない。ところが、原発が爆発してそれが動画として残っているのに、それでもまだ「安全です」なんていうのを平気で言っていること自体が信じられない。おそらくパニックになられるのが困るからなんだろうが、情報がないほうがパニックになるのだ。首都圏2500万人が西日本に逃げられるのが困るのか?!今回の災害のあとの報道に関しても、アメリカやフランス、そして原発に関してはロシアのほうが正確にそして迅速に報道をしていたので、ツイッター経由でよく情報を収集した。

最後に、政府は目の前のことばかりの処理に重きを置いて、地震災害全体に関する対応がまったくできていないのではないかと思う。今回の災害では、複数のことが同時に起こった。被害地域は三陸沿岸から茨城までの太平洋沿岸と、東京湾の一部であるが、そこではインフラや道路、そして家屋が粉砕しているのであるので、その避難民への食料、水、物資、薬品等の供給がまずは必要である。それと同時に、福島の原子力発電所がぶっ壊れたことによりその放射能汚染の対応というのが求められた。いち早く、各国から救援対応が日本政府に来ていたにもかかわらず、あまり日本政府はそれに対して「是非よろしく」というのをなかなか承諾しなかったようである。海外から「日本政府がなかなか承諾しないので、日本への救援ができない」という報告を受けたから、その事実がわかった。地震が発生したときから福島原発はヤバイと言っていたのに、最初から政府は安全だ、問題ないと発言した。ほんとか?という疑問はすぐに解消されて、「ほら、やっぱりだめだったじゃないか」という確信に変わる。地震直後の場合には、津波で町がぐちゃぐちゃになったことに皆が関心が行ったためか、広く分散している災害の各地区について政府も対応していたのだろうが、あるときから原発がダメだということがわかったので、そのときから政府はほとんど原発のことしか頭にないような気がする。そのために政府が率先して災害地域に対して、物資の供給をしたのかとか、インフラをどうするように指導したのかというのがまったく情報としてあがってこない。それもこれも災害全体のことを頭に入っていないからだろう。それと、なんでもかんでも自力でなんとかしようとしていたことが痛手になっているのではないのだろうか?アメリカやロシアが率先して救援に駆けつけるとか、原発についてはプロが手伝ってやるといったのに、東京電力や政府は最初は「要らない」と言ったのだが。よくもまぁ、こんなことが平気で言えたと思う。なにか知られてはまずい情報でも隠しているのだろうか?こういう危険な状態になっているのであれば、もう自分たちの手で何とかしようとするのではなく、他人の力を借りてでも鎮圧化することに努力をすることが重要だと思うのだが、それを怠った政府と東京電力にかなりの落ち度がある。

いずれにしろ、今回は対応がすべて悪かった。悪かった対応の全責任は菅直人にあるのだが、彼はほとんど記者会見の場に出てこなかった。国民がこんだけひどく困惑している状態なのに、一国の首相がほとんど表に出てこないというのは、やつはいったい何者だと考えているのだろうか?天皇気取りをしているとしか思えない。「愚民たちよ、良きに計らえ」と枝野官房長官に全部任せて、すべてが鎮圧したあとに、のこのこと表に出てきて「みなさんご苦労だった」と言うだけなのだろう。的確な指示もできない指導者は不要であり、邪魔であり、存在価値がなく、むしろ死んでもらいたい。たまにテレビの記者会見で菅直人がなにかを話をするのだが、そのときには、解決をするためにこんなことを具体的にしているというようなことをまったく話さず、精神論でガンバろうみたいなことばかりしか言っていないで、具体性がない。具体性がないコメントほど時間の無駄と、聴いていてイライラするものがない。これが天皇陛下が話をしたのであれば、別にかまわない。天皇陛下は日本国の象徴であるからである。首相は違う。首相はどのようにするべきかを考えて、それを行動に変える人でなければならないのである。ところが彼はしない。まるで上皇のように裏に篭って何もしない。一言口を開くと、馬鹿丸出しの発言しかしないから、もう表に出るなとほかの人から言われているようにしか思えない。

菅直人を見ていると、わが社の偉い人たちの行動にそっくりだと本当に思った。そしてテレビ等をみて思ったことは、つぎのとおりである。

「決めるのがリーダー。
 決められない人はリーダーになれない。
 非難されても決める。それがリーダー」

これに限る。

紫禁城の栄光

北京は昔から交通と交易の要所であった。戦国時代に燕という国が支配したことにより、北京あたりの呼称をそれ以降「燕」と呼ばれ、その地域を治めることになった王は代々「燕王」となる。時には皇帝より封ぜられる場合もあるし、自ら王と名乗る場合もそうだ。交易の要所というのは、満州エリアで取れる毛皮などと、黄河流域で取れる小麦との交換である。その北京を首都とした王朝は、大きなところでは、元以降の王朝である。しかし、元の場合は、本当の首都はモンゴル地区であり、北京を首都としたのは漢人を封じ込めるために戦略的につくり、1年の半分はそこに滞在していたというときに使われた。本格的に北京を首都にしたのは、明朝以降である。

本書は、その明朝以降の北京を中心とした東アジアから中央アジアにかけての歴史を駆け巡る書物である。中国の歴史だけではなく、満州エリアやモンゴルエリア、そして時にはカザフスタンあたりの中央アジアやチベットや雲南地域まで含めての攻防を述べているので、視野を中華世界だけではなく、もっと広い地域として理解しなければならない。もちろん、その歴史の中には日本や朝鮮が当然入ってくるのは言うまでもない。講談社学術文庫らしく、この書物については、明朝以降の本当の歴史について、これまで曖昧だなとおもっていたようなことをきれいに整理してくれる書物だと思われるので、題名の「紫禁城」に惑わされず、是非東アジアの歴史を知りたい場合には読むべき良書だと思う。

明朝の初期は南京を首都とする国家つくりをしていたが、第三代皇帝の永楽帝のときに北京が首都になる。それは永楽帝が父親の初代皇帝により、最初に封ぜられていたのが北京を中心とする燕地域であり、前王朝のモンゴルの生き残りが常に中華平原にちょっかいをしかけてやってきたのを武力で抑えていたことが始まりである。住み慣れており、部下の人間も北京を中心とした地域に住んでいたものを使っていたわけだから、いきなり皇帝になるために南京の穀倉地帯に移動するということになると、故郷を寂しがる部下も多くなるわけだし、住み勝手がわからない南京よりも慣れている北京で南の華人地域に対してにらみをきかしたほうがいいというところで北京が発展し始める。そして元が北京を首都にして使っていたときの跡を永楽帝がどのように使っていったか、または官僚機構をどのように形成したかというのがここでは結構詳しく書かれているのでわかりやすい。

明朝の滅亡は倭寇の駆逐や東北からの他民族の攻撃、そして日本から朝鮮へ秀吉による出兵によって、朝鮮から「ヘルプ!」と言われたことによる手助けをしたことによって、徐々に疲弊していったことが原因だというのがわかるが、最終的に満州族である清に滅ぼされたとばかり思っていたのだが、実はまったくそれは嘘で、本当は南京あたりから出てきた匪賊である李自成が明朝に対して最後の止めを刺したことが今回の書物を読んで初めて知った。

もし、本当に清が明を滅亡させたのであれば、いまでも北京郊外に存在する「明の十三稜」と呼ばれる明朝歴代皇帝の墓は、確実に暴かれて、めちゃくちゃに壊されたことだろう。しかし、実際には現在でも観光地としてとても有名なところであるということは壊されていないということである。むしろ、清は明の皇帝たちを敬っていたとのこと。なぜなら清がまだ東北地方にいたときに、満州族にとっては明は自分たちの生産物を買ってくれる大きなお客様であったし、自分たちも穀物を購入するために供給してくえっる大供給拠点であったため、持ちつ持たれつの関係だったからである。交易の関係から実は敵対していたわけではないということを知るのも歴史の面白さのひとつだろうと思う。

特にこの書籍がすばらしいと思うのは、あのユーラシア大陸をほぼ全域に渡って牛耳っていたモンゴル族を中心とした元があっさり滅亡したかのように歴史では思われているのだが、実際にはそうではなく、中華の世界からはいなくなったけど、実際にはモンゴル高原を中心に規模は縮小されても生きながらえていたということの事実だろう。ハーンは代々新しく立てられて、そのハーンを選ばれるために内部抗争も続けられていたことを結構詳しく書かれていることだ。こういうのは、まず学校の歴史の時間では教えられるところではない。

さらに言うと、清は最終的にチベット仏教を丁重に扱っており、いまでも北京各地にチベット仏教を基礎とした寺が建てられている。この理由についても書物に書かれているのだが、ここで大事なのは、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの存在だろうと思う。この2つの役職は、大昔から存在されているわけじゃない。何もない貧相な土地のチベットがそれなりの生活物資を得るためには、仏教という手段を世界各地に普及して、その信者をたくさん作り、お布施を巻き上げることで金銭的に豊かにし、それで物資を裕福な土地から購入するという手段をとっていたということ。精神的なものが実は経済的なものに大きく絡んでいて、それを清が紫禁城にいる皇帝によって保護していた事実を知っただけでも面白いと思う。

よって、題名からみると、紫禁城で起こった何がしかの浮き沈みを期待して読んでもらうと、書かれている内容が大きすぎるので、消化不良になる。題名には気にせず、広い視野を持ってアジアを知るために読むと思わないと、この書物はとてもじゃないが読めないと思う。が、内容は確かに濃い。だから頭の整理のために明朝から清朝にかけての歴史を知るために読むべきである。

紫禁城の栄光―明・清全史
著者:岡田 英弘/神田 信夫/松村 潤
文庫: 352ページ
出版社: 講談社(講談社学術文庫)
出版日:2006/10/11

マラッカ ペナン 世界遺産の街を歩く

以前、マレーシアおよびシンガポールのペラナカン文化に言及したブログを、著者「マレー半島 美しきペラナカンの世界」に関して記載のだが、あくまでもそれはペラナカン文化に言及したものであり、ペラナカン全体の概要を写真とそれが見られる場所の紹介をしたようなものだったが、今回はペラナカン文化の中心地となっている2つの都市に焦点を絞った参考書があったので、それについて記載したい。

ペラナカンの中心地は、マラッカとペナン島の2箇所。この2箇所はマレーシアの中においても特別であり、異質な場所なところだ。マレーシア全体はイスラムの国であるために人口の3割が中華系だとはいえ、やっぱりマレーの雰囲気が強いところである。しかし、この2箇所はやっぱり違う。横浜の中華街みたいな感じだ。なので、マレーシアの中の異質文化圏をぜひ訪れないと、マレーシアの良いところを知ることはできないだろう。

そんな2箇所に特化した都市について写真入りで、よく説明された本が、「マラッカ ペナン 世界遺産の街を歩く」である。この本の最初のほうはマラッカのこと。後半はペナンのことが書かれている。

マラッカについては、マラッカの良いところを取りこぼさず記載しているといえよう。ポルトガル、オランダ、中華、そしてイスラムと複雑怪奇ないろいろな文化が残っている場所なので、その良いところばかり、観光地として人気のあるところは、見所および食べ物とお土産などを含めて紹介しているという意味では、最高のガイドだろう。文字だけではなく、ほとんど写真というヴィジュアルで紹介されているために、行く前からどういうところかというのを知ることができる貴重な本だと思う。特にカラフルなペラナカンの食べ物や民芸品の紹介の部分については、写真つきの紹介が一番わかりやすい。それを見て、うまそうとか、きれいとか、毒々しいとか、事前にわかるところが現地にいっても驚かなくてもいいものだ。一度行った事がある場所の紹介を、書物というメディアを通して再確認した場合には、その紹介のよしあしというのが良くわかる。マラッカに関して言えば、よくまとめて紹介しているなと感激した。それも写真のアングルがやっぱりプロだなというところが、随所に散りばめられているところが良い。

マラッカのバスターミナルがある北部のほうにある有名なホテル「マジェスティックホテル」については、一番きれいに紹介されていると思う。イギリス的な文化が残っていて、それとマラッカの特殊文化が融合された最終形態というのがあのホテルだろう。実際にこのホテルに泊まると、観光地に出向くのはとても面倒くさいところではある。観光地までタクシーで移動をするという手段をとるのであれば、特に何の問題もないところだろう。
同じ量のページを割いて紹介されているペナン島のことは、正直、行った事がないのでわからない。わからないが、その紹介の内容を見ると、いってみたい場所だということと、ペナン島は小さい島だと思っていたのに、意外にも大きな場所であり、ペナン島よりもずいぶんとイギリス的な雰囲気が残っている場所なんだなというのが良くわかった。マラッカ海峡の貿易の要所として、ペナン、マラッカ、シンガポールが上げられる。どちらもイギリスが最終的に占有して、それに便乗してやってきた華僑がたくさん住み着いた場所だというところではある。島になっている場所はそれ全体が要塞になっているため、なんとなく雰囲気はシンガポールに近いというように書面から感じた。

イギリス的とかシンガポールに近いと思われるのは、建物がコロニアル様式という形式を採用したものが多いからなのだろう。華僑が多い地域だと、道路に半分張り出したような作り方だが、コロニアル様式は1軒が単独で建っているだけで、それ自体が城みたいなものだ。マラッカのような場所よりも広い範囲で文化全体が広がっているような土地がペナンであり、その最大都市がジョージタウン。島全体は縦長の長方形であり、ジョージタウンは北東部の町。空港は南東部に存在。ジョージタウンは特に電車が発達しているわけではないので、町の中を移動するにはタクシーくらいしか交通手段はないという意味では、マラッカよりも広範囲に点在する観光地としては動きにくいかもしれない。

マラッカとペナンの両方を比べることはできないのだが、どちらもマレーシアの中の都市なのだが、かなり魅力的。ペナン島の場合は、リゾート地としても行く人もいると思われるので、情報は結構あると思う。

マラッカでもペナンでもどちらの都市においても、町全体が歴史遺産であることは間違いない。いずれにしろマラッカは行ったことがあるので良さはわかるが、ペナンもよさそうな場所なので一度は行ってみたい。ただし、ペナン出身の人が前に言っていたのを思い出したが、ペナンの海は汚い。だから、ペナンで泳ごうと思ったらそれはやめたほうがいいだろう。

マラッカ ペナン 世界遺産の街を歩く
単行本:128ページ
出版社:ダイヤモンド社 (2009/10/31)
発売日:2009/10/31

2011/03/13

東日本大地震発生時の自分

2011年3月11日14時46分頃は、多くの人にとって忘れがたい日になったことだろう。そう東日本大地震が起こった初回の悲劇の始まりである。

この日は週末の金曜日。午後もお昼ご飯を食べて、そろそろ15時の休憩でも入ろうかなと思っていた人たちも多かったのではないだろうか。自分の記憶を記録するために、ここに当日から翌日についての出来事を記載したいと思う。

第1回目の地震が起こったときには、最初、いつものようにグラっとやってきて、「おっ、地震だ」と思ったのだが、その揺れが最初は小規模だったのに、だんだんと振幅が大きくなってきて、その揺れが椅子に座っていながらも左右に揺れてしまうくらいになった。幸い、オフィスには上に何もないし、最近机の上には書籍や書類をむやみやたらに置いておくなというお達しが出ているために、地震発生時に書類があちこちに散乱することはなかったのだが、初めて体験する揺れには正直びっくりした。オフィスの中にはあまりにも壮絶だったために腰が上がらなかった人もいる。早速ウェザーニュースのサイトを見たのだが、オフィスがある場所での震度が5。いったいどこが震源なのかと調べると、なんと三陸沖だというではないか。三陸沖の地震がここまで届いて、それもここの震度が5ということはどういうことなのだ?と疑問を沸く。

その直後、早速オフィスのテレビがあちこちでスイッチが入り、地震速報のニュースが始まる。悲劇はここから始まったといえよう。この地震によって、大規模な津波が発生するということをしきりにテレビでは言っている。津波の規模は10メートルだと。10メートル!?10メートルといえば、飛び込み台のプールのあのてっぺんの高さである。それだけの高さの波がやってくるという。うそでしょう!?と本気で思った。よく映画の世界では、津波があったときに、ビルを飲み込むような波が町全体を襲うというのがあったとしても、これまで地震があって津波があるという報道があっても、せいぜい3メートルくらいの波がやってきて、道路をぬらす程度だと思っていたからだ。そこへ初めて映画を見ているのではないかというくらいの波の高さがやってくるというから驚きである。

そういうニュースが報道され始めたころに、また大きな地震がやってきた。それも先ほどと同じくらいの規模の地震を感じたのである。えっ?また?だ。今度の震度はどのくらいかとおもったら、これも震度5.しかし震源地が茨城沖だという。なんでこんな短期間に違う場所を中心とする地震が大規模に起こっているんだ?と少し不安になる。

それからというもの、軽微の地震から「おっ、揺れてる」と感じることができる震度3~4の地震が数えられないほど起こるのだ。一番最初の大地震の時にはまったく機能を果たさなかった携帯の「エリアメール」というのがあるときから有効になる。地震が起きる数秒前に通知され「揺れます」という案内が来るのだが、毎回来るわけではなく、こないときもある。これは絶対システム的なバグだろう。システム的なバグというと、もう1つある。ドコモの携帯に「iコンシェル」というサービスがあるのだが、通常、電車の遅延や運行停止情報が飛んでくるときには重宝していて、すこし利用していたのだが、今回、このiコンシェルが馬鹿みたいに情報を遅延して送ってくるのである。電車が止まるという情報のほかに、どこで地震があったという情報も送られてくるのだが、これがまったく役に立たない。なにしろ、ひどいときには、翌朝12日の10時ごろに、前日の夕方17時くらいに地震があったというのを大量に送ってくるからである。遅延も遅延。まったく役に立たない。3分から5分の遅延なら許せるが、半日以上も遅れて到達するような情報は、無価値であり邪魔なスパムでしかない。この件があってから、iコンシェルのサービスはさっさと解約した。夜中に地震がひと段落して落ち着いたときに、時間遅れのiコンシェルによる「地震がありました」という洪水のようなメッセージは、無駄に携帯の電源を少なくするだけで、本当にいやだ。

そういえば、この日は、20時ごろからユーザシステムの設定変更作業が予定されていた。大地震が起きて、交通手段がすべて絶たれてしまった状態であるために、現場に駆けつけるにはどのようにすればいいのかを考えたのだが、道路は交通マヒでバスもまともに動かないとなると、歩いていくしかない。幸いにも現場までは4kmくらいの距離だから、歩けなくもないと思い現場に行こうと思う。ところが、会社側からは危険だから行くなという。しかし、ユーザ側からは「やるんですよね?」と催促がくる。こういうい手挟みのときには、会社としてどう取るべきかをさっさと決断するべきなのに、みながオロオロしていて、決断ができない。とりあえず、会社としては社員がいま全員どこで何をして無事なのかということしか頭が回らないようだ。

携帯電話は発着信規制が掛かっているために、まったく携帯からの電話はつながらない。固定電話の場合は、これも関東全体に発着信規制が掛かっているためになかなか掛からない。ただし、100%規制をしているわけじゃなく、通話量見合いで規制の規模を変えているため、ほとんどギャンブルに近い割合で、掛かるかどうかをリダイヤルを連荘で行う。まるでチケットぴあに対してチケット取りをするために、連続して電話することと同じである。やっと掛かったので、現場のほうに建物状況を聞いてみると、建物は大丈夫だが、エレベータが止まっているとのこと。サーバが置かれている場所は14階なので、14階まで徒歩で階段を歩かなければならないのである。嫌気が差したが、行かないとまずい。あとに日程がないからである。さらに言うと、電車が全面的に止まっているということは、帰宅時に帰れるかという問題もある。電車の運行ができることを期待して、取りあえず現場で作業は開始することにした。

家族への安否確認についても必要である。地震が起こってすぐに、家族の携帯へ電話をしてみた。今日は全員外に出ていると最初から聞いていたので、家に電話をしてもまったく無駄。しかし、先述のとおり、全員に電話をかけてもまったくつながらない。携帯からは無理なので、会社の固定電話から連荘でかけてみる。何十回かトライしてみたところ、母親だけは繋がった。どうやら京王線の途中の駅で電車は止まって、動くのを待っているらしい。様子から見て、電車はいくら待っても動く様子がないので、さっさと改札を出て、タクシーかまたはバスを拾って家に戻るように指示。そのときには、まだ京王線は全然動くとか動かないとか何も放送しなかったらしい。だから、乗客もどうしていいのかわからず、皆おとなしく電車の中にいて、必死になって通話もできない携帯で連絡を取ろうとしていたらしい。電車の中では、ワンセグを使ってテレビの情報を車内に聞こえるような音量で状況を流しているひともいたらしく、それで乗客はパニックにならなかったらしい。母の状況は後ほど再記しようと思う。次に父親の安否がどうなのか電話をかけてみたのだが、まったく繋がらない。たまに呼び出し音が出るようになったから繋がったかと思っても、一向に着信に出ようとしない。そこでメールを送ってみることにした。意外にもこういう災害のときには携帯メールは通じる。毎回必ず送信できるわけではないのだが、数回トライをしてみると必ず送信することができる。もちろん、受信もすることができる。当日、会社のメンバでも外に出ている人との連絡は、携帯メールでやりとりすることができ、安否の確認ができたくらいだ。意外に使える携帯メール。ありがたい。しかし、そんな携帯メールでメールを送信しても返答がない。これは本気に死んだか!?と思ってしまった。いくら送っても返答がないので、そのうちあきらめることにした。慌てて家に戻ろうとしても戻る手段がないからである。

連絡手段として電話というのは、こういう災害の時にはまったく役に立たない。どういう通信会社間の通話は発着信規制が掛かっているために、実はほとんど通話ができないのだが、通信会社間が異なる場合、実は若干繋がる余裕が出てくるのである。今回の場合、固定電話のNTT東日本から携帯のNTTドコモという異会社間通話なので、通話路確保という意味では、実は電話がしやすい。よって、固定電話から携帯電話へが掛かりやすかったのである。そして、メールのほうが通話路を超短期しか占有しないので、実は繋がりやすい。「無事か?」「無事だ」のやりとりは、メールのほうが単純明快で断然良い。メールは、携帯メール間でも通常メールと携帯メール間でも同じように使える。そして、電話のことで思い出したが、以前、新潟の大地震が起こる前に、050のIP電話網を敷設したことがあったのだが、これを使っていたユーザが、被災地の新潟に電話をする際、一般電話だと世の中はまったく通じないと言っていたのに、うちの会社はまったくそんなことはなく大変重宝したという話をしていたことを思い出した。わが社でも 050 をいざという時に利用できるようにしておけばいいと思うのだが、まぁ見栄のためにできないのだろう。だらしない。

意外に使えないと思ったのは「171」と「災害伝言板」と「安否情報確認システム」である。うちの会社で言えば、毎年2回も訓練と称して、安否情報確認システムを使った災害時の連絡を行っているのが、地震が起こって世の中がめちゃくちゃになり、連絡手段ができないときにこのシステムを活用できなかったということと、幹部連中がこのシステムを活用しようとする頭がまったくなかったということが現実がある。システムを作ったから、もう安心だと災害対策担当の人は思い、そのシステムを作ったことを機に出世をしていったりしているのだが、システムは作ったからOKではなく、運用できて初めてその価値が生まれる。それも運用というのは、訓練ではなく本番利用である。本番利用でその価値がまだわからなかったのに「できました」とよく平気で言えたものだと思う。今回のことで、あの安否情報システムはまったく無意味の手段であるということがわかったので、今後は見直しをするだろうが、システムの問題ではなく、それを使う人間の問題だと思う。特に幹部連中の脳みそを取り替えるしかないと思うのだ。発想がないこと自体、宝の持ち腐れになるからである。171なんかも、これはシステムとして公になっているのだが、誰も使ったことがないので、いざ使おうと思っても、意味がわからないということになるだろう。だいたい171の場合、家族で共通の番号を使っておかないと、まったくほかの人の安否は確認することさえもできないのである。こんな腐れシステムを使うより、単純明快な携帯メールを使うことをお勧めしたい。

個人的にはiPhoneを持っていないので実証をしていないのだが、ViberやSkypeを使った通信というのはメールと同じような理屈であるために、結構通話が問題なくできていたようである。Skype も Viber もどちらもそのソフトをインストールしていないとまったく通話はできないのだが、通話の可否を考えると十分利用価値の高いものだったに違いない。地震後のネット情報を調べたところ、Skype よりも Viber のほうが断然ユーザ数が少ないために、実はViberのほうがすごく使いやすかったのではないかという情報がある。ただし、Skype も Viber も一般家庭電話へかける場合には 050 と同じ理屈であるために無料ではないし、ある程度発信規制に陥ることになるかもしれない。

電車の運行で言えば、地震が発生したあと、何度も大小の地震が発生していたので、いくら待っても電車の運行は改善されることはなかった。夜中になったら改善するだろうと期待していたのだが、JRは18時にあっさりと「本日の運行は見送ります」と宣言をしていたし、私鉄についても、全路線の安全を確認しないと運行開始ができないこともあり、22時ごろまでどの路線もサービス開始していなかった。京王線が開始されていたのをテレビで見ていたのだが、それでも京王線に乗るためには新宿までいかねばならず、その新宿に行くためのJRがまったく動いていないようであれば行きようがない。会社の人によっては、夕方に早々と「今日はもう電車は動かない」と悟り、徒歩で帰った人も多かった。20kmくらいの道を歩いて帰る人は結構いたようである。なにしろ、車で迎えに来てもらおうと思っても、その道路が全面的に渋滞になっており、まったく動かないのである。

個人的にはどうしたかというと、結局作業が22時ごろに終わったので、電車の運行は改善したかと思ったら、JRはまったく動く様子がない。私鉄の様子をみていたら動いているようであるが、そのときにはどうやって帰ればいいのか、頭にまったく浮かばなかったので、どこかで夜を明かすしかないない思った。そこで作業場の会議室の1室を借りることにして、そこで椅子を並べて寝ることにした。また、食事も実はしていなかったこともあるので、その場で食事も提供してくれたのでありがたく頂戴することにした。

しかし、夜中にバンバンメールが入って、そのたびに起こされるので、いい加減いやになり、電源を切ってしまった。世の中の動きを知るのは唯一携帯電話で知るしかなくなってしまったので、それでどうなっているのか知ろうとする場合、一番よい情報手段がツイッターだった。ツイッターはいろいろなひとがテレビ情報、ネット情報、鉄道情報を記載してくれるので、テレビを見なくても様子はわかった。ツイッター上で、JRの運行は8時ごろに開始する予定というのを見たときに、やっと帰れると思っていた。しかし、ちょうど駅が見えて、電車が動いているかどうか窓から見える場所にいたために、本当に動くのかどうかをその窓からずっと観察していたのだが、一向に動く様子もない。そうこうしているうちに、携帯の電源が足らなくなってきたことに気づく。そこで作業場の人に誰か携帯の充電器を持っているのかどうか走り回って、いちおう借りることができた。情報の命綱である携帯が無用の物体になってしまったときほど悲しいものがないからである。

9時半頃になって、ようやく電車が片方向ではあるが動いていることを確認した。ということで、やっと帰れると思い、新宿方面の電車に乗るために駅に向かう。埼京線の電車に乗るためにホームに行ってみると、すでに新宿方面の電車が動いており、いまにも発車しようとしているのだが、電車の中は満員。何でこんなに多いのだろうと思ったのだが、みんな同じように昨日帰れなかった人が多かったのだろうとはすぐにわかった。ただ、この乗り込んだ列車、どうやら新宿方面に行く一番最初の電車だったらしく、道中の線路状況を走行で確認するために、いつもより運行スピードが3倍も遅い状態になっていた。1つの駅を移動するのに、何分掛かっているんだろう?というくらいの遅さである。結局大宮から新宿に到着するのに1時間15分も掛かったことには驚いた。

京王線も地震の起こった翌日は、朝から運行はしているとはいえ、急行・準特急・特急をすべて廃止。運行しているのは普通列車と快速列車の2種類しかないというシンプルさ。運行しないというとユーザに迷惑が掛かるが、サービスの種類は抜きにして、まずは動かすという決断をした京王線には感服する。本数は減らされても、これまでどおりの時刻表と同じような列車を動かそうとする馬鹿路線もたまにはあるのだが、そういうのはやめてほしい。すべて各駅列車でいいから動かすことが先決だと思う。その後の電車運行運営に関して欲を言えば、快速以上の駅すっ飛ばし電車はすべてやめてしまい、運行はすべて各駅列車にしてしまえばいいと思う。そうすれば、電車の時間調整も、すべて駅間の中途パンパなところでとまることはないだろうからだ。

いずれにしろ、長時間掛かったとはいえ、ようやく家に到着した。これはとても喜ばしいことだ。家に帰れないかと思っていたので大変嬉しい。また当日、歩いて帰った人も多数いると思うが、そういう人はお疲れ様だと思う。土曜日もほとんど潰れてしまったために、あんまり休日を休んだとはいえない状況になった。月曜日以降の世の中の状況がどうなるのかわからないが、復活に向けて進んでいってほしい。

Galaxy S使ってみた

自分が使っている携帯端末があまりにも反応が遅く、イラついていたため、何か良い携帯は無いのかとドコモの知人に聞いてみたところ、即効で Galaxy S がいいんじゃないのか?と答えてきた。スマートフォンには興味があったのだが、既に iPod touch を保有しており、wi-fi として使うのであれば、似たような端末を2台も持つ必要が全く無く、wi-fi が使えないのは、外にいるとき、電車に乗っているときという点だけである。確かに、電車に乗っている時間がめちゃくちゃ長く、その間は携帯でメールやネットに繋げて情報を仕入れていたりすることはあるので、これをスマートフォンで行えばかなり楽だろうなというのは想像していた。しかし、SIMを2台分契約するなんていうのはもったいないので、1台分のSIMしか保有せずに、従来の携帯(ガラケー)とスマートフォンがもてないかというのも画策していたところ、ドコモのひとは、「実は内緒ですが、スマートフォンを電話として使っている人は半分もいません。みんな wi-fi機能だけを使ってスマートフォンを使っています」という話を聞いた。これを聞いたら、ますますiPod touch との違いがなくなってしまう。

しかし、ドコモの溜池スーパー価格で(溜池:ドコモ本社)当時でもなかなか手に入りにくいと評判だった Galaxy S を15000円で買えるよと言われて、半分遊びで買ってみた。もちろん、従来の携帯電話の契約はそのままなので、新規に番号を取得して契約したわけではない。

Wi-fi環境下でしか使うつもりが無いので、まずは家でいろいろと設定や iPod touch で使っている似たようなアプリケーションをダウンロードしてみて設定し、使ってみて、双方の違いを知ろうかなと思ってやってみた。以下、個人的な感想として、iPod touch と Galaxy S の違いを記載する。

まず典型的な違い音声通話ができるかどうかである。iPod touch はあくまでも音声通話はできないし、無理やりやろうとすると、マイクとイヤフォンが兼用になっている装置を利用しないとできない。したがって、Skype のようなツールを使おうとすると、何もない装置の場合は「マイクがありません」というようなポップアップメニュが出てきて利用できない。ところが、Galaxy Sはスマートフォンであるため、音声通話ができる装置として開発されている。Wi-fi しか使わないのであれば、3G回線が使えないけれど、wi-fiで十分音声通話をSkypeやViberを利用してすることができる。カメラ機能は iPod touch の場合、バージョン4から搭載されているようになってきたから、まったく両者には違いが出てこない。

続いてアプリケーションである。iPod touch に搭載されるアプリケーションの場合、データバックアップやインストールするための母艦としてPCを利用する場合には、iTunes を利用してダウンロードすることができる。iTunes のライブラリはカテゴライズされているから、お目当てのソフトを見つけるのはそう難しくはない。また、アプリ1つ1つにはユーザからのコメントと操作画面の抜粋が紹介されているので、それを見て、糞アプリか良いアプリかというのをインストールする前に判断することもできる。また、iPod touch から直接 Apple Store へアクセスして、必要なアプリのダウンロードをすることも可能である。対して、andoroid の場合は、Apple Store に似た Andoroid マーケットからアプリケーションはダウンロードする。母艦となるPCはなくても大丈夫である。ダウンロードの仕方とアプリの説明は itunes と結構似ている。しかし、少し違うのはアプリの画面説明について、andoroid のほうが少し少ないようだ。

糞アプリだったとか、動きが悪いからアンインストールしようとしたときも両者では違う。iPod touch の場合は、アイコンを長押しして、アイコンが波打つようになったときに出てくる×印をクリックすれば、そのアイコンが消え、アプリケーションが削除されることになる。andoroid の場合、アイコンから似たような操作をするのではなく、本体全体を管理しているアプリケーション管理画面からしか対応ができない。そこからアプリケーションリストが出てくるので、該当のアプリを選んで「アンインストール」のボタンを押さないとダウンロードできないことになっている。

いろいろなアプリを動作させると、だんだん端末自体の動きが重くなる。それもそのはず、同時のアプリケーションが動いているからだ。ということは、不要なアプリはシャットダウンさせるのが一番賢明である。その方法も両者では異なる。iPod touch の場合は、ホームボタンをダブルクリックすると、画面下の段に、現在稼動中のアプリケーションが一覧として出てくる。その状態で、アイコンを長押しをすると、アプリの削除のようにアイコンが揺れるのでその状態で×印をクリックする。そうすれば、動作しているアプリがシャットダウンできる。一方、アンドロイドの場合は、同じ操作ではまったく意味がない。やはりアプリケーション管理画面から、それぞれのアプリのアイコンを選んで、シャットダウンボタンを選ばないとだめである。こういうGUIの細かいところの違いが、まだまだアンドロイドは小慣れていないなと思った。

たくさんのアプリをダウンロードすると、画面上にたくさんのアイコンが並んでわけがわからなくなる。iPod touch の場合は、アイコンをグループ化することができるので、きれいに似たような種類のアプリを整理することができるが、andoroid の場合はそれができない。昔の iPod のバージョンのように画面にたくさん貼り付けられたままになるのは、これはよろしくない。

同じアプリケーションでも異なるOSによって、GUIや動きが異なるのだということを発見したことは大きい。たとえば、Twitter 用のアプリケーションである Tweetdeck だが、iPod Touch の場合、必要な画面は選べることができるのだが、アンドロイドの場合、最初からどういう選択で選ばれるのか、ログインした複数のアカウントの場合だと、Facebook などの違うサイト情報も含めて、ミックスされたものが一番最初に出てくるのが気に食わない。邪魔である。あと、メニュを移動させることができないということもだめだ。

Galaxy S のほうが勝っている点もある。それはブラウザだろう。Flash が使えるために、ブラウザ上で Youtube や Flash を使ったサイトをみることができる。逆に iPod アプリのほうのブラウザ(Safari)はプラグインソフトが足らないという理由から見ることができないし、それをインストールすることもできない。Adobe と Apple の確執の原因になったものを垣間見ることができる。

まだまだ今後も使っているといろいろな違いを発見できるような気がするので、徐々に Wi-Fi 環境で使ってみることにする。そして、そのあと SIM を入れ替えて、3G回線を使った状態も別途報告してみたいところだ。