2011/05/14

ドブロブニクの裏道

ドブロブニク旧市街の裏道は本当に狭くいが、でも楽しい。なにが出てくるのかわからないびっくり箱みたいな路地がたくさんあるからである。メイン通りは小 綺麗になっているので、注目に値しないものばかりだが、プラツァ通りと平行に走っている山側および海側の両方の道とそれに交差する縦の道ともどれもが楽し い。ただし、似たような風景が広がっているので、どこにいるのかちっともわからなくなるときがある。それもまた面白い。
やっぱりヨーロッパの裏道はどこに行っても絵になると思う。

特にドブロブニクの山側は坂道の階段状になっているので、これを題材に写真を撮っている人たちも結構たくさんいた。単なる坂道ではなく、坂道が階段状になっているほうが好きだ。

セルビア正教会(ドブロブニク)

メイン通りであるプラツァ通りと平行して走っている1本裏の道は、結構お土産屋が軒を並べているところではあるが、その通りの中間地点あたりにセルビア正教会(Srpska Pravoslavna Crkva)がいきなり聳え立っている姿を現す。それまでは狭い通りの両側は2~3階くらいの建物が軒を連ねているので、本当に裏道だなというとおりを満喫できるのだが、その通りに教会を建てているということは、結局それなりのスペースを必要とするために、あんまり大きい教会ではないのだが、周りと比較すると大きく見えるのが不思議だ。そもそもセルビア正教の教会を見に行くのは実は生まれて初めてだったかもしれない。これまでは、中欧もあるが主に西ヨーロッパばかりを旅行していたこともあるので、カトリックかプロテスタント教会には行ったことがある。セルビア正教は旧東ローマ帝国配下で保護されてきた宗教であるため、日本ではあまり馴染みがない。東西のローマ帝国が分裂したあとの歴史において、日本の歴史授業ではあまりビザンチンのほうの歴史も重要視しなかったことが馴染みの薄さを深めていたんだろうと思う。西ローマ帝国が東西分裂後100年もしないうちに滅亡してしまったのに、ビザンチンのほうはその後1000年以上も続いたくらいの帝国だ。ということは、ローマ帝国がキリスト教を国教と認定したときの純粋キリスト教は、東西分裂時には同じキリスト教だったのに、西ローマ帝国配下のほうのキリスト教はその後、徐々に変革していまのカトリックやプロテスタントとして生まれ変わったのに、ビザンチンのほうは昔のまま残っていたということになる。トルコが進出してきて、キリスト教が一掃されたことにより旧ビザンチン配下のキリスト教影響地域は、それぞれベースはキリスト教ではあるが、ちょっとずつ地域ごとに違うキリスト教として形成されたために、セルビア正教だったりロシア正教だったりギリシャ正教だったりして生き残ることになった。だいたいまだ名前に「正教(Orthodox)」という名前を残していることでもわかるように、東ローマ帝国配下のほうのキリスト教が昔からのキリスト教として残っていることを意味する。

そんな東ローマ帝国のビザンチン文化で生き残っていた1つの正教組織がセルビア正教なのだが、これがまた複雑である。組織であって宗派ではない。考え方は正教のままなので、ロシアやギリシャと同じ正教と同じである。だから、日本の仏教で言うと、曹洞宗とか日蓮宗とかのような宗派ではなく、大乗仏教という大きなくくりであるというのと同じだと思えば良い。

実はセルビア正教もそうだが、正教のほうのキリスト教についてはよく自分でもわかっていない。ここはもっと勉強や知識を増やさないといけないところだと思う。ようやくカトリックやプロテスタントの教会で持ち上げられている聖人たちについてはわかるようになってきたのだが、セルビア正教のほうは同じキリスト教なのかもしれないのだが、いまいち登場人物がわからない。ちなみにキリストのことは「イエス・キリスト」ではなく、「イイスス・ハリストス」と言う。

カトリック教会は、教会全体を芝居小屋のように360度が演出をするための舞台なのである。無教養の一般住民をこのハコの中に入れることによって、キリスト教に入信すれば幸せになれるという雰囲気を作るためにある。豪華な装飾、重厚な建物、そしてお経に値する集団で同一文脈を述べる儀式を見せることによって不思議な世界であるということを上消させるためなのだ。だから、カトリック教会は全くキリスト教徒とは関係人たちにとってみても、訪れるだけでも溜息が出るくらいのような雰囲気を感じることができるし、ただボーっと教会の中に立っていたり座っていたりするだけでもいい。ただし、残念ながら東南アジアのカトリック教会にはその雰囲気がない。教会に使う信徒からの金の集金が少ないからであろう。

その代わり、セルビア正教の内部はいたってシンプル。まず祭壇というものがない。いちおう正面らしきところがあるのはあるが、その正面にはイコンで埋め尽くされた屏風みたいなものが立てられている。ここの教会は上に最後の晩餐のシーンがあり、司教は正面から教会内部に入ってくることになる。そして正面には4人の聖人の全身が描かれた肖像画がある。右からキリストに洗礼を与えたペトロ、キリスト、マリア、そしてキリストの父親であるヨゼフだ。そして祭壇もないが教徒が座るような椅子も特別に用意されていたりしないのが不思議だ。教会の中心に司教が聖書を使ってミサを行う際の台座が用意されているのだが、これが教徒のほうを向いているわけではなく、あくまでもイコンで埋め尽くされた屏風みたいな正面に向いているところが面白い。使っていないときには刺繍がきれいな布を被せて埃がかからないようにしていたりする。また寄付金も置いて貰うためのお皿も用意されている。周りを見渡すと、実は妙に親近感が持つ温かみを教会全体で感じる。だいたい大理石で作ったり、無機質な雰囲気を教会全体から出すことにより、特別な異空間を演出しているのがカトリック教会なのだが、この教会の場合は周りを木でできた椅子や肖像画も低い場所に掲げたりしているところが違う。また、肖像画に描かれた絵画技法が、カトリック教会の場合は途中でルネサンスの文化により飛躍的に現実の人間に近いような顔つきや服装になって描かれているのだが、セルビア正教の絵画は全くそれがない。ドミニコ修道院にもあった肖像画もそうなのだが、実に平面的な図法だし、顔もいかにも描きましたーというような顔つきであり、悪い意味で漫画っぽい顔つきなのである。眼がギョロっとしてデカいのだ。あと、セルビア正教の場合は書かれている文字がラテン文字ではなくロシアで使われているキリル文字である。これはスラブ系だからという意味もある。クロアチアはその後キリル文字ではなくラテン文字を普通に使う文字に正式に採用することになったのだが、宗教的にはずっとキリル文字。だから、聖書も全部キリル文字で書かれている。正面の最後の晩餐の下に書かれている文字についてもキリル文字。残念ながらキリル文字は知らないので、それが何とかかれているのか読み取りさえもわからない。モナーの顔文字に口の代わりにキリル文字のDに相当する文字を書いたりするくらいしかわからない。

できればこのあとはイコン博物館のほうにもいってもらいたいところだ。

ドミニカ会修道院(ドブロブニク)

プロチェ門近くにあるドミニコ会修道院(Dominikanski Samostan)はとても立派なつくりの建物なので、なんだか入りにくいなと思うかもしれない。それに、なぜかこのあたりまで観光客があまり来ることはないようで、時間を忘れてぽかーんとするには絶対良い場所だと思う。だいたい修道院というところは、修行僧が勉強をするようなところなので、一般開放するような入口のつくりになっていないことは多い。ここの修道院でも例によって入口が裏口みたいなところを入っていく。その入口のドアらしきところを通る際に、足元を良く見ると、実は1つ1つがそこそこ大きな石になっているのだが、それが最初は単なるフローリングを構成している一部だと思っていたところ、実際には石の棺おけだったことに吃驚。よく王様や西洋の墓地に行くと似たように石の棺おけをそのまま床にしているところに出くわすのだが、それと同じだった。たぶん、ここに置いている持ち主(要は死人)は修道院で亡くなった僧侶に違いないのだが、特に僧侶のような人たちは政治家になるようなことはないので、名前があっても東洋人にはなんのことだかちっともわからない。そんな入口なのだが、そこは単なる入口「その1」くらいのところである。本当の入口はもうちょっと先にある。
その入口のところにいくと、内覧費を払うところが出てくる(値段は20HRK)。さて、この内覧費が高いと思うか安いと思うか、それは訪問者の気持ちしだいだとは思うのだが、修復費用や維持管理費用を考えると、この内覧費を一種のお布施と考えれば安いものだろうと思う。

中には回廊とそれに囲まれた中庭があり、建物としてもいろいろな形式がミックスされているようなつくりになっているので、どこまでがバロックでどこまでがゴシックでとかの区別が全くよくわからない。ただ、どころどころに装飾として彫刻があったり作品が会ったりするのだが、それがなんとなく面白いなと思ってしまうのはなぜだろう?神聖な場所なのに。それで、一般の見学者はこの回廊の部分しか見ることができないのだが、実は内部には宗教美術館が存在する。入口を入ってすぐのところに別の入口があるのだが、そこがこの宗教美術館である。この美術館では一切カメラ撮影は禁止。狭い空間なのにあらゆる場所に監視カメラが設置しており、中に人が居ようといないと関わらず、入口にいる係員が、監視カメラのモニタに眼を凝らして観ているのである。これだけ監視カメラに見られているところで隠し撮りをするようなことはさすがにできないなと感じた。この美術館に展示されているものは、15世紀から16世紀にかけての宗教画である。題材はよくあるキリスト教に関するものばかりなのだが、まだルネッサンスではない描き方のものが多いため、肖像画に描かれている人物像の顔が結構間抜けな漫画家が描いたような顔ばかりになっている。精悍な顔つきになるのはどうしてもルネサンス以降の作品になるので、それでも作品の時代の違いがわかる。あとは、顔だけではなく絵全体で奥行きを感じるかどうかだ。年代の古い絵画の場合、どうしても二次元的にモノを観る傾向から抜けないらしく、絵画の背景や奥行きは全く粗末なものになるが、ルネサンス以降は奥行きがまるっきり三次元にみえてしまうような描き方をするからだ。ドミニコ会修道院 Dominikanski Samostan
Open : 9:00am - 6:00pm (5:00pm in winter)
Holiday : なし
Fare : 20HRK

ドブロブニク旧港

ドブロブニクの旧港 (Stara Luka)はもっとも歴史を誇る場所で、旧市街を訪問する人は絶対1度はこの港に来ることになるだろうと思うところだ。ドブロブニクがラグーザ王国として地中海を君臨したり、またドブロブニクの商業拠点として他の都市との交易にはこの港から出て行った船、入ってくる船でドブロブニクに繁栄をもたらせたものだと思う。それを良く知るためには、海洋博物館(Pomorski Musej)に行くべきだが、それは別途報告することにしよう。

旧港を眺めるには、もちろん直接港に行って見るのが一番だろう。おそらく一番多くのひとたちは、ポンテ門から出るか、スポンザ宮殿と時計台の間のところから出て行くかで港に出ることだろうと思う。どちらの出口付近には、レストランやカフェが軒を連ねているので、港を見ながらビールやコーヒーでも飲んでのんびりするのもいいだろう。たぶんそういうことをしていると、たくさんのひとが港から小船に乗ってドブロブニク周辺のクルーズに出かける光景を見かけると思う。天気がいいときには絶対に体験してみて、海からドブロブニクを眺めるというのもいいのではないだろうか?そして、次は城壁からである。城壁めぐりをすると、ちょうど旧港の真上を歩くことになるので、この壁から港を見るのもいいだろう。特に、聖イヴァン要塞(Tvrdava Ivana)のあたりを歩いていると、旧港をどどーんと目の前に観ることができるので、ここからの風景は最高だ。たぶんいろいろなガイドに「ここから撮影しろ」というようなお勧めポイントになっていることだろう。それから、南のプロチェ門(Vrata od Ploca)から旧市街を出て、すぐのところに見晴台がある。そう、ドブロブニクの猫のところでも記載したのだが、そこから見える旧港の姿もなかなか良いと思う。
どこから見ても港町の玄関の姿は素晴らしい。旧港なので大きな船はここに停泊することはできないのだが、漁船や観光客船はここには停泊しているのでいろいろな船を見る機会はあると思う。なお、豪華客船の場合は停泊する場所がないので、沖合いのところに止まって、そこから小さい船に乗り換えて上陸することになるようである。