今回の熊野詣では新宮と勝浦という2つの街を通ることになった。それぞれの街を散策してみた正直な感想をここでは述べておきたいと思う。
まずは、新宮から。新宮は南紀のなかでも大きな街の1つであり、交通の要所であることは間違いない。地元産業としてはおそらく農林業が中心なんだろうということは想像できるのだが、海にも近いところなので、木材の搬出には便利なんだろうとは想像できる。そして、交通機関としても、JRも基幹駅ではあるし、国道も大きく立派な道が備えられているため、鉄道と車という両面でも実は便利なところだとは思う。が、やっぱり南紀自体が大きな半島であり、最寄の大都会が名古屋か大阪になるとすると、どちらも山越えをしなければならないので、商業地から見ると不便であろう。そのためにこんなところまで人がやってくるのがあまり無いというのも納得ができるところだ。インフラとしては申し分ないとは思うのだが残念ながら、ここにはソフトがかわいそうなくらい無い。駅からすぐ傍に商店街があるのだが、そこを通ってみたところ、屋根つきのアーケードにはなっているが、3連休なのにも関わらず店が開いているところが少なすぎる。連休だから店を休むというのはどういうことなのだろうか?もしかして、店にやってくるのは地元の人たちしかいないから、観光客なんて相手にすることは無駄ということを思っているのだろうか?それとも、店はもうなくなっており、前の持ち主がシャッターを下ろしたまま、どこかにとんずらしてしまったのか?というようなことをいろいろ考えさせられてしまった。ところが、傍にある大型スーパーには車が次から次へと入っていく様子は見て取られた。ということは、地元の人たちにとっての買物意欲が全くなくなっているわけじゃないということだろう。もしかしたら、商店街側に付いても、そばにできてしまったスーパーのせいで客を持っていかれてしまったのだと嘆いているのであれば、それは商店街全体としての努力が足らなかった結果だということになろう。商店の店舗ごとだけではどうしようもない。商店街全体として、どういう商店街にしていくかということを考えないで、大型スーパーと喧嘩するほどバカなことは無いだろう。これはどこの地方都市においても同じことが言えるのではないだろうか?休日でこれだけ商店街が死んでいるように静まり返って、誰も歩行者がいないということだとすると、平日の寂れ具合というのは一体どんな感じなんだろうかと想像できない。これなら街灯がなく真っ暗闇の田舎道を歩いているのと同じ心境になってしまうんじゃないのだろうか?だって、お天道様が出ている昼間でさえも、ひとりで歩くのはちょっと恐怖だとおもってしまったくらいだから。
紀伊勝浦のほうはどうかというと、こちらは駅前には立派な商店街があるが、歩いている人は皆無。店はいちおう開いているのだが、残念なことに、どの店も客は入っていないように思われる。でも幸いにも、港町であり、ホテル浦島みたいなところに泊まっている観光客がバスや電車で移動する場合には、いやおうがな、その商店街を通ることになるので、街ぶら半分の気持ちで店を眺めながら歩くことがあるとおもうので、そういう客を捕まえて商売をするというチャンスはあるとは思う。この点、新宮の商店街とは大違いだろう。なぜなら新宮の商店街は、バスで速玉神社にいくひともいるだろうし、分かりにくい場所にあるから、大通りを通って歩いていくひともいるだろうから、横道にそれる商店街なんか通るひとは居ないだろうからだ。しかし、連休で客足がたくさん居るだろうと思われている三連休でさえも商店街は閑古鳥が鳴いている状態になっているので、一体全体この商店街にあるような店は生計が成り立っているのか?というのは甚だ疑問である。街として幸いにも良いのは、港があることであり、漁業としての港と宿泊施設への運搬用港が併設していることにより、ある程度港周辺には人が集まっていることが分かる。だから、港を中心として商売をすることは、ちょっと可能なところだろう。港の雰囲気も大型船が停泊するような場所ではないので、時間がのんびりしているように見受けられる。そういえば、1つだけ疑問に思ったことがある。みかん専門の店があったのだが、この店、みかんの採れる時期以外は一体何をしているんだろう?
地方都市が活性化するということはたぶんこれからは無い。なにしr、交通網が便利になればなるほど、都会のひとが地方にやってくるという甘い期待があるようなのだが、実際には、地方の人が都会に行きやすくなるだけであり、地方は単なる住宅地にしかなく、商業の場ではなくなるのだ。商業の場がなくなるということは、それだけ街が衰退するだけになり、若い人は刺激を求めて地方を離れて都会にいき、残されたのは結局老人ばかりというオチになる。アホみたいに政治家は高速道路と新幹線の地元導入ばかりを狙ってロビー活動をするのだが、それは「誘致したのはあたしのおかげである」と地元に銅像でも建てて貰いたいがためにやっているだけであって、本当に地元に利益が入るためにやっているわけでもなんでもない。明治以前の藩制度であれば、藩から外にでるために関所を設けて、そこで税金を取るのと人の出入りに付いて管理していたことにより、住民は地元が唯一の活動地域であればよかった。しかし、現代はそんな行動範囲の制約はなくなっているわけだから、細かい行政単位は実は要らないじゃないのか?という考えが出てきてもおかしくない。そして、住民が都会に集まっているのであれば、地方を優遇するような政策をすること自体が住民の意向と税金の使い方としえt間違っているじゃないのかという根本的な原因に陥ると思う。今回地方都市を垣間見て、本当に地方へ無理やり金をばら撒くことが全く意味が無いことであるということがよくわかった。無駄なハコモノ、無駄な整備された道路は地方にはもういらないと思う。