恵比寿にある山種美術館の存在はよく知っていたのだが、実際にはまだ行ったことが無くてどういう内容の展示物を保有しているのかどうかは不明だった。国立博物館のような規模を持っているわけではないので、結局は何かに特化したような内容を展示していることになる。今回は「歴史を描く」というテーマで展示されていた日本画を見に行ってみた。
明治から昭和にかけて活躍した日本画の大家たちが描いた、歴史的な主題や宗教的な主題を西洋から取り寄せて、それを日本画にまで押し上げて作り上げることになった内容を一挙に見ることが出来た。平家物語の一場面や伊勢物語の場面を描いたものなど、なかなか見ごたえがあるものがたくさんあり、浮世絵と違い、細い筆一本一本まで細かく描写されており、さらに色使いがとても繊細に描かれているのが結構観ているだけで見事だ。細かい説明は全く無いのだが、歴史的な一コマを描いているので、その描かれている背景のことが分からないと、この主題は一体なんなのか?という初歩的な疑問にぶち当たり、絵の構成や技術や題材の選択と言う良さについて全く分からないことになる。
その中でも目を引いたのは、上村松園が描いた作品群だろう。
あまり絵画についての知識が無いため、上村松園という名前さえも正直、全然知らなかった。しかし、名前は知らなくても、その絵画に描かれている作品の素晴らしさはため息をつくものばかりだった。もちろん筆使いのこともそうなのだが、フレームの構成がとてもすばらしい。真ん中に主題となる人間を持ってくるだけという単純なことだけではなく、あえて端っこにだけ描いて、フレーム全体を写真のように使うという描き方が他の絵画に比べて違うなーというようなことが分かった。主題「蛍」というものが個人的には大好きだ。画集で紹介されると、人間が描かれている所だけがフォーカスが当てられるのだが、そんなのは彼は書きたいとはおもっていなかったはず。画集として発行する際の編集者の美術に対する理解のなさをかなり痛感した。あの作品は構成が一番重要なものなんだと思う。それを潰してしまうなんていうのは、全く作品として、作家の意図を全く無視してしまっているだけに過ぎない。これで分かったのは、美術館で売られているものがすべて正しい作品として本として掲載されているわけではないということである。
山種美術館において、初めて上村松園という日本画家に出会った気がした。是非、他の美術館でこの画家の作品を展示する機会があった場合には、探してでも見に行ってみたいと思う。それと思ったのは、郵便切手の世界においてもこのひとの作品を使ったものがあるに違いないと思った。切手はあの小さいスペースなのにも関わらず、結構題材としていろいろなものが描かれているものである。日本画なんて一番利用するのに便利なものだろうと思うからだ。
上村松園の画集が売られているのであれば買ってみたい。あっ・・・そういえば、山種美術館で売られていた気がする。でも買うのを忘れた。
2011/02/12
マレー蘭印紀行(書籍)
旅行記の名著というものは、文脈や文章のつづり方もそうだが、使われている表現の言葉も荘厳で、現地の臨場感が読み手に伝わってくるような内容を記載している本なんだと思う。その書き方が、筆者の一人称でみたものなのか、それとも仮想的に設置した別の「私」を中心に描くのかは、著者の見せどころだとは思うのだが、だいたいの場合は、筆者が目や耳や皮膚で感じたものをそのまま言葉にしているようなものが多い。
特に戦前に書かれた書物と言うのは、日本人が言葉に対して教養の深さを一番表現できる手段だという意味で使っていただけに、書き言葉に対する表現はとても難しい。それは明治維新以降戦前までの書物を見れば一目瞭然である。教養はヨーロッパでは家柄の次に一番重要だった要素であり、その流れは文明開化をした日本でも同じことだったからだ。今ではすっかり教養というのは、二の次で、いかに金儲けが出来るかということが重要だという下世話な拝金主義が蔓延っているので、高尚な文章を書く旅行記のひとが居なくなってしまったのは残念なことである。
名著「マレー蘭印紀行」は、随分前から探していたのだが、なかなか手に入らず、どこに行けば入手が出来るのだろうとやきもきしていた。しかし、マレーシアの旅行やマレーシアに限らず、旅行記全般のことで調べてみると、絶対に金子光晴の書物のことが出てくるので、どれだけ素晴らしい旅行記なんだろうと期待してしまっていた。ただし、書かれたのは戦前であり、文庫本として刊行されたのも1970年代なので、新刊として刊行されている書物ではなかなか見つからない。ブックオフのような店頭でもなかなか見当たらないので、ずっとイーブックオフに「入荷登録メール」を登録しておいたが、念願3年目にしてようやく手に入ることができた。
読む前から分かっちゃ居たことなのだが、これは戦前に、それも満州事変が起こっている時代に旅行した筆者の旅行記である。したがって、読む際の思考を1930年代にしなければいけないのである。1930年代のマレーシアおよびシンガポールというのがどういう地域であり、どういう生活スタイルであり、どういう人たちが統治していて、どういう産業が行われていたのかというのを知った上で読まないと、全く理解できない。現在、マレーシアやシンガポールというと、東南アジアの経済隆盛著しい場所であり、ほとんど世界の金の亡者が集まる場所として世の中で映っている場所である。そんな現在のマレーシアやシンガポールの町の様子を頭にいれて読み進んでしまうと、ちっとも実感が湧かないし、なにをこのオッサンは言っているんだ?と途中で思考停止になってしまい、読み進むのにとても苦労する。マレーシアは錫炭鉱と天然ゴムのプランテーション地域であり、シンガポールはまだジャングルがたくさんあり、マラッカ海峡を通る船の立ち寄り所というだけの役割でしかなかった場所だという基本情報さえ持っていないと、全く読むのに苦労する。
つまり、マレーシアもシンガポールも、まだまだ原生林がたくさんあり、そして、そのジャングルの中に人間が密接しながら、そして統治者であるイギリス人の指導の下、マレー人と華人とインド人が、プランテーションを中心に働いたり、イギリス人の補佐として働いていたり、あるいは苦力として、雑用全般を行う仕事をしているひとたちがうじゃうじゃいる時代であったということを意識しないと読み手の言いたいことが全く理解できないだろう。反対に言えば、現在経済繁栄しているシンガポール人やマレーシア人にとっては、そんな昔の自慢にもならないような時代のことを蒸し返されるなんて、メンツが潰された気がすると思うのは致し方ないことだとおもう。しかし、これは事実である。どこの国でも通ってきた歴史なのであって、それを第三国の人間が見た正直な感想を述べているだけであるので、それに対して現代人が文句を言う権利はまったく無い。たぶん、現在マレーシアやシンガポールで活躍して、現地で財や地位を確立した日本人においても同じような感想を持つんだろうと思う。現地でそのように活躍している人間は、「昔は昔、今が大切」ということと「何も暗黒の時代やみすぼらしい姿を蒸し返すのは下品だ」と言う人もいる。それは変な事だ。
さらに土地の名前もたくさん出てくる。確かに聞いたことがあるような名前の土地名が出てくるのだが、どこもこれもほとんど野蛮人というか原始人が住んでいるような風景とその景色が表現されている。今の同じ場所を考えると、もうその違いがびっくりするようなものだ。例えば、ジョホール州の東部にあるペンゲランなんか、ほとんど竹と藁で出来たような家しかなく、いかに天然ゴムのプランテーションを経営しているところだとはいえ、今想像するととてもみすぼらしい住まいのようなところに滞在していたりする。雨を凌げばいいようなところがホテルだったりするような場所だ。いまどき、そんな場所はさすがに無いだろう。
本書では、ジョホール州の中部に流れるセンブロン河流域、パドパハ(正式名:バトゥパハト、Batu Pahat)、ペンゲラン(Pengelan)、スリメダン(Seri Medan)、コーランプル(現:クアラルンプール, Kuala Lumpur)、シンガポール、爪哇(ジャワ島)、スマトラ島とのんびり旅行して、見聞した内容を記載している。正直前半の部分については、時間的にものんびりしており、さらに文章として表現されているものもなにか内容がつまらないものばかりなので、一気に読むのに耐えられないとくじけそうになる。途中ペンゲランの章あたりから、こちらの読む意欲と、書き手の内容について理解する意欲がようやくシンクロできる。そのあとの読みのスピードはめちゃくちゃ速い。別に時代背景が分かっていなかったとか、著者のバックグラウンドが分からなかったとか、そういう問題ではない。あまりにも文章が単調すぎだし、表現して見えてくる映像というのがとても刺激があるわけではないものだったからである。なにせ、センブロン河の章は、ジャングルの真ん中みたいな場所での話しなので、そんなところでこんな凄いことがあったとか、わくわくする刺激が起こったなんていうのはあるわけが無い。それも他の章のなかよりも一番ページを割いて書かれているから、もう読むのが遅くて遅くて仕方なかった。
人間の生活が見えてきて、いろいろな人種の風習や服装、そして文化全般が表現化されてきたのが見えてきてからは、脳内において当時の様子が想像ながらもできるようになるので、とても楽しい紀行文として読める。それも繊細な描写が、その場所に居なくても見えてくるようだから、ますます文章にのめりこんでいってしまうのである。たぶん、日本国内にいると日本人ばかりで、似たような風習のひとしか生活していないため、こういう東南アジアの発展これからというような地域に来て、それもいろいろな文化を持っている人たちが混雑して生活しているような光景を見たとしたら、当時は何でも見てやろうという意欲が湧いて、毎日の滞在生活が楽しくて楽しくて仕方なかっただろうと思う。現在の人でさえ、わくわくするような光景が見られるときもあるんだから、戦前のそれも1930年代の人たちから見るとアドレナリンがバンバンでていたことだろう。
やっぱり清朝の流れを汲んで故郷を捨ててきたような苦力の人たちが多く住むマレー半島やマラッカ海峡あたりは、普段の仕事の辛さを紛らすためにアヘンを吸っているのがたくさん居たようだ。それは大陸中国においても同じだったし、その悪習というのはなかなか捨てきれないのだろう。日本人はアヘンを税金の収益として満州で1つの政策としてお起きに役立てたが、実際に購入する民衆にとっては、身はボロボロになるわ、金は取られるわでなんのメリットも無いがそれでも続けてしまう。日本が侵略後の手っ取り早い税金徴収としてアヘン専売というのは大いに役立った。そんな光景もちゃんと著者は見抜いている。
もっと面白いのは、いわゆる「からゆき」さんのことも、ちゃんと逃さず表現しているところだろう。下層身分だったから人身売買として売られてきたからゆきさんたちは、故郷を離れた東南アジアの人間が住んでいるようなところで、売春組織の1メンバとしてどうしても生活することになる。この生活が、のちに「日本人はセックスを軽く考えている」という悪評にもつながることになるのだが、故郷では口減らしであり、身分制度が残っているため、その身分層から抜け出すことも出来ないというジレンマから、当地にそのまま居残って、現地のひとと結婚してしまうのも多かった。花街として輝いていたクアラルンプールやイポーの当時の様子についてもちゃんと描いており、当地に住んでいるからゆきさんたちの苦労話も垣間見ることが出来る。しかし、こういうからゆきさんの話については、別の書物(例えば、「からゆきおキクの生涯」など)を読んでもらったほうがいい。
日本が富国強兵として、西洋諸国に遅ればせながら海外の炭鉱や資源を開発し始めたのもこのころ。マレーシアのド田舎にでも日本人が活躍し、日本の会社が開発を行っていたという事実を旅行者の目でみてそれを現代の日本人に文章として残すことができるというのは、文章としての魅力の1つだろうと思う。なにしろ、最初に刊行されたのは、戦前の1940年10月に山雅房書から刊行されている。したがって、中央公論新社からのこの本は改訂版である。是非、一回機会があったら読んでいただきたい。
マレー蘭印紀行
著者:金子 光晴
出版社: 中央公論新社(改版版)
発行日:1978年3月10日
特に戦前に書かれた書物と言うのは、日本人が言葉に対して教養の深さを一番表現できる手段だという意味で使っていただけに、書き言葉に対する表現はとても難しい。それは明治維新以降戦前までの書物を見れば一目瞭然である。教養はヨーロッパでは家柄の次に一番重要だった要素であり、その流れは文明開化をした日本でも同じことだったからだ。今ではすっかり教養というのは、二の次で、いかに金儲けが出来るかということが重要だという下世話な拝金主義が蔓延っているので、高尚な文章を書く旅行記のひとが居なくなってしまったのは残念なことである。
名著「マレー蘭印紀行」は、随分前から探していたのだが、なかなか手に入らず、どこに行けば入手が出来るのだろうとやきもきしていた。しかし、マレーシアの旅行やマレーシアに限らず、旅行記全般のことで調べてみると、絶対に金子光晴の書物のことが出てくるので、どれだけ素晴らしい旅行記なんだろうと期待してしまっていた。ただし、書かれたのは戦前であり、文庫本として刊行されたのも1970年代なので、新刊として刊行されている書物ではなかなか見つからない。ブックオフのような店頭でもなかなか見当たらないので、ずっとイーブックオフに「入荷登録メール」を登録しておいたが、念願3年目にしてようやく手に入ることができた。
読む前から分かっちゃ居たことなのだが、これは戦前に、それも満州事変が起こっている時代に旅行した筆者の旅行記である。したがって、読む際の思考を1930年代にしなければいけないのである。1930年代のマレーシアおよびシンガポールというのがどういう地域であり、どういう生活スタイルであり、どういう人たちが統治していて、どういう産業が行われていたのかというのを知った上で読まないと、全く理解できない。現在、マレーシアやシンガポールというと、東南アジアの経済隆盛著しい場所であり、ほとんど世界の金の亡者が集まる場所として世の中で映っている場所である。そんな現在のマレーシアやシンガポールの町の様子を頭にいれて読み進んでしまうと、ちっとも実感が湧かないし、なにをこのオッサンは言っているんだ?と途中で思考停止になってしまい、読み進むのにとても苦労する。マレーシアは錫炭鉱と天然ゴムのプランテーション地域であり、シンガポールはまだジャングルがたくさんあり、マラッカ海峡を通る船の立ち寄り所というだけの役割でしかなかった場所だという基本情報さえ持っていないと、全く読むのに苦労する。
つまり、マレーシアもシンガポールも、まだまだ原生林がたくさんあり、そして、そのジャングルの中に人間が密接しながら、そして統治者であるイギリス人の指導の下、マレー人と華人とインド人が、プランテーションを中心に働いたり、イギリス人の補佐として働いていたり、あるいは苦力として、雑用全般を行う仕事をしているひとたちがうじゃうじゃいる時代であったということを意識しないと読み手の言いたいことが全く理解できないだろう。反対に言えば、現在経済繁栄しているシンガポール人やマレーシア人にとっては、そんな昔の自慢にもならないような時代のことを蒸し返されるなんて、メンツが潰された気がすると思うのは致し方ないことだとおもう。しかし、これは事実である。どこの国でも通ってきた歴史なのであって、それを第三国の人間が見た正直な感想を述べているだけであるので、それに対して現代人が文句を言う権利はまったく無い。たぶん、現在マレーシアやシンガポールで活躍して、現地で財や地位を確立した日本人においても同じような感想を持つんだろうと思う。現地でそのように活躍している人間は、「昔は昔、今が大切」ということと「何も暗黒の時代やみすぼらしい姿を蒸し返すのは下品だ」と言う人もいる。それは変な事だ。
さらに土地の名前もたくさん出てくる。確かに聞いたことがあるような名前の土地名が出てくるのだが、どこもこれもほとんど野蛮人というか原始人が住んでいるような風景とその景色が表現されている。今の同じ場所を考えると、もうその違いがびっくりするようなものだ。例えば、ジョホール州の東部にあるペンゲランなんか、ほとんど竹と藁で出来たような家しかなく、いかに天然ゴムのプランテーションを経営しているところだとはいえ、今想像するととてもみすぼらしい住まいのようなところに滞在していたりする。雨を凌げばいいようなところがホテルだったりするような場所だ。いまどき、そんな場所はさすがに無いだろう。
本書では、ジョホール州の中部に流れるセンブロン河流域、パドパハ(正式名:バトゥパハト、Batu Pahat)、ペンゲラン(Pengelan)、スリメダン(Seri Medan)、コーランプル(現:クアラルンプール, Kuala Lumpur)、シンガポール、爪哇(ジャワ島)、スマトラ島とのんびり旅行して、見聞した内容を記載している。正直前半の部分については、時間的にものんびりしており、さらに文章として表現されているものもなにか内容がつまらないものばかりなので、一気に読むのに耐えられないとくじけそうになる。途中ペンゲランの章あたりから、こちらの読む意欲と、書き手の内容について理解する意欲がようやくシンクロできる。そのあとの読みのスピードはめちゃくちゃ速い。別に時代背景が分かっていなかったとか、著者のバックグラウンドが分からなかったとか、そういう問題ではない。あまりにも文章が単調すぎだし、表現して見えてくる映像というのがとても刺激があるわけではないものだったからである。なにせ、センブロン河の章は、ジャングルの真ん中みたいな場所での話しなので、そんなところでこんな凄いことがあったとか、わくわくする刺激が起こったなんていうのはあるわけが無い。それも他の章のなかよりも一番ページを割いて書かれているから、もう読むのが遅くて遅くて仕方なかった。
人間の生活が見えてきて、いろいろな人種の風習や服装、そして文化全般が表現化されてきたのが見えてきてからは、脳内において当時の様子が想像ながらもできるようになるので、とても楽しい紀行文として読める。それも繊細な描写が、その場所に居なくても見えてくるようだから、ますます文章にのめりこんでいってしまうのである。たぶん、日本国内にいると日本人ばかりで、似たような風習のひとしか生活していないため、こういう東南アジアの発展これからというような地域に来て、それもいろいろな文化を持っている人たちが混雑して生活しているような光景を見たとしたら、当時は何でも見てやろうという意欲が湧いて、毎日の滞在生活が楽しくて楽しくて仕方なかっただろうと思う。現在の人でさえ、わくわくするような光景が見られるときもあるんだから、戦前のそれも1930年代の人たちから見るとアドレナリンがバンバンでていたことだろう。
やっぱり清朝の流れを汲んで故郷を捨ててきたような苦力の人たちが多く住むマレー半島やマラッカ海峡あたりは、普段の仕事の辛さを紛らすためにアヘンを吸っているのがたくさん居たようだ。それは大陸中国においても同じだったし、その悪習というのはなかなか捨てきれないのだろう。日本人はアヘンを税金の収益として満州で1つの政策としてお起きに役立てたが、実際に購入する民衆にとっては、身はボロボロになるわ、金は取られるわでなんのメリットも無いがそれでも続けてしまう。日本が侵略後の手っ取り早い税金徴収としてアヘン専売というのは大いに役立った。そんな光景もちゃんと著者は見抜いている。
もっと面白いのは、いわゆる「からゆき」さんのことも、ちゃんと逃さず表現しているところだろう。下層身分だったから人身売買として売られてきたからゆきさんたちは、故郷を離れた東南アジアの人間が住んでいるようなところで、売春組織の1メンバとしてどうしても生活することになる。この生活が、のちに「日本人はセックスを軽く考えている」という悪評にもつながることになるのだが、故郷では口減らしであり、身分制度が残っているため、その身分層から抜け出すことも出来ないというジレンマから、当地にそのまま居残って、現地のひとと結婚してしまうのも多かった。花街として輝いていたクアラルンプールやイポーの当時の様子についてもちゃんと描いており、当地に住んでいるからゆきさんたちの苦労話も垣間見ることが出来る。しかし、こういうからゆきさんの話については、別の書物(例えば、「からゆきおキクの生涯」など)を読んでもらったほうがいい。
日本が富国強兵として、西洋諸国に遅ればせながら海外の炭鉱や資源を開発し始めたのもこのころ。マレーシアのド田舎にでも日本人が活躍し、日本の会社が開発を行っていたという事実を旅行者の目でみてそれを現代の日本人に文章として残すことができるというのは、文章としての魅力の1つだろうと思う。なにしろ、最初に刊行されたのは、戦前の1940年10月に山雅房書から刊行されている。したがって、中央公論新社からのこの本は改訂版である。是非、一回機会があったら読んでいただきたい。
マレー蘭印紀行
著者:金子 光晴
出版社: 中央公論新社(改版版)
発行日:1978年3月10日
YUBISASHI 台湾×夜市(書籍)
ガイドブックの「指さし会話」シリーズは、結構いろいろな言語版を出版しているものだが、そのシリーズの本をこれまで一冊も買ったことが無かった。会話本自体、例えば、地球の歩き方の巻末に乗っている会話集のところも入れても、最初は「現地に行ったら使うかもしれないから、覚えておきたいな」と思うが、実際に現地に行くとだいたいが勢いで話をしているので、覚える現地語もあれば、一切合切覚えない現地語もある。だから、会話集なるものは不要だと思った。
ところが最近、指差し会話シリーズでも、利用シーンを特化したスモールサイズのものが刊行されるようになって、ちょうっと興味を持って手にしたのが「台湾×夜市」版である。
台湾の夜市の特徴や夜市で売られている食べ物のメニュについて、結構細かく紹介されているところが面白い。食べ物や注文をする際の場面にのみ特化しているので、その際に使われる言葉としても覚えやすいというのもいいだろう。それも今回の「台湾×夜市」では、すべて台湾語での紹介というところがまた楽しい。台湾華語ではなく、現地夜市では一番使われている言語である台湾語で紹介されているところが、また素晴らしい。
現地台湾の夜市にいくと、確かに喧騒のなか台湾語でわーわー会話をしている店のおっさんたちと、現地のお客さんとの会話の少しでも聞いて知る事ができれば、それはそれで旅をする際に楽しみが増えると言うもの。
料理の台湾語だけではなく、料理に関するマナーや気質、そして、屋台だけではなく、コンビニや駅での会話の一部についても標記されているところも参考になるだろう。大陸からやってきた外省人の気質ではなく、本省人の気質を紹介されているところが面白いところ。台湾の80%以上が本省人であるので、本省人の気質を知るということは、台湾が一掃楽しくなると言うもの。その補助になるための本であると考えればいいであろう。
また、言語のことだけではなく、台湾の主要都市における夜市の紹介も見逃せない。台湾の町1つ1つには必ずといっていいほど、夜市が存在する。そして、どこも同じような夜市だと最初は思うのかもしれないが、実は奥が深い。売れるような品物については、台湾のどこかで売れてしまえば、それが瞬時に台湾中に広がるのは特徴ではあるが、それでもやっぱり現地に行かないと食べられないというようなものも存在するのが台湾である。また、夜市も各街によって規模が違うので面白い。その違いや特徴についても、少しばかりであるが、紹介されているので、主要都市にある夜市に行く場合には参考にするべきだろうと思う。
ただ、台湾語はもともと文字が無い言葉。それを無理やり文字化しているということは、現地の発音を忠実に表現するのはとても大変なことである。だから、あくまでも表記方法は参考にし、現地の人たちが話をしている内容の発音を聴いて覚えるしかないだろう。あと、日本人が台湾語を話すと、絶対台湾人は「おぉ!すごい!」と喜ぶ。これは外国人が日本語で「コンニチハ」とカタカナ日本語で話をしただけで、日本人がすごいーと思うのと同じである。特に中南部に行くと台湾語の使用率が極めて高くなる。なので、中南部に行く人は是非簡単な言葉でも使ってみるといいかもしれない。
ちなみに、台湾語がわかると、福建語も理解できる。福建語が理解できるということは、東南アジアに広がっている華僑達と話がすることができるというもの。ただ、一概に福建語がどこでも使えるとは限らない。なぜなら東南アジアに広がっている華僑達は福建系もいれば、海南系もいれば、広東系もいるのである。それぞれ言葉が全然違う。ただ、一番多いのは福建系だ。だから、台湾人が東南アジアに行くと、言葉に不自由しないで現地の人と会話ができるというメリットがあるのは、このためである。
台湾語の辞典も含めてちょっと台湾語をかじってみるのも面白いだろう。
ワンテーマ指さし会話 台湾×夜市 (とっておきの出会い方シリーズ)
著者:酒井 亨
出版社: 情報センター出版局
出版日:2011年1月15日
単行本: 127ページ
ところが最近、指差し会話シリーズでも、利用シーンを特化したスモールサイズのものが刊行されるようになって、ちょうっと興味を持って手にしたのが「台湾×夜市」版である。
台湾の夜市の特徴や夜市で売られている食べ物のメニュについて、結構細かく紹介されているところが面白い。食べ物や注文をする際の場面にのみ特化しているので、その際に使われる言葉としても覚えやすいというのもいいだろう。それも今回の「台湾×夜市」では、すべて台湾語での紹介というところがまた楽しい。台湾華語ではなく、現地夜市では一番使われている言語である台湾語で紹介されているところが、また素晴らしい。
現地台湾の夜市にいくと、確かに喧騒のなか台湾語でわーわー会話をしている店のおっさんたちと、現地のお客さんとの会話の少しでも聞いて知る事ができれば、それはそれで旅をする際に楽しみが増えると言うもの。
料理の台湾語だけではなく、料理に関するマナーや気質、そして、屋台だけではなく、コンビニや駅での会話の一部についても標記されているところも参考になるだろう。大陸からやってきた外省人の気質ではなく、本省人の気質を紹介されているところが面白いところ。台湾の80%以上が本省人であるので、本省人の気質を知るということは、台湾が一掃楽しくなると言うもの。その補助になるための本であると考えればいいであろう。
また、言語のことだけではなく、台湾の主要都市における夜市の紹介も見逃せない。台湾の町1つ1つには必ずといっていいほど、夜市が存在する。そして、どこも同じような夜市だと最初は思うのかもしれないが、実は奥が深い。売れるような品物については、台湾のどこかで売れてしまえば、それが瞬時に台湾中に広がるのは特徴ではあるが、それでもやっぱり現地に行かないと食べられないというようなものも存在するのが台湾である。また、夜市も各街によって規模が違うので面白い。その違いや特徴についても、少しばかりであるが、紹介されているので、主要都市にある夜市に行く場合には参考にするべきだろうと思う。
ただ、台湾語はもともと文字が無い言葉。それを無理やり文字化しているということは、現地の発音を忠実に表現するのはとても大変なことである。だから、あくまでも表記方法は参考にし、現地の人たちが話をしている内容の発音を聴いて覚えるしかないだろう。あと、日本人が台湾語を話すと、絶対台湾人は「おぉ!すごい!」と喜ぶ。これは外国人が日本語で「コンニチハ」とカタカナ日本語で話をしただけで、日本人がすごいーと思うのと同じである。特に中南部に行くと台湾語の使用率が極めて高くなる。なので、中南部に行く人は是非簡単な言葉でも使ってみるといいかもしれない。
ちなみに、台湾語がわかると、福建語も理解できる。福建語が理解できるということは、東南アジアに広がっている華僑達と話がすることができるというもの。ただ、一概に福建語がどこでも使えるとは限らない。なぜなら東南アジアに広がっている華僑達は福建系もいれば、海南系もいれば、広東系もいるのである。それぞれ言葉が全然違う。ただ、一番多いのは福建系だ。だから、台湾人が東南アジアに行くと、言葉に不自由しないで現地の人と会話ができるというメリットがあるのは、このためである。
台湾語の辞典も含めてちょっと台湾語をかじってみるのも面白いだろう。
ワンテーマ指さし会話 台湾×夜市 (とっておきの出会い方シリーズ)
著者:酒井 亨
出版社: 情報センター出版局
出版日:2011年1月15日
単行本: 127ページ
シンガポール財宝の行方(書籍)
シンガポールに住んでいる友達から来日時に貰った本がある。それも日本語。なにかなーとおもって手に取ってみたのが「シンガポール財宝の行方ー学徒兵のジャングル横穴探索ー」という本である。シンガポールが出てくる小説類というのは、実はあまりなく、現在ではシンガポールと言えば経済大国というイメージがあるだけで、それ以外の題材の書物を探すというのは結構難儀なのである。それもシンガポールからお土産(?)としてもらったのであれば、読まないわけにはいかない。
日本語が結構達者になったシンガポール人が読む日本語の書物としてはちょうどいい難度のものだとはおもうのだが、純日本人が読む書物としてはこれは脳みそをあまり使わず、空き時間にさらーっと読める本だとはいえよう。文字が大きいのである。
さて内容なのだが、著者の実体験をそのまま文章にしたものである。悪い言葉で言えば、老人の戯言を文字に残したものである。太平洋戦争で台湾・マニラと進出するにあたり、シンガポールまで侵略を犯した日本軍。その軍の組織に一兵隊として参加した人が、当時、日本軍がシンガポールを侵略して、シンガポールで奪取した財宝を隠すのに手伝ったことがどうしても現代になっても気になっており、その発掘をすることに苦労するというお話である。
著者いわく、略奪した財宝は、戦況悪化したあと日本軍の略奪・殺戮をしたときの証拠になるとしてジャングルの横穴に隠したということを主張している。そして、その横穴を掘る作業をする際に、スマトラ島パレンバンに駐屯していたのを命令でシンガポールに生かされ、横穴掘り作業に協力したとのこと。その作業をしたのは、戦時中はジャングルであり、どうしてこんなところに要塞みたいなのを作ろうとしているのか?という素朴の疑問から、これはもしかして要塞ではなく、なんらかの横穴つくりなのだというのを直感する。
戦後、シンガポールでのあの作業がどうしても思い出されてしまい、通称「山下財宝」と呼ばれるものを隠すための横穴だったんだと、それから考える。本当にそういう意味で掘られた穴なのかどうかは今となっては誰もわからず、日本政府としても軍時のときの証拠資料を喜んで出すとは言えないだろうから、単なる老人の戯言と言われてしまってはそのままだと思う。そして、何かにつけてシンガポールへ滞在し、そのたびに、当時ジャングルだった場所で横穴の場所を探そうとするのだが、現地の華人たちに協力を貰うのはなかなか難しい。というのも、既に山下財宝という金を狙って、何人もの華人たちが泥棒の戦利品を別の泥棒が分捕ろうとしようしたわけであり、そんな泥棒たちが自分達が成果が出なかったからといって、日本人がまたやってきて協力せよと言われても誰も協力なんかするわけが無い。日本政府の協力も無く、現地のシンガポール華人たちの協力も無いまま、個人が勝手にシンガポールの過去の場所を探すのは大変なことである。
さらに言うと、独立後のシンガポールは、その経済発展著しさに、土地改造を行っている。既に人間が住んでいるバラックみたいなところを一気に整備するより、まずはジャングルとして無価値になっていた場所に、人間がまともに住めるように整備をして準備をし、そこにバラック住まいの人たちを移住させようとしたわけである。そのために、ジャングルというジャングルがほとんど以前の形がなくなってしまっているというのが、現在のシンガポールを見ても分かることである。そんな状態のシンガポールで横穴を探すなんていうのは、無謀に等しい。見つかるわけが無い。土地開発をしている段階で、すでに横穴らしいものは全部壊されているに違いない。
ただ、共感する場面もある。軍参謀本部は、戦況が不利になっている事実を国民および軍隊全体に知らしめるのを隠し通すのが一番の仕事であり、最前線に行かないで机上の空論で、常に自己保身のために仕事をし、物資が不足しているのを知りながらも、そこは精神力のみでなんとかしろと強調し、国民には銃に対して竹やりで戦えと、馬鹿みたいなことを命令していた。このばかげた軍部の責任はとても大きいのだが、その軍部は卑怯の集まりだというのは同感できる。これは大きな会社に居るととても分かるのだが、嫌なことは末端社員に押し付け、自分達は赤絨毯にゴミひとつ落ちていない清潔感一杯で、それでもその絨毯の上を歩こうとはしない上の人たちが多く居る。それとかなり酷似しているから共感できるのだ。
アメリカとの戦争においても、兵器に格段の差があったのにも関わらず、リメンバー・日露戦争と、いつまでも日露戦争に勝てた自信だけで大国たちと戦ったことが馬鹿の元凶だと指摘する。これも納得だ。
戦争のことはどうでもいい。いろいろな人がいろいろな書物を書いているからである。この人は、本の題名として、山下財宝のありかを探すことと、その財宝自体を掘るため記録を書きたかったのだろうが、なぜか途中から戦争記ばかりのことと、軍部がいかに馬鹿だったかということばかりを書いている。結局、横穴のことは何度もシンガポールに行って調査をしているにも関わらず見つからず終い。読んでいる途中で「なんじゃ、これ?」と何度も思ったのは言うまでも無い。終わりが締まらない内容になっていることもそうなのだが、あとがきというのをあとがきらしくなく、本文の1部のように使っているところもかなり疑問だった。あとがきのところに、これまで協力してくれていた大手新聞社のシンガポール支局の職員のことが書かれており、その人が日本へ帰国した途端に全く協力しなくなったということに対して「世知辛い世の中になってしまった」で終わらせている。「んで?」とツッコミたくなるようなものである。
シンガポール財宝の行方 学徒兵のジャングル横穴探索
著者:東浦 美文
出版社: 文芸社
出版日:2010年2月15日
日本語が結構達者になったシンガポール人が読む日本語の書物としてはちょうどいい難度のものだとはおもうのだが、純日本人が読む書物としてはこれは脳みそをあまり使わず、空き時間にさらーっと読める本だとはいえよう。文字が大きいのである。
さて内容なのだが、著者の実体験をそのまま文章にしたものである。悪い言葉で言えば、老人の戯言を文字に残したものである。太平洋戦争で台湾・マニラと進出するにあたり、シンガポールまで侵略を犯した日本軍。その軍の組織に一兵隊として参加した人が、当時、日本軍がシンガポールを侵略して、シンガポールで奪取した財宝を隠すのに手伝ったことがどうしても現代になっても気になっており、その発掘をすることに苦労するというお話である。
著者いわく、略奪した財宝は、戦況悪化したあと日本軍の略奪・殺戮をしたときの証拠になるとしてジャングルの横穴に隠したということを主張している。そして、その横穴を掘る作業をする際に、スマトラ島パレンバンに駐屯していたのを命令でシンガポールに生かされ、横穴掘り作業に協力したとのこと。その作業をしたのは、戦時中はジャングルであり、どうしてこんなところに要塞みたいなのを作ろうとしているのか?という素朴の疑問から、これはもしかして要塞ではなく、なんらかの横穴つくりなのだというのを直感する。
戦後、シンガポールでのあの作業がどうしても思い出されてしまい、通称「山下財宝」と呼ばれるものを隠すための横穴だったんだと、それから考える。本当にそういう意味で掘られた穴なのかどうかは今となっては誰もわからず、日本政府としても軍時のときの証拠資料を喜んで出すとは言えないだろうから、単なる老人の戯言と言われてしまってはそのままだと思う。そして、何かにつけてシンガポールへ滞在し、そのたびに、当時ジャングルだった場所で横穴の場所を探そうとするのだが、現地の華人たちに協力を貰うのはなかなか難しい。というのも、既に山下財宝という金を狙って、何人もの華人たちが泥棒の戦利品を別の泥棒が分捕ろうとしようしたわけであり、そんな泥棒たちが自分達が成果が出なかったからといって、日本人がまたやってきて協力せよと言われても誰も協力なんかするわけが無い。日本政府の協力も無く、現地のシンガポール華人たちの協力も無いまま、個人が勝手にシンガポールの過去の場所を探すのは大変なことである。
さらに言うと、独立後のシンガポールは、その経済発展著しさに、土地改造を行っている。既に人間が住んでいるバラックみたいなところを一気に整備するより、まずはジャングルとして無価値になっていた場所に、人間がまともに住めるように整備をして準備をし、そこにバラック住まいの人たちを移住させようとしたわけである。そのために、ジャングルというジャングルがほとんど以前の形がなくなってしまっているというのが、現在のシンガポールを見ても分かることである。そんな状態のシンガポールで横穴を探すなんていうのは、無謀に等しい。見つかるわけが無い。土地開発をしている段階で、すでに横穴らしいものは全部壊されているに違いない。
ただ、共感する場面もある。軍参謀本部は、戦況が不利になっている事実を国民および軍隊全体に知らしめるのを隠し通すのが一番の仕事であり、最前線に行かないで机上の空論で、常に自己保身のために仕事をし、物資が不足しているのを知りながらも、そこは精神力のみでなんとかしろと強調し、国民には銃に対して竹やりで戦えと、馬鹿みたいなことを命令していた。このばかげた軍部の責任はとても大きいのだが、その軍部は卑怯の集まりだというのは同感できる。これは大きな会社に居るととても分かるのだが、嫌なことは末端社員に押し付け、自分達は赤絨毯にゴミひとつ落ちていない清潔感一杯で、それでもその絨毯の上を歩こうとはしない上の人たちが多く居る。それとかなり酷似しているから共感できるのだ。
アメリカとの戦争においても、兵器に格段の差があったのにも関わらず、リメンバー・日露戦争と、いつまでも日露戦争に勝てた自信だけで大国たちと戦ったことが馬鹿の元凶だと指摘する。これも納得だ。
戦争のことはどうでもいい。いろいろな人がいろいろな書物を書いているからである。この人は、本の題名として、山下財宝のありかを探すことと、その財宝自体を掘るため記録を書きたかったのだろうが、なぜか途中から戦争記ばかりのことと、軍部がいかに馬鹿だったかということばかりを書いている。結局、横穴のことは何度もシンガポールに行って調査をしているにも関わらず見つからず終い。読んでいる途中で「なんじゃ、これ?」と何度も思ったのは言うまでも無い。終わりが締まらない内容になっていることもそうなのだが、あとがきというのをあとがきらしくなく、本文の1部のように使っているところもかなり疑問だった。あとがきのところに、これまで協力してくれていた大手新聞社のシンガポール支局の職員のことが書かれており、その人が日本へ帰国した途端に全く協力しなくなったということに対して「世知辛い世の中になってしまった」で終わらせている。「んで?」とツッコミたくなるようなものである。
シンガポール財宝の行方 学徒兵のジャングル横穴探索
著者:東浦 美文
出版社: 文芸社
出版日:2010年2月15日
十七歳的天空(映画)
2004年に中華圏で大ヒットした映画「十七歳的天空」は、ゲイに対して寛容的になってきている台湾社会では、喜劇として作られた映画であり、同世代のひとたちにも共感が得られると共に、それまで、ゲイに対して少しでも偏見を持っていたような人たちにとっても、ゲイの若い子も相手が単に同性だったというだけで、基本的にはノンケの若い子と同じようなことをしているものだというのが大いに受け入れられたものだ。しかし、上映に関しては各国ではかなり反応が違っていて、特に、「清潔・潔白・純粋」ということを国義のようにしているシンガポールでは同性愛の題材だからというだけで上映禁止になった経緯がある。日本での反応はどうかというと、一部の世界では話題になっては居たが、全国の大箱でロードショーということにはならず、マニアックな映画のみを上映するような映画館でのみ上映された。
しかし、この映画に出演している人たちは、その後の台湾映画および台湾芸能界、もっと広義的に言うと中華圏全体で活躍する俳優人がほぼ全員出演していると言うところも面白い。特にこのあとすぐ日本でも人気になり、すっかり最高潮まで上り詰めたがいまではどこでなにをしているのかわからなくなってしまった陳柏霖も実はここにチラッと出演している。
主演格の人たちにスポットを当てるとすると、主役の周添財(ティエン)役をしているトニー・ヤン(楊祐寧)はもうすっかり台湾のスターである。ただ、この映画でポッと出てきた俳優というわけではなく、それまではCMモデルとしても活躍していたし、テレビドラマへの出演としても活躍していた。一番のヒットは間違いなく十七歳的天空なのだが、それと同時期にプロモーションビデオとして、周華健の「傷心的歌」に出演したことも大きかったと思う。十七歳的天空も傷心的歌も、どちらも映像としては同性愛的要素だったことが、一般の人に衝撃を与えたことなのだと思う。特にプロモーションビデオは、曲もヒットしたのだが、プロモーションビデオ自体が曲を別にして一人歩きしたようなところがあり、昔でいうところのピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)の「スレッジハンマー(Sledgehammer)」のPVみたいに話題騒然となったことが思い出される。そんな映画とPVのおかげで、すっかり「トニーヤンはゲイである」という意味不明なレッテルを貼られてしまったのだが、実際には全く彼はゲイではない。そのあと、いろいろな役柄を演じるようにしているのだが、どうしてもこの映画とPVの印象からは、一般人は印象を抜け出せず、岩下志麻を見たら「極妻シリーズだ」と思うくらいの脳裏を植えつけてしまったのは、彼のこれからの俳優生活には支障だったかもしれない。が、それでもいろいろな役を演じることで払拭しようとしている努力はしている。
映画の中のもう1人の主人公であるプレイボーイ役を演じたダンカン・チョウ(周群達)は台湾人ではなく香港人である。映画の中でもビジネスパートナーであるジュンとの間は、たまに広東語で話している場面が出てきて、他の役柄から「やいっ、広東語で喋るな。わかんねーじゃないか!」と怒鳴られる場面もある。このダンカン・チョウは、この映画のあと、飛輪海のメンバーが出演したテレビドラマ「花樣少年少女」で出演したのだが、あまり台湾の映画やテレビドラマで拝見することは無かった。
映画としては、田舎に住んでいた高校生が夏休みの良い思い出を作るために、台北にやってきてひと夏の経験をしてしまうというもの。それも相手が、台北のゲイの間では誰もが知っているプレイボーイで、やったあとはすぐに捨てられてしまうという色男。妄想癖100%の高校生のガキが都会にやってきて、年上の金持ちリーマンとの恋愛に発展してしまうということは、それ自体がもう喜劇であるとしかいえないが、脳みそのなかに花が咲きまくっている高校生にとっては、雑誌や本でしか知りえなかったことが本当のことだと思い込んでいただけに、現実の人間関係にぶつかってしまうと、困惑してしまうというのも良くありがち。しかし、この映画の面白さは、この主演2人の周りに居る人たちだろうと思う。ドラッグクイーン丸出しという人もでてくれば、ゲイバーに勤める友人も出てくるわ、ジムのインストラクターのゲイも出てくれば、普通の世界でも「いる、いる、そういうひと」というような人たちがたくさん出てくるのである。それも誇張して。そこが面白い。
映画としてはとても面白いものなのだが、肝心の書物になったものが刊行されて、内容を読んでみてがっかりした。というのも、映画の内容で場面の都合上映像化できないような内面的な表現が文章化してくれるのかとおもって期待したところ、それが全く無い。ほとんど映画の内容をそのまま文字化しただけのところなのだ。こんな本は読む気にならない。だいたい文庫本になったのはいいのだが、その中身が、まるで水嶋ヒロのような小説みたいに文字がデカい。なので、横浜から湘南新宿ラインで新宿に到着するまでに読み終えてしまったくらいの内容である。内容を知っているからということもあるのだが、内容が薄いのである。映画の補完に過ぎないのだが、補完にもならない。ブックオフで100円のワゴンセールで売られていたから買ったようなものの、こんなもの定価の590円を出して買いたいとは全然思わないものだ。
小説から映画になったものであれば、小説はかなり内容が濃いものなので読み応えがある。しかし、概して映画が初めで、あとに小説が刊行されたものに対しては、全くといっていいほど内容がヘタれなので読んでいる時間がもったいないとおもうくらいである。この本はさっさとまたブックオフに売ってしまいたい。
小説「僕の恋、彼の秘密(原題:十七歳的天空)」
著者:チョン リン
翻訳:松繁 梢子
脚本:ラディ ユウ
出版社: 竹書房
出版日:2005年12月9日
しかし、この映画に出演している人たちは、その後の台湾映画および台湾芸能界、もっと広義的に言うと中華圏全体で活躍する俳優人がほぼ全員出演していると言うところも面白い。特にこのあとすぐ日本でも人気になり、すっかり最高潮まで上り詰めたがいまではどこでなにをしているのかわからなくなってしまった陳柏霖も実はここにチラッと出演している。
主演格の人たちにスポットを当てるとすると、主役の周添財(ティエン)役をしているトニー・ヤン(楊祐寧)はもうすっかり台湾のスターである。ただ、この映画でポッと出てきた俳優というわけではなく、それまではCMモデルとしても活躍していたし、テレビドラマへの出演としても活躍していた。一番のヒットは間違いなく十七歳的天空なのだが、それと同時期にプロモーションビデオとして、周華健の「傷心的歌」に出演したことも大きかったと思う。十七歳的天空も傷心的歌も、どちらも映像としては同性愛的要素だったことが、一般の人に衝撃を与えたことなのだと思う。特にプロモーションビデオは、曲もヒットしたのだが、プロモーションビデオ自体が曲を別にして一人歩きしたようなところがあり、昔でいうところのピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)の「スレッジハンマー(Sledgehammer)」のPVみたいに話題騒然となったことが思い出される。そんな映画とPVのおかげで、すっかり「トニーヤンはゲイである」という意味不明なレッテルを貼られてしまったのだが、実際には全く彼はゲイではない。そのあと、いろいろな役柄を演じるようにしているのだが、どうしてもこの映画とPVの印象からは、一般人は印象を抜け出せず、岩下志麻を見たら「極妻シリーズだ」と思うくらいの脳裏を植えつけてしまったのは、彼のこれからの俳優生活には支障だったかもしれない。が、それでもいろいろな役を演じることで払拭しようとしている努力はしている。
映画の中のもう1人の主人公であるプレイボーイ役を演じたダンカン・チョウ(周群達)は台湾人ではなく香港人である。映画の中でもビジネスパートナーであるジュンとの間は、たまに広東語で話している場面が出てきて、他の役柄から「やいっ、広東語で喋るな。わかんねーじゃないか!」と怒鳴られる場面もある。このダンカン・チョウは、この映画のあと、飛輪海のメンバーが出演したテレビドラマ「花樣少年少女」で出演したのだが、あまり台湾の映画やテレビドラマで拝見することは無かった。
映画としては、田舎に住んでいた高校生が夏休みの良い思い出を作るために、台北にやってきてひと夏の経験をしてしまうというもの。それも相手が、台北のゲイの間では誰もが知っているプレイボーイで、やったあとはすぐに捨てられてしまうという色男。妄想癖100%の高校生のガキが都会にやってきて、年上の金持ちリーマンとの恋愛に発展してしまうということは、それ自体がもう喜劇であるとしかいえないが、脳みそのなかに花が咲きまくっている高校生にとっては、雑誌や本でしか知りえなかったことが本当のことだと思い込んでいただけに、現実の人間関係にぶつかってしまうと、困惑してしまうというのも良くありがち。しかし、この映画の面白さは、この主演2人の周りに居る人たちだろうと思う。ドラッグクイーン丸出しという人もでてくれば、ゲイバーに勤める友人も出てくるわ、ジムのインストラクターのゲイも出てくれば、普通の世界でも「いる、いる、そういうひと」というような人たちがたくさん出てくるのである。それも誇張して。そこが面白い。
映画としてはとても面白いものなのだが、肝心の書物になったものが刊行されて、内容を読んでみてがっかりした。というのも、映画の内容で場面の都合上映像化できないような内面的な表現が文章化してくれるのかとおもって期待したところ、それが全く無い。ほとんど映画の内容をそのまま文字化しただけのところなのだ。こんな本は読む気にならない。だいたい文庫本になったのはいいのだが、その中身が、まるで水嶋ヒロのような小説みたいに文字がデカい。なので、横浜から湘南新宿ラインで新宿に到着するまでに読み終えてしまったくらいの内容である。内容を知っているからということもあるのだが、内容が薄いのである。映画の補完に過ぎないのだが、補完にもならない。ブックオフで100円のワゴンセールで売られていたから買ったようなものの、こんなもの定価の590円を出して買いたいとは全然思わないものだ。
小説から映画になったものであれば、小説はかなり内容が濃いものなので読み応えがある。しかし、概して映画が初めで、あとに小説が刊行されたものに対しては、全くといっていいほど内容がヘタれなので読んでいる時間がもったいないとおもうくらいである。この本はさっさとまたブックオフに売ってしまいたい。
小説「僕の恋、彼の秘密(原題:十七歳的天空)」
著者:チョン リン
翻訳:松繁 梢子
脚本:ラディ ユウ
出版社: 竹書房
出版日:2005年12月9日
ドイツものしり紀行
紅山雪夫の「ものしり紀行」シリーズとして「ドイツものしり紀行」もまた読み応えがある。これまでスペイン編とイタリア編についての書評を記載したのだが、ドイツ編についてもついでなので書評したいと思う。
本書については、ドイツ全体にことは記載されていない。正確に言えば、旧西ドイツ地域に特化した内容になっている。もっと正確に言えば、旧西ドイツ全体のことを書いているわけでもない。日本人に人気のロマンティック街道に沿ったところと、ライン川に沿った地域のことしか掲載されていないため、ハノーバーのような北海沿岸については、掲載されていない。それでもドイツ(あくまでも西ドイツ地域)の主要都市については掲載されているので、参考になると思う。
内容に行く前に、この書全体の感想から述べると、スペイン編とイタリア編に比べると、実は内容的に面白みに欠けるものではないかとおもった。普通のガイドブックの領域からあまり抜けていないんじゃないのか?と思ったのが正直な感想。しかしながら、普通のガイドブックと違うところは、ロマンティック街道編で言うと、すごい小さい村みたいなところまで掲載されているところだろう。こんなところは普通の日本人だったら通り過ぎてしまいそうなところだ。そこにも町独特の雰囲気と文化と面白みがあるのだということを解説しているところは、細かいものだと思う。だから、ありきたりのドイツの都市にいくのに飽きたひとにとっては、少し足を伸ばして小さなド田舎村にでも行ってみたいというひとにとっては、とても参考になる本だと思う。
豆知識として、今回の紹介範囲としてはミュンヘンを中心としたバイエルン地域とラインハルトのことが掲載されている。なかでも、やはり文化が極めて高かったバイエルン地域のことの豆知識は参考になるだろう。もっと詳細のことについて知りたいひとは、別の専門書を見るべきだと思うのだが、ミュンヘンを中心とした数々のおもしろいエピソードを触り程度で知りたいと言う人にとってもいい参考書になると思う。特に、ルードヴィッヒ2世の奇行を触り程度で知るのは、バイエルン文化を知る上では外せない事象だし、隣国オーストリアとの関係がどのようなものだったかと言うことを知るにも外せないエピソードだと思う。
個人的には、もっとエピソードとして入れて欲しかったのは神聖ローマ帝国のこと。神聖ローマ帝国とは実態はどうなっていて、政治統制と各王国の関係はどうなっているのかというのは、なにを読んでもいまいちよくわからないところだ。ドイツはその中心国家であり、だいたいドイツという国家または民族がなにをもって決めたのかというのも重要なテーマだとは思うのだが、その土壌知識がないと、各都市の建物や芸術および治世については、いまいち中途半端に理解せざるを得ないところだ。
ただ、著者は芸術分野、特に建築と都市工学およびキリスト教に精通しているかた。だから、町並みに関する観察とその報告内容はとても分かりやすい。言語学にも少し精通されているようで、他言語との比較やドイツ語でもバイエルンあたりの高ドイツ語とラインハルトあたりの中ドイツ語の違いについてもまめ知識にでていたりするのも、少し面白いと思う。
ドイツはミュンヘンとその周辺地域しか実は行ったことが無く、もっと経済の中心地であるフランクフルトには立ち寄りしかしたことが無いので、どういう場所なのかは全然良くわからない。南部地域のほうが文化的に面白いからだと思っていたから、まだバイエルン地域しか行ったことが無いのだが、可能であれば中部から北部地域にも行ってみたいと思う。ただ、ドイツはやっぱり南部地域を除くと、東部地域が面白いところだとは個人的な予想。しかし、社会主義時代に徹底した社会主義的風景に様変わりしてしまったのだが、また昔に戻って建物も変わったのであれば楽しそうだ。特にベルリンの変わりようは凄いものがある。
次回、ドイツに行く機会があり、それもライン川沿岸にいくことがあれば、この本を参考にしたいところだ。
ドイツものしり紀行
著者:紅山 雪夫
出版社: 新潮文庫
出版日:2005年6月1日
本書については、ドイツ全体にことは記載されていない。正確に言えば、旧西ドイツ地域に特化した内容になっている。もっと正確に言えば、旧西ドイツ全体のことを書いているわけでもない。日本人に人気のロマンティック街道に沿ったところと、ライン川に沿った地域のことしか掲載されていないため、ハノーバーのような北海沿岸については、掲載されていない。それでもドイツ(あくまでも西ドイツ地域)の主要都市については掲載されているので、参考になると思う。
内容に行く前に、この書全体の感想から述べると、スペイン編とイタリア編に比べると、実は内容的に面白みに欠けるものではないかとおもった。普通のガイドブックの領域からあまり抜けていないんじゃないのか?と思ったのが正直な感想。しかしながら、普通のガイドブックと違うところは、ロマンティック街道編で言うと、すごい小さい村みたいなところまで掲載されているところだろう。こんなところは普通の日本人だったら通り過ぎてしまいそうなところだ。そこにも町独特の雰囲気と文化と面白みがあるのだということを解説しているところは、細かいものだと思う。だから、ありきたりのドイツの都市にいくのに飽きたひとにとっては、少し足を伸ばして小さなド田舎村にでも行ってみたいというひとにとっては、とても参考になる本だと思う。
豆知識として、今回の紹介範囲としてはミュンヘンを中心としたバイエルン地域とラインハルトのことが掲載されている。なかでも、やはり文化が極めて高かったバイエルン地域のことの豆知識は参考になるだろう。もっと詳細のことについて知りたいひとは、別の専門書を見るべきだと思うのだが、ミュンヘンを中心とした数々のおもしろいエピソードを触り程度で知りたいと言う人にとってもいい参考書になると思う。特に、ルードヴィッヒ2世の奇行を触り程度で知るのは、バイエルン文化を知る上では外せない事象だし、隣国オーストリアとの関係がどのようなものだったかと言うことを知るにも外せないエピソードだと思う。
個人的には、もっとエピソードとして入れて欲しかったのは神聖ローマ帝国のこと。神聖ローマ帝国とは実態はどうなっていて、政治統制と各王国の関係はどうなっているのかというのは、なにを読んでもいまいちよくわからないところだ。ドイツはその中心国家であり、だいたいドイツという国家または民族がなにをもって決めたのかというのも重要なテーマだとは思うのだが、その土壌知識がないと、各都市の建物や芸術および治世については、いまいち中途半端に理解せざるを得ないところだ。
ただ、著者は芸術分野、特に建築と都市工学およびキリスト教に精通しているかた。だから、町並みに関する観察とその報告内容はとても分かりやすい。言語学にも少し精通されているようで、他言語との比較やドイツ語でもバイエルンあたりの高ドイツ語とラインハルトあたりの中ドイツ語の違いについてもまめ知識にでていたりするのも、少し面白いと思う。
ドイツはミュンヘンとその周辺地域しか実は行ったことが無く、もっと経済の中心地であるフランクフルトには立ち寄りしかしたことが無いので、どういう場所なのかは全然良くわからない。南部地域のほうが文化的に面白いからだと思っていたから、まだバイエルン地域しか行ったことが無いのだが、可能であれば中部から北部地域にも行ってみたいと思う。ただ、ドイツはやっぱり南部地域を除くと、東部地域が面白いところだとは個人的な予想。しかし、社会主義時代に徹底した社会主義的風景に様変わりしてしまったのだが、また昔に戻って建物も変わったのであれば楽しそうだ。特にベルリンの変わりようは凄いものがある。
次回、ドイツに行く機会があり、それもライン川沿岸にいくことがあれば、この本を参考にしたいところだ。
ドイツものしり紀行
著者:紅山 雪夫
出版社: 新潮文庫
出版日:2005年6月1日
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