2007/09/22

出雲大社

出雲大社のイメージは、訪れる前は、伊勢神宮と異なる雰囲気を持っていて、大和朝廷が平定した文化とは異なる風格を持っているところだろうということしか思っていなかった。それと、最近の研究により、出雲大社の本殿まで長い階段があったと言われたことが報道されていたので、そのイメージがどうしてもある。今でも長い階段があるかのように思っていたのだが、実際には違った。

出雲大社に行くには、一場鉄道の出雲大社駅で降りるのが一番便利だ。または出雲市駅から直通バスで行くのもいいだろう。時間的には電車を使った場合でも、バスを使った場合でもあまり変わらないので、バスと電車の時刻表をにらめっこして、どちらで行くのが便利かを考えるほうがいいだろう。どちらも1時間あたりの本数が多いわけではないからだ。

ただ、大体の参拝客は、自家用車でくるか、団体旅行のバスできているかが多い。だから、電車で出雲大社駅に降りる人は全員個人旅行できている人たちだというのがよくわかる。なんとなく、1人旅をしている人が多いというのが気になるところであるが、1人で旅行をしていると、結構同じような移動をしている人たちに出くわすことが分かるのだが、ここ出雲大社でもそうだった。
駅前の道はちょっとした坂道になっているので、それを上る方向へ行くと、大きな鳥居が見える。ここからが出雲大社であるが、まだ参道の入り口でしかない。しかし、ここから大社独特の雰囲気が伝わってくるから不思議だ。
鳥居を潜ると、目の前に両側を松で覆われた参道が現れる。それも本殿に向かって真っ直ぐの1本道であり、今度は少し下ったような道になっているのが特徴だ。
参道の途中には、「祓社」というところがある。ここで本殿に行く前に心を清めるものなのだそうだ。しかし、参道の途中にあるために、ほとんどの人が何も気付かず、さっさと通り過ぎるだけのようで、少し寂しい。でも、頻繁にこちらに来ている参拝客は、ここでお参りしたあと、本殿のほうに向かっているのを目撃した。
祓社を通り過ぎると、すぐに右手に池が見えてくる。ここは、浄の池という名前の池である。池の周辺は遊歩道になっているので、散歩道として散策することができるが、こちらもほとんどの人には無視されて通り過ぎられている。
祓橋をすぎると向こう側に二番目の鳥居が見えてくる。この橋を渡ると、さらに身が引き締まるような思いがしてくるから不思議だ。
この鳥居をすぎると、さらに両側を松林で綺麗に整備された道が開けてくる。この真ん中を闊歩するのは、これからいよいよ参拝するのだという気持ちになる。
通称・松の並木道を通ったあとは、左手に社務所が見えてくる。しかし、ここにはほとんど用がないので通り過ぎよう。
参道を挟んで社務所の反対側にあるのが、「幸魂奇魂」と呼ばれる像が建っている。これは2つの像を1対でみるもので、大国主大神が海から幸魂奇魂を授けられた神話の場面を再現したものである。神話の世界を良く知っているお年寄には、身近な話としてよくわかっているみたいだが、若い人間は日本神話のことはほとんど知られていないので、なんのことだろうという顔をしている人が多かった。
さて、いよいよ本殿にいくのであるが、まずはそのまえに手水舎で、手を清めてから行きたい。手水舎は、本殿に行く鳥居の左手にある。神社ではどこでもそうなのだが、意外にここでの作法を知らない人が多いようだ。最初に右手で柄杓を持って、汲んだ水を左手にかける。そして、持ち替えて、右手にかける。そのあと、柄杓から左手に一口分の水を受け、それで口をゆすぐ。そのあと、左手を汲んだ水で洗うというのが流れなのだ。
さて、いよいよ通称「銅鳥居」を通って本殿へ行ってみよう。ここを潜ると、正面に拝殿、その奥に本殿がそびえているのが見える。
拝殿は一般の人でも上がることができるところである。現在の拝殿は昭和34年に再建されたもので、総檜造り。正面には注連縄の巨大版がかかっているのだが、これはなんと1500kgにもなるそうだ。この注連縄の太さは圧巻である。ちょうど訪れたとき、拝殿ではお祓いを受けている人がいて、出雲大社独特の言いまわしでお祓いを受けている様子を見ることが出来た。
出雲大社でのお参りの場合、他の神社とは異なる作法がある。それは、他の神社では「二礼・二拍手・一礼」が普通なのだが、ここでは「二拍手」ではなく「四拍手」なのである。これはかなり特殊だ。お祈りするときには、四拍手と最後の一礼の間に、自分が祈りたいこと・お願いしたいことを行えばいい。
拝殿に飾られているものは、寺とは異なるので、なにかしらの像が飾っているわけでもない。精神的な「神」に対してお祈りをするので、ユダヤやイスラム教に近いといえば近い。しかし、どこに向かってお祈りをしたらいいのかわからないので、いちおう祭壇らしいものがあり、そちらに向かってお祈りをする。出雲大社の場合は、拝殿の裏に本殿があるので、本殿のほうを向くのが当然であろう。
拝殿の裏には、「古代神殿心御柱」と呼ばれるものが飾ってある。これは何かというと、境内から発掘された心御柱の根本部分を基にした実物大の模型で、本殿の高さが古代には約48mあったという伝承を実証するものだと、その手の研究では現在言われているものだ。
本殿はもちろん中に入ることができないし、それを外から参拝するしか出来ないのは、どこの大きな神社でも同じこと。伊勢神宮でも中に入れないので、一体何が中にあるのか秘密の地域になっているのだが、ここ出雲大社の場合も同じである。しかし、伊勢神宮に比べれば、中の様子は良く分かる。
拝殿のところで御祓いを受けた人だけ入ることが許される場所がある。これが本殿敷地内にある「おにわふみ」と呼ばれるところだ。本殿敷地内では一番外れになるのだが、ここに入って、地面から神の力を得ようとする、出雲大社教の流れを汲み教えからなのだそうだ。神様はいろいろなところにいるという、万の神の国らしい考え方だろう。
本殿の敷地外の外周は歩くことができるので、是非こちらも行ってもらいたい。静寂と、なんだか濃厚なエネルギーの塊をここでは感じることができる。
まず最初に出くわすのが、11月の神在月の際に、全国の神様が「宿」として泊まる場所を表している「十九社」と言われるものだ。出雲大社は全国の神様が11月になるとやってくるところであるため、この地方だけは、神無月とは言わず、神在月と呼んでいるように、いろんな神が出会うためにやってくる。今の言葉で言うと、神様の合コンが11月に昔から行われているのである。合コンというと、神様を侮辱しているように思われるのだが、実際には本当に合コンで、出雲大社の本来の目的は「出会いの場所」なのだそうだ。どの神様がどの神様をナンパしているのかを考えると、ちょっと世俗的であるなーと感じるし、失礼ながらも笑ってしまいそうにもなる。
59315932
次に見えてくるのが「釜社」というところだ。こちらは食の神を祀っている所なので、毎日ご飯が食べられるのは、この神様がいるおかげなのだということだ。全国の稲荷神社を司っているのがここの小さい社なのだそうだが、そう考えると、随分扱いが小さいような気がする。
本殿の中の様子を写真で撮ろうとしても、塀のおかげで中を良く見ることができない。しかし、その塀も長年の苔が綺麗に被っているので、すべてが幻想的に見えてくるから不思議だ。
本殿の裏には、スサノオノミコトを祀っている社がある。こちらもひっそりと建っており、それも森の中にあるので、その静寂のために、身が引き締まる思いになってしまう。
5969



彰古館と呼ばれる建物が一番奥にある。ここでは大黒様の像と恵比寿様の像が色々な人によって作られており、それが飾ってある。たぶん奉納されたものを飾っているのだろう。しかし、見る価値はかなり低いので、時間の無駄だと感じた。
さて、忘れていたのだが、外の敷地には「因幡の白兎」の場面を表した像が立っている。ウサギが可愛い。
日本国歌にも出てくる「さざれ石」のモデルになったものだ。後ろの木の壁が神様の行進をモチーフになっているところが凄い。そしてこの「さざれ石」は岐阜県のやまから持ってきているらしい。てっきり出雲の山から出てきたものかと期待したのだが、そうじゃない。

初めての出雲

山陰地方は、日本の中でも観光スポットとして全然人気が無いところの1つだといわれている。行き難いし、これといったスポットが集約しているわけでもない。だから、外国人観光客はもちろん少ないし、日本人観光客もそれほど多く来るところではない。自分もつい先日まで、山陰地方にいく機会もなければ、興味も無かった。

ところが、石見銀山の世界遺産登録後、その流れが全然変わったみたいだと思う。世界遺産に登録された場所を訪れたいという観光客が増えたために、いままで全然注目もされていなかった山陰地方がにわかに注目を浴びてきたのはご承知のとおりだろう。しかし、石見銀山がある地域は、山陰地方でも、また行き難いという言葉に輪をかけて行き難いところなので、自分勝手にいくことがあまりできないのが難点だ。だが、それでも個人観光客として訪れる人は多くなったらしい。

その流行に乗ろうとおもったわけでもないのだが、9月の三連休にひっかけて、急に休みを取ることができたので、どこかに行こうかなと思ったのが、今回山陰に行くきっかけになった。本当は海外に行こうと思ったのだが、あまりにも寸前であったため、旅行会社に聞いてみたら、深夜現地到着、早朝現地発の香港行きしかないと言われたので、諦めたのだ。香港はつい最近行ったばかりだし、現地を7時に出発ということは、一体空港に何時にいけばいいのだと考えると、無理してそんなところに行く必要は無いと判断したからでもある。そうなると、この休みをずっと寝てばかりというのももったいない。行ったことが無い場所にふらっと行ってみるのもいいだろうと、ネットで色々検索してみた。

京都の奥座敷である大原や、たぶん普通の人なら行ったことがある奈良も候補の一つだった。しかし、そういうところでは何故か気持ち的に満足しなったし、新幹線料金を考えると結構高い。最近、ちょっと精神的に落ち着いていなかったので、なにかホッとするところに行きたいという考えはあったので、神社・仏閣に関係するところに行ってみたと思ったのだ。それで選んだのが、出雲大社である。日本全国の神様が集まる神社である場所にいくと、江原なんとかじゃないけど、霊的なパワーを得られるだろうという単純な意味でいくことにしてみた。それと、ANAの株主優待券が余っていたので、これを使える場所としては最適な場所だということもあったからである。

早速、出発前日なのにも関わらず、飛行機の手配とホテルの手配を行うことにした。出雲大社に行くには、近い出雲空港と少し離れている米子空港のどちらかでいけるという情報を得た。しかし、出雲空港はJALしか利用されておらず、ANAで今回行こうと思ったので、結局米子を利用することになった。山陰の地理感覚が全くなかったので、それが近いのか遠いのか全然分からなかったのだが、やっぱり米子は出雲大社からは遠い。でも、結果から言えば、あまり気にしない遠さであるというのが正直なところだ。現地での滞在時間を長くしたいと思ったので、朝一番の飛行機で行き、帰りは疲れるだろうから、最終便ではないが、そこそこ長く滞在できる飛行機を選ぼうとした。米子行きの飛行機は1日5便飛んでいる。もっと少ないのかとおもっていたのだが、意外に多いので吃驚。結局次の便にした。

行き ANA 811 羽田 7:20am ⇒ 米子 8:35am
帰り ANA 818 米子 16:00 ⇒ 羽田 17:20

値段は正規料金で片道28900円なのだが、株主優待券を使ったので、往復で28900円。これは東京ー大阪間を新幹線で移動したのとほぼ同じ料金である。やっぱり遠い場所を選べば選ぶほど、株主優待券は有効手段であることがこれで分かった。予約時に席の確保をしようと思ったら、行きの場合、選択不可となってしまった。帰りはいちおう選択できたが、意外に後ろのほうしか空いていない。でも、いちおう予約は完了。

ホテルは、出雲市内のどこか空いていないだろうかと、旅窓を利用して検索。値段と明日からでも泊まれる場所としたら、出雲ロイヤルホテルがあったので、これを選択。現地で夕ご飯を食べるのに、店を探すのも面倒くさいと思ったので、ホテル内でもご飯が食べられるらしいことが書いてあったので、朝ご飯・夕ご飯付きのプランを選択した。これで1泊7600円。かなり安い。しかし、このホテル、出雲市駅からはちょっと離れているため、移動をするにはタクシーか、あまり本数が多くないバスに乗っていくしかない。バスもバス停から5分くらい歩かねばならないので、初めて訪れる場合には良く分からないだろう。タクシーだと、だいたい800円くらいで行ける。

さて、ここからはアドバイスだ。

出雲大社に行ったり、他の神社に行こうとした場合には、やっぱり出雲市に泊まるのではなく、泊まるのは松江がいい。松江は都会だし、ホテルは色々有るし、交通は便利だし、出雲市までは電車でも1本でいけるし、空港に行くにも、ここから空港バスが出ているからである。出雲市は本当に田舎という場所なので、周りに何もない。出雲大社に行くからという単なる理由で出雲市駅近くのホテルを選択したのだが、泊まって寝るだけとはいえ、ホテルから色々な場所へ行こうとしたときの交通手段がないので不便なのである。

それから、松江を中心に出雲市なども含めていろいろと遊びに行きたい場合には、パーフェクトパスを使うのが絶対いい。空港バスも、一場鉄道も、普通の路線バスも、これをもっていれば、無料になる。3日間有効のパスはこれで3000円だ。空港と往復するだけでも2000円分するし、それに出雲大社へ往復すると1300円くらいするので、これだけで元が取れる。あとはバスをバンバン使えば、もう断然有効だ。米子空港に到着した途端、このパスを買うためにダッシュで移動した。ちなみに、このパスは、いろいろな観光地でも割引してくれるので、本当に最強パスだと言えよう。

2007/09/19

台湾人にとっての日本語


台湾人の日本・日本文化好きは、世界でも無類のものだと感じる。これほど日本が大好きと言う人たちが集まっているところは、世界広しと言えども無いだろうと思う。それも文化レベルが高い人たちの集まりで、日本好きが多いのが不思議なのだ。そしてもちろん、多かれ少なかれ、台湾人の多くは日本語をちょっとでも勉強してみようと思っているようで、日本人を見ると「コンニチワー」くらいは言いたくなる性分のようで、台湾のどこに行ってもあまり中国語や英語を使わず、日本語で済ませることが出来てしまう。

台湾の書店に行くと、いまでは英語のほうが断然コーナーは大きいのだが、その次に大きいのはやはり日本語のコーナーで、初級コースの日本語学習書から上級者用の日本語学習書まで数が多く存在する。いつも台湾の書店に行くと、だいたい日本語学習書のコーナーを覗いて見てしまうのだが、そこで面白そうな本があったら、使いそうも無いのに思わず買ってしまう。日本でも同じなのだが、外国語を勉強するのに、なぜかシチュエーションから入る場合が多いようで、観光に言った場合とか、レストランに行った場合とかなどのような状況に応じて使う表現を紹介している本が多い。それはとっつきやすいからなのだと思うが、読んでいるほうから見ると全然面白くない。

今回紹介するのは、台湾人にとって普通に使っている表現を日本語にした場合にはどのように言うんだろう?ということを主観に書かれている本だ。その名も「原來這句日語這樣説(なるほど、これは日本語ではこういうのね)」だ。ほとんどスラング辞典に近いような内容なのだが、日本人にとっても、日本語から考えると、中国語ではどのように言うのだろうというのを参考にするには面白い本だなとおもった。スラングとは異なり、普通の会話として使われる表現をいろいろ紹介しているので、とても参考になる。台湾人にとっては中国語の観点から日本語を知ることになるのだろうが、日本人にとっては中国語を新たに知ることができる著書だと思う。それもこれ、日本人が書いているからもっと面白い。日本語の表現は結構普通に使う内容ばかりが紹介されているというのは読めばわかる。しかし、本当に中国語ではこのような表現を使っているのかどうかが、かなり疑問だ。いちど台湾人に、これらの言葉を普段から使っているというのか確認してみたいところだ。

ちなみに、本には発音を知るためのCDもついているので、耳から学習することも可能だ。しかし、あくまでもこの本は台湾人のための本であるため、CDに収録されているのは日本語表現だけである。中国語と日本語が対になっていれば大変助かるのだが、そうではないところが惜しい。

「原來這句日語這樣説」
笹岡 敦子 著
笛藤出版
320台湾元

台湾の温泉


最近、台湾に関する書物は、特に旅行関係の書物としては、食べものだけではなく、もう少し違った面での台湾を紹介する本が多くなってきた。例えば、旧日本の統治時代に造った建物や企業ばかりを紹介した本などもその一例だろう。それと元来から紹介されていた内容をもっと掘り下げて紹介するというのも出てきた。今回の本の批評は、まさしく後者に関する批評で、その内容は「温泉」だ。台湾は、有名な温泉集合地域である。いたるところ、日本と同じように温泉地があり、台湾の原住民にとっては親しみやすい娯楽施設であり、それを文化レベルに上げたのが日本統治時代なのだと思う。いまでは、現地台湾人は水着ではあるが、温泉に行くことも1つの娯楽として、日本人のように行っているものだ。

文庫本で台湾の温泉を紹介されている本は見たことがあるが、これぞ、究極の全体湾温泉紹介本だといわざるを得ない本がとうとう出てしまったと思った。有名どころの新北投温泉はもちろんだが、台湾人でも聞いたことが無いような小さい温泉や、普通の人では行くことが無いだろうというような超ローカル温泉をも紹介している。それも、この著者は、全部行ってみてその感想と写真で紹介しているからびっくりだ。その説明も、過不足なく温泉について述べている。例えば、行き方や温泉の成分や、書くスペースが有る場合には、温泉地の周りの様子について述べていたりしている。また、捕捉としてその温泉が発見された経緯についても述べていたりするので、これは台湾の温泉好きならば、バイブルのように持っていてもいいような気がする。ただし、この本はあくまでも参考資料としてみるものであって、決してガイドブックにはなりえない。この本で紹介されている温泉に行くためには、ネットで色々な情報を再確認していくべきだろう。

しかし、全部の温泉を紹介するために、台湾にどの程度の期間滞在し、全部で何箇所を廻ったのだろうと考えると、羨ましくも思うし、ご苦労様と言いたくなる。詳しくは書物を見てもらえればいいのだが、見れば見るほど、あの小さい島なのにも関わらず、多種多様の温泉が台湾には存在するものだと改めて考え深くなる。硫黄の温泉はあるは、炭酸温泉はあるは、泥温泉はあるは、海中温泉はあるはなどなどだ。温泉好きの人は日本の温泉で満喫というのもいいものだが、ちょっと足を延ばして、台湾で2泊3日のんびりするというのもいいものだと思う。台湾には本当にいい温泉がたくさんあるものだ。

「湯けむり台湾紀行」名湯・秘湯ガイド
鈴木 浩太 著
まどか出版

ペラナカン文化


プラナカン文化はマレーと中華の文化の融合の象徴だ。福建省や広東省あたりからマレー半島に移り住んできた中国人が作り出した文化は、純粋の中華文化とは異なるし、マレーのイスラム的文化とは全然異なる。一番分かりやすいのはシンガポールのカトン地域に行くと、建物や内装が「ちょっと違うな」というのを感じることが出来る。もっとプラナカンの文化を知りたいのであれば、やはりマラッカに行かないといけないかもしれない。旧宗主国であるイギリスが管理していた地域に、好んで中国人はその職を求めて移り住んできたから、その土地独特の文化と中華文化を一層発達してきたのだと思う。

そんなプラナカン文化の紹介は、今まであまり書物としては存在しなく、だいたいこういう文化を紹介する際に、なにを紹介するのだろうというのは興味があって、本を書店で手にとって見た。いやぁ、女性が編集しているだけあって、目からその文化の長所を大々的に宣伝していて、これぞプラナカンというのを満喫できるものだ。プラナカン文化の服装、内装、建物、生地、そして食文化と、Marie Clair あたりの女性誌に紹介されるような内容だと思われる。ほとんど細かい説明を書いているわけではなく、「見たら分かるでしょう」というような内容で構成しているところが見事だ。

マレーシア、シンガポールあたりを訪れる日本人観光客は正直少ないと思う。1度は行ったことがあっても、リピータとして訪れようとしない場所であるのは確かだろう。最近ではリタイア組みがマレーシアに移り住んでいるというのが多いようであるが、そこで、マレーシアの現地の人と交流があるというわけではなく、日本人コロニーをマレーシアで形成しているだけなので、マレーシアの独特の文化を満喫しているわけではないと思われる。

この本を読んで、マレーおよびペラナカンの文化に触れてみて、日本文化とはちょっと観点が違う文化を堪能して貰いたいものだ。

「マレー半島 美しきペラナカンの世界」
丹保 美紀 著
産業編集センター

2007/09/16

無料国際電話

無料電話だからといって、SkypeとかMSN Messenger とかYahoo Messenger とかのことを挿しているんだろうといわれると、それは大間違いだ。これらのツールを使う場合は、確かにPC間で利用する場合無料になるのだが、家の電話同士だとそうはいかない。Skypeの場合には、Skype-Outに登録しておかねばならないし、かけてもらうためにも、Skype-Inに登録して貰わないといけない。

ところが、VoipStuntというところのサービスは、相手が家の電話であれば、なぜか無料になるサービスである。さすがに相手が携帯の場合には、日本国内の場合USD0.194/分かかる。国際電話が多い人の場合には、通話無料になる国はまだ限定しているのだが、これを使うと大変便利だと思われる。それに、PCじゃなく、電話でかけられるというのが便利だ。

実際にトライアルをしてみたところ、かける側にもネット側から着信があり、もちろん発信先にも着信されるという、いわゆるコールセンタのソフトフォンのような使い方をすればいいらしい。かけた側にも着信があるから、一瞬なんだろう?とおもうのだが、それは最初だけで、時期に慣れると思う。相手が携帯ではなく、家の電話であれば、もちろん世界だろうが、国内だろうが、無料だ。これはかなりユーザとしては嬉しい。

じゃ、仕組みはどうなっているのかというと、実はよくわからない。日本の場合、たまたま発信側課金になっているので、安くはなっても無料になるのは理屈がわからない。接続料というのがどうなっているのだろうか、かなり疑問である。それに、発信先なら、固定電話でも携帯電話でも、同じような接続料がかかってもいいとおもうのに、固定電話のほうだけが「無料」というのがもっと分からない。一体、どのような仕組みでこのサービスが成り立っているのか、誰か分かる人がいたら教えて欲しい。

実際にトライアルではない場合には、先にCreditを買って、相手が携帯電話先だったり、無料通話先ではない国にかける場合には、このCreditから通話分だけ差し引きされるというものだ。さらにツール経由で電話する場合には、PCからでも発信が可能である。

さて、日本ではあまりまだ知られていないようなのだが、どこまで浸透していくのかが、注目である。電話で「日銭を稼ぐ」ことにまだ固執している携帯電話会社は一体これからどのように生き残っていくつもりなのだろうか?

VoipStunt : http://www.voipstunt.com/en/index.html

絵画でみる聖書

この手の宗教本は、読む人と書いている人の信仰によってかなり受けてと与える側の素養にも大きく影響すると思われる。題名を見ただけで、意味がわかりにくい宗教画および旧約・新約聖書のことがわかるかなーと思って読み始めたのだが、そこはいつもの「中丸明節」による名古屋弁の解説が入ってしまったために、かなり読みにくい。ただ、いままでキリスト教およびユダヤ教の知識が全く無かったので、これを読んで、ヨーロッパに行くたびに、似たような絵画に出くわしても、これはこういう意味なのかなというのは少しは分かるようになったと思う。

ただ、これが根っからのキリスト教徒だったら、絶対「中丸、殺す!」とおもうに違いない。なぜなら、ほとんど「話は嘘だろう!だけど、つじつまを合わせるために、強引にこういう解釈をして話をつなげている」というのが所々出てきているからである。宗教というと、どちらかというととっつきにくい分野であり、なんとなく神聖的で穢れた感じをさせないというのと、法皇を中心としたキリスト教の偉い人たちによって、キリスト教は素晴らしいものと唱えているため、ここまで馬鹿にしたような書き方をしているようなものだと、絶対怒るのではないだろうか。

それに、題名として「絵画で見る」とは書いているのだが、実際にはあまり絵画の解説とは言いがたい内容になっている。しかし、いろいろな著名な絵画を参考資料として載せているために、贅沢な構成だといわれればそうだろう。宗教画だとすると、だいたい同じような題材ばかり教会や美術館に掲げられて、ずっと見ていると飽きてくるのだが、それぞれの絵画の裏の話を知っているのと知らないのでは、絵画をみる見方が全然異なってくるのではないだろうか。

唐禹哲


最近、台湾では急激に人気が出てきたのが、Danson Tang こと唐禹哲である。飛輪海と「花様少年少女(花さかりの君たちへ)」で共演してから、その人気がでてきたようで、あの甘いマスクを見れば人気が出てくるというのも分かるような気がする。名前は知らなかったのだが、よくドラマで出てくる人だなとレコード屋で手にしたのが、彼のこのCDだ。なんとこれが初めてリリースした音楽CDのようだが、なかなか良く出来ている。

顔で選んで買ってしまって、あとで後悔したことがあるのは、陳冠希で大いに懲りたのだが、これは全然正反対だった。まったくあまり台湾の芸能情報が入ってこない日本では、現地で仕入れるのが一番いい情報源だというのは当然なのだが、短期間で情報として手に入る限界はある。そういうときには、テレビというのが結構重要な情報源になり、それも朝から晩まで音楽情報を流しているチャンネルは重宝できる。そこれで、こんかいのDAnson の曲はいちおう耳に残っていた。

「愛我」という曲は、なんとなく他の曲に比べると曲調が違うなーとおもったら、なんと日本のテレビ番組で放送されていたBGMのカバーだった。どうりで、なんとなく台湾ぽく無いなとおもった。顔に似合わず、結構力強い謳い方をしているので、最初に聞いたときには「おっ?」と思ってしまった。全作、自分で作っているわけではないので、まぁ、いわゆる「アイドル歌手」であることは間違いない。顔はいいので、きっと女性受けはするだろうと思う。アイドル雑誌「Colour」にも飛輪海とともに載っているので、人気に便乗という感じが否めなくも無い。しかし、これからの台湾芸能界は競争が激しいので、4人でがんばる飛輪海に負けないで頑張って欲しいと思う。

さて、曲なのだが、全般的にスローバラードではないので聞いていて飽きがこないと思う。曲調も最初の曲「最愛還是你」から3曲目の「愛在一起」までは一気に聞けると思う。「愛我」はいきなり曲が始まるので、最初は吃驚するが、曲ののりがいいのであまりあとで気にならない。3曲目は女性ボーカルと一緒に歌っているのだが、これがいいハーモニーになっているのでとても良い。

プロモーションビデオのメイキングシーンが収納されているDVDも一緒に入っているので、そちらで生のDanson の声を聞きたい人はこちらで堪能して欲しいと思う。さらに、ジャケットの中に入っているインナーには、ちょっとセクシーなシーンであるDansonの写真が結構たくさん載っているので、ファンの人は十分楽しめることだと思う。

どこまで彼の人気が出てくるのかわからないが、これから注目するべきアイドルだとは思う。
唐禹哲 「愛我」
1.最愛還是你
2.愛我
3.愛在一起
4.分開以後
5.造飛機
6.継続愛上你
7.只欠一句 我愛你
8.吻到一公里之外
9.回馬槍
10.冬季戀曲

DVD収録
1.愛我 MV
2.愛我 MV幕前幕後大追擊
3.分開以後 MV幕前幕後大追擊

陳奕


顔は好きな感じだったので、思わずレコード屋で手にしてしまったが、アイドル雑誌にも音楽番組にも見かけたことが無かったので、どういう人か分からなかったのが、彼「 陳奕」である。読み方はChen Yi(英語名では、Andy Chenというらしい)。 もともとは子供の頃、子役のコマーシャルタレントとして活躍していたそうで、その後、精神的修業(?)のために親からカナダへ留学を命じられる。飛輪海のCalvinもそうだが、台湾人にとっては海外留学は結構普通に行われるようで、それも小さい頃の精神形成のときに行かされることが多いようだ。そういえば、陳柏霖もサンフランシスコへ中学か高校のときに行かされていたはずだ。

そのカナダで元々は親に自分が元気であることを示すためにネットのフォトサービスを使って紹介していたところ、なぜか、急にアクセス数があがって、それがスカウトされるきっかけになってしまったというから面白い。

台湾では「妖精(エルフ)」の愛称がついているようで、もともとギターが得意だったから、それで歌うように成ったらしい。2005年にデビューしてから、徐々に人気がでているというのだが、台湾滞在中に見かけたことは無かったなー。さらに、アイドル雑誌にも見かけなかった気がする。

顔は見た目のとおり、台湾人南方系がたぶんちょっと入っているのではないかというくらい、かなり濃い。でも、肌は白いほうなので、原住民系ではなさそうだ。ジャニーズ系の顔であることは言うまでも無い。しかし、歌はお世辞でもうまいとはいえないな。彼は陳冠希のように歌わなければいいのにとおもう。

今回がセカンドアルバムになる彼のアルバムだが、実際に台湾での評判はというと、これがなかなかいいらしい。すでに、ドラマの挿入歌にも2曲が使われているのもその一例だろう。本人が主演で演じた「悪女阿楚」に「青梅鉄馬」は使われているし、そのエンディング曲には「需要愛」が使われている。また、今年のウェディング曲に使われるのは必死だと言われているのが、「請你嫁給我」という曲だ。収録曲

1.奕想天開
2.需要_愛
3.請你嫁給我
4.青梅鉄馬
5.去年
6.夢夜
7.狂風広場
8.
9.仲夏夜
10.機車超人

古典落語


最近、若い女性を中心に落語が再燃しているようである。落語は江戸時代から続く、「喋り」の娯楽であるのは誰もが知っていること。そして、クラシック音楽と同じように、話の内容は同じでも、話し手によって全然内容が異なったように思えたり、その話の中に入り込むことが出来るという違いはあるから面白い。落語家によって、その味が異なるので、いまだに人気がある娯楽の一つなのだろうと思われる。

ただ、いま若い女性に人気になったのは、たぶん、TOKIOの長瀬と国分が演じたテレビドラマを見て初めて落語というジャンルを知ったという人が多いのではないかと思われる。立川談志が作った「笑点」は長寿番組ではあるが、あれはほとんど落語を演じておらず、いまでは大喜利ばかりがメインになってしまった詰まらない番組に成っているが、まぁ、たまに落語を演じる場合もあるし、江戸落語の名手が揃っているので、名前は知っているという人は多いのではないだろうか。

さて、肝心の落語の内容というと、有名な「時そば」や「目黒のさんま」くらいは知っている人は居ても、それ以外の古典落語については知らないひとは多いのではないか。これぞ定番という落語の話は、「落語の基礎」なる本はたくさんあるので、それで概要を知ればいいと思うのだが、じっくり内容について知りたいと思ったときには、意外にそれを知るための本が少ない。そういう中で、この本は、数少ない、余計な解説なしに、純粋に話ばかりを全文掲載している本だと思う。本としては文庫本ではあるが、これは永久的に保存してもっていてもいいと思う。古典落語というのは、新作落語がたくさん出来たとしても、基本的には無くなることがない題材であるからだ。また、お正月のときに、新宿・末広亭のお披露目講話の際、この古典落語から短い部分だけ抜き取って紹介する人もいるので、知っていて損は無いとおもわれる。

個人的に好きな古典落語は「千早ふる」と「金明竹」だ。「千早ふる」は百人一首の内容を紹介する話だが、これで百人一首に興味が出てきた人も多いと思う。それに、「ち」で始まる句は、百人一首の中で1首しかないので、かるたをとるときには、必須で覚える札であるのは言うまでも無い。まぁ、百人一首の事を知らなくても、無知な住人と、なんでも知っていると思わせている、知ったかぶりの師匠との間の言葉の掛け合いが見事だ。もうひとつの「金明竹」は、ちょっと抜けている丁稚が主人の留守中にやってきた客に対してうまく対応ができず、その都度主人から教わった話の内容を、次にきた客に対して全然関係ないのに使ってしまうという面白さと、途中でやってきた大阪からの使いのひとが、関西弁でわめきちらして用件を伝えて帰るというのを、江戸の人間から見たら漫才にしか見えないというやりとりのところが面白い。

「千早ふる」は実際に聞いたことがあるのだが、「金明竹」を実際には聞いたことが無い。たぶん、早口で大阪・船場言葉で用件を伝えるところをうまく表現できる東京の落語家が少ないからなのだと思われる。でも、これをうまく演じることが出来る人がいたら楽しいだろうな-と思う。話はわかってもなかなかあの長いセリフを覚えるのは至難の業なのだろう。

他にもたくさん定番中の定番の話が載っているので、落語に興味がある人、または落語通のひとでも十分に楽しめる本だと思う。余計な解説が無いところが良い。解説は別の解説本を読んで勉強すればいいのだから。

-掲載内容-
(上巻)
・明烏
・三人旅
・厩火事
・千早振る
・そこつ長屋
・三方一両損
・たがや
・居残り佐平次
・目黒のさんま
・小言幸兵衛
・道具屋
・時そば
・芝浜
・寿限無
・三枚起請
・素徳院
・野ざらし
・青菜
・らくだ
・がまの油
・子別れ

(下巻)
・まんじゅうこわい
・酢豆腐
・代脈
・船徳
・大工調べ
・宮戸川
・妾馬
・品川心中
・富久
・千両みかん
・たちぎれ
・茶の湯
・小言念仏
・禁酒番屋
・百川
・金明竹
・花見の仇うち
・山崎屋
・茗荷宿屋

古典落語 / 古典落語(続)
興津 要 編
講談社学術文庫

ハプスブルク家最後の皇女エリザベート


ハプスブルグ家が600年間君臨した中部ヨーロッパは、いまでは小さい国に分裂したのだが、中世以来続いていた、多民族国家の典型的であり理想的な国家形成だったのではないかと、色々な方面で見直されている。ヨーロッパ共同体(EC)を形作るための原形ではあったし、当時の最先端文化の集約地であったことも言うまでも無い。そして、その文化形成を政治的にサポートしていたのがハプスブルグ家であったので、ハプスブルグ家亡きあとのヨーロッパは、昔のような華やかさは確かに消え、つまらないものになったものだとおもう。

「エリザベート(ハプスブルク家最後の皇女)」は、ハプスブルク家の末期、長期皇帝として君臨したフランツ・ヨーゼフの孫に当たる女性で、父親は、宮殿でじっとしているより街中に出て時代の先端の情報を感じ取り、皇帝の変わりに各国との調整を行っていたが、皇帝の権力の下では自分は無力だと感じてしまい、不倫の末、銃殺してしまったルドルフ皇太子である。母親は、ベルギー皇室から嫁いできたシュテファニーである。祖父のフランツ・ヨーゼフから溺愛されていただけあって、ハプスブルク家のなかでも特別の女性であろう。

この本では、エリザベートという女性の生き方と考え方、そして時代に翻弄されたその半生を紹介しているのだが、ハプスブルク帝国の崩壊から、第2次世界大戦前後の、急激に変化した中部ヨーロッパの流れを知るためには、良著だと感じる。いままでは1つの帝国として治められたところを強引に小国に分割し、民族的には同一でも考え方としては全然異なるドイツとの関係や、第1次世界大戦後に急激に台頭してきたソ連共産党との戦いと、それに翻弄される旧帝国内の小国のその後のソ連支配からの脱却を狙った反逆などは、その時代にしかフォーカスを置いていた場合は絶対に知ることが出来ないものだと思った。ハプスブルクが納めていた、オーストリア=ハンガリー帝国の時代からの流れを知らないと、第1次世界大戦および第2次世界大戦の真相は分からないし、かつ、戦後東よ-路派諸国が共産党政権に成るが、その共産党政権でもソ連一辺倒ではないというのを知り、そしてハンガリー動乱やプラハの春が起こった理由がようやく分かったきがした。

さらに、よく旅行のパンフでは、ウィーン・プラハ・ブダペストと3都が一緒に紹介されているのだが、その理由は、旧ハプスブルグ帝国内という共通の文化圏内だったために、これらの都市は似たような風景と文化のにおいを感じるは、そのためだろうと思う。確かに、民族は異なるのだが、それでも文化的には共通というのは、同じハプスブルクという下にいるという文化だからできたものだったのだろう。

文化的な中部ヨーロッパを知ることができたという上に、元王族であるにもかかわらず、父親と同じように時代をいち早く汲み取って、自分がどのように振舞えばいいのかというのを感じ取り、こうと決めたら断固として信念を変えず、思ったとおりに実行していったというのは、王の血筋を感じる行動力だと思われる。敵国の軍人が家を明渡そうとした際にも、自分の胸を指差して「撃つなら撃ちなさい」と潔く相手に貫禄のあるドスを効かせて迫ることにより、鉄砲を持った相手が後退したというのは凄い。

中部ヨーロッパが好きな人は、是非、この本を読むことによりより知識を深めて欲しいし、かつ、華やかなハプスブルグ家が君臨したウィーンを中心とした文化形成と、その影響範囲を知る上では、是非参考資料として欲しいと思う。

「エリザベート(ハプスブルク家最後の皇女)」上・下巻
塚本 哲也 著
文春文庫