2008/01/26

ヒューガルデン(ベルギー料理)

ベルギーといえば、チョコレートが有名だが、その他にもビールもベルギーとは切っても切れない関係なのだ。そのベルギービールは、最近、ちょこちょこと色々なところでお目にかかることができるが、まだまだ日本の国産ビールに押されたり、アメリカの巨大ビール会社に押されているために、一般のスーパーでは手に入り難い。しかし、ベルギーに行ったことがある人なら誰でも知っていると思うが、ベルギーのビールは、その種類があまりにも多くて何を呑んだらいいのだろうと迷ってしまうくらい多種多様さがあるのだ。ちょうど日本で言うと、地酒に相当する感覚でビールが作られているためであるのが原因で、言い換えるとキリンやアサヒのような巨大なビール会社があるわけでもない生産方式をとっているのである。

ベルギービールは種類が豊富だからとは先に述べたが、日本のビールには無く「これがビール?」と言わんばかりの種類といえば、白ビールとクリークビールだろうと思う。通常のピルスナービールは、日本でもおなじみの黄金の色をしたものである。それも当然ベルギーにはある。白ビールとは、黒ビールの逆の色で、液体が透明の白なのである。ミルクのような白濁な色ではなく透明なのがいいのだ。その白ビールも色々な種類がある。代表的な白ビールの銘柄は、なんといってもヒューガルテン(Hoegaarden)だろう。ベルギービールがあると、ついついこれを選んでしまうくらい口当たりが本当にいい。日本人はどうしてもビールに、爽快感と苦味を一度に欲しがるようなものだが、あの苦味が嫌いな人にとってはこのヒューガルテンの白ビールはお勧めである。もう一つの代表的ビールのクリークビールは、修道院ビールとも言われており、それって何なの?といわれると、簡単に言えばフルーツ味のビールといったほうが良いだろう。しかし、日本のビールを単に果物味で割ったものと思ってもらっては困る。全く異質のものだ。どちらかというと、「これがビールなのか?」と言うくらい、ほとんどフルーツジュースの感覚に近い。こちらは女性にはとても飲みやすいものだと思う。しかし、侮るなかれ。クリークビールのほうが断然アルコール度数が高いのである。だいたい7~8%くらいのものだ。ベルギービールはアルコール度数が本当にピンきりなのだが、日本のように薄い3~4%くらいのものもあれば、日本酒のように15~16%くらいのアルコール度数のものもある。更に言うと、ベルギービールは、飲むビールの種類によって飲むグラスを変えねばならないという決まりがある。ジョッキならなんでも一緒でしょう?とおもっていたら、きっとベルギーに行ったら驚くことだろう。1つのビールの種類に独特のグラスがあり、それが決まっているからすごい奥が深い。飲むグラスまで変えるというのは、日本酒にも無い世界だ。そのグラスの種類の豊富さを見ただけで、飲み物のグラスでよくもまぁこんだけ色々な変な種類のグラスを考えられるものだと感心する。

そんなベルギービールが飲める場所は東京でも結構探すと色々ある。ビールをメインに堪能したいというのであれば、その名も「カフェ・ヒューガルデン」という名の店だ。場所は新宿南口から甲州街道を初台方向に7分くらい行き、そこからいつも迷ってしまう小道を入っていけば存在する。二階建ての店内は、そんなに広くはなく、ちょっとしたバーの感覚である。飲み物のビールは、そこそこ豊富な種類を取り揃えており、飲むのに疲れた場合には、ベルギー料理に舌鼓を打てばいい。フリッターと牛肉のビール煮とムールのワイン蒸しというベルギー料理の代表的なものをちょっとづつ頼めるところがまた良い。店内はだいたい満員になってしまうので、早めに行ってみるのがいいと思われる。

実はこの店の姉妹店が神保町に存在する。三省堂書店からほど近いところに「ブラッセルズ神田」がある。この店は神保町界隈で見つけたとき、最初は上記のカフェ・ヒューガルテンと同じ系統の店だとは全然気付かなかった。店内はカフェ・ヒューガルデンよりさらに狭く、ビールの種類も実はそんなに多くは無い。ただ、初心者ベルギービール体験としてはいいと思われる。オーソドックスなベルギービールは置いているので、そのなかでベルギービールとはこういうものなのかーと分かれば、別の店に行けばいいと思う。料理は決してここでは食べてはいけない。まともなものが出ないからだ。

本格的にベルギー料理を食べたいという人も居るだろう。そういう人たちには、あまり教えたくないのだが、大手町から神田にかけての裏通りにある「シャン・ド・ソレイユ」だ。ここは是非あまり大騒ぎしないような人たちと、しっぽりとご飯を食べるには本当にお勧めできるところである。シェフがベルギーで修業しただけあって、ブリュッセルの食い倒れ通りにあるレストランに負けないくらいの味が期待できる。メニュも豊富であるため、ベルギー料理って何?というひとであれば、まずはここにいって堪能するべきだ。北部フランス人がご飯を食べるためにベルギーに集まってくるくらい、ベルギーは西ヨーロッパの中でグルメの国であることは有名だ。日本に居ると、フランス料理とイタリア料理がグルメと思われがちだが、とんでもない。ベルギー料理こそ西ヨーロッパのグルメな人たちが集まるところなのである。(ちなみに東側ではハンガリー)デザートはおなじみのワッフルで締めれば、ベルギーに行かずともベルギーを堪能できること間違いなしだろう。

ビールと美味しいご飯。これが東京都内でも堪能できなんて、なんと東京は贅沢な場所なんだろうと毎度思う。

カフェ・ヒューガルデン (Cafe Hoegaarden)
http://www.brussels.co.jp/STORES/hoeg-shinjuku.html
住所 東京都渋谷区代々木2-20-16
TEL 03-5388-5523

ブラッセル神田 (Brussels Kanda)
http://www.brussels.co.jp/STORES/b-kanda.html
住所 東京都千代田区神田小川町3-16-1
TEL 03-3233-4247

シャン・ド・ソレイユ(Champ de Soleil)
http://r.gnavi.co.jp/g304600/
住所 東京都千代田区内神田1-10-6
TEL 03-5281-0333

マルコポーロ

マルコポーロは、ベネチアの商人として元の時代に中国に来て、帰国後、「東方見聞録」を通して、黄金の国日本をヨーロッパに紹介した歴史上の人物として有名な人である。ただ、実際にマルコポーロが日本を見たわけではなく、聞き知った内容を勝手に妄想のように「書いた」ことが、ヨーロッパ人の日本への渡航熱を上げたというのが結果だ。それも全員が黄金を得るためにという欲望のため。嘘から出てきた結果とはいえ、その結果、ヨーロッパでは航海術と天文学が発達するとともに、アジア諸国に対してもヨーロッパの列強が津波のようにやってくる元凶を作ったことにもなるし、日本に到達したヨーロッパ人は、最初はキリスト教徒の伝道師の顔をしてやってきてヨーロッパ文化を日本に多数残した。このマルコポーロが居なかったら、きっともっとヨーロッパ人のアジアに対する視点はもっとアフリカ並みに思われていただろうし、アジアの近代化もかなり遅かったに違いないと思われる。

しかし、実際にマルコポーロの東方見聞録は、帰国後自ら筆を取って書いたのではなく、マルコポーロ一家がベネチアで捕まって、そのときに牢屋で喋っていたことを別の人間が書いたというのが実情だ。だから、話も、妄想甚だしいほど誇張されて書かれたことは言うまでも無いし、どうせ、誰も見たことが無いんだからという理由からか、誇張表現で喋ったというのが実情だ。それにマルコポーロは元朝の皇帝の下、皇帝の命令で色々なところに派遣されて皇帝のために仕事をしたことは、東方見聞録で知られることになるのだが、実際に皇帝のために何をしたのかは、ほとんど秘密にされている。筆者・陳舜臣は、そのマルコポーロの中国での活躍を謎としながらも、きっと「CIAのように、皇帝のために諜報活動をしていたのではないか。」という推測をする。母国イタリア語のほかにペルシャ語、モンゴル語、中国語を巧みに操ることができたという事実を元に、彼が中国で何をしたかというと、少数民族モンゴル人が支配した大帝国の統治に必要な、各地の情報を皇帝に知らせることだったという着目点は面白い。

大元帝国は、漢民族王朝の宋を滅亡に追い込んだあと、中国大陸を支配下においたが、最後まで宋帝国の生き残りである人たちに苦しめられたことは有名である。あと、陸ではヨーロッパまで支配下におさめるほど、百戦錬磨だった帝国軍は、日本侵略にかけては2度も試みたのにいずれも失敗している。それもモンゴル軍を派遣したのではなく、モンゴル人は陸は強いが海の戦いはできないので、南宋の支配地域の人間を使うことと、高麗の人間を使うことで、自らの被害を抑えつつ、異民族の人間の力を殺ぎ落とすために、外敵に戦力をぶつけることで、内部からの武力による抵抗を抑えたというのも歴史的事実である。そんな事実とフィクションをまぜこぜにして、マルコポーロを特に南部の旧南宋地域に派遣して、南宋の生き残りの元への服従の状態を随時知らせるというところに面白みがある。元の時代には、色目人と呼ばれる非漢民族が政治の重要な職に就いていた。ペルシャ人やモンゴル人やウイグル人のような人が職についていた。漢民族は奴隷のように使われていただけである。だから、マルコポーロのようなどうみてもヨーロッパ人、言い換えれば中国人ではないひとが、中国で活躍していてもそれは全然違和感がない時代だったということなのだろう。

いちおう本は小説であるため、ほとんどフィクションであるが、時代背景だけは歴史事実に則っている。小説のなかでのマルコポーロはとても頭がよく、万能で、スーパーマン的な活躍をしているので、こんなのがいるわけないじゃんと、つっこみどころ満載なのだが、一気に読むことができるので、東方見聞録のおっさんという印象だけではないマルコポーロを垣間見るのも良いだろう。

小説 マルコ・ポーロ―中国冒険譚
陳舜臣 著
文芸春秋

エリゼ宮の食卓


晩餐会というのは、その会を通じて参加者に伝えたいメッセージを残しているものだとよく言われている。特に、政治の世界では、直接的に伝えるステートメントより、料理を通じて伝えられるメッセージのほうが強烈的で、かつ、言い難いことでも伝えやすいという点では良く使われるようだ。漫画「大使館の料理人」でも述べられていたとおり、単なるお客さんへのもてなしというわけではなく、さらに相手の好みをそのまま料理にすることも無いという意味では、怖い世界だと思う。

「エリゼ宮の食卓」も実は同じであり、それも中途半端な料理は全く出されない徹底としたこだわりぶりは、フランスの威信をかけて提供されるので、本場中の本場のフランス料理を堪能できるといえよう。それもそのはず、エリゼ宮は大統領官邸なのだからだ。フランスの一番頂点の場所で、フランス料理じゃないものを提供されるなんていうのは、全く想像ができないが、エリゼ宮のほうも他国に優秀なフランス文化を宣伝するという意味では威信をかけ、妥協を許さない料理を提供されるものだろう。料理人も政治に密着した舞台で提供するために、国家間の関係に影響するから、緊張とストレスも半端じゃないだろうと思う。

注目は、各国の首相や国王がきた場合に提供される料理が全部載っているところだろう。天皇が訪仏したときの料理も載っていたし、エリザベス女王が訪仏したときのことも載っていた。また、元首といっても王様ではなく、首相クラスがきた場合は政治と密接になるので、フランスとその国の関係が現在どうなっているのかを挿し計るバロメータになっていたり、定期的に代わる首相・大統領が新しく表敬訪問してきたときに、その元首に対して、現在フランスとしてはどこまで信頼や期待を置いているのかということを指し示す場に使われているかというのを読み取ることができるので、大変勉強になるものだとおもった。

料理の面ではどうかというと、典型的なフランス料理とはこういうものだと、高くて手が出せないような料理の様子を文面で伝えてくれるのはありがたい。また、料理には必ず添えられているワインについても、豊富な知識を披露して記載されているため、ワインについても詳しく述べられている。このワインは何の料理をたべるときには適しているとか、何年物のどこどこのワインは貴重品のために、晩餐会用に使用したいと考えた場合には、1本や2本を揃えるわけではなく、かなりの本数を揃えなければいけないから大変だとか。また長年ワインセラーで保管されていたものを動かすことは、そのときに飲む以外では絶対に厳禁であるため、エリゼ宮ではない場所で晩餐会を開くときには、エリゼ宮で保管されているワインを持っていくにはほとんど無いというのも勉強になる。ということは、フランスで買ったワインを日本に持ってきて、そのまま飲むというのは、あまり良くないという意味だろう。というものも、長年寝かされていたワインは、ワインの底にワインの渋みが溜まってくるため、それが輸送中に混ぜられてしまい、本来の味がなくなってしまう可能性があるからだ。のむとしたら、また同じくらいの年月をかけて一度寝かせる必要があるのだ。

エリゼ宮の主人である大統領が代わった場合、料理人とその給仕人も全員総取り替えになるのだ。昔は、さらにエリゼ宮で保管されていたワインも、大統領の所有物として扱われていたようで、大統領が代わった場合には、ワインも全部総取替えになっていたようである。しかし、それでは、晩餐会のときにまたワインをフランス中から集めてこなくてはいけない手間がかかるので、ミッテランの時代からはワインは大統領の所有物ではなく、エリゼ宮の所有物になったようだ。その大統領も、歴代の大統領の裏話や料理に関する逸話がいろいろ残されているので、フランスの大統領というものが食事を通して、政治をどのように見ていたのかというのを読み取るにはとても興味がある。

一番興味深く読んだのが、料理長が晩餐会に提供する料理を3種類くらい候補として提示するが、最終的な決定権は大統領が、客層と国家間の関係を考慮して、提供する料理の内容を全部決めるというのは驚いた。美食家ではなくてはいけないし、特にワインの選択においても大統領が決めるようだ。もちろんソムリエが居ることはいるのだが、助言をするだけであって、ワインの知識にも長けていないと大統領は務められないのは常識になっている。フランスの大統領は、代々ソルボンヌの文学部を卒業した博士がなっている。文才に長けた人たちが大統領になっているのだ。当然、食に関しても同じで、関心が無い人間は大統領の資格は無い。それだけ厳しい。日本の首相はそこまで考えている人がいるかは疑問である。宮崎知事になったそのまんま東が、いまでは宮崎の大々的なセールスマンになっているのは有名だが、フランス大統領はフランスの一番のセールスマンでなければならないという自負がある。日本の首相が日本の一番のセールスマンになっているかといえば、それはNOとしかいえない。日本はどちらかというと、いまだに敗戦国の自虐から脱却できていないので、売る側ではなく買わされる側になっているのだ。

フランスの政治の裏側を見るには、とても参考になる本だし、料理通やワイン通のひとにとっては、本場の本格的フランス料理ではどういう相性で提供されるのかという場合を知る良い参考書なのだとおもう。


エリゼ宮の食卓―その饗宴と美食外交
西川 恵 著
新潮文庫