2009/04/11

琉球王国の謎


沖縄の歴史は、本州に居るとほとんどわからない。なんとなく中国王朝風の文化もあるが、そうでもなく、日本古来の文化が残っているなと思いつつも、必ずしもそうでもない、実に摩訶不思議である。沖縄の歴史というと、どうしても戦中・戦後の歴史しか目立たないので、それ以前の琉球王国と呼ばれていたころの話となると、ほとんど分からない。

2000円札の図柄にもなった首里城を代表とする琉球王国は、サミットの際に誰にでも知られるようになったが、そこの城の中ではどのような政治が行われていたのかとか、ましてはどういう人が治めていたのかというのは、たぶん沖縄の人と、沖縄だいすきな人以外はあまり知らないのだと思う。でも、沖縄も日本の領土であるため、藤原→平→源→北条→足利→織田→豊臣→徳川の歴史だけが日本の歴史だと思ってもらわれると、それは沖縄の人に失礼なことだし、単一的な歴史ではなく、南北に長い日本はいろいろな歴史の道の上に成り立っていることをもっと知るべきだと思う。

北海道のアイヌは文字を残さなかったし、王朝と呼べるほどの大きな国は存在しなかったので、なかなか歴史を伝えるのは難しいと思うが、沖縄の場合、文字として立派に残されているし、主に中国になるが大国との交易の歴史も残されているので、その軌跡を辿るのは容易い。ただ、残された琉球の歴史がなかなか本州に届いてないということは、いまだに沖縄を特別なところとか、日本のようで日本じゃないところという見方をしているからなのかもしれない。

沖縄と人くくりにしても、沖縄はたくさんの島から構成される。主に琉球王国は、沖縄本島を中心として、徐々に島ごとに覇権を取っていた豪族たちが集約されて結成された王朝である。ただ、調べてみると沖縄の歴史ではいろいろな逸話が残っている。まず驚かされるのは、源為朝伝説だろう。保元の乱で天皇側についた源為朝は最終的に伊豆の大島に島流しになった史実があるのだが、なんと島を脱出して、潮流に乗って沖縄にたどり着き、そこで子供をもうけ、子供が沖縄の王になったというものだ。為朝伝説が沖縄にあるのは、若いころ為朝が九州で活躍していたことに起因し、歴史は下って島津藩が沖縄支配を正当化するために、沖縄の人は和人の子孫であるというのを作り上げたことが原因だという。こう言う話は普通の日本の歴史では知ることができない。

沖縄本島は1つと考えてはだめで、実は今帰仁を中心とする「山北」、浦添を中心とする「中山」そして大里を中心とした「山南」という地域に分かれる。そして、それぞれの地域はそれぞれ1つの国として活躍する。特に中国(当時は明)への朝貢は、3つの国が競って行ったようである。領土的にはそんなに大きくないが一番強大だったのが中山で、山南がそれに続き、最後に山北が続くようになって、そのまま統一されていった。中国との交易が活発になると、中国側から琉球に住み着く中国人が多くなるのは当然である。それらの人達が姓を使って家族関係を把握しているのを見て、沖縄の貴族も真似して姓を使い始めたために、未だに沖縄の人の姓には中国風の名前が多いことに気付く。

沖縄の歴史と薩摩藩の島津との関係はかなり結びつきが強い。琉球王国の領土は、実は薩摩の影響を受ける前までは、鹿児島県の九州本島以外の今の鹿児島県の島、全部が琉球だった。しかしながら、いまでは種子島も奄美大島もいまは鹿児島県である。これは薩摩藩がいちゃもんをつけて琉球から領土を奪った結果なのだが、この本を読むまで、こういう事実があったなんていうことは実は分からなかった。薩摩藩は江戸時代には、加賀藩とならび金持ち大名として名を馳せていたが、その金持ちになった理由は琉球からの貢物があるだけではなく、実は琉球を実効支配したことにより、琉球で栽培されていた砂糖を日本各地で売りさばいて大金を得ていたことに由来する。こんな事実は誰も教えてくれない。

調べれば調べるほど、琉球王国というのが謎に思えてくる。東に日本、西に中国という大国に挟まれて、一体自分達は色々なところに主人を作らざるを得なくなってしまって、どうしたらいいのだろうかと、常に思っていたのだろうと思う。琉球の概要を知るためにはこの本はとても便利だ。もっと詳しい琉球の歴史を知りたいのであれば、沖縄の本屋で有ればどこでも売られている「高等学校 琉球・沖縄の歴史と文化」を読むと良いだろう。
ワンダーランドの沖縄の裏の顔、真の沖縄の姿を知るためには、沖縄の歴史を知った上で沖縄を楽しまないとだめで、表面的な沖縄を知っていても、沖縄の人とは仲良くなれないのだと思う。

世界遺産の島琉球王国の謎―甦る南海の理想郷・沖縄
武光 誠 (著)
出版社: 青春出版社
出版日:2001/02/20

住まなきゃわからない沖縄

リタイアした人、または途中でドロップアウトして、のんびりした沖縄に移り住むというのが、2000年ごろから世間で話題になっている。特に石垣島の変貌については、記憶に新しいところだろう。でも、実際に沖縄に住んで「良かった~」という生の声はあまり聞こえてこない。たぶん、「良かった」とあまり言いたくないのだろう。言うと、自分達と同じように他県から移り住んでくる人が多くなってきて、せっかくのんびりできるとおもっていた生活が、また元の通りになってしまう懸念があるからなのだということも聞いた事がある。

とはいっても、生活の場が沖縄になった場合、今までの他県での生活とは全く異なるのは当然である。それは、やっぱり「沖縄」だからなのだと思う。

沖縄に住むとこんな習慣があるとか、沖縄にはこんな不思議な食べ物があるとか、沖縄に住むと、こんなにびっくりするような出来事が起こるというようなことを、主に本島に住んでみて分かる事実を満遍なく、面白おかしく書かれている。

実際に沖縄にいったことがないので、ほんとうかなぁ?と、今でも信じられないのであるが、沖縄が好きな人に話を聞いてみると、「おぉ、確かにそのとおりだった」というから、やっぱり本当なんだーと思う。

だいたい著者がだんだん沖縄に嵌っていって、沖縄にすみ始めてしまうというエピソードが面白い。奥さんが重度の沖縄オタクになってしまって、それで自分が感染して「じゃ、住んでみるか」と軽いノリで移住してしまうというのも傑作だ。そんな簡単な人生でいいのか?と突っ込みを入れたくなる。が、当の本人も言っているが、軽い気持ちで沖縄で住もうなんて考えないほうがいい。あそこは日本じゃない、とまで言っている。覚悟しいやということなのだろう。

ただ、この著者は沖縄が本当に好きなんだなーと文章を見るとよくわかる。沖縄が好きじゃないと、沖縄に関する不思議なことやその辺にオバちゃんのエピソードやには目が向かないのだろう。ただ、本当にそんな人達が居るのかとか、著者が大阪のひとだから、また話を大袈裟に書いているだけだろう?とような場面がいっぱい出てくるのだが、どうも本当らしい。小馬鹿にしたような書き方をしているのだが、それも筆者が沖縄を心から好きなためであり、好きだからこそ貶すという、まるでチュウボウのような気持ちで書いたのだと思う。

本の中では、「沖縄を眺める」「沖縄に住む」「沖縄を食う」「沖縄を知る」「沖縄を歩く」「沖縄を遊ぶ」「沖縄を考える」という章で構成されているが、どの章が何かにフォーカスを当てているわけじゃない。筆者の勝手なジャンル分けではあるのだが、沖縄に生活して知らなかった風習やこんな変な人・出来事は日常茶飯事に遭遇するというのを紹介している。詳しいネタはこの本を読んで貰えれば分かるが、沖縄にいったこともないひとにとっては、幻想的な沖縄に対して、一瞬立ちろいでしまうかもしれない。逆に、沖縄に一回でもいったことがあるひとは、「そうそう」と手を叩いて抱腹絶倒だろう。

巻末に沖縄語も紹介として載っているので、簡単な沖縄語を覚えたい人にも役立つと思う。沖縄語・・・字幕スーパーがないと理解不能です。


住まなきゃわからない沖縄
仲村 清司 (著)
出版社: 新潮社
出版日:2004/11

熊野まんだら街道


「熊野」地域は、言葉の響きを聞いただけでも、神秘的に聞こえてくるのは、それは日本人だからなのだろうか?別に日本人だからというわけじゃないのだろうが、高野山から熊野の地域については、密教・神道の宗教を通してでも現世的な気持ちから解き放たれ、行ったことも無いのに「なんか凄いところかもしれない」という先入観で考えてしまうところだ。

著者は出身地の和歌山県について、地域の文化性や歴史の中での紀伊の役割がどのように担っていたかということを中心に、県境の大阪府の堺市から海岸沿いを満遍なく紹介し、新宮あたりまで総なめにしたのち、熊野古道へ至る、和歌山の歴史書というべき書だとおもう。

ところが、この本、とても読みにくい。熊野へ行く道をとても細かい部分まで、それも大雑把に町を飛びとびに紹介するのではなく、隣町隣町と、もうそんなちょこまかちょこまか紹介しなくても良いだろうというくらい、熊野までの道を時間的ではなく距離的にのんびり紹介しているからだ。特に、あまり良く知らない地域に対して、地理的に想像して読み込んでいくのは、実に疲れる。和歌山出身の人であれば、「あぁ、あそこに確かにあるねー、そうそう!!!」と納得の上で読み込んでいるから、こんな面白い本はないとおもうのだが、そうではない他県出身の人間には骨が折れてしまう。

ただ、内容は本当に濃い。民俗的、歴史的、人物的にも様々な要素をつめこんでいるので、同じ道をのんびりと時間をかけて歩いて観光しようとするのであれば、とてもよい参考資料になるのだと思う。紀州であるので、徳川家との係わり合いにはとても強い地域であるだけに、徳川家に関する話もよく出てくる。地元の有名人である南方熊楠についてのエピソードも出てくるが、いまいち個人的には南方熊楠という人のことをしらない。植物学者というイメージがあるのだが、著者曰く、実はマルチタレントだったというようなことを書いている。本当のところは良く分からないので、機会があれば別の本で読み込んで見たいと思う。

熊野に関する本は、時刻表オタクで歴史本を何冊も書いている宮脇俊三も、この地域を好んでいたようで、電車ではなく路線バスで、道中の歴史について書いているのを読んだことがある。しかし、地元ではないので、そんなに細かいところまでは記載していない。もっと広い地域として熊野を見ると、やはり紀州の海側の地域を全部知らないといけないような気がする。もし、熊野地域を本気でいくのであれば、ただでさえ、現代でも行き難いこの地域ではあるが、できれば、著者が紹介した道沿いで、時間をかけてのんびりと大社まで行ってみたい気がする。

まともに行程を、紹介した遺跡や旧跡などを訪問しながら熊野までいったら、きっと1年は掛かるんじゃないだろうか?

熊野まんだら街道
神坂 次郎 (著)
出版社: 新潮社
発売日: 2000/05

ヨーロッパの王室がよくわかる本


ヨーロッパの王朝は本当に分かり難い。同じ民族で他の民族とほとんど交わることなく、王様と統治者が異なる国・日本にいると、ヨーロッパのような政略結婚で国なのか地域なのかよくわからない「単位」での駆け引きというものがどのように起こっているのかというのが、本当に分からない。特に「~朝」という王朝のことは、さらに分からなくしている。

現在の国ごとの、歴代王朝を時代に沿って概要を説明している本としては、導入編として分かりやすい構成だとおもう。が、なんで最初がイギリスなのかが理解不能だ。ギリシャとローマ帝国以外のヨーロッパの王朝を紹介しようとするのであれば、フランク王国から紹介しないといけないとおもうのに、なぜフランク王国とは何の関係もないようなイギリスから紹介するのかが分からない。イギリスをヨーロッパの中心地と思っている無知な大半のひとに、導入しやすいような構成にしたかったのだろうか?

掲載されている国は、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、ロシア、スペイン、ハンガリー、スウェーデンが主であり、現在でも王室がある、ベルギーやオランダのような小国については、ほとんど「おまけ」程度で掲載されている。歴史的にもどちらかというと、詳細の王家の歴史を記載されている国のほうが面白いと思うので、国の選択としては良いと思う。

各王朝での成り立ちや、その王朝の中での有名人のエピソード等が概要としてテンコ盛りになっている。普通の王朝の歴史だと、同じような名前の人が色々なところで出没してくるし、単に「~世」と数字でしか区別がつかなくなると、もう誰だかわからなくなる。そんな王朝の登場人物を全部紹介しているわけではなく、有名人だけ取り上げているので、頭の整理にはなると思う。

もちろん、王朝の家系図も載っているので、概要を知るには分かりやすい。ただ、ヨーロッパは時間軸と地理軸の両面で、他国と複雑に縁戚関係を結んでいるので、ある国の典で王朝を見たときには分かり難いが、別の国の歴史でみたときに、また同じ名前の登場を見つけるときが、そのときにはこういう家系図は、とても重宝できる。


ヨーロッパの「王室」がよくわかる本―王朝の興亡、華麗なる系譜から玉座の行方まで
造事務所 (著)
出版社: PHP研究所
発売日: 2008/4/1

2009/04/07

不可触民


カースト制というと、インドにある厳しい身分制度で、最高のバラモンの人たちは神様みたいな扱いになっているというのは、歴史の時間でも習ったことのある事実だと思うし、いまのインドでも、ガンジーの力によってカースト制がなくなったという話も聞くが、実際にはそれが嘘であることが分かる。

実際にインドで残されているカーストの片鱗を、この著書では読者によく伝えていると思う。著者が現地インドに何年も留学したことと、その後何度もインドに通ったことによって知ることができた生々しい本当のインドの中で言われている声をまとめたものだと思って良いだろう。特に日本では、同じような身分制度があったこともあり、士農工商の身分制度とその下にあった「エタ・非人」の身分に関する記事や話をすることはタブーになっていることもあり、インドのカーストも似たようなことがあるから、なかなかカーストに関する本当の話は聞くことが出来ない。また、日本では実は今でも見えないところで身分制度があるのに気付かない人が多いために、身分制度が有ることすら「知らない」と無知振りを発揮している日本人が多いため、身分制度に関する事実に付いて正面を向いて受け入れることが出来ない人も多い。

この本は、カーストの中でもカーストに入れてもくれない通称「アンタッチャブル」な人たちのことを中心に書かれている。日本の身分制度で言うと「エタ」のようなものである。「非人」は罪人とその子孫が落とされる身分で、場合によっては平民に戻ることができるが、エタは子々孫々エタであり、平民になることが許される身分ではなかった。このアンタッチャブルな人たちも実は同じである。

日本もそうだが、世界中で素晴らしい人と思われているノーベル平和賞を取ったガンジーについて、アンタッチャブルな人たちは、「所詮、彼はバラモンだからね。ノーベル平和賞を取ったといっても、我々には何も変わるわけが無い。むしろ、酷い扱いは余計酷くなっている」という話は印象的だ。アンタッチャブルな人たちにとっては、自分達が人間的な扱いをされ、他の身分制度の人間と同じ環境で生活ができ、職業の自由を持つことができることが、最低でもの幸せだと考える。

身分制度によって職業が決められているというのは、いちおう耳に聞いたことがあることだが、実際にどういう職業がどの身分の人達が就くものなのかは、皆目検討がつかなかった。しかし、この本を読めばだいたい分かる。特に、清掃・洗濯に関わるものを中心に、汚いものに触れるものはすべてアンタッチャブルな人達が携わる仕事だ。

シンガポールのオーチャード通り沿いにある駅「Dhoby Ghaut」は実は「洗濯場」の意味であり、これは南インドから連れてこられたインド人がこの辺りを中心に住んでいたことにも起因するが、連れてこられた大半は、身分があるカーストのひとたちではなく、カースト外の人たち、つまりアンタッチャブルな人たちが大半だったということもわかる。つまり、母国でそこそこの身分で生活できる人間は、特に知らない土地に移動しなくてもそれなりに生活ができるが、生活できない人間は当時の政府の言うなりになるか、強制的に人身売買されて他国に行ってしまうというのはよくある話。日本でも「からゆきさん」が戦前にはたくさん居たがそれと同じことがインドでも起こっていたのである。だから、いまのシンガポールのインド系の人に「あなたはどのカースト?」と聞いても、「知らない」というのは当然で、カースト外の子孫だし、ここはインドじゃないからカーストに縛られないため好き勝手な職業に就くことができるとおもっているひとたちなのだ。でも、全員がアンタッチャブルな人というわけではなく、イギリス軍とともに警備のためにつれてこられた人は、実はそれなりの身分の人たちであった。

上記のようなことは実はこの本を読むと分かる。

アンタッチャブルな人達が人間的な生活をできるために、団体を作ることに著者は一肌脱ぐのであるが、これが多大なる各方面からの妨害にあい苦労する。そりゃぁそうだ。アンタッチャブルのひとたちは、人間以下の扱いをされているわけで、そんなのが人間的な社会団体を作って何かの運動をすること自体が、豚がコンピュータを持ってチャットをしたいと言っているのに等しいように聞こえてくるからである。さらに「誰が明日から洗濯するのだ?洗濯する人間が居なくちゃ、明日着る服に困る」というバラモンのひとたちの声も載っていて、この理不尽さが笑える。

身分的人口分布から言うと、アンタッチャブルな人たちの数が圧倒的に多いこともこの本を見てはじめて知る。アンタッチャブルな人たちは、人口の数に入れてもらえない場合が多いので、現在インドの人口が10億とも言われているが、本当のところのインドの人口はもっと多いはずである。じゃぁ、アンタッチャブルなひとたちが一丸になって暴動を起こせば良いではないかというが、これがまた難しい。なぜならアンタッチャブルなひとたちは固まって生活していないし、行動範囲が狭まれているからである。さらに、アンタッチャブルな人たちに対して、他の身分の人間が人間扱いしていないため、強盗・強姦・放火・暴行などの対象になっている場合が多い。要は、他の住民が寄ってたかって、集団リンチをしているためである。これじゃ、明日生きていくという気力も薄れ、何か立ち上がって反抗したいという気にもならず、明日生きていたらいいかもしれないというだけの気だけしかなくなるのは当然だろう。

これが現代でも続けられている。

今のインドはIT天国といわれてもてはやされているが、これは単なる華やかな一角をみせているだけであって、本当のインドの真髄をみせているわけではない。

漫画の「ねこぢる」でも、カーストに関することがインド旅行記の章で出てくるが、それをみて「嘘だろう?」とおもうひとは、実際にインドに行って見て、現実を知ってみると良いだろう。それでも信じられるかどうか。また、見る勇気があるかだろう。著者は一般の日本の観光客が行かないようなインドの原点と呼ばれている場所で、インドの底辺の人たちを語っている。これこそ生の声ではないか。

そんな著者が、残念ながら本日(2009年4月7日)お亡くなりになったという記事を新聞で見た。とても残念である。インドの本当の姿を本当の言葉で語ってくれている数少ない人だったのではないだろうか。

不可触民-もうひとつのインド-
山際素男 著
出版社:光文社
2004/10/15発売

2009/04/06

林家三平襲名公演

新宿御苑のあと、末広亭があるあたりをぷらぷらしていたら、新宿末広亭で「林家三平襲名公演」が開催されているところだった。新しい林家三平は、前は「林家いっぺい」と呼ばれていたのだが、これがまた、いつ見ても「なんでこんなひとが襲名できるんだろう」と思うくらい、見ている観客側からも大丈夫なのだろうか?と心配になってしまうくらいの人だ。最近、三平襲名に伴い、大々的な宣伝をしていたことはニュースでよく知られているが、それって母親の力が大きいのであって、本人の実力は大したことが無いと思う。
この日の襲名公演でも、本人を周りがサポートするように、有名なひとたちがたくさん公演していたのであるが、これだけ有名人が集まるのもほとんど無いことだろうと思う。大体が、トリを収めることができるひとたちばかりなのだが、それを全部かっさらって、新・三平が行うなんて、無謀にもいいところだと感じた。なんだか、周りの人達が持ち上げすぎだと思う。そういえば、末広亭の裏側の入り口を発見した。意外にしょぼい入り口で、ここって実際には使うときがあるのだろうか?と疑問に思った。

新宿御苑で花見

東京の花見で毎年行っているのは、新宿御苑だと思う。しかし、花見のシーズンの新宿御苑は、もう本当に芋洗い状態と同じ。新宿駅から新宿御苑に向かう道は、敷物を持って、食べ物と飲み物を持参したひとたちがたくさん居て、普段は閑散としている新宿御苑の入り口も、入園するまでにかなりの時間がかかってしまうような状態であった。正面から入ると時間が掛かるので、だいぶ四ツ谷よりの入り口である大木戸門から入ることにした。

ちょうど新宿御苑に行ったときには、満開とまでは言わないが、9分咲きの桜の開花だった。しかし、その桜の咲いている様子を楽しむためにやってきているひとは、御苑内にもたくさんいた。いろいろな場所で、桜の木は存在するのだが、結構桜は場所によって花の咲き方も、周りとの風景と合わせると、見ようによってはいろいろな顔が見えてくる。その様子がとても素敵だ。花見の時期の新宿御苑は上野公園よりはまだ客層がマシだとおもうが、春の陽気に誘われて出てきたのか分からないが、たまには変な人も居る。全身ウサギの格好をしたひとを見つけた。
新宿御苑は植物の種類が豊富で、観賞用としてむりやり作った樹木もある。中国原産のハナモモというものである。通常のモモは実がなるのだが、花の鑑賞のためにつくられた実のつかないモモである。白・桃・紅と1本の木から異なる色の花がさくものだったので、珍しいからカメラに写してみた。
新宿御苑からはドコモのタワービルも見える。見方によっては台北にあるTaipei101に見えなくも無い。でも、個人的には、「新宿のエンパイヤステイトビル」と呼んでいる。
他にも新宿御苑で珍しいかな、夏みかんの木もあり、ちょうど実がなっていた。でも、こんなのを獲ろうとする人は誰も居ないだろう。

京王プラザホテル(新宿)

4月の最初の土日で、新宿の京王プラザホテルに泊まってみた。東京に住んでいるのに東京のホテルに泊まるなんていうのは、贅沢極まりないのだが、「一休.com」のサイトで「室数限定!Ultra Valueプレミアツイン/禁煙」というプランで、1室19000円の値段というのがあったので、早速申し込んでみた。

ホテルでの本来の定価は、1室なんと53500円らしく、それがなぜ19000円になるのか皆目検討不能であるが、それでも1人あたりにすると9500円という激安価格にはまいった。

最近の楽天トラベルは、あまり安くないし、いいプランがないので、どうしようもないなとおもっていたのだが、さすが一流のホテルばかりを揃える一休.comだとおもった。室数限定とかかれているので、予約は無理かと思っていたが、意外にも予約が簡単にできた。

京王のロビーの隣にあるラウンジカフェには、打ち合わせで使って以来、新宿で遊んでいたあとにのんびりする場所として良く使っていたのだが、こういうところに泊まるのははじめてである。毎回毎回京王にくるたびに、どんな金持ちが泊まっているんだろうっと思っていた。だいたいの客層は、海外からの客か、日本人でも地方から来ている金持ち客のようなひとしか見たことが無いからである。

さて、今回泊まった部屋は、京王プラザの本館38階にある部屋だった。部屋はそこそこ広いツイン部屋なのだが、これで53000円?というくらいの驚きではある。シンガポールだったら15000円くらいの部屋だと思う。まぁ、シンガポールと比べてしまうのはだめなのだが、部屋のアメニティを見てみると、壁掛けの液晶デジタルテレビがあり、お風呂アメニティはロクシタンだった。浴衣やローブもあるので、ナイトウェアの心配はないし、スリッパもあるので、問題なし。

場所は新宿駅からすぐ傍なので最高の場所だが、基本的に、こういうホテルは金持ちだけが泊まれば良いんじゃないかなと思う。