2010/04/18

台湾総督府

現在は台湾総統府という名前で東京駅に似たレンガつくりのかなり綺麗な建物が台北に建っており、そこは平日午前中は、内部を観覧することが出来るようになっている。日程によっては、会議場や普段では入ることができないところまで見学できるのでかなり観光としては是非行くべきところだろうと思う。内部は好き勝手に歩き回れるというわけではなく、現地のボランティアが案内してくれるし、日本人であれば日本語で丁寧に解説してくれる。ただし、ボランティアのおっさんの質によってかなり内容が変わってくるので、是非「当たり」を引き当てたいところだ。

そんな総統府は元々は日本が台湾支配の際に、統治する提督が執務するための建物として建てられたもので、日本統治時代は「台湾総督府」と呼ばれていた。統治していた提督は「台湾総督」と呼ばれていたのである。台湾を統治していた約50年間の歴史というのは、台湾自体を大きく変えたものだと思うし、戦後の台湾が力を持って世界ではほとんど友好国が公式には居ないにも関わらず、世界でやっていける礎を作ったのはこの時代であるのは言うまでもない。また、台湾原住民および漢族の台湾移住者に対して、日本統治時代に作り上げた性質・教育・文化というのは、その後、戦後中国大陸から国民党と一緒にやってきた外省人200万人との間に長きに渡っての確執を作ってしまった基礎の時代でもあるともいえよう。

いずれにしろ、台湾はこれまで過去歴史上、常にどこかに支配されていたのであって、決して単独でやりくりしていたところではない。台湾原住民の歴史は文字化されていないので、スペインが台湾上陸する以前の歴史において、台湾全体をどのように分割統治されていたのかは知る由も無い。それを除いても、スペインが台南に統治政府を置き、鄭成功が大陸反抗するために台湾を治め、何でもほしがる清が台湾を自分のところだと勝手に決め、日本が統治し、その後国民党の中華民国が台湾を統治するという具合に、常に外部から統治する団体がやってきて、それに併せて住民が対応することになる。

台湾提督も初代の樺山資紀から第19代安藤利吉まで50年の間にかなり沢山の人が台湾を統治するためにやってきた。話は長くなったが、この本はそんな19人の総督が彼らの在任中に台湾で何をしたのか、また、その政策がその後の台湾に何を残して影響したかというのを全部わかりやすくまとめて記載したものである。日本語でここまで記載しているほかの本というのはなかなか無いと思う。伊藤潔の名著「台湾」はもっと広い意味での台湾の歴史を記載したものであり、台湾総督府が置かれた時代に特化した内容で書かれたものではない。

特に日本では目をつぶりたくなる様な、原住民と日本統治政府との抗争については、この本はすべて書かれている。一番わかりやすい霧社事件はどの本にも記載されているが、それ以外のいざこざについてはあまり書かれていないのが普通だ。そう考えると、著者が台湾人であるからかもしれないが、惜しげもなく掲載しているし、その後原住民がおとなしくしたかというのではなく、常に抗争していたということを正直に記載しているのも改めて勉強になった。

よく、欧米の植民地政策は、植民地から原材料や金・商品になるようなものを搾取するだけ搾取し、現地には生産物を高い値段で売りつけるための土壌開発だったといわれ、反対に日本は、国税を惜しげもなくつぎ込んで、インフラつくりを第一優先事業として行ったために、その後植民地解放時に当地が経済的にかなり復興したといわれることだが、その原因となる、なぜ日本が台湾に当時の国家予算の1/3をつぎ込んでインフラと産業基盤を作ることにしたのかということもこの本を読めばよくわかる。

太平洋戦争が勃発し、勝っているときや南方へ進軍しているときの日本軍のことは掲載されていても、敗戦がみえてきたときの日本軍のことはあまりも自虐的なことなので日本人は書かないことが多い。そのときの台湾の位置づけや台湾ではどのような動きが起こったかなんていうのは、本土でさえも必死になっていたということはわかるが、海外植民地のことについてはあまり記載されないのが普通だ。それもここでは総督の目を通して、台湾の立ち位置ついても詳しく書いているので、台湾研究には絶対必要な本だと思う。

最終章としては、国民党の陳儀がやってきて、日本から統治権を引き継ぐ儀式までが記載されている。だいたい、ここで儀式というものがあったことがわからなかった。勝ったらすべてを搾取するのが中国のおきてと思っていたため、どうせ、総督府のところにも国民党軍がずかずかやってきて、「おらおら、おまえら、出て行け~、ゴラァ」みたいな脅しとも取れるようなことで旧日本政府関係者を追い出したのかと思っていたら、実はそうでもなかったらしい。その後の228事件などの処理でめちゃくちゃなことをした国民党の印象があったが、こういう儀式的なことは中国の面子を掛けて行ったのだろうと予想できる。

いずれにしろ、知っているようで知らないような台湾総督府のことはこの本で内容ぎっしりに盛り込まれているので、絶対読むと楽しいと思う。それに、この本を読んだあとに、もう一度台湾総統府(戦後は「総統府」に変更)を見学してみると、さらにおもしろく見えることだろう。実際に総統府の見学は、日本語ができるおじちゃんの解説付きでしか見学ができないので、自由がないから、うっとうしいと思うかもしれない。そこは我慢、我慢。なんといっても、無料で見学できるんだから。

台湾総督府 -日本の台湾統治五〇年を総括-
著者:黄昭堂
発行元:鴻儒堂出版社
出版日:2003年8月
定価:250元

ベトナム怪人旅行

ゲッツ板谷っていうおっさんは、本当に頭がおかしいと思う。裏表紙に「不良デブ」と書かれているが、これがまさしくぴったりなのだという印象は読んでみてよくわかった。終始爆笑しまくりの内容であるし、話や書き方、それに比ゆが全部下品なのである。下品であるがゆえに内容がないかというとそうではなく、ちゃんとした描写を使って表現しているのがおもしろい。特に過去の歴史の部分については、暴走族の抗争に例えているところは、わかる人は理解が早いが、わからないひとにとっては、チンプンカンプンな比ゆだといえるし、体験している内容というのが、ほとんど呆れるほどダメな日本人をそのまま演じているからなのである。

そんなゲッツ板谷が旅行記を記載している書物の最初に読んでしまったのが「ベトナム怪人旅行」というものだった。二度目のベトナム旅行だというふりだったのだが、なぜか旅行に対して「勝負」を毎回挑んでいる。勝負というのは、現地の人間に対して「参った」とか「絶対服従しない」ということを意味する。

自称日本人と称している詐欺師の中国系ベトナム人に出会うわ、天然記念物にもなっていて狩猟してはいけないことになっているはずなのだが、なぜかその手乗り鹿をメニュとして提供している店に行って実際に食べるわ、または本当に手乗り鹿なのかを確認するために、何度も店に通って生きている状態で鹿を見るまでがんばり続けたあげく、本当にその存在を確認してしまって、食べたことに罪悪感を感じてしまうとか、ゲイばかりが集まるクラブにわざわざ出かけるのは良いが、そこで「チンチン食べたいです」と日本語でナンパされて慌てて店から逃げるとか、キャバクラまがいのカラオケ屋に行くのは良いが、店の女性が全く飲まないで傍からバケツに捨てているのを発見してしまい、「ぶっ殺すぞー、てめー!!」とマジぎれして店の中で暴れるわ、蝦が好きなだけ獲れるという釣堀がある探しもとめて行って見るのだが、ほとんど無意味な農家のところに存在したことが発覚し、時間と金の無駄だと騒いで見たり、いったいこのひとたちはベトナムで何を探しに着ているのかと本当に疑問に思うことばかりである。

ただ、内容としては、怪しげなベトナムのいろいろな状況を紹介しているだけではなく、ホーチミンからハノイまで幅広い範囲でベトナムの紹介をしているのがおもしろい。こういう体験記まがいの旅行案内は楽しく感じることができる。

もっといいのは、ところどころ写真を挿入しているのだが、これが文章に拍車を掛けて、文字では感じられない実際の状況をそのまま理解できるような内容になっているのもおもしろい。たぶん写真の撮り方がうまいのだとおもうのだが、何気ない様子をとっているというのではなく、絶対演出がいるだろうというような光景を撮っているところなのだ。た

どうしても避けられない事実として、ベトナム戦争のことはベトナム紹介としては存在する。ベトナム戦争の傷跡というのは現在でも残っているもので、先の蝦の釣堀についても、もともとば爆弾が落ちたあとにできた穴に勝手に蝦が住み着いただけのことで、良きに悪しきにベトナムは魅力的なところだとも言えるのだが、ベトナム戦争を知らないでベトナム旅行に来ると、各方面で何でだろうというようなことに出くわし、理解するのに時間が掛かるだろうとおもう。著者もベトナム戦争のことをまったく知らないでベトナムに来て、一緒に同行していたカモちゃん(鴨志田穣)や現地コーディネータの鈴木君に馬鹿にされ、現地でベトナム戦争のことを教えられて、それで事の真相がようやくわかるというような様子は、無知のままで旅行に行ってしまう日本人の典型っぽくて笑える。

スペインについてとても詳しい内容を記載している中丸明の場合は、名古屋弁ばかりが出てきて、読むに耐えられないときがあるのだが、この人の内容は、下品この上ない。下ネタばかりのオンパレードであり、常に下半身の征服ばかりを狙っているどうしようもない男だ。タバコと酒と女のことしか考えてないアジア旅行者の典型と言って良いだろう。ただ、残念ながらこの男には、自分の趣向を満足するための幸運度は結構低いように思われる。その様子は書物の中で、かなり多く見受けられるのだが、その不憫さがかなり可愛そうに思う。もっと用意周到に準備すればいいのだろうと思うのだが、アジア諸国で綿密な計画をして旅行をしている人なんて、よっぽど意気地のない人ではない限り行わないだろう。出たとこ勝負!これが筋だとは思うが、この男はその筋がいつも裏目に出てくる。失敗ばかりだから、なんだか親近感が沸くのだ。

他にもゲッツ板谷が書いた書物はあるようなので、今度はそれを読んでみたいと思う。

ベトナム怪人紀行
ゲッツ板谷 (著), 西原 理恵子 (イラスト), 鴨志田 穣
文庫: 351ページ
出版社: 角川文庫
出版日: 2002/12/25

不思議旅行案内 - マリファナミステリーツアー

最近大麻保持で逮捕されている人が多い。大麻を麻薬に定義されたのがいつなのかわからないが、現在の日本では大麻保持自体が逮捕されることは誰でもわかる。しかし、それでも大麻を使おうとしている人がいるということは、その大麻を使用することによって何らかの好印象があったから保持し続けていることであることは明白である。ということは、どこかで最初に大麻を吸引したことがきっかけになっていることだろう。そのきっかけはどこなのかは個人個人違うと思う。普通の日本での生活では、まず大麻にお目にかかることはない。海外に行くと、大麻に接する機会というのは驚くほど増えてくる。だから、海外でいい気分になってしまった場合には、持ち帰ろうとするのは当然の衝動だろう。だが、いまの日本ではその持込さえも許さない。

大麻を使うとどのように気分が高揚するのかということが身をもって証明しようとしている人がいた。そして、大麻はドラッグの中に入れるべきではなく、日本では大麻解禁をするべきであるということを主張しているものだ。本著は、そんな大麻体験記を中心として、各種の怪しい体験をレポートしているので、実際に自分でやりたくてもちょっと怖いなという人であれば、これを参考にするのがいいと思う。

書かれている内容は、大麻、LSD、マジックマッシュルーム、水晶、催眠術による前世旅行、などだ。まぁ、とにかく怪しい話がいっぱい載っているので、ぜひ読んで見たほうがいい。

ちなみに大麻について、ほとんどの人は正しい知識が全く無く、単純に「大麻=違法物」と思っている人が多いのではないだろうか。それは、いったんルールが決まると、ルールを守ることが正しいことで、そのルールができた本質のことを全くわからないか、忘れている人が多いことの典型的な事実なのだろうと思う。ただ、昔から、大麻は日本社会において、各種いろいろなものに使われてきたものであり、別に悪いものではないものだと認識されている。なぜなら、大麻は習慣性がないものであり、治療薬として莫大な効果がったからである。しかし、その効果は必ずしも全員にあるものではなく、個人差が生じていたことが欠点だった。さらに大麻の主成分であるTHCが非水溶性であるのに対して、即効性があり安定的な効能が得られるアヘン剤やアスピリンのほうが科学技術の進歩によって徐々に薬としての利用がなくなってきたことも、大麻が身近になくなってきたことの原因なのではないだろうか。また、麻は繊維としてもかなり需要の高いものであったものだったが、後年、ナイロンの発明と発達に伴って、麻の産業が極端に衰退したことも原因だろう。

ちなみに、大麻は麻から作られる。現在では大麻にも変化してしまうからということから、麻を栽培する業者は完全に管理されていて、どこで栽培されているかは基本的には知らされていない。かつ、個人での栽培は絶対に許されない状態にもなっている。また、麻は煎ってしまえば、七味の成分として使われる。たいていの場合は、七味としか接することは麻・大麻にはお目にかからない。こういうこともたいていの人は知らないと思う。

大麻に限らず、キノコについても基本的には知らないことばかりのひとが多いのだろうと思う。幻覚キノコなんていう名前がつけられてしまっていることもあるが、それがいっそう「怪しげなもの」に感じるのだろうと思う。だが、間違った使い方をしなければ、このキノコも体に悪いものではない。

キノコもそうだし、大麻もそうだが、どちらも習慣性はない。タバコや酒は嗜好性の高いものであるうえに、習慣性がある。酷い中毒になると、禁断症状にもなるものだ。アヘンや覚せい剤は、ご存知の通り、一度でもやるともうやめられなくなる。やめた途端にその虚脱が耐えられなくなり、さらにまたやってしまうからというものだ。そういう意味では、アルコールよりも良く、覚せい剤よりも断然安全なものであるのは明白である。ただし、その利用による効果は先述にも記載しているが、人によるものだと思う。

正直に告白すると、個人的にはアムステルダムでガンジャの体験をしたことが有る。友達とアムステルダムに行かねばならない用事があって、その際に、有名になっているコーヒーショップで試してみることにしたのだ。大麻もいろいろな種類があり、最初だからと思って、一番軽めのモノにしてみた。当時、三人で部屋の中で吸ってみたのだが、自分以外の2人は確実に効果が出てきて、見る見るうちにトリップしていったようだ。1人は、聴音が異様に発達したように感じ、ちょっとしたものに対してもかなりラリれるような状態になっていた。だから、持参していた音楽をヘッドフォンで聴き始めて、そのままベッドの中に倒れるように横になり始めた。もう1人は、異様に性欲が出てきた!とわめき始めて、そのまま飾り窓地帯にまっしぐらに行った。「1人で夜の街に行くのは嫌だ」と意味不明なことを言って一緒に付いて来るように言われたが、飾り窓地帯では、そいつのコトが終わるまで窓の外で待っていることになった。自分事態はどうなったかというと、全く効果が無く、ちょっとぼーっとするくらいだったのである。

どうも自分はあまりこういう外圧的なモノでトリップするというようなことには不得意のようである。他にもラッシュを嗅いでも特に何も起こらず、あのシンナーくさい匂いがどうしても嫌だと嫌悪感のほうが先に出てきたし、慣れないものだからということもあるだが、タバコをすわないから大麻も効果が無かったのではないかと思う。

ジャマイカのレゲイとガンジャを吸ったときのトリップは、かなりシンクロできるという。あのリズムがちょうど大麻を吸ってラリっているときの気分にちょうど良いらしく、レゲイの神様が曲を作る際にも、このガンジャを吸いながら作曲したのだろうと思う。体験できなければその良さがわからないだろう。ラリらなければ見えてこないもう1つの世界というのを体験できることと、体験できないのでは、お化けが見える・見えないの話に似ているので、絶対に相容れない話になることは間違いない。

著者は各種の体験をすべて記録にし、当人が当時どのように感じたかという本人からみた体験談と、その行為を行っている最中に第三者に記録させた著者の行動についてを克明に書いている。トリップ中の記憶が現世に戻ってきた際にどこまで正確に書けるかというのは少し疑問を持つのだが、正直に感じたことを記載している上では、十分信用できるものだと思う。と思ったのは、文章として、途中で理解不能な考えが出てきたりすることはないからである。よく幽体解脱の体験を聞いていると、どうも理解できないようなことばかりがかかれていたりするのだが、そういう文章とは異なる。

自分で体験はしたくないが、どういうものなのかを知りたいひとにお勧めだ。

不思議旅行案内―マリファナ・ミステリー・ツアー
著者: 長吉 秀夫 (著)
文庫: 307ページ
出版社: 幻冬舎アウトロー文庫
発売日: 2005/03/31

長吉秀雄の不思議旅行案内ブログ
URL : http://ameblo.jp/nagayoshi/

鄭和

明の大航海時代を作った鄭和は宦官として有名であったのだが、なぜ宦官である鄭和が航海に出ることができたのかとか、鄭和はいったいどうして宦官になったのかという基本的な情報というのが全く無かったので、なにか良い書物はないのかなとおもって手にしたのが、この本だ。だが、買って失敗した。そう思ったのが、これが小説だからということもあるのだが、話が飛びすぎて、わけがわからなくなってしまうからである。そんな事実はみんなもともと知っているよねというのを前提で書かれているようにしか思えないからだ。せっかく鄭和について書かれているので、永楽帝の庇護の下に大航海が開催されたいきさつが知りたかったのだが、これではぜんぜんわからない。読み進むうちに勝手に、永楽帝が好んで重用したというのが書かれるようになっているのだが、じゃ、なぜ重用したのかというのが全くわからない。

ちなみに、鄭和は、イスラム教徒であり、漢民族出身者ではない。さらにいうと、前王朝の元朝の高官の息子だったということだったというのがわかったのだが、そんな鬼の子をとったように、天敵に関係するようなガキんちょを自分の部下にするといういきさつが不明だ。宦官にされたのはわかる。先述の通り、前王朝に関する子供だからであるからだろう。が、どうやら通常の宦官たちとは違い、宦官になるための儀式として、完璧に性器と陰嚢を取られたということではなく、単に性器だけとられたらしい。だから、完璧な女性的な性格にはならなかったということだ。女性的な要素が出なかったから、中途半端に男性的な要素が残っているために、あんなタフな人間じゃないと達成することができなかったという大航海のチャレンジについてはできなかっただろうと思う。

ちなみに、大航海は第3代永楽帝のときに行われたのであるが、その永楽帝は皇帝になるまでは北京を中心とした、常に元の襲撃を受ける場所に駐屯していた。その永楽帝と鄭和の関係についてもよくわからない。そういうのを全部すっ飛ばして、鄭和が航海に乗り出すところだけをメインで書かれているので、中途半端に鄭和のことを知ってしまうという危険は有る。だから、船の旅が好きな人ならば、結構楽しいかもしれない。海の上でなにが起こったとか、滞在地でなにが起こったかというのが書かれているからである。冒険モノが好きな人はぜひどうぞ。歴史を勉強したい人にとっては物足らないものだろう。

ただ、この本、書かれている文字が結構大きい。本の厚さはちょっと有るので、読むのに時間が掛かるだろうなと思っていたのだが、ぜんぜん時間が掛からなかった。ただし、最初の内容を理解するのに、すこし時間が掛かるかもしれない。

ただ、鄭和は魅力的な人物だ。ヨーロッパの大航海時代よりも100年も前にすでに中国からアフリカまで政府の資金によって航海をしたのは、記録として鄭和が世界で初めてである。民間レベルでは、すでにイスラム商人がインドや東南アジアとの交易をしていたから、海を伝って航海をしていたのは当然だろう。だが、これはあくまでも民間人が商売をもとめて海を渡ったもので、歴史的に名を残すために実績を残したというものではないというものだ。陸路だと砂漠地帯をとおらねばならないし、海だと遭難してしまう危険もある。どちらも危険であるのだが、商売のためとはいえ、いずれかの方法で遠い世界と接続するような出来事を実施したのは恐れ多い。いまだと、飛行機でひとっ飛びのところだ。

鄭和 - 中国の大航海時代を築いた伝説の英雄 -
太佐 順 (著)
文庫: 437ページ
出版社: PHP研究所
発売日: 2007/11/1