出雲大社のイメージは、訪れる前は、伊勢神宮と異なる雰囲気を持っていて、大和朝廷が平定した文化とは異なる風格を持っているところだろうということしか思っていなかった。それと、最近の研究により、出雲大社の本殿まで長い階段があったと言われたことが報道されていたので、そのイメージがどうしてもある。今でも長い階段があるかのように思っていたのだが、実際には違った。
出雲大社に行くには、一場鉄道の出雲大社駅で降りるのが一番便利だ。または出雲市駅から直通バスで行くのもいいだろう。時間的には電車を使った場合でも、バスを使った場合でもあまり変わらないので、バスと電車の時刻表をにらめっこして、どちらで行くのが便利かを考えるほうがいいだろう。どちらも1時間あたりの本数が多いわけではないからだ。
ただ、大体の参拝客は、自家用車でくるか、団体旅行のバスできているかが多い。だから、電車で出雲大社駅に降りる人は全員個人旅行できている人たちだというのがよくわかる。なんとなく、1人旅をしている人が多いというのが気になるところであるが、1人で旅行をしていると、結構同じような移動をしている人たちに出くわすことが分かるのだが、ここ出雲大社でもそうだった。
駅前の道はちょっとした坂道になっているので、それを上る方向へ行くと、大きな鳥居が見える。ここからが出雲大社であるが、まだ参道の入り口でしかない。しかし、ここから大社独特の雰囲気が伝わってくるから不思議だ。鳥居を潜ると、目の前に両側を松で覆われた参道が現れる。それも本殿に向かって真っ直ぐの1本道であり、今度は少し下ったような道になっているのが特徴だ。
参道の途中には、「祓社」というところがある。ここで本殿に行く前に心を清めるものなのだそうだ。しかし、参道の途中にあるために、ほとんどの人が何も気付かず、さっさと通り過ぎるだけのようで、少し寂しい。でも、頻繁にこちらに来ている参拝客は、ここでお参りしたあと、本殿のほうに向かっているのを目撃した。
祓社を通り過ぎると、すぐに右手に池が見えてくる。ここは、浄の池という名前の池である。池の周辺は遊歩道になっているので、散歩道として散策することができるが、こちらもほとんどの人には無視されて通り過ぎられている。
祓橋をすぎると向こう側に二番目の鳥居が見えてくる。この橋を渡ると、さらに身が引き締まるような思いがしてくるから不思議だ。
この鳥居をすぎると、さらに両側を松林で綺麗に整備された道が開けてくる。この真ん中を闊歩するのは、これからいよいよ参拝するのだという気持ちになる。
通称・松の並木道を通ったあとは、左手に社務所が見えてくる。しかし、ここにはほとんど用がないので通り過ぎよう。
参道を挟んで社務所の反対側にあるのが、「幸魂奇魂」と呼ばれる像が建っている。これは2つの像を1対でみるもので、大国主大神が海から幸魂奇魂を授けられた神話の場面を再現したものである。神話の世界を良く知っているお年寄には、身近な話としてよくわかっているみたいだが、若い人間は日本神話のことはほとんど知られていないので、なんのことだろうという顔をしている人が多かった。
さて、いよいよ本殿にいくのであるが、まずはそのまえに手水舎で、手を清めてから行きたい。手水舎は、本殿に行く鳥居の左手にある。神社ではどこでもそうなのだが、意外にここでの作法を知らない人が多いようだ。最初に右手で柄杓を持って、汲んだ水を左手にかける。そして、持ち替えて、右手にかける。そのあと、柄杓から左手に一口分の水を受け、それで口をゆすぐ。そのあと、左手を汲んだ水で洗うというのが流れなのだ。
さて、いよいよ通称「銅鳥居」を通って本殿へ行ってみよう。ここを潜ると、正面に拝殿、その奥に本殿がそびえているのが見える。
拝殿は一般の人でも上がることができるところである。現在の拝殿は昭和34年に再建されたもので、総檜造り。正面には注連縄の巨大版がかかっているのだが、これはなんと1500kgにもなるそうだ。この注連縄の太さは圧巻である。ちょうど訪れたとき、拝殿ではお祓いを受けている人がいて、出雲大社独特の言いまわしでお祓いを受けている様子を見ることが出来た。
出雲大社でのお参りの場合、他の神社とは異なる作法がある。それは、他の神社では「二礼・二拍手・一礼」が普通なのだが、ここでは「二拍手」ではなく「四拍手」なのである。これはかなり特殊だ。お祈りするときには、四拍手と最後の一礼の間に、自分が祈りたいこと・お願いしたいことを行えばいい。
拝殿に飾られているものは、寺とは異なるので、なにかしらの像が飾っているわけでもない。精神的な「神」に対してお祈りをするので、ユダヤやイスラム教に近いといえば近い。しかし、どこに向かってお祈りをしたらいいのかわからないので、いちおう祭壇らしいものがあり、そちらに向かってお祈りをする。出雲大社の場合は、拝殿の裏に本殿があるので、本殿のほうを向くのが当然であろう。
拝殿の裏には、「古代神殿心御柱」と呼ばれるものが飾ってある。これは何かというと、境内から発掘された心御柱の根本部分を基にした実物大の模型で、本殿の高さが古代には約48mあったという伝承を実証するものだと、その手の研究では現在言われているものだ。
本殿はもちろん中に入ることができないし、それを外から参拝するしか出来ないのは、どこの大きな神社でも同じこと。伊勢神宮でも中に入れないので、一体何が中にあるのか秘密の地域になっているのだが、ここ出雲大社の場合も同じである。しかし、伊勢神宮に比べれば、中の様子は良く分かる。
拝殿のところで御祓いを受けた人だけ入ることが許される場所がある。これが本殿敷地内にある「おにわふみ」と呼ばれるところだ。本殿敷地内では一番外れになるのだが、ここに入って、地面から神の力を得ようとする、出雲大社教の流れを汲み教えからなのだそうだ。神様はいろいろなところにいるという、万の神の国らしい考え方だろう。
本殿の敷地外の外周は歩くことができるので、是非こちらも行ってもらいたい。静寂と、なんだか濃厚なエネルギーの塊をここでは感じることができる。
まず最初に出くわすのが、11月の神在月の際に、全国の神様が「宿」として泊まる場所を表している「十九社」と言われるものだ。出雲大社は全国の神様が11月になるとやってくるところであるため、この地方だけは、神無月とは言わず、神在月と呼んでいるように、いろんな神が出会うためにやってくる。今の言葉で言うと、神様の合コンが11月に昔から行われているのである。合コンというと、神様を侮辱しているように思われるのだが、実際には本当に合コンで、出雲大社の本来の目的は「出会いの場所」なのだそうだ。どの神様がどの神様をナンパしているのかを考えると、ちょっと世俗的であるなーと感じるし、失礼ながらも笑ってしまいそうにもなる。
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次に見えてくるのが「釜社」というところだ。こちらは食の神を祀っている所なので、毎日ご飯が食べられるのは、この神様がいるおかげなのだということだ。全国の稲荷神社を司っているのがここの小さい社なのだそうだが、そう考えると、随分扱いが小さいような気がする。
本殿の中の様子を写真で撮ろうとしても、塀のおかげで中を良く見ることができない。しかし、その塀も長年の苔が綺麗に被っているので、すべてが幻想的に見えてくるから不思議だ。
本殿の裏には、スサノオノミコトを祀っている社がある。こちらもひっそりと建っており、それも森の中にあるので、その静寂のために、身が引き締まる思いになってしまう。
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彰古館と呼ばれる建物が一番奥にある。ここでは大黒様の像と恵比寿様の像が色々な人によって作られており、それが飾ってある。たぶん奉納されたものを飾っているのだろう。しかし、見る価値はかなり低いので、時間の無駄だと感じた。
さて、忘れていたのだが、外の敷地には「因幡の白兎」の場面を表した像が立っている。ウサギが可愛い。
日本国歌にも出てくる「さざれ石」のモデルになったものだ。後ろの木の壁が神様の行進をモチーフになっているところが凄い。そしてこの「さざれ石」は岐阜県のやまから持ってきているらしい。てっきり出雲の山から出てきたものかと期待したのだが、そうじゃない。
さて、忘れていたのだが、外の敷地には「因幡の白兎」の場面を表した像が立っている。ウサギが可愛い。
日本国歌にも出てくる「さざれ石」のモデルになったものだ。後ろの木の壁が神様の行進をモチーフになっているところが凄い。そしてこの「さざれ石」は岐阜県のやまから持ってきているらしい。てっきり出雲の山から出てきたものかと期待したのだが、そうじゃない。