何を思ったのか、なんとなく長崎にまた行きたくなってきた。前に行ったのは、たまたま旧正月の時期と重なったので、中華街がめちゃくちゃ盛り上がっていた記憶があるので、それで長崎が華やかな街だと勝手に想像してしまっただけなのかわからない。しかし、長崎と言っても長崎市に行きたいというのではなく、実際には「カクレキリシタン」の島である、平戸沖にあり生月島に行ってみたかったのである。生月島に行きたいと口で簡単に行ったとしても、実は生月島に行くまでには、非常に時間がかかることがわかった。だいたい、長崎から平戸に行くまでさえもめちゃくちゃ時間がかかる。さらに、そこから船または橋が出来たから車で行くことになる場所が生月島なのだ。これだけ遠いところだから、めちゃくちゃ観光地化されるということはなく、カクレキリシタンの文化が現代でも残っていたのだろうというのは容易に想像できる。現代でも残る昔のねじまがった風習というのをちょっと知りたいと思ったから、渡航の気分が出てきたのだろうが、行くまでの時間を考えたら、滞在時間が本当に数時間しかないことがわかったので、諦めた。たぶん引退したあとで、時間があまりにもたくさんあるときにでも行ってみたいと思う。
でも、一度長崎に行きたいなとおもった熱がそう簡単に冷めるわけじゃなく、結局今回は長崎市内に行くことにした。前に行ったときには中華街の周辺でホテルをとっていたのだが、今回は大浦天主堂の近くにあるANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒルに泊まってみたいと思っていたので、そこに決めてみた。ここなら、どこに行くにも便利だし、最終的には路面電車に乗って帰ってくれば歩くのもすぐなので便利。
意外に長崎にいく飛行機は、JALとANAだけじゃなく、LCCに属する飛行機も飛んでいる。でも、この時は、株主優待券があまっていたので、これを使うという意味でもあって、ANAで行くことにした。
◆往路
11/2 ANA 661 羽田 8:15 発 → 長崎 10:20 着
◆復路
11/4 ANA 670 長崎 18:50 発 → 羽田 20:25 着
天気がだいたい良いと言われている11月初旬の三連休。さてさて、実際に現地ではどういうことが起こりますやら。。
2013/10/28
さいたまクリテリウムbyツール・ド・フランス
世界的に有名な自転車ロードレースであるツール・ド・フランス(Le Tour de France)が、史上初、フランス国外でそのレースを開催するという話が出てきたときに、「うそでしょう?!」と思ったのだが、その大会開催場所の場所がなんとさいたま市で行うという話を聞いて、二重でビックリした。なんでまた中途半端はさいたま市で開催するのだ?!ということを。それも、さいたま市に決まるまでには実は紆余曲折があったようで、最初は台湾全土をコースとする自転車レースにしようという案があったのだが、それをねじ伏せるようにしてさいたま市になった模様だ。ツール・ド・フランスの主催者であるASO(アモリ・スポル・オルガニザシオン:Amaury Sport Organisation)のほうが、「海外で開催するのであれば、本国で行うツールとは全く違う趣向になったほうが面白い」という主張から、台湾案だと、山有り谷あり平坦有りのフランス全土コースと変わらないことになるが、さいたま市案だと都市部のなかを高速自転車レースを行うという趣向になるので、さいたま市案のほうがいいということになった。
それでも、さいたま市といってもさいたま市のどこをレースとするのかが問題だ。まさかさいたま市の市役所があるあたりを中心にということになると、市民レースみたいなショボさが出てくることになる。ASOからのリクエストとしては、高いビル群の中を颯爽と駆けるレースができれば良いという主張があったようで、そのためにさいたま新都心を中心とする場所が選ばれた模様だ。確かに浦和駅周辺だと、中途半端なビルばっかりしかないため、なかなか「カメラフレーム」でみたときの絵柄が悪い。本当なら丸の内のビル群のところでやれることをASOは望んでいたのだろうと思うのだが、さいたま市にそんな高層ビル群があるのは、さいたま新都心周辺にちょっとだけあるものだ。だから、場所はさいたま新都心になったようだ。
そもそも、台湾もさいたま市もどちらのなんで自転車レースに力を入れることにしたのかという素朴な疑問がある。台湾の場合は、実際に台湾に行ったことがあるひとであればすぐわかると思うが、まず自転車を乗るという文化が無い。基本的に暑い場所だからということもあるのだろうが、子供も大人もみんなスクーターに乗っているのである。それでは運動不足になるのは当然であろう。そこで最近台湾全体として各所で自転車レースを開催して、国民総運動活動を目標にしたいところだったようで、そのきっかけとしてツール・ド・フランスを呼び寄せて、台湾人に自転車をスポーツ自転車の定着を目指そうとしたようだ。さいたま市の場合は、実は埼玉県が日本で一番自転車保有台数がある県であるという、あまり知られていないデータがあるのだが、それと、さいたま市はサッカーを中心に街全体をスポーツイベントシティにしたいという思惑があるようだ。ツール・ド・フランスのイベントはまさしくもう1つイベントとしてさいたま市に肩書きができるための物としたかったようなのである。
今回のツール・ド・フランスのさいたま版は「さいたまクリテリウム by ツール・ド・フランス」(通称:さいたまクリテリウム)というのが正式名称として決定した。クリテリウムというのは、ロードレースの中でも周回コースを取るようなレースの場合のときに使う言葉。観客としては、自分の前に何度も選手が通り過ぎるところを、道端から見ることができるという意味では、選手と観客が一体化できる最高のレースだといえよう。
今回のさいたまクリテリウムの開催までは、実は寸前までなかなか何も事が進まなく、本当に開催ができるのかということが一番心配だった。実は今回の大会に対して、自社でも裏方として活躍しなければいけなくなったので、まぁ、協力できるところは是非どんどん協力しましょうということになったのだが、一向にどういうレースにするのか、どこでどういう協力を求めているのかということが、さいたまクリテリウムのオーガナイザーになったJTBがどうして良いのか分からなくなっていたということもあるが、ASOとの意見をどのように実現化したらいいのかということを想像できなかったのが一番の原因だったようだ。JTBがこういう大会に慣れている会社なのかどうかはこれで不慣れだということは分かったのだが、だったら電通あたりにやらせておけばよかったんじゃないのかという思いが出てくる。結局最後まで手探りで調整をしていた模様だ。
本当のツール・ド・フランスを、全チームとその所属選手を呼んでくるということをした場合、今回のさいたまクリテリウムはそれを受け入れるほどのキャパシティも無いし、最初からそんなフルスペックの大会ができるとは思えなかったのは、ASOもさいたま市も同意していたようで、結局は本国ツール・ド・フランスで活躍している上位選手を何人か読んでくることと、ツールで活躍・活躍して無い日本選手を混ぜて開催するということで落ち着いたらしい。だから、フランスで行われているレースと全く同じようなスタイルのロードレースを期待していたのであれば、それは無理だ。だいたい選手をサポートする是チームの車を走らすことなんか無理なんだから。
ツール・ド・フランスというと、以前、フジテレビの深夜番組枠でツール・ド・フランスが毎晩中継されていたときには良く観ていたのだが、それはもう20年前の話。なにしろ、鉄人ミゲール・インデュラインが三連覇をしていたころの話なんだから、もうかなり昔だ。それ以降、全然ツール・ド・フランスを観たいとも思ったことが無いので、最近の選手に付いては、誰が活躍しているのかなんていうことは全く知らなかった。大会期間中一番総合得点として高い人が黄色のジャージであるマイヨ・ジョーヌを着ているというくらいの基礎情報は知っているが、チーム名も知らないし、選手も知らないので、大会開催中であっても、傍に選手が歩いていても、それが有名なひとなのかどうかさえも実は分かっていなかった。
実際に開催されたのは2013年10月26日(土)だったのだが、前日から季節外れの台風の来襲に悩まされていて、当日は本当に開催されるのかどうか2,3日前から気が気でならなかった。大会事務局からは「雨天決行」と言われていたが、まさか台風が来るとは思っても居なかったので、台風の場合はさすがに中止にしようということになったのだが、その見極めは前日の朝に決めるということにしたという。この決定がいいのか分かるのかわからないが、各種準備を進めていたひとたち、とくにスタンド建設や大型モニターを準備している人たちは雨が降っても関係なく作業を進めていたから、それはそれですごかった。
結局大会前日の9時に「決行する」と決断がされたことによって、最後の前準備をすることに全員が向かっていったのだが、このときは風はそれほどでもないが、雨がめちゃくちゃ降っていて、このまま準備をするのも嫌だが、次の日も雨のなかで大会運用が巧く行っているのか確認するために待機しなければならないから、それもそれで嫌だなと思っていた。最終的には、メインレースが行われる時間帯になったら、青天になっていて、大会としては大成功として終わったのは記憶に新しい。
そういえば、スタート付近のところには、クリテリウムパークと称して、スタンドが設けられていた。ただし、そのスタンドにいける人は招待客だけが入れるものであり、金で買うというものではない。もちろん大会費用を捻出するために、一般人から寄付という形で徴収して、それを払った大会とは全くかんけいの無い人も入ることは出来たのだが、そうじゃない招待客も結構いた。おそらくスポンサー関係の人たちなんだろうとは思うのだが、絶対自転車レースなんて興味が無いだろう、あんたたち!というような人たちも結構いて、そういうひとたちはもう邪魔だから来ないで欲しいとは思った。付き合いで来ているという人も結構いるようだ。つまりサロンのつもりで来ているということだ。サロン的な意味では、同じクリテリウムパークの中にVIPルームという大型テントスペースがあって、そちらに入れるひとは、食事や飲み物を無料で採ることが可能だった。これは近くのホテルが協力という形で提供されていたもの。
じゃ、VIPやスタンドに入れるひとの区別はどうやっていたかというと、実は首から下げられたカードの色によって、どういう招待客かということを区別している。一般的にスタンドに入ることが出来る人たちは金色。VIP席にいけるひとは黒色なのだ。なお、クリテリウムパークの中には、スタンドだけじゃなく、選手たちの控えテントもあったりする。ということは、うろうろしていると、選手とすごーく近いところで話ができたりとか、サインも貰えるということができるのだ。こういうところは全く規制がなく、クリテリウムパークの中に入って熱狂的なファンにとっては、写真撮りまくりの人も結構いた。コースから帰ってきて控えテントに入るまでの花道は、国技館の相撲の大会のときみたいに、自転車にのった選手の体を触りまくっていたのを目撃した。それにしても、スタンドでもVIPでもそうなのだが、屋外剥き出し状態のところで、当日は朝から雨が降っていたから寒いのなんのというのはハンパじゃなかった。
日本でも競技サイクルの人口は結構いまではたくさんいる。それは自転車競技という場合だけじゃなく、トライアスロンかもしれないし、もしくは競技はしないけど競輪としてみていた延長で自転車競技を見るという人も居るのだろう。そして、なんといっても、大会はあのツール・ド・フランスとなれば、身近で絶対観てみたいという熱狂的なファンはたくさんいるのは当然だ。大会当日は朝から土砂降りの雨だったにも関わらず、沿道には朝早い時間帯から良い場所で競技を見たいと思っている人たちがたくさん集まっていて、どこがゴール地点になるんだというのを予測しながら場所取りをしていた。しかしながら、雨が降っているので座って場所取りをするという、花火大会によく見かけるような光景はここではなかった。座っていたら濡れちゃうので意味が無いのである。そして、雨だし、前から台風が来るというのは知られているから、沿道の観客として来ているひとたちは、どうせさいたま市とその周辺の人たちだけだろうと思っていたら、大間違いだった。実は日本全国からこの大会のために前泊、または深夜バス等でやってきたひとたちがめちゃくちゃ多いことが実は分かった。自転車オタのひとは結構いるとは聞いていたのだが、まさかこんなにもいま人気がある競技で、ツール・ド・フランスが日本にやってくることに喜んでいるひとがたくさんいるということ自体が知らなかった。
もう少し批判的なことを言えば、今回の大会に付いて、実は自転車オタのひとたちにとっては随分前から有名な話であったのは当然だが、さいたま市および関東でさえ、この大会の宣伝があまりされていなくて、本当に開催されるのかどうかというのが実はあまりよくわかっていなかったということもある。つまり、大会のことを知ったひとが、口こみで「やるらしいよ」というのを伝えていったということなのだ。もっとさいたま市およびオーガナイザーのJTBのほうが資金を豊富にもっていたのであれば、在京TV局のプライムタイムにCMを採って、そこで連日バンバンとCMを出せばよかったのだろうが、どうやらその宣伝費用をめちゃくちゃ削ったらしい。第1回目の大会なんだから、宣伝でどんどん人を集めて、大会が盛り上がりましたという実績を作っておくことが、またツール・ド・フランスがさいたま市で開催してもいいかもと思わせる良い材料になるとおもうのだが、そういう考えがなかったのだろうか?と今でも疑問に思う。地味に市役所や区役所、そしてタクシーのドアに小さいステッカーを貼っているだけのような宣伝を宣伝というのかどうか分からない。そのあたりは広告業をやっている人たちのほうが専門だと思うので分析して欲しいと思う。
最終的にASOおよびJTBによる共同発表によると、沿道に来場した観客の数は20万人以上だったということだった。これを大成功と呼ぶのかどうかは疑わしい。なぜなら最初の予想では、最低でも30万人の来場客を想定しているとしていたからだ。ただ、当日は昼過ぎまで土砂降りの大雨で、メインレースが行われる2時ごろから青天になって、屋外でレースを観るにも2時ごろからだったら見ても苦にならないという状況になったことが出来たという外的要因を考えると、20万人はそれなりに多い人数だったのではないかと思う。もし、当日朝から晴れているような状況だったら、きっと30万人では効かないくらいの大人数の人がやってきたことだろうと思う。
そして、それだけ大人数の人たちが沿道に集まったという今回のさいたまクリテリウムだが、実はビル群の間でレースを行われたということもあるのだが、道路の沿道はもちろんながら、空中歩道や歩道橋の上からでも見ることができるという3次元的な観戦が出来たということもある。安全上の問題から、最初は空中歩道の上からの観戦は禁止にしていたのだが、あまりにも「見せろ、ゴラァ!」と警備員や係員に食って掛かるひとたちがめちゃくちゃたくさんいたこともあって、最終的には誰もがその場所に立ち止まって見ることができたようだ。
実質のタイムレースのイベントであるため、そういう詳細の部分については、ツール・ド・フランスを運営していたフランス人たちがたくさんきて対応をしていたのだが、こういう人たちと最終的には仲良くなって色々話をすることができた。結局、今回のイベントは彼らにとっては「お祭り」というだけであり、来年度のレースになにか影響するポイントとかチーム構成とかの考え方とかには全く関係ないものだった。ただし、いちおうタイムレースであったし、それをタイムリーに報道機関や沿道に設置していた大型ディスプレイに表示したり、あとは大会自体をウェブとして即効配信するというということは真面目に運用するということは言っていた。レース前の準備の段階の時に、いろいろとセッティングの調整やら、仕込みの際に自分たちが携わっているところと結構関係があると思っていたので、スタッフの人たちとは、「どうっすか?」みたいなことを英語で会話をしていたつもりだったのだが、こちらも途中から楽しくなってきて、仕事そっち抜けでフランス語の会話練習だと思いはじめて、途中からフランス語で話し始めたところ、意外にびっくりされて、単なる作業員だと思っていた人間が、なんでフランス語なんか話すんだ!?というような顔をされたから、大会終了後の解体作業の際にはすごく仲良くなって顔なじみになれることができたのは良い収穫だった。
さて、また来年もさいたま市でツール・ド・フランスが行われるのかどうかは不明。今回の開催内容について、準備やオーガナイザや観客の反応を選手やスタッフが思ったのかということを考慮したうえで、さいたま市と再契約するかどうかということになるのだろう。その行く末は見守っていきたい。
さいたまクリテリウム by ツール・ド・フランス
URL : http://saitama-criterium.jp/
それでも、さいたま市といってもさいたま市のどこをレースとするのかが問題だ。まさかさいたま市の市役所があるあたりを中心にということになると、市民レースみたいなショボさが出てくることになる。ASOからのリクエストとしては、高いビル群の中を颯爽と駆けるレースができれば良いという主張があったようで、そのためにさいたま新都心を中心とする場所が選ばれた模様だ。確かに浦和駅周辺だと、中途半端なビルばっかりしかないため、なかなか「カメラフレーム」でみたときの絵柄が悪い。本当なら丸の内のビル群のところでやれることをASOは望んでいたのだろうと思うのだが、さいたま市にそんな高層ビル群があるのは、さいたま新都心周辺にちょっとだけあるものだ。だから、場所はさいたま新都心になったようだ。
そもそも、台湾もさいたま市もどちらのなんで自転車レースに力を入れることにしたのかという素朴な疑問がある。台湾の場合は、実際に台湾に行ったことがあるひとであればすぐわかると思うが、まず自転車を乗るという文化が無い。基本的に暑い場所だからということもあるのだろうが、子供も大人もみんなスクーターに乗っているのである。それでは運動不足になるのは当然であろう。そこで最近台湾全体として各所で自転車レースを開催して、国民総運動活動を目標にしたいところだったようで、そのきっかけとしてツール・ド・フランスを呼び寄せて、台湾人に自転車をスポーツ自転車の定着を目指そうとしたようだ。さいたま市の場合は、実は埼玉県が日本で一番自転車保有台数がある県であるという、あまり知られていないデータがあるのだが、それと、さいたま市はサッカーを中心に街全体をスポーツイベントシティにしたいという思惑があるようだ。ツール・ド・フランスのイベントはまさしくもう1つイベントとしてさいたま市に肩書きができるための物としたかったようなのである。
今回のツール・ド・フランスのさいたま版は「さいたまクリテリウム by ツール・ド・フランス」(通称:さいたまクリテリウム)というのが正式名称として決定した。クリテリウムというのは、ロードレースの中でも周回コースを取るようなレースの場合のときに使う言葉。観客としては、自分の前に何度も選手が通り過ぎるところを、道端から見ることができるという意味では、選手と観客が一体化できる最高のレースだといえよう。
今回のさいたまクリテリウムの開催までは、実は寸前までなかなか何も事が進まなく、本当に開催ができるのかということが一番心配だった。実は今回の大会に対して、自社でも裏方として活躍しなければいけなくなったので、まぁ、協力できるところは是非どんどん協力しましょうということになったのだが、一向にどういうレースにするのか、どこでどういう協力を求めているのかということが、さいたまクリテリウムのオーガナイザーになったJTBがどうして良いのか分からなくなっていたということもあるが、ASOとの意見をどのように実現化したらいいのかということを想像できなかったのが一番の原因だったようだ。JTBがこういう大会に慣れている会社なのかどうかはこれで不慣れだということは分かったのだが、だったら電通あたりにやらせておけばよかったんじゃないのかという思いが出てくる。結局最後まで手探りで調整をしていた模様だ。
本当のツール・ド・フランスを、全チームとその所属選手を呼んでくるということをした場合、今回のさいたまクリテリウムはそれを受け入れるほどのキャパシティも無いし、最初からそんなフルスペックの大会ができるとは思えなかったのは、ASOもさいたま市も同意していたようで、結局は本国ツール・ド・フランスで活躍している上位選手を何人か読んでくることと、ツールで活躍・活躍して無い日本選手を混ぜて開催するということで落ち着いたらしい。だから、フランスで行われているレースと全く同じようなスタイルのロードレースを期待していたのであれば、それは無理だ。だいたい選手をサポートする是チームの車を走らすことなんか無理なんだから。
ツール・ド・フランスというと、以前、フジテレビの深夜番組枠でツール・ド・フランスが毎晩中継されていたときには良く観ていたのだが、それはもう20年前の話。なにしろ、鉄人ミゲール・インデュラインが三連覇をしていたころの話なんだから、もうかなり昔だ。それ以降、全然ツール・ド・フランスを観たいとも思ったことが無いので、最近の選手に付いては、誰が活躍しているのかなんていうことは全く知らなかった。大会期間中一番総合得点として高い人が黄色のジャージであるマイヨ・ジョーヌを着ているというくらいの基礎情報は知っているが、チーム名も知らないし、選手も知らないので、大会開催中であっても、傍に選手が歩いていても、それが有名なひとなのかどうかさえも実は分かっていなかった。
実際に開催されたのは2013年10月26日(土)だったのだが、前日から季節外れの台風の来襲に悩まされていて、当日は本当に開催されるのかどうか2,3日前から気が気でならなかった。大会事務局からは「雨天決行」と言われていたが、まさか台風が来るとは思っても居なかったので、台風の場合はさすがに中止にしようということになったのだが、その見極めは前日の朝に決めるということにしたという。この決定がいいのか分かるのかわからないが、各種準備を進めていたひとたち、とくにスタンド建設や大型モニターを準備している人たちは雨が降っても関係なく作業を進めていたから、それはそれですごかった。
結局大会前日の9時に「決行する」と決断がされたことによって、最後の前準備をすることに全員が向かっていったのだが、このときは風はそれほどでもないが、雨がめちゃくちゃ降っていて、このまま準備をするのも嫌だが、次の日も雨のなかで大会運用が巧く行っているのか確認するために待機しなければならないから、それもそれで嫌だなと思っていた。最終的には、メインレースが行われる時間帯になったら、青天になっていて、大会としては大成功として終わったのは記憶に新しい。
そういえば、スタート付近のところには、クリテリウムパークと称して、スタンドが設けられていた。ただし、そのスタンドにいける人は招待客だけが入れるものであり、金で買うというものではない。もちろん大会費用を捻出するために、一般人から寄付という形で徴収して、それを払った大会とは全くかんけいの無い人も入ることは出来たのだが、そうじゃない招待客も結構いた。おそらくスポンサー関係の人たちなんだろうとは思うのだが、絶対自転車レースなんて興味が無いだろう、あんたたち!というような人たちも結構いて、そういうひとたちはもう邪魔だから来ないで欲しいとは思った。付き合いで来ているという人も結構いるようだ。つまりサロンのつもりで来ているということだ。サロン的な意味では、同じクリテリウムパークの中にVIPルームという大型テントスペースがあって、そちらに入れるひとは、食事や飲み物を無料で採ることが可能だった。これは近くのホテルが協力という形で提供されていたもの。
じゃ、VIPやスタンドに入れるひとの区別はどうやっていたかというと、実は首から下げられたカードの色によって、どういう招待客かということを区別している。一般的にスタンドに入ることが出来る人たちは金色。VIP席にいけるひとは黒色なのだ。なお、クリテリウムパークの中には、スタンドだけじゃなく、選手たちの控えテントもあったりする。ということは、うろうろしていると、選手とすごーく近いところで話ができたりとか、サインも貰えるということができるのだ。こういうところは全く規制がなく、クリテリウムパークの中に入って熱狂的なファンにとっては、写真撮りまくりの人も結構いた。コースから帰ってきて控えテントに入るまでの花道は、国技館の相撲の大会のときみたいに、自転車にのった選手の体を触りまくっていたのを目撃した。それにしても、スタンドでもVIPでもそうなのだが、屋外剥き出し状態のところで、当日は朝から雨が降っていたから寒いのなんのというのはハンパじゃなかった。
日本でも競技サイクルの人口は結構いまではたくさんいる。それは自転車競技という場合だけじゃなく、トライアスロンかもしれないし、もしくは競技はしないけど競輪としてみていた延長で自転車競技を見るという人も居るのだろう。そして、なんといっても、大会はあのツール・ド・フランスとなれば、身近で絶対観てみたいという熱狂的なファンはたくさんいるのは当然だ。大会当日は朝から土砂降りの雨だったにも関わらず、沿道には朝早い時間帯から良い場所で競技を見たいと思っている人たちがたくさん集まっていて、どこがゴール地点になるんだというのを予測しながら場所取りをしていた。しかしながら、雨が降っているので座って場所取りをするという、花火大会によく見かけるような光景はここではなかった。座っていたら濡れちゃうので意味が無いのである。そして、雨だし、前から台風が来るというのは知られているから、沿道の観客として来ているひとたちは、どうせさいたま市とその周辺の人たちだけだろうと思っていたら、大間違いだった。実は日本全国からこの大会のために前泊、または深夜バス等でやってきたひとたちがめちゃくちゃ多いことが実は分かった。自転車オタのひとは結構いるとは聞いていたのだが、まさかこんなにもいま人気がある競技で、ツール・ド・フランスが日本にやってくることに喜んでいるひとがたくさんいるということ自体が知らなかった。
もう少し批判的なことを言えば、今回の大会に付いて、実は自転車オタのひとたちにとっては随分前から有名な話であったのは当然だが、さいたま市および関東でさえ、この大会の宣伝があまりされていなくて、本当に開催されるのかどうかというのが実はあまりよくわかっていなかったということもある。つまり、大会のことを知ったひとが、口こみで「やるらしいよ」というのを伝えていったということなのだ。もっとさいたま市およびオーガナイザーのJTBのほうが資金を豊富にもっていたのであれば、在京TV局のプライムタイムにCMを採って、そこで連日バンバンとCMを出せばよかったのだろうが、どうやらその宣伝費用をめちゃくちゃ削ったらしい。第1回目の大会なんだから、宣伝でどんどん人を集めて、大会が盛り上がりましたという実績を作っておくことが、またツール・ド・フランスがさいたま市で開催してもいいかもと思わせる良い材料になるとおもうのだが、そういう考えがなかったのだろうか?と今でも疑問に思う。地味に市役所や区役所、そしてタクシーのドアに小さいステッカーを貼っているだけのような宣伝を宣伝というのかどうか分からない。そのあたりは広告業をやっている人たちのほうが専門だと思うので分析して欲しいと思う。
最終的にASOおよびJTBによる共同発表によると、沿道に来場した観客の数は20万人以上だったということだった。これを大成功と呼ぶのかどうかは疑わしい。なぜなら最初の予想では、最低でも30万人の来場客を想定しているとしていたからだ。ただ、当日は昼過ぎまで土砂降りの大雨で、メインレースが行われる2時ごろから青天になって、屋外でレースを観るにも2時ごろからだったら見ても苦にならないという状況になったことが出来たという外的要因を考えると、20万人はそれなりに多い人数だったのではないかと思う。もし、当日朝から晴れているような状況だったら、きっと30万人では効かないくらいの大人数の人がやってきたことだろうと思う。
そして、それだけ大人数の人たちが沿道に集まったという今回のさいたまクリテリウムだが、実はビル群の間でレースを行われたということもあるのだが、道路の沿道はもちろんながら、空中歩道や歩道橋の上からでも見ることができるという3次元的な観戦が出来たということもある。安全上の問題から、最初は空中歩道の上からの観戦は禁止にしていたのだが、あまりにも「見せろ、ゴラァ!」と警備員や係員に食って掛かるひとたちがめちゃくちゃたくさんいたこともあって、最終的には誰もがその場所に立ち止まって見ることができたようだ。
実質のタイムレースのイベントであるため、そういう詳細の部分については、ツール・ド・フランスを運営していたフランス人たちがたくさんきて対応をしていたのだが、こういう人たちと最終的には仲良くなって色々話をすることができた。結局、今回のイベントは彼らにとっては「お祭り」というだけであり、来年度のレースになにか影響するポイントとかチーム構成とかの考え方とかには全く関係ないものだった。ただし、いちおうタイムレースであったし、それをタイムリーに報道機関や沿道に設置していた大型ディスプレイに表示したり、あとは大会自体をウェブとして即効配信するというということは真面目に運用するということは言っていた。レース前の準備の段階の時に、いろいろとセッティングの調整やら、仕込みの際に自分たちが携わっているところと結構関係があると思っていたので、スタッフの人たちとは、「どうっすか?」みたいなことを英語で会話をしていたつもりだったのだが、こちらも途中から楽しくなってきて、仕事そっち抜けでフランス語の会話練習だと思いはじめて、途中からフランス語で話し始めたところ、意外にびっくりされて、単なる作業員だと思っていた人間が、なんでフランス語なんか話すんだ!?というような顔をされたから、大会終了後の解体作業の際にはすごく仲良くなって顔なじみになれることができたのは良い収穫だった。
さて、また来年もさいたま市でツール・ド・フランスが行われるのかどうかは不明。今回の開催内容について、準備やオーガナイザや観客の反応を選手やスタッフが思ったのかということを考慮したうえで、さいたま市と再契約するかどうかということになるのだろう。その行く末は見守っていきたい。
さいたまクリテリウム by ツール・ド・フランス
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